神様自学

天ノ谷 霙

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10月9日 溶ける痛み

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1ヶ月も経っていない。1週間すら経っていない。なのに、私の脳裏に張り付いて離れない羅樹の表情が私の心を蝕んで行く。忘れようとした。忘れられなかった。怖かった。関係が壊れてしまったことを認識するのが怖かった。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。頭の中を回る痛み。北原くんの体温によって、だんだんとそれが溶かされてきた。
「落ち着いた?」
しばらく経って、やっと北原くんから離れた。いつもと変わらない声で、優しく私を支えてくれる北原くん。私はまだ熱を持ったままの瞳をハンカチで押さえながら頷いた。
「ご…っ…めん、ね…」
まだ声はしっかりと出ない。それでも謝罪とお礼は言わなくては、と口を開いた。北原くんは私をまっすぐ見つめる。私がそれに気付くと、優しく笑った。私は北原くんの表情の変化に戸惑ったが、つられて笑ってしまった。
「稲森はやっぱり、笑顔が似合うね」
天然なのか何なのか。そんな言葉を受けて恥ずかしくなってくる。呼吸も整ってきた。私は1度深呼吸をして、北原くんと目を合わせる。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
まだ痛いけど、苦しいけど、最初よりはだいぶ和らいだ。優しい友達。何も聞かないで、私を気遣って慰めてくれたとても優しい人。
私は財布を取り出して、飲み物を買う。涙のせいで身体中の水分が減ってしまったようだ。喉がカラカラになっている。
「北原くんも何かいる?お礼に奢るよ」
「いいよ。俺、飲み物買いにきたから。財布は置いてきたし、100円しか持ってない。失くしそうだから使う」
淡々と話す北原くん。表情も無表情で思考が読み取れない、いつもの北原くんだった。
「そっか」
私はいつも通りに戻れた気がして、嬉しくなってきた。お礼は何が良いかな、と考えながら自販機のボタンを押し、お茶を買う。がこん、と音を立てて落ちてきた冷えたペットボトルを取り出し、目に当てる。熱を帯びたままの目が冷えて、気持ち良い。
北原くんはスポーツドリンクを買っていた。
「あ、部活中だった?ごめんね、引き止めちゃって」
「や、大丈夫。休憩っつーか…今日は自主練みたいな感じで、緩いから」
「そうなんだ?男テニ、凄いよね」
いつもの調子で話せている。大丈夫になってきた。まだ思い出すのは怖いけれど、勇気が出てきた。私は喉を潤して、北原くんをこれ以上拘束しないようにもう一度お礼を言って帰ろうとした。
「稲森」
北原くんの声に、振り向く。北原くんはまた笑っていた。
「また何かあったら頼って。笑顔にさせてみせる」
そう言ってその場を後にする北原くんは、とてもキラキラしていて、格好良かった。
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