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2月26日 苦痛の正体
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私と青海川くんは適当な部屋に運び込まれた。どこもかしこも和室であり、イグサの匂いが鼻腔をくすぐる。私の家にも畳はあるので慣れ親しんだ匂いの筈なのに、何故だか胸が苦しい。焼き焦がれるような苦しみが背筋を這った。
「ただいま水とっ、それから布団を!」
お手伝いさんは、慌ただしく走り去って行く。青海川くんは畳に寝転がり、はぁはぁと浅い息を繰り返していた。その顔色は青白く、額に乗せられた手は僅かに震えている。無意識に手を伸ばしたところで、何かが落ちる影が見えた。振り返れば、開け放たれた障子の向こう側で雪が舞い落ちている。
どくん、と心臓が脈打った。
目の前に広がる真っ白な世界。草木や遠くの四阿が雪に覆われ、輪郭だけを薄い影で表している。舞い落ちる牡丹雪が、揺めきながら地面へと降りる。冷たい空気が、張り詰めたように一瞬時を止めた。
『…して、何で、あなたが………っ』
慟哭のような悲痛な叫び声が、声にならない程に絞られた苦しみの声が、私の中を反響する。声の主の方を見ようとして振り返れば、青海川くんが途切れ途切れに息を吸っているところだった。その瞳は微かに潤み、何処か遠くを見ている。背後で空気が震えて、冷気が床を這った。その冷たさに当てられたように青海川くんは呻めき、全身に力を込める。何かに耐えるように苦しんだ後脱力して、また白い息を繰り返した。
その息の音に、もう一つ重なる呼吸音。
「…恋音さん…!?」
思わず呟いた名前に、私の中で気配がたじろぐ。集中すれば、今にも倒れそうなほど苦しげな息遣いが聞こえて来た。
呪いではない。
毒でもない。
譲渡可能で、けれど神の使いにも解けない何か。
神をも縛るものは、何か。
虹の件が蘇る。ヒトへの恋心が長い年月の合間に手段と目的が入れ替わり、執着を生み出した。ヒトであっても神様であっても、心だけは操作出来ない。心の行先だけは誰にも支配出来ない。"心"だけが、誰にも解くことが出来ない呪いとなり得るのだ。
そう。これこそが今、私や青海川くんを苦しめ、縛り付けているものの正体なのではないだろうか。
では一体、誰の心なのだろうか。
青海川くんの中に眠る前世の彼、その人以外にあり得ないだろう。私の中に流れ込んできた言葉は恐らく彼の悔恨の言葉だ。心の言葉だ。それは青海川くんとは微かに違う気配を孕み、耳ではなく心を震わせたから分かる。私の"恋使"の能力に反応して現れた、かつて随筆家であった男性の心の声だ。
「…わからない、なら」
私が記憶を辿って、見て、花に昇華させれば良い。
そう考えて再度青海川くんに手を伸ばしたところで、はたっと気付く。
ヒトではない力をまた使うのかと。
倒れて心配掛けてまで、何を見るのかと。
羅樹の泣き顔が、まぶたの裏に焼き付いていた。
「ただいま水とっ、それから布団を!」
お手伝いさんは、慌ただしく走り去って行く。青海川くんは畳に寝転がり、はぁはぁと浅い息を繰り返していた。その顔色は青白く、額に乗せられた手は僅かに震えている。無意識に手を伸ばしたところで、何かが落ちる影が見えた。振り返れば、開け放たれた障子の向こう側で雪が舞い落ちている。
どくん、と心臓が脈打った。
目の前に広がる真っ白な世界。草木や遠くの四阿が雪に覆われ、輪郭だけを薄い影で表している。舞い落ちる牡丹雪が、揺めきながら地面へと降りる。冷たい空気が、張り詰めたように一瞬時を止めた。
『…して、何で、あなたが………っ』
慟哭のような悲痛な叫び声が、声にならない程に絞られた苦しみの声が、私の中を反響する。声の主の方を見ようとして振り返れば、青海川くんが途切れ途切れに息を吸っているところだった。その瞳は微かに潤み、何処か遠くを見ている。背後で空気が震えて、冷気が床を這った。その冷たさに当てられたように青海川くんは呻めき、全身に力を込める。何かに耐えるように苦しんだ後脱力して、また白い息を繰り返した。
その息の音に、もう一つ重なる呼吸音。
「…恋音さん…!?」
思わず呟いた名前に、私の中で気配がたじろぐ。集中すれば、今にも倒れそうなほど苦しげな息遣いが聞こえて来た。
呪いではない。
毒でもない。
譲渡可能で、けれど神の使いにも解けない何か。
神をも縛るものは、何か。
虹の件が蘇る。ヒトへの恋心が長い年月の合間に手段と目的が入れ替わり、執着を生み出した。ヒトであっても神様であっても、心だけは操作出来ない。心の行先だけは誰にも支配出来ない。"心"だけが、誰にも解くことが出来ない呪いとなり得るのだ。
そう。これこそが今、私や青海川くんを苦しめ、縛り付けているものの正体なのではないだろうか。
では一体、誰の心なのだろうか。
青海川くんの中に眠る前世の彼、その人以外にあり得ないだろう。私の中に流れ込んできた言葉は恐らく彼の悔恨の言葉だ。心の言葉だ。それは青海川くんとは微かに違う気配を孕み、耳ではなく心を震わせたから分かる。私の"恋使"の能力に反応して現れた、かつて随筆家であった男性の心の声だ。
「…わからない、なら」
私が記憶を辿って、見て、花に昇華させれば良い。
そう考えて再度青海川くんに手を伸ばしたところで、はたっと気付く。
ヒトではない力をまた使うのかと。
倒れて心配掛けてまで、何を見るのかと。
羅樹の泣き顔が、まぶたの裏に焼き付いていた。
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