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27.私をどこかに連れ出して
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マダム・グリュデの店は、観光客向けの第一エリアではなく、地元民が利用する第二エリアにある。そんなところに新参者がやってきたとなれば目立つに決まっている。
Aはこのところ一等区から店に通っていたので、噂に疎くなってしまっていた。ヴァイオレットはそれもあってわざわざ手紙を寄越したのだろう。
マダムに詳しい話を聞いたところ、彼女は「Switchの子はいないか尋ねられた」と答えた。さらには、店の女の子と懇意になり、深い仲になるのも時間の問題ではないか、とのことだった。
行動力の塊か。顔の良さにモノを言わせてやりたい放題か。
Aは呆れた。
件の女の子はAと同じでUsualらしいが、最初の目的がSwitchなのだとしたら、まだNに未練があるのかもしれない。
第二エリアから第一エリアに帰りがてら、Aは久しぶりに通い慣れたパブに立ち寄った。
スタウトを頼み、札を出す。
髭面の親父が何故か探るような視線でAを見て、グラスと釣りを出した。
「おい、足りねえぞ」
「ああ?」
「これじゃ、観光客向けの値段だろ」
Aに文句を言われて明らかに親父はイライラしていたが、ふっと表情を緩めた。
「お前、Aか」
「俺は常連だろ。髪切ったくらいで忘れるなよ」
「そうじゃねえけどよ。妙に小ぎれいになっちまったな。裏の河で顔でも洗ってこい。一等区民みてえなツラしやがって」
親父は不味いものでも食ったように顔を顰めている。
多分、初めて一等区に行ったときの自分も、こんな顔をしていたんだろうな、とAは思った。三等区民に刷り込まれた劣等感丸出しの姿だ。憧れるよりも苦手意識が先立ってしまう。
「…………」
いつも仕事帰りに通っていた店なのに、ほんの数日、足を向けていなかっただけで急にアウェイになってしまった気分だ。
Aは一杯だけ飲んだら店を出ようと思い、グラスを傾ける。
窓ガラスに映る自分の姿を見た。
第二エリアに行ったので強盗に狙われるような上等な服は着ていないし、金目の物だって身に着けていない。なのにどうしてこう余所余所しいのか。
パブの客の視線を背中に受けながら、Aはすっかりヘソを曲げてしまった。
「やあ、久しぶり」
不意打ち気味に肩を叩かれて、Aは身体を弾ませた。不機嫌な顔が驚きに変わる。
「あんた、まだこの街にいたのか」
ヴェルナーだった。Aとは真逆に、すっかり場に馴染んでいる。全体的に草臥れているし、特有の金のフェロモンが薄れていた。
最後に会ったとき、ラリったヴェルナーからすっかり金を搾り取ってしまったことを思い出し、Aは少しだけ気まずくなった。あの時の金は治療代としてシュゼーに払ってしまったから、返せと言われてもアテがない。
「楽しい街だからね。今の雰囲気は前夜祭みたいでとても良い。
それに、ここだけの話、探し物をしているんだ」
ヴェルナーは前回のことなど、欠片も覚えていない様子だ。あるいはあの程度の金、彼にとっては痛手にもならないのかもしれない。彼の身なりを見て、もしや薬のせいで身持ちを崩したのではと心配になったが、そうでもないらしい。
いずれにせよ、Aにとっては僥倖だ。
「探し物?」
「今度、この街でパーティがあるんだ。水晶の夕餉を囲む会のね。引退した伝説のブレンダーが祭りのために、一夜限りの大盤振る舞いをしてくれるのさ。
で、僕は余興を任されたというわけ」
「でも、遊び慣れたお貴族様には、目新しい出し物が見つからなくて困っている」
ヴェルナーは、やれやれと頷いた。いかにも参ったという風情だが、得意げな色が隠せていない。
さぞかし悪趣味な出し物を探しているのだろう。金持ちの遊びには辟易させられる。
その一方で、前夜祭、祭りという単語が妙に引っかかった。もちろんイースターにはまだ早い。目の前のヤク中が復活祭に興味があるとも思えなかった。
Aは指先でパイントグラスの淵をなぞる。
