上 下
27 / 55

27.私をどこかに連れ出して

しおりを挟む
 マダム・グリュデの店は、観光客向けの第一エリアではなく、地元民が利用する第二エリアにある。そんなところに新参者がやってきたとなれば目立つに決まっている。
 Aはこのところ一等区から店に通っていたので、噂に疎くなってしまっていた。ヴァイオレットはそれもあってわざわざ手紙を寄越したのだろう。

 マダムに詳しい話を聞いたところ、彼女は「Switchの子はいないか尋ねられた」と答えた。さらには、店の女の子と懇意になり、深い仲になるのも時間の問題ではないか、とのことだった。
 行動力の塊か。顔の良さにモノを言わせてやりたい放題か。
 Aは呆れた。
 件の女の子はAと同じでUsualらしいが、最初の目的がSwitchなのだとしたら、まだNに未練があるのかもしれない。

 第二エリアから第一エリアに帰りがてら、Aは久しぶりに通い慣れたパブに立ち寄った。
 スタウトを頼み、札を出す。
 髭面の親父が何故か探るような視線でAを見て、グラスと釣りを出した。

「おい、足りねえぞ」
「ああ?」
「これじゃ、観光客向けの値段だろ」

 Aに文句を言われて明らかに親父はイライラしていたが、ふっと表情を緩めた。

「お前、Aか」
「俺は常連だろ。髪切ったくらいで忘れるなよ」
「そうじゃねえけどよ。妙に小ぎれいになっちまったな。裏の河で顔でも洗ってこい。一等区民みてえなツラしやがって」

 親父は不味いものでも食ったように顔を顰めている。
 多分、初めて一等区に行ったときの自分も、こんな顔をしていたんだろうな、とAは思った。三等区民に刷り込まれた劣等感丸出しの姿だ。憧れるよりも苦手意識が先立ってしまう。

「…………」

 いつも仕事帰りに通っていた店なのに、ほんの数日、足を向けていなかっただけで急にアウェイになってしまった気分だ。
 Aは一杯だけ飲んだら店を出ようと思い、グラスを傾ける。
 窓ガラスに映る自分の姿を見た。
 第二エリアに行ったので強盗に狙われるような上等な服は着ていないし、金目の物だって身に着けていない。なのにどうしてこう余所余所しいのか。
 パブの客の視線を背中に受けながら、Aはすっかりヘソを曲げてしまった。

「やあ、久しぶり」

 不意打ち気味に肩を叩かれて、Aは身体を弾ませた。不機嫌な顔が驚きに変わる。

「あんた、まだこの街にいたのか」

 ヴェルナーだった。Aとは真逆に、すっかり場に馴染んでいる。全体的に草臥れているし、特有の金のフェロモンが薄れていた。
 最後に会ったとき、ラリったヴェルナーからすっかり金を搾り取ってしまったことを思い出し、Aは少しだけ気まずくなった。あの時の金は治療代としてシュゼーに払ってしまったから、返せと言われてもアテがない。

「楽しい街だからね。今の雰囲気は前夜祭みたいでとても良い。
 それに、ここだけの話、探し物をしているんだ」

 ヴェルナーは前回のことなど、欠片も覚えていない様子だ。あるいはあの程度の金、彼にとっては痛手にもならないのかもしれない。彼の身なりを見て、もしや薬のせいで身持ちを崩したのではと心配になったが、そうでもないらしい。
 いずれにせよ、Aにとっては僥倖だ。

「探し物?」
「今度、この街でパーティがあるんだ。水晶の夕餉を囲む会のね。引退した伝説のブレンダーが祭りのために、一夜限りの大盤振る舞いをしてくれるのさ。
 で、僕は余興を任されたというわけ」
「でも、遊び慣れたお貴族様には、目新しい出し物が見つからなくて困っている」

 ヴェルナーは、やれやれと頷いた。いかにも参ったという風情だが、得意げな色が隠せていない。
 さぞかし悪趣味な出し物を探しているのだろう。金持ちの遊びには辟易させられる。
 その一方で、前夜祭、祭りという単語が妙に引っかかった。もちろんイースターにはまだ早い。目の前のヤク中が復活祭に興味があるとも思えなかった。
 Aは指先でパイントグラスの淵をなぞる。

