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稲荷の本音
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自分のせいで不幸にはならないでほしい。
手に入れた幸せを、そのまま享受してほしい。
だからこそ、その為に自分は身を引くから。
…貴方と一緒にいることは、とても楽しくて幸せだけど。
何処かで聞いた言葉のように、稲荷様はそんな意図を紡ぐ。きっとそれは今まで色々あったせいなのだろうけれど、私は私をそう簡単に諦めてしまうのが許せなかった。その根底にある優しさと愛情が、一方通行だと思い込んでいるのが許せなかった。
私の為にと選んだ道が、私とすれ違っている。それが切なくて苦しくて痛くて、許せなかった。
「それなのに、どうして。わたしは、夕音と一緒に居たら傷付けてしまうから、諦めたのに。夕音と一緒に居たかったけど、だめだから、分かってるから、手放したのに。それも間違いだった。夕音を傷付けて、ここまで来させてしまった。忘れてほしいと、願ったのに」
稲荷様はそこで言葉を切る。流れるように溢れ出たそれに自身で驚いたかのように、はっとしてこちらを見る。その瞳が、叱られるのを待つ子供のように頼りなく揺れた。
「…嬉し、かったんだ」
息を呑んだ。
「忘れないでここに来てくれたことを、嬉しいと感じてしまったんだ。喜んじゃだめなのに。私は夕音を傷付けるんだから、夕音の幸せを奪う存在なんだから、だめだって分かってるのに!それなのに、わたしは…っごめんなさい、夕音…ごめんなさい……っ」
やっと零れたのであろう本音に、私はホッと安堵する。謝罪の言葉を繰り返す稲荷様が、くしゃりと顔を歪ませて涙を流した。それすらも罪悪感を煽るのか、何度も何度も目を擦って泣くことを拒絶する。
本音を隠して他者の幸せを願ってしまう、優しすぎる稲荷様。
何度も何度も繰り返し並べていた言い訳じみたそれは、きっと自身に向けたもので。ようやく口にした本音を許せなかったからこそ、絶対に言うまいと遠回りを選んだ結果で。
けれど必死に考えて絞り出した言葉もまた本音であることが分かったから、私はその言葉に温度を感じて安心してしまった。
私は稲荷様に嫌われたわけではない。
それどころか、もっとずっと大切にされていた。
それが分かってしまった私が、今更稲荷様に怒りも悲しみもぶつける理由などなくて。
だから私は、稲荷様の手をそっと包み込む。驚いて震えた手をゆっくりと顔から離して、真っ正面から笑顔を向けた。その理由が分からない稲荷様はびっくりしたようで、混乱したまま動きを止める。私はその一瞬の隙を突いて、稲荷様を抱き締めた。「───はい。許しますよ。それはだめな感情じゃないんですから、私は稲荷様を許して、受け入れます」
受容と肯定。それをきちんと理解してもらう為に、私はやっと口を開いた。
手に入れた幸せを、そのまま享受してほしい。
だからこそ、その為に自分は身を引くから。
…貴方と一緒にいることは、とても楽しくて幸せだけど。
何処かで聞いた言葉のように、稲荷様はそんな意図を紡ぐ。きっとそれは今まで色々あったせいなのだろうけれど、私は私をそう簡単に諦めてしまうのが許せなかった。その根底にある優しさと愛情が、一方通行だと思い込んでいるのが許せなかった。
私の為にと選んだ道が、私とすれ違っている。それが切なくて苦しくて痛くて、許せなかった。
「それなのに、どうして。わたしは、夕音と一緒に居たら傷付けてしまうから、諦めたのに。夕音と一緒に居たかったけど、だめだから、分かってるから、手放したのに。それも間違いだった。夕音を傷付けて、ここまで来させてしまった。忘れてほしいと、願ったのに」
稲荷様はそこで言葉を切る。流れるように溢れ出たそれに自身で驚いたかのように、はっとしてこちらを見る。その瞳が、叱られるのを待つ子供のように頼りなく揺れた。
「…嬉し、かったんだ」
息を呑んだ。
「忘れないでここに来てくれたことを、嬉しいと感じてしまったんだ。喜んじゃだめなのに。私は夕音を傷付けるんだから、夕音の幸せを奪う存在なんだから、だめだって分かってるのに!それなのに、わたしは…っごめんなさい、夕音…ごめんなさい……っ」
やっと零れたのであろう本音に、私はホッと安堵する。謝罪の言葉を繰り返す稲荷様が、くしゃりと顔を歪ませて涙を流した。それすらも罪悪感を煽るのか、何度も何度も目を擦って泣くことを拒絶する。
本音を隠して他者の幸せを願ってしまう、優しすぎる稲荷様。
何度も何度も繰り返し並べていた言い訳じみたそれは、きっと自身に向けたもので。ようやく口にした本音を許せなかったからこそ、絶対に言うまいと遠回りを選んだ結果で。
けれど必死に考えて絞り出した言葉もまた本音であることが分かったから、私はその言葉に温度を感じて安心してしまった。
私は稲荷様に嫌われたわけではない。
それどころか、もっとずっと大切にされていた。
それが分かってしまった私が、今更稲荷様に怒りも悲しみもぶつける理由などなくて。
だから私は、稲荷様の手をそっと包み込む。驚いて震えた手をゆっくりと顔から離して、真っ正面から笑顔を向けた。その理由が分からない稲荷様はびっくりしたようで、混乱したまま動きを止める。私はその一瞬の隙を突いて、稲荷様を抱き締めた。「───はい。許しますよ。それはだめな感情じゃないんですから、私は稲荷様を許して、受け入れます」
受容と肯定。それをきちんと理解してもらう為に、私はやっと口を開いた。
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