神様自学

天ノ谷 霙

文字の大きさ
上 下
399 / 812

洞窟

しおりを挟む
暗く、湿気の多い空間だった。なるべく早く進もうと早歩きをすれば、湿った地面に足を取られ転んでしまう。だから転ばない程度に早く、急かす鼓動を抑えつけて急ぐ。薄っすらと灯りが見えて来て、やっと洞窟の最奥へと辿り着いた。眼前の景色に、私は言葉が出なかった。
円を描くように並べられた蝋燭ろうそく。光を放つ謎の文字。金の皿に滴る赤い滴。その目の前に座る女すら異様だった。頭頂部から毛先にかけて黄から緑へと変わっていく髪色。それを高い位置でツインテールにしており、その結び目から鹿のような角が伸びている。暗緑色の中華風式服に身を包み、薄い唇で何かを唱えている。
「姉神様…!」
稲荷様の声が洞窟を反響する。そんなことも気にせずただひたすら何かを唱え続ける虹様。ドクンドクンと身体中を巡る血が、熱を帯びていくのが分かった。
これは呪いの儀式だと、本能が告げる。止めようと動き出した瞬間、ことりと首がこちらに向いた。蝋燭に照らされて尚分かる赤く光る双眸そうぼうが、私の方を向く。口角がニィッと上がった。
「やった…!やっと…やっと完成した…!」
「なっ…!」
背中を冷や汗が伝う。来る前に稲荷様に言われた言葉が脳を駆ける。

"呪いとは、術者と対象者が近ければ近いほど早く効力を発揮する"

"もし辿り着いた瞬間に呪いが完成すれば"

"今度こそお前の命は尽きるかもしれない"

真剣な目で、震える唇でそう教えてくれた。本当は言いたくもないだろうに、言霊を持つようなことを告げたくもないだろうに。それなのに教えてくれた。言ってくれた。それでも行くと強情に告げたのは私だ。リスクも、苦しみも、痛みも、全て覚悟してやって来た。呪いの全てを背負ってでも、私がやらなきゃいけないことがあるからだ。そう、直感したから。
だから、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。命が尽きて、諦めるわけにはいかないんだ。
私は地面を蹴り、蝋燭の輪を飛び越えて彼女の元へ向かった。唇だけで笑い、やり切ったと勝ち誇る虹様の手を掴んで押し倒す。ガシャンと金の皿が倒れ、床に赤い円が描かれる。
「夕音!」
稲荷様の叫び声が遠く聞こえる。目が霞んでいる気がする。息が切れて、押さえ付けている虹様が何重にも重なって見える。溶けていく白い蝋と自分との距離が、もう分からない。熱さすらよく分からない。それはもう既に私の身が蝕まれているからなのだろうか。近ければ近いほど早く効く。私の命が尽きるという嫌なタイムリミットは、すぐそこまで迫っている。揺れる火すらも寿命を終えて私の前で散っていく。下に組み敷いた女は息を切らしながら高笑いをする。何か話しているように唇が動いているけれど、何を言っているのかは聞こえなかった。蝋燭が少しずつ消え、洞窟の湿気に身体が冷えていく。その時だった。
「あぁぁぁぁぁあ!!!!!!!!!」
悲痛な叫び声が、洞窟内を反響したのは。
しおりを挟む

処理中です...