「俺も困りごとがあるんだけど」
「なんでも相談に乗るよ」

 彼はドンと薄い胸を叩いた。ラリってなければ良い奴なのだろうが、何故だろう。以前と比べて妙に親密な雰囲気を出してくる。

「失恋した友人が、心の傷を癒すために風俗に狂ってるんだけど、なんて声を掛けたらいいかな」

 話のディティールは違うが、一から説明するのが面倒だ。Aは適当に端折った。
 ヴェルナーは言葉に詰まる。腕を組み、難しい顔で考え込む。彼はしばらく沈黙した。
 他人の恋愛事にここまで真剣に考えこむ男を、Aは初めて見た。そういえば、ヴェルナーは恋した相手の借金の肩代わりを申し出るレベルの、イカれた恋愛脳の持ち主なのだった。
 熟考の末、彼はチラっと上目遣いにAを見る。

「友人の一途さ加減による」
「……一途ではないな」

 共同経営者という本命がいるのに、Switchだからという理由でNにちょっかいを出しているのだ。男は浮気をするものと本人が断言したのだから、Nは浮気なんだろう。
 冷静に考えると、可哀想でもなんでもない。いい加減にしないとレスターに言いつけるぞ、と脅してやるのが一番早いではないか。

「ありがとう。結論が出た」

 礼を受けたヴェルナーがにっこり笑って自分のグラスを掲げたので、Aもそれに倣った。



 クレハドールは思いの他あっさりと素行不良を認めた。彼はいつもの若者らしい強気な態度もどこへやら、Aの腕に縋りつく。

「もう行きませんから、教会だけは、教会だけは」

 今にも泣き出しそうだ。本当に教会が嫌いらしい。Aはクレハドールの殊勝な態度に満足し、許すことにした。

「なんでAが知ってるんですか、情報早すぎじゃないですか」

 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、クレハドールは店の奥へ引っ込んでいく。
 その後ろ姿を見つつ、Aは安堵の息をついた。
 売春組合は何かと指図してくるし、組合費だってばかにならないが、手回しが異常に早い。街の噂にも敏感だ。ヴァイオレットとロベリアが魔女と呼ばれる所以なのだろう。
 と、行った筈のクレハドールが足早に戻ってきた。再びAの腕を掴む。

「ほ、他の従業員には言ってないですよね……?
 これ知られたら大分恥ずかしいやつなんですけど……、セラフィムとか絶対バカにしてくるに決まってます、Nだって俺のこと幻滅するだろうし、Eだって、」

 クレハドールは羞恥と後悔と情けなさをごった煮にした泣き顔で、「言うな」と助命を乞うてくる。せっかくの顔が台無しだ。

「分かった、分かった」

 さすがに気の毒になり、Aは広い心で応じる。

「何が分かったんだ?」
「うおっ!?」

 Aとクレハドールは、バネ仕掛けの人形のように飛び跳ねる。
 ぬうと現れたのはNだった。この図体で直前まで気づけないことなんてあるのだろうか。
 クレハドールが隣で、だらだらと汗をかきながら挙動不審になっている。
 Nはちらりとそちらを見て不思議そうに首を傾げたが、自分の用を優先することにしたらしい。Aの身体を長い腕で抱き留める。

「は?」
「読んだぞ」

 忌々しげなクレハドールの声とNの声が重なる。
 Aは、金を貰った以上は、と新しくレビューを投稿したのを思い出した。
 最悪のタイミングだった。
 Nの身体越しに見るクレハドールはブチ切れている。あれだけ手を出すなと説教を繰り返してきた当のAが、抱擁を受けているのだ。それはそういう反応になって当然だろう。彼の眼に、今のAの姿はさぞかし大人の分別を欠いたものに映っているに違いない。

「これはその、例の頭の悪い強化週間のアレで!」

 Aはじたばたと無様に騒ぎ、ようやく抱擁を解かれながら、クレハドールに訴える。
 年下の男は今にも舌打ちせんばかりだ。おまけに貧乏ゆすりまで始めた。
 険悪な空気をまるで無視して、NがAを覗き込んでくる。

