神様自学

天ノ谷 霙

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1月1日 会食挨拶

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会場に脚を踏み入れると、今度は主催という立場からか誰もいなかった。軽く摘めるように工夫された食事が長テーブルの上に並べられ、カーテンの開いた窓からはオレンジや紫の混ざった暗い夜空が覗く。ホールの奥の方に立つせん様の隣に、見よう見まねで立ってみる。そんな私の様子を見て扇様は嬉しそうに笑った。
「さぁ、始まるわ」
扇様は扉の方に目を向けると、一瞬にして凛々しく表情を変えた。その変化に驚きつつ、私も気分を律する。
お世話をしてくれたメイドが世間話ついでに教えてくれた。毎年新年初の会食は澪愛みおうの者が儀式の影響で疲弊しているために、勢力争いが最も激化する日なのだと。腹の中に真っ黒なものを溜め込んだ狐狸が、様子を伺って笑い合う気味の悪いものだと呟いていた。私は知らぬ存ぜぬで微笑みを返し、名前を聞かれても名字は名乗らなくて良いと指示を受けた。花火が言っていたのと同じで、ちょっと笑ってしまったのは秘密だ。
扉が開き、パッと花が散る。
そう錯覚してしまうくらいに、色とりどりのドレスに身を包んだ女性が一斉に部屋の中へ入って来た。
「ご機嫌よう、澪愛様」
「ご機嫌よう。本日はお忙しい中足を運んでいただいて光栄ですわ」
そんな挨拶を交わす扇様の横で、私も軽く礼をする。付け焼き刃の淑女の礼を活かすタイミングが早すぎる。1回あるかないか程度だと思っていた。心臓をばくばくと鳴らしながら、それをおくびにも出さないよう笑顔を浮かべる。私が扇様の弱点になってしまうなど、許されない。
儀式前の会食でも私を見ている筈だが、それでも再度現れた私に好奇の目を向ける者は絶えない。居心地の悪い視線の中には、ピリッとした敵意も含まれている。扇様と並んでいるからか、こん様とも知り合いであることからか、どちらだろうか。そんなことを考える余裕も出て来てしまった。死線をくぐると大抵のことはどうでも良くなってしまうのだな、と心の中で苦笑いを浮かべる。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。此の春を告げし良き日に、皆様と話が出来る僥倖に心から謝辞を述べますわ」
そんな定型句がマイク越しに聞こえてくる。いつの間にか扇様が挨拶をしていた。交代して、扇様のお父様が言葉を紡ぐ。上流階級らしい聞き慣れない言葉が多く、私の耳は簡単にすり抜けてしまった。目だけを動かして周りを伺うと、私の隣に戻って来た扇様にいくつかの視線が向けられている。私の方に移った目は、値踏みするような嫌なものが多かった。
その時、奇妙な音が聞こえて来た。
ピシッと、何かがひび割れて壊れていくようなそんな音。恐らく、誰かの心の音。
音の原因を探ろうと小さく首を動かせば、扇様の隣に仲睦まじく立つ、紺様がいた。
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