神様自学

天ノ谷 霙

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3月10日 決意と全力

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「アタシ、光にちゃんと伝える」
まだ涙で赤くなったままの瞳を真っ直ぐに向けながら、爽はそう言った。握り締めたハンカチは彩度を落としたように涙で変色しており、けれどそれ以上に爽の気持ちを固めたようだった。
「勝手な行動をしたことを謝って、きちんと好きだって伝える。だってもう、前の関係には戻れない。それなら、玉砕前提ではっきり伝えた方がお互いのためになるでしょ。モヤモヤしたままなぁなぁにするなんて、このアタシが許せない。亜美にも光にも夕音にも顔向け出来ない。だから、もう1度好きだって、言葉でちゃんと伝えるんだ」
それは私への宣言だったのか、それとも自分へと宣言だったのか。私には分からないけれど、その瞳には強い意志が宿っていて、私は素直に応援する気になったのだ。
「うん、頑張れ」
私が出来る激励なんてそれくらいだ。だから爽の目を真っ直ぐに見つめ返して、笑顔で送る。爽は頷いた。そしてそのまま、自分の金額分を置いて席を立つ。
「行ってらっしゃい、爽」
「行ってきます、夕音」
明日になったらまた怖くなってしまうかもしれないから。
先延ばしにしたら決心が鈍ってしまうかもしれないから。
だから走る。爽は、自分の気持ちに整理をつけたまま想い人のところまで駆ける。愛しいという気持ちを胸いっぱいに広げて、その想いをぶつけるために全力で走る。例え想いが返ってこなくとも、爽は独りじゃない。抱え込んだ想いを理解出来る友達わたしも、何があっても関係を変えないでくれる友達あみもいる。だから大丈夫。雨だって、降り去った後はとても綺麗な虹を咲かせてくれるのだから。
私は追加で頼んだ食後の紅茶を楽しみながら、ホッと息を吐く。鼻腔をくすぐったのは、アールグレイとは違う甘く爽やかな香り。無意識に視線を上げると、誰からの注目も浴びずに1株の花が舞い降りて来た。
「スイートピーの花言葉は、門出、優しい思い出。今までの優しく穏やかな思い出とけじめをつけて、前進を選んだ彼女に幸あれ」
紅茶の湯気に燻らせた呟きは、誰にも届かないまま溶けていく。最後の一滴で喉奥を湿らせると、私は席を立った。お会計を済ませて、店を出る。
「どうしようかな」
ポツリと呟いたのは、爽との約束で今日の午後は埋める予定だったからだ。帰ろうにも、この少しだけ高揚した気分を部屋で散らすのは勿体ない気がして、帰路に足が向かない。
空を見上げると、春の柔らかな陽射しが穏やかに笑っていた。
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