神様自学

天ノ谷 霙

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桜に宿る澪愛の記録

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この国の国花とされる桜は、ここにある木のことを指すのだろう。触れるだけで、この木の特別性に気付いた。記録が流れ続けている。澪愛みおうの女の記録が、何代と紡がれる彼女たちの記憶が、全て閉じ込められている。私に宿るものと類似した力。だから適応出来たし、せん様の止血のためにこの桜の花を咲かせることが出来た。そのお陰で、今、彼女は眠りについているのだけど。
光の花びらが舞い踊る中、私は扇様を追いかけて来たお父様、こん様、そして多くの使用人達を一瞥した。扇様に何の感情もなく傷を付けていたお父様が、最も厳しい表情を浮かべている。その表情の意味と心の音で、複雑な親心を知った。私が敵対するまでもなかった。扇様が大事に扱われていることにホッとして、目の前にひらりひらりと落ちて来た花弁に手を伸ばす。それは指先に触れた瞬間光となって弾け、まるで幻のように消えてしまった。
「澪愛に関する記録なら、私よりも正確で客観的です。その力を、お貸しください」
私が木の幹にそっと額を合わせると、それに応えるように桜はより強く光を放った。そしてこちらを見つめる扇様のお父様を始め、紺様や使用人たちにその記録を見せる。数分前に扇様が行った儀式とその顛末、その詳細を。
扇様が月を見上げ、言の葉を紡ぐ。空を駆ける龍と降り注ぐ雨。その雨を払うように十六夜の月の前で空が幻想的に染め上げられていく。
薄れていく桜色の光と共に目を開ける彼ら。その顔には呆然とした表情が浮かんでいて、私は出来るだけ優しく微笑んだ。
「これが、澪愛の女性が持つ特別性に御座います。才は血のように受け継がれるものなのかもしれませんが、流れ続けるその赤き血自体が特別性を示すものでは御座いません。御理解頂けたでしょうか」
真っ直ぐに見つめると、扇様のお父様はたじろいだ。そして愛娘の未だ目覚めぬ様子を見つめ、厳しい目を私に向ける。
「それが、その能力が扇に宿っていることは理解した。だが、それが娘の目覚めぬ理由にはならぬ!例年通り、伝統に違わず、いつもの儀式を行なっていれば…このまま娘が目覚めなかったらどう責任を取るつもりだ!!」
「お言葉ですが、扇様は目覚めます。何百年ぶりに力を使ったので、その余波で疲れただけでしょう」
私がぴしゃりと言い返すことは予想していなかったようで、目を大きく見開いて戸惑いを隠せない様子だった。
「…有り得ないことでは御座いますが、扇様がもし目覚めなかった場合、私の命でもお取りになりますか?」
「夕音!」
私の発言に驚いたのは、紺様であった。嗜めるような声が飛んで来たが、私はその言葉を目で制し、続ける。
「責任を取らせるとはそういうことでしょう?」
段々と思考がぼんやりしてきた。
「その娘を思う気持ちは大切にすべきです。ですが」
何を言っているのか分からない。聞き取れない。自分の声と体なのに、私じゃない誰かが話しているような気分になる。

『私の命を狙うなら、それ相応の覚悟を』

胸に手を当てはっきりと告げた言葉。
言ったのは誰?私?恋音さん?それとも──


───この桜に宿る、澪愛の記録?
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