神様自学

天ノ谷 霙

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初めの話 稲×

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夢想するように、恋をするように。
わたしは今日も、あの子を待つ。
「あぁ、今日も彼の方は来るのであろうか」
親しき者への恋心を胸に祈るあの子のことを思い出して、小さく息を吐く。近くにいたつかいが、きょとんと首を傾げた。
「彼の方と申しますと、毎日来る娘ですか?」
「そう、あの力を持った娘…接触したいものだ」
思わず小さな声で本音が漏れた。慌てて口を噤もうとしたが遅かったらしい。耳ざとくわたしの言葉を聞いた狐は顔を顰め、ゆるゆると首を横に振った。
「いけませんよ、稲荷様。姉神様と同じ運命を辿る気ですか」
姉、と言われていろいろな記憶が一瞬にして蘇った。こちらを向いてくれない姉神様。ヒトなんかに執着して壊れてしまった姉神様。わたしが辛い時には寄り添ってくれるのに、自分が辛い時には相談してくれない姉神様。
それが、わたしの怯えのせいだと知っていたはずなのに。

「…っわかっておる!姉の話はするな!」

心の奥に、小さな黒が渦巻いた。それは心の中を暴れ回って崩し回り、弾けるように音を立てた。
それは、姉神様の話を拒否した自分への後悔か。
それとも、自責を認識していながら姉神様に全てをなすりつけたわたしへの絶望か。
深く心に傷が付くと同時に、ふわりと懐かしい気配を感じた。愛しさに胸がいっぱいになりながら振り返れば、そこにはいつも見ていたあの子がいる。
「こんにちは」
その瞬間、ぱっと心が晴れた。
「夕音!」
ヒトと神の関わりも、数瞬前に抱いていた絶望も。全てを忘れて彼女に相対した。困惑した夕音を見て、わたしはヒトと自身の認識の差異に思い至る。これは知り合うチャンスだと、わたしは何も考えず夕音に言葉を続けた。
「初めまして、稲森 夕音。わたしは稲荷と申す。狐等で有名な神だ、宜しく頼むぞ」
わたしの名は現世で狐と結び付けられて覚えられている。そのことを思い出して情報に加えれば、夕音は納得と同時に困惑を表情に浮かべた。わたしを嗜める狐の使が声を発しているのにも驚いたのだろう。視線をちらちらと彷徨わせて、どうすべきかと迷っている。
神と言を通じた喜びではなく、不安と困惑に揺れ動く姿。1番最初にあのヒトが浮かべたのと同じ表情かお。あのヒトは今何処に行ったのだろうか。本来主人あるじを放り出す使つかいなど即刻切らねばなるまいが、わたしにはあの子を切り離すことが出来なかった。
何度も魂の輪廻を繰り返させ、わたしと強い縁を結んだ子だったから。
そんなあの子と似ている気がして、無意識に誘いの言葉を口にする。
「なぁ、夕音。夕音には力があるようだ。神に仕えることが可能な程の、強い力が」
「仕える…?」
「そうだ。わたしの言を聞き、わたしの目となり耳となる。無論ヒトの体に無茶はさせぬさ」
「仕え…られるのですか?私が?稲荷様に?」
「嫌ならば断っても責めはしない。私はいつも願いに来る娘が気になっただけだ。姿を見ると力を感じた、だから誘っただけだ」
そう、言いながら。あの子にあのヒトの影を重ねて。そして何処か違う結末を夢見て。
わたしは、ヒトの子に願いを掛けた。
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