「俺も困りごとがあるんだけど」
「なんでも相談に乗るよ」
彼はドンと薄い胸を叩いた。ラリってなければ良い奴なのだろうが、何故だろう。以前と比べて妙に親密な雰囲気を出してくる。
「失恋した友人が、心の傷を癒すために風俗に狂ってるんだけど、なんて声を掛けたらいいかな」
話のディティールは違うが、一から説明するのが面倒だ。Aは適当に端折った。
ヴェルナーは言葉に詰まる。腕を組み、難しい顔で考え込む。彼はしばらく沈黙した。
他人の恋愛事にここまで真剣に考えこむ男を、Aは初めて見た。そういえば、ヴェルナーは恋した相手の借金の肩代わりを申し出るレベルの、イカれた恋愛脳の持ち主なのだった。
熟考の末、彼はチラっと上目遣いにAを見る。
「友人の一途さ加減による」
「……一途ではないな」
共同経営者という本命がいるのに、Switchだからという理由でNにちょっかいを出しているのだ。男は浮気をするものと本人が断言したのだから、Nは浮気なんだろう。
冷静に考えると、可哀想でもなんでもない。いい加減にしないとレスターに言いつけるぞ、と脅してやるのが一番早いではないか。
「ありがとう。結論が出た」
礼を受けたヴェルナーがにっこり笑って自分のグラスを掲げたので、Aもそれに倣った。
クレハドールは思いの他あっさりと素行不良を認めた。彼はいつもの若者らしい強気な態度もどこへやら、Aの腕に縋りつく。
「もう行きませんから、教会だけは、教会だけは」
今にも泣き出しそうだ。本当に教会が嫌いらしい。Aはクレハドールの殊勝な態度に満足し、許すことにした。
「なんでAが知ってるんですか、情報早すぎじゃないですか」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、クレハドールは店の奥へ引っ込んでいく。
その後ろ姿を見つつ、Aは安堵の息をついた。
売春組合は何かと指図してくるし、組合費だってばかにならないが、手回しが異常に早い。街の噂にも敏感だ。ヴァイオレットとロベリアが魔女と呼ばれる所以なのだろう。
と、行った筈のクレハドールが足早に戻ってきた。再びAの腕を掴む。
「ほ、他の従業員には言ってないですよね……?
これ知られたら大分恥ずかしいやつなんですけど……、セラフィムとか絶対バカにしてくるに決まってます、Nだって俺のこと幻滅するだろうし、Eだって、」
クレハドールは羞恥と後悔と情けなさをごった煮にした泣き顔で、「言うな」と助命を乞うてくる。せっかくの顔が台無しだ。
「分かった、分かった」
さすがに気の毒になり、Aは広い心で応じる。
「何が分かったんだ?」
「うおっ!?」
Aとクレハドールは、バネ仕掛けの人形のように飛び跳ねる。
ぬうと現れたのはNだった。この図体で直前まで気づけないことなんてあるのだろうか。
クレハドールが隣で、だらだらと汗をかきながら挙動不審になっている。
Nはちらりとそちらを見て不思議そうに首を傾げたが、自分の用を優先することにしたらしい。Aの身体を長い腕で抱き留める。
「は?」
「読んだぞ」
忌々しげなクレハドールの声とNの声が重なる。
Aは、金を貰った以上は、と新しくレビューを投稿したのを思い出した。
最悪のタイミングだった。
Nの身体越しに見るクレハドールはブチ切れている。あれだけ手を出すなと説教を繰り返してきた当のAが、抱擁を受けているのだ。それはそういう反応になって当然だろう。彼の眼に、今のAの姿はさぞかし大人の分別を欠いたものに映っているに違いない。
「これはその、例の頭の悪い強化週間のアレで!」
Aはじたばたと無様に騒ぎ、ようやく抱擁を解かれながら、クレハドールに訴える。
年下の男は今にも舌打ちせんばかりだ。おまけに貧乏ゆすりまで始めた。
険悪な空気をまるで無視して、NがAを覗き込んでくる。
「頭の悪い強化週間って何のことだ?」
「グループメッセージで業務連絡回ってきただろ!」
「そうなのか。俺は着信しか機能が使えなくてな。知らなかった」
ちょっと黙っててくれないか。
機械音痴を恥じるNに、Aは怒鳴りたくなる。
「じゃあ、Nがしたくてしたんですね! Aに! ハグを! ふーん!」
