桜の若木

櫟 真威

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「知らなかったよ、飯を炊くのは神経を使うと。
炊飯器くらい買ってやれと云われたよ」

風呂の支度をしていると着物に着替えながら彼が云った。
彼は楽しげだった。
どきどきした。
彼を楽しくさせているのは、姉だと思ったからだ。

「あの、お背中を」

風呂の外から声をかけると、中からお湯の波立つ大きな音がした。

「あの」

「そ、そんなことはしなくていい」

「でも」

私は妻だ。
姉とは違う。
おかしな敵がい心が起きていた。

結局彼は押し切られる形で私を受け入れた。

恥ずかしい話だが、私は彼の裸を見たことがなかった。
彼も私の裸を見たことがない。
閨では暗闇だし、私も彼も浴衣を脱がなかった。
なので、驚いた。
彼の胸にはふさふさと毛が生えていたのだ。

「あまり見ないでほしい」

「すっすみません」

その広い背中をごしごしと擦り始める。
背中も、胸ほどではないが産毛が濃い。
あの日、姉が熊だのなんだのと云ったのはこれだったのか。
父や兄にはこれはなかった。
姉は親しいから知っていたのか。
世間は狭い。

「あの」

姉とはどんなお知り合いなんですか。
訊きたい。
だが、どんな答えが返ってくるのか恐ろしくもあった。

「ましゃたけさ」

噛んだ。
こんな大事な場面で。
赤面したのがわかる。
これは、浴室の温度のせいではない。

「え?」

彼が顔だけ振り返る。
私はもう恥ずかしくてたまらない。

「なんでもな」

「初めて、呼んでくれた」

「あ」

そうだ。
彼が私を名前で呼ぶことは少ないが、私は一度もなかった。
男性の名前を呼ぶことは、とても恥ずかしく勇気が要ったのだ。

「もう一度頼む」

「ま、ましゃた、あぅ。
まさたけ、さん」

「ましゃたけさん、がいいな。
なんだか親しげだ」

彼は私の方へ向き直り、そのまま抱き締めた。
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