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第三章 最強娘を魔王が無視する理由(ワケ)

オットーの足跡

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 念入りに準備運動を行い、体にロープをくくりつける。
水没した階段の先に何があるか分からない上、自力で戻れない場合を考慮してだ。

「じゃあ、頼む。ロープを二回引けば、すぐに引っ張り上げてくれ。ロープを三回引けば、次はロープを伝ってサラが来てくれ」

 俺は上半身裸になり、階段を降りていく。
凍えるほどの冷たい水を足元から感じながら、腰まで浸かるとブルッと震えてしまう。

「行ってくる。アリス、アラキの合図があれば一気に引き上げてくれな」

 俺の体に繋がれたロープをしっかり握るアリステリアは、力強く頷く。

「パパ、頑張ってです!」

 アリステリアから励まされ、気力充分な俺は、大きく息を吸い込むと、一気に頭の先まで潜った。

 あまり気持ちのいい水ではない。汚れからか、少し纏わりつくような不快感。
階段を降りきると、周囲は真っ暗で手探りで先を進む。

ーーどこまで息が持つか……。

 自分に自問自答しながら、体をぶつけないように手で周囲を触れて進んでいく。壁や天井が触れられる辺り、どうも下の階層、というわけではなく、狭い通路のようだ。

 息が保てるかギリギリを見極めながら、しばらく進むと前方に微かな光が見えた。

ーー彼処まで行けるか!? 意識だけは保てよ、俺。

 泳ぐ速度を増して光の正体を見極める。かなり苦しく、まさに紙一重。

ーーまた、階段!?

 腕をもがき、階段に手を当てて体を上へ上へと向かわせる。明るくなってきた水面を見て、俺は最後の力を振り絞った。

「ぶはっ! はぁ、はぁ……っ!」

 大きく息を吸い込み呼吸を整える。とてもじゃないが、周囲を気にしている余裕は無かった。
地面に仰向けに大の字になり、天井を見上げるとそこには明かりの正体が。

「な、なんだ、あれは?」

 天井に貼り付けられた歪な形をした平らな石が自ら発光しており、それは俺達が普段使うランプなんかより数段明るい。

「…………ぞ」

 呼吸が整い出したタイミングで寝転ぶ俺の頭上の方から微かな声が聞こえてきた。
慌てて体を起こし、声がした方へ顔を向けると、窪んだ岩壁に設置された椅子に腰掛けている人影が見えた。

「誰だ!?」

 この時、俺は同時に周囲を見渡す。地下水路とは違い、野晒しな岩壁や天井、しかし、そこには机や椅子、何より壁に沿って置かれた本棚と幾つもの本と生活感を感じる。

 ただ、その人影だけは、まるで明るい場所から遠ざけるように。
 本棚と本棚の隙間の岩壁の窪んだ場所に隠されているようにも見えた。

 近づこうか迷ったが、階段の向こうの皆が、アリステリアが心配しているかもしれないと、背後を警戒しながらも俺は自分にくくりつけたロープを三回引っ張った。

 視線を背後から感じるものの向こうから近寄る気配はない。サラが姿を現すのを待つしかなかった。





 数分程して、水面からサラが顔を出した。

「お待たせ」

 慎重に進んできた俺とは違い、真っ直ぐ来た為か呼吸の乱れはそれほど辛くは無さそうで安堵する。
しかし、それも束の間の出来事で、水面から上がって来たサラの姿に驚く。

「な、何で! 下着姿!?」

 普段慎ましやかな修道服を身につけているからか、サラの上下下着姿は、かなり目のやり場に困ってしまう。

 確かに一度、裸は見ている。

 しかし、違うのだ。水に濡れ水滴が滴る髪や、濡れた肢体、下着は透けそうな程張り付いているという、官能的な姿は、自分も男なのだと自覚させ、理性を保つのに必死だった。

「…………誰ぞ」

 微かに漏れるような声に、俺はこの場にもう一人人物がいる事を思い出した。

「誰かいるの?」

 サラが俺に体を寄せてくる。聖女でも幽霊とかは怖いのかと震えている姿に、普段の強気なサラがか弱げで守りたくなる。

「うえ……っくしゅ!!」

 単に寒くて震えていたようであった。体を寄せてきたのは暖を取るためか。

 二人で寄り添いながら人影に近づき、その姿を視認すると、思わず「誰だ!?」とだけ発した後、絶句してしまった。

 そこにいたのは、水分が全身から失われ、皮膚と骨のみ。髪はボサボサどころか今にも乾き過ぎて全部抜け落ちそうなほどで、長く垂らしている。
老人と言うにはあまりにも痩せ細り過ぎて、これはまさしく、生きる屍であった。

「お前達は……誰ぞ?」

 全身干からびているにも関わらず、ギョロリと目は丸く大きくひん剥いてこちらをハッキリと見てくる。
むしろ睨み付けてくると言っても過言ではないほど、生命力に満ちた目をしていた。

「俺達は、黄の魔王……オットーを探している者です。ここはもしかして、オットーの隠し部屋では?」

 そう。最初、この空間を見た時、生活感のある部屋だと思った。
 そして、オットーと繋がった理由は、単なるベッドかと思っていた物にはおびただしい程の血のようなものがベッタリと着いていたから。
自分を教授プロフェッサーと名乗るあたり、何かを調べたり研究していたりしたのだろうと。

「オットー……そういう名前だったのか。奴なら此処にはもう居ない。我から“黄の魔王”の役割を奪って去っていきおったわ」
「奪ったぁ!?」

 俺とサラは思わず顔を見合わせる。

 この老人の話が本当だとすると、この老人が元“黄の魔王”で……だとしたら、オットーとは何者なのだろうか。

 老人は名をヒョーイと名乗った。本人曰く、長年“黄の魔王”として役割を全うしていた所に、あのオットーという人物、ヒョーイにはバナードと名乗っていたらしいが突然現れて弟子にしてくれと頼んで来たそうだ。

「我は長年、一人で“役割”について研究、実験を繰り返して来ていた。しかし、人々は役割にこだわり続け、それに従うだけ。我の研究にも限界が来ていたのだ」

 そこへオットーが弟子志望として現れた。そして最近、トンでもない事がオットーの手で実行された。それが、ヒョーイから“黄の魔王”の役割を奪うという事件であった。
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