あてつけがましく喚きながら、クレハドールの貧乏ゆすりが激しくなる。
なるほど。こういうとき、人は「どこか遠くへ行きたい」と思ってしまうものなのだなあという悟りを、Aは深く思い知らされた。
Aはこのところ一等区から店に通っていたので、噂に疎くなってしまっていた。ヴァイオレットはそれもあってわざわざ手紙を寄越したのだろう。
マダムに詳しい話を聞いたところ、彼女は「Switchの子はいないか尋ねられた」と答えた。さらには、店の女の子と懇意になり、深い仲になるのも時間の問題ではないか、とのことだった。
行動力の塊か。顔の良さにモノを言わせてやりたい放題か。
Aは呆れた。
件の女の子はAと同じでUsualらしいが、最初の目的がSwitchなのだとしたら、まだNに未練があるのかもしれない。
第二エリアから第一エリアに帰りがてら、Aは久しぶりに通い慣れたパブに立ち寄った。
スタウトを頼み、札を出す。
髭面の親父が何故か探るような視線でAを見て、グラスと釣りを出した。
「おい、足りねえぞ」
「ああ?」
「これじゃ、観光客向けの値段だろ」
Aに文句を言われて明らかに親父はイライラしていたが、ふっと表情を緩めた。
「お前、Aか」
「俺は常連だろ。髪切ったくらいで忘れるなよ」
「そうじゃねえけどよ。妙に小ぎれいになっちまったな。裏の河で顔でも洗ってこい。一等区民みてえなツラしやがって」
親父は不味いものでも食ったように顔を顰めている。
多分、初めて一等区に行ったときの自分も、こんな顔をしていたんだろうな、とAは思った。三等区民に刷り込まれた劣等感丸出しの姿だ。憧れるよりも苦手意識が先立ってしまう。
「…………」
いつも仕事帰りに通っていた店なのに、ほんの数日、足を向けていなかっただけで急にアウェイになってしまった気分だ。
Aは一杯だけ飲んだら店を出ようと思い、グラスを傾ける。
窓ガラスに映る自分の姿を見た。
第二エリアに行ったので強盗に狙われるような上等な服は着ていないし、金目の物だって身に着けていない。なのにどうしてこう余所余所しいのか。
パブの客の視線を背中に受けながら、Aはすっかりヘソを曲げてしまった。
「やあ、久しぶり」
不意打ち気味に肩を叩かれて、Aは身体を弾ませた。不機嫌な顔が驚きに変わる。
「あんた、まだこの街にいたのか」
ヴェルナーだった。Aとは真逆に、すっかり場に馴染んでいる。全体的に草臥れているし、特有の金のフェロモンが薄れていた。
最後に会ったとき、ラリったヴェルナーからすっかり金を搾り取ってしまったことを思い出し、Aは少しだけ気まずくなった。あの時の金は治療代としてシュゼーに払ってしまったから、返せと言われてもアテがない。
「楽しい街だからね。今の雰囲気は前夜祭みたいでとても良い。
それに、ここだけの話、探し物をしているんだ」
ヴェルナーは前回のことなど、欠片も覚えていない様子だ。あるいはあの程度の金、彼にとっては痛手にもならないのかもしれない。彼の身なりを見て、もしや薬のせいで身持ちを崩したのではと心配になったが、そうでもないらしい。
いずれにせよ、Aにとっては僥倖だ。
「探し物?」
「今度、この街でパーティがあるんだ。水晶の夕餉を囲む会のね。引退した伝説のブレンダーが祭りのために、一夜限りの大盤振る舞いをしてくれるのさ。
で、僕は余興を任されたというわけ」
「でも、遊び慣れたお貴族様には、目新しい出し物が見つからなくて困っている」
ヴェルナーは、やれやれと頷いた。いかにも参ったという風情だが、得意げな色が隠せていない。
さぞかし悪趣味な出し物を探しているのだろう。金持ちの遊びには辟易させられる。
その一方で、前夜祭、祭りという単語が妙に引っかかった。もちろんイースターにはまだ早い。目の前のヤク中が復活祭に興味があるとも思えなかった。
Aは指先でパイントグラスの淵をなぞる。
「俺も困りごとがあるんだけど」
「なんでも相談に乗るよ」
彼はドンと薄い胸を叩いた。ラリってなければ良い奴なのだろうが、何故だろう。以前と比べて妙に親密な雰囲気を出してくる。
