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第六章『運命の天正十年!本能寺カウントダウン』

15『三職推任』

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四月二十五日 安土

天主第三階『許由きょゆう巣父すうほの間』


朝廷からの使いである勅使の女房衆が、信長に謁見している。

織田信長の宿敵であった武田氏を征伐したことで、誰もが認める権力者と成った信長に対し、

――朝廷は関白、太政大臣、征夷大将軍の三職の何れかへの就任を要請したのであった。(『晴豊日記』)

これを『三職推任さんしきすいにん』と呼ぶが、

――この三職とも天皇の臣下が成れる最高位である。


「余はいずれの役職も受けるつもりはない。

――そう帝に伝えよ」


信長はそう勅使に対して平然と言い放った。

「はい仰せの通りお伝え致します」そう答えると女房衆は、そそくさと部屋を去っていった。


――通説では、信長はこの三職推任を断ったと言われている。

(※諸説有り)


それにしても、この安土城天主が、朝廷からの要請を断るために建てられたみたいで面白い。

というのは、天主第三階の間に描かれた『許由と巣父』の絵――

この二人の古代中国の賢人は、帝に成ることを断った方々だからです。


天主の紹介の時に述べた通り、天主第四階以外の各階には――

簡単にいうと“縁起の良い”絵が描かれている。

何故、第三階にだけ「帝に成ることを断った」ような、縁起の良くない?絵が描かれたのか?


結局織田信長は、自分が天下人に成る、近付くことによって、朝廷側が信長を要職に任命をしに安土にやって来るのを予見して、

――しかもそれを断るつもりで、

天主に『許由と巣父の間』を作ったのではと、この描かれた絵のテーマを考えると思えてならない。


……それにしても信長は何故この『三職推任』を断ったのであろうか?


代々のこの日本の時の権力者たちは、いずれかの職に就いてきたのに、である。


征夷大将軍に成った……源頼朝・足利尊氏

関白に成った……藤原氏

太政大臣に成った……平清盛



これだけ先例がある三職のいずれにも信長は就かなかった。

当たり前であるが、成りたくても成れない最高位職である。

どう考えても信長の夢『天下布武』、そう天下統一事業には三職のいずれかに就いた方が達成しやすいであろうに――


――いったい何故、織田信長は三職に就かなかったのか?



そこで皆さんに質問です、
信長はなにゆえ武家の棟梁である征夷大将軍にならなかったのか?


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