神様自学

天ノ谷 霙

文字の大きさ
上 下
796 / 812

稲荷の感情

しおりを挟む
稲荷様はぐっと唇を噛んで、ゆっくりと気持ちを吐き出す。
「わたしは既に、伏見ふしみの運命を捻じ曲げてヒトの人生を壊した前科がある。その原因は、わたしと伏見の縁が濃くなりすぎたせいだと知った。こちらの世から引き離すために何度も伏見の魂と関わったことが、伏見の人生を壊すきっかけになったのだ。わたしはそうやって、関与したモノの人生を壊すことしか出来ない。姉神様もわたしのせいで、わたしが恋使コイツカイを生み出したせいで、その血肉を摂取すればヒトとして生きられるなんて幻想を抱いた。わたしが恋使なんて生み出さなければ、姉神様は一縷の望みに縋ることもなく、壊れなかったかもしれないのに」
視界の端で、虹様がカッと頬を赤らめる。その感情が怒りと知って尚、私は彼女の動きを止めた。手の平で制止をかけ、目だけで言葉を告げる。今動いて言葉を切れば、また稲荷様は学ばずに先に進んでしまう。
「わたしのせいで、また誰かを壊したくない。夕音を、壊したくない。だから、夕音がもうわたしと関わることがないように、わたしみたいな此方の存在と関わることがないように、力を全部吸い取ろうと思った。力が無くなれば夕音はわたしを見ることもないし、いつか忘れて、ヒトとして暮らしていけると思ったんだ」
その考えは僅かに足りなくて、私はむしろそれによって命の危険に晒された。けれど虹様が居たから、私は危険に迫られることはなかった。
「だから、伏見を呼び寄せた。夕音が学校に行く時、必ず通るから。使ツカイであり世界が同一の伏見にだけ伝わる声で、伏見を呼んだ。そうすれば伏見から夕音に力が渡ることもなく、穏便に終わらせられると思ったのだ」
そうしてゆっくりと糸を断っていった。私と稲荷様の縁は、徐々に細くなり消えていく。それを待ち、その寸前で私の力ごと姿を消した。
そう、稲荷様は話す。
「夕音は。そう、違う、えぇと。だって」
次の言葉を探して、稲荷様が意味を持たない言葉の区切りを紡ぐ。何処まで話したのか、何処を話の終わりとするのか、混乱しているようだ。
「だって、そうしないと。わたしは夕音のことが好きだけど、わたしのせいで夕音が不幸になるのは許せなかったから。やっと、やっと夕音は想い人と結ばれたのに、ヒトとしての幸せを手に入れたのに、それをわたしは壊してしまうから。だから早く手放さないとって、思ったんだ」
ふと、気付く。稲荷様の温度で紡がれた言葉は、私が一方的に聞いたそれよりもずっと情に溢れていて。どうして私と使ツカイの契約を切ったのかに思い至った。
恋心などそこにはない。甘さもほろ苦さも含んだ生々しい感情は、そこにはない。
けれど、何ということだろう。恋愛でも親愛でも友愛でもない。それでも確かな"愛"が、そこに存在すると理解してしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

産賀良助の普変なる日常

ちゃんきぃ
青春
高校へ入学したことをきっかけに産賀良助(うぶかりょうすけ)は日々の出来事を日記に付け始める。 彼の日々は変わらない人と変わろうとする人と変わっている人が出てくる至って普通の日常だった。

この命が消えたとしても、きみの笑顔は忘れない

水瀬さら
青春
母を亡くし親戚の家で暮らす高校生の奈央は、友達も作らず孤独に過ごしていた。そんな奈央に「写真を撮らせてほしい」としつこく迫ってくる、クラスメイトの春輝。春輝を嫌っていた奈央だが、お互いを知っていくうちに惹かれはじめ、付き合うことになる。しかし突然、ふたりを引き裂く出来事が起きてしまい……。奈央は海にある祠の神様に祈り、奇跡を起こすが、それは悲しい別れのはじまりだった。 孤独な高校生たちの、夏休みが終わるまでの物語です。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

スク水の少女と、シャワー室で二人きり。

椎名 富比路
青春
pixivお題「水着」より

とあるプリンスの七転八起 〜唯一の皇位継承者は試練を乗り越え、幸せを掴む〜

田吾作
青春
 21世紀「礼和」の日本。皇室に残された次世代の皇位継承資格者は当代の天皇から血縁の遠い傍系宮家の「王」唯一人。  彼はマスコミやネットの逆風にさらされながらも、仲間や家族と力を合わせ、次々と立ちはだかる試練に立ち向かっていく。その中で一人の女性と想いを通わせていく。やがて訪れる最大の試練。そして迫られる重大な決断。  公と私の間で彼は何を思うのか?  ※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは関係ありません。  しかし、現実からインスパイアを受けることはあります。  Nolaノベルでも掲載しています。

鍵の海で踊る兎

裏耕記
青春
君の演奏を聴いたから、僕の人生は変わった。でもそれは嬉しい変化だった。 普通の高校生活。 始まりは予定通りだった。 ちょっとしたキッカケ。ちょっとした勇気。 ほんの些細なキッカケは僕の人生を変えていく。 どこにでもある出来事に偶然出会えた物語。 高一になってからピアノなんて。 自分の中から否定する声が聞こえる。 それを上回るくらいに挑戦したい気持ちが溢れている。 彼女の演奏を聴いてしまったから。 この衝動を無視することなんて出来るはずもなかった。

ダイヤモンドの向日葵

水研歩澄
青春
 『女子高校野球は番狂わせが起こらない』  そう言われるようになってから、もう久しい。  女子プロ野球リーグは女子野球専用ボールの開発や新救助開設などに代表される大規模改革によって人気を博すようになっていた。  女子野球の人気拡大に伴って高校女子硬式野球部も年を追うごとに数を増やしていった。  かつては全国大会のみ開催されていた選手権大会も、出場校の増加に従い都道府県予選を設ける規模にまで成長した。  しかし、ある時その予選大会に決勝リーグ制が組み込まれたことで女子高校野球界のバランスが大きく傾くこととなった。  全4試合制のリーグ戦を勝ち抜くために名のある強豪校は投手によって自在に打線を組み換え、細かな投手継投を用いて相手の打線を煙に巻く。  ほとんどの強豪校が同じような戦略を採用するようになった結果、厳しいリーグ戦を勝ち上がるのはいつだって分厚い戦力と名のある指揮官を要する強豪校ばかりとなってしまった。  毎年のように変わらぬ面子が顔を揃える様を揶揄して、人々は女子高校野球全国予選大会をこう呼ぶようになった。  ────『キセキの死んだ大会』と。

処理中です...