「失恋した友人が、心の傷を癒すために風俗に狂ってるんだけど、なんて声を掛けたらいいかな」
話のディティールは違うが、一から説明するのが面倒だ。Aは適当に端折った。
ヴェルナーは言葉に詰まる。腕を組み、難しい顔で考え込む。彼はしばらく沈黙した。
他人の恋愛事にここまで真剣に考えこむ男を、Aは初めて見た。そういえば、ヴェルナーは恋した相手の借金の肩代わりを申し出るレベルの、イカれた恋愛脳の持ち主なのだった。
熟考の末、彼はチラっと上目遣いにAを見る。
「友人の一途さ加減による」
「……一途ではないな」
共同経営者という本命がいるのに、Switchだからという理由でNにちょっかいを出しているのだ。男は浮気をするものと本人が断言したのだから、Nは浮気なんだろう。
冷静に考えると、可哀想でもなんでもない。いい加減にしないとレスターに言いつけるぞ、と脅してやるのが一番早いではないか。
「ありがとう。結論が出た」
礼を受けたヴェルナーがにっこり笑って自分のグラスを掲げたので、Aもそれに倣った。
クレハドールは思いの他あっさりと素行不良を認めた。彼はいつもの若者らしい強気な態度もどこへやら、Aの腕に縋りつく。
「もう行きませんから、教会だけは、教会だけは」
今にも泣き出しそうだ。本当に教会が嫌いらしい。Aはクレハドールの殊勝な態度に満足し、許すことにした。
「なんでAが知ってるんですか、情報早すぎじゃないですか」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、クレハドールは店の奥へ引っ込んでいく。
その後ろ姿を見つつ、Aは安堵の息をついた。
売春組合は何かと指図してくるし、組合費だってばかにならないが、手回しが異常に早い。街の噂にも敏感だ。ヴァイオレットとロベリアが魔女と呼ばれる所以なのだろう。
と、行った筈のクレハドールが足早に戻ってきた。再びAの腕を掴む。
「ほ、他の従業員には言ってないですよね……?
これ知られたら大分恥ずかしいやつなんですけど……、セラフィムとか絶対バカにしてくるに決まってます、Nだって俺のこと幻滅するだろうし、Eだって、」
クレハドールは羞恥と後悔と情けなさをごった煮にした泣き顔で、「言うな」と助命を乞うてくる。せっかくの顔が台無しだ。
「分かった、分かった」
さすがに気の毒になり、Aは広い心で応じる。
「何が分かったんだ?」
「うおっ!?」
Aとクレハドールは、バネ仕掛けの人形のように飛び跳ねる。
ぬうと現れたのはNだった。この図体で直前まで気づけないことなんてあるのだろうか。
クレハドールが隣で、だらだらと汗をかきながら挙動不審になっている。
Nはちらりとそちらを見て不思議そうに首を傾げたが、自分の用を優先することにしたらしい。Aの身体を長い腕で抱き留める。
「は?」
「読んだぞ」
忌々しげなクレハドールの声とNの声が重なる。
Aは、金を貰った以上は、と新しくレビューを投稿したのを思い出した。
最悪のタイミングだった。
Nの身体越しに見るクレハドールはブチ切れている。あれだけ手を出すなと説教を繰り返してきた当のAが、抱擁を受けているのだ。それはそういう反応になって当然だろう。彼の眼に、今のAの姿はさぞかし大人の分別を欠いたものに映っているに違いない。
「これはその、例の頭の悪い強化週間のアレで!」
Aはじたばたと無様に騒ぎ、ようやく抱擁を解かれながら、クレハドールに訴える。
年下の男は今にも舌打ちせんばかりだ。おまけに貧乏ゆすりまで始めた。
険悪な空気をまるで無視して、NがAを覗き込んでくる。
「頭の悪い強化週間って何のことだ?」
「グループメッセージで業務連絡回ってきただろ!」
「そうなのか。俺は着信しか機能が使えなくてな。知らなかった」
ちょっと黙っててくれないか。
機械音痴を恥じるNに、Aは怒鳴りたくなる。
「じゃあ、Nがしたくてしたんですね! Aに! ハグを! ふーん!」
あてつけがましく喚きながら、クレハドールの貧乏ゆすりが激しくなる。
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