「頭の悪い強化週間って何のことだ?」
「グループメッセージで業務連絡回ってきただろ!」
「そうなのか。俺は着信しか機能が使えなくてな。知らなかった」

 ちょっと黙っててくれないか。
 機械音痴を恥じるNに、Aは怒鳴りたくなる。

「じゃあ、Nがしたくてしたんですね! Aに! ハグを! ふーん!」

 あてつけがましく喚きながら、クレハドールの貧乏ゆすりが激しくなる。
 なるほど。こういうとき、人は「どこか遠くへ行きたい」と思ってしまうものなのだなあという悟りを、Aは深く思い知らされた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

【R18】奴隷に堕ちた騎士

蒼い月
BL
気持ちはR25くらい。妖精族の騎士の美青年が①野盗に捕らえられて調教され②闇オークションにかけられて輪姦され③落札したご主人様に毎日めちゃくちゃに犯され④奴隷品評会で他の奴隷たちの特殊プレイを尻目に乱交し⑤縁あって一緒に自由の身になった両性具有の奴隷少年とよしよし百合セックスをしながらそっと暮らす話。9割は愛のないスケベですが、1割は救済用ラブ。サブヒロインは主人公とくっ付くまで大分可哀想な感じなので、地雷の気配を感じた方は読み飛ばしてください。 ※主人公は9割突っ込まれてアンアン言わされる側ですが、終盤1割は突っ込む側なので、攻守逆転が苦手な方はご注意ください。 誤字報告は近況ボードにお願いします。無理やり何となくハピエンですが、不幸な方が抜けたり萌えたりする方は3章くらいまでをおススメします。 ※無事に完結しました!

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺

toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染) ※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。 pixivでも同タイトルで投稿しています。 https://www.pixiv.net/users/3179376 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/98346398

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

[R18]エリート一家の長兄が落ちこぼれ弟を(性的に)再教育する話

空き缶太郎
BL
(※R18・完結済)エリート一家・皇家に生まれた兄と弟。 兄は歴代の当主達を遥かに上回る才能の持ち主であったが、弟は対象的に優れた才能を持たない凡人であった。 徹底的に兄と比較され続けた結果グレてしまった弟。 そんな愚弟に現当主となった兄は… (今回試験的にタイトルを長文系というか内容そのまま系のやつにしてみました)

【完結】聖アベニール学園

野咲
BL
[注意!]エロばっかしです。イマラチオ、陵辱、拘束、スパンキング、射精禁止、鞭打ちなど。設定もエグいので、ダメな人は開かないでください。また、これがエロに特化した創作であり、現実ではあり得ないことが理解できない人は読まないでください。 学校の寄付金集めのために偉いさんの夜のお相手をさせられる特殊奨学生のお話。

冴えない「僕」がえっちオナホとして旦那様に嫁いだ日常♡

nanashi
BL
[BL大賞のため全年齢パート更新予定] タイトルのまま/将来的にラブラブになるCPのすれ違い肉体関係部分 R18エロlog・♡喘ぎ・BDSM 【内容】(更新時、増えたら追加) 体格差・調教・拘束・野外・騎乗位・連続絶頂・スパンキング・お仕置き・よしよしセックス・快楽堕ち・ストリップ 結腸・アナルビーズ・ちんぽハーネスで散歩・鞭 尿道開発・尿道プレイ・尿道拡張・疑似放尿・ブジー・カテーテル 強制イラマチオ・嘔吐(少し)・ 攻めの媚薬・受の号泣・小スカ・靴舐め 婚前調教編:ストリップ・竿酒・土下座・床舐め・開発・ぺニス緊縛・イラマチオ・オナ禁 【今後書きたい】種付けプレス・体格差のあるプレイ・ピアッシング・鼻穴射精・喉奥開発・乳首開発・乳首ピアス・おちんぽ様への謝罪・ハメ懇願土下座・異物挿入・産卵・貞操帯 (らぶらぶ軸で書きたい)フィスト・アナルホール 内容が分かりやすいよう更新日とプレイがタイトル。基本繋がってない。 モチベのために、応援や感想waveboxにいただけるととても嬉しいです♡

処理中です...