46 / 64
第一章 邂逅
第十三話① そして、幕はあがる
しおりを挟むずっと、眺めていた。
遠く、海の上に佇む、小さな島を。
壁がなく、青い海に浮かぶようなその小さな部屋で、ただずっと、見つめ続けていた。
春がきて、夏に踊り、秋を歌い、冬を越え――そしてまた、春がやってきても。何度季節が巡り、部屋を訪れる顔ぶれが変わろうとも、ただずっと、そこで見ていた。
とこしえの安寧を祈りながら。願いながら。
でも、相も変わらず何もできずに、ただ、じっと、変わりゆく世界を、見つめ続けていたのだ。時が止まったような、この部屋で。
風が、撫でていく。
自由に、世界中を渡っていく、風。
そっとこの身を優しく撫でると、さらさらと日の光を浴びるあの青い海を越えていく。
――それを、ただじっと見つめていた。
気が遠くなるような、長い長い、間。
やがてその風に、不穏な鉄の匂いが交じり始めても。
「お許し下さい」
闇に差す光のように。
もはや朦朧と眠りについた意識を揺り起こす、その声の主は。黒い髪と瞳が美しい、白い巫女装束の娘だった。
ふと、誰かに似ている、と思った。
母さん――いや、誰だ? 誰を思い出そうとしたんだ?
不意にそんな思いが浮かんだものの、意識に溶け、沈んでいく。代わりにはっきりとしてくるのは、夜明けの海でゆっくりと煌めきだした、日の赤だった。
「どうか私に、無辜の民を守る力を」
そう言って伸ばされた手は、どこか、覚えがある。
暗い闇の底に伸びる陽光の温かさを、思い出す。
絶望の只中から掬い上げられる、あの感触が、した。
「お許し下さい。どうか私に、アドルフを守る力を」
そう許しを請う少女に抱かれたまま、景色が変わっていく。部屋を飛び出したからだ。
まだほの暗い海に浮かぶ島の輪郭を、眩しい赤光が照り出していた。
不思議と、恐怖はない。
ただあるのは、高揚感。
世界を渡るあの風のように、部屋を飛び出し自由に吹き渡る、この興奮。この喜び。
今度こそ、弱き人の子らを。
今度こそ――
赤い陽光が、駆ける道を照らしていた。
世界は、とこしえの闇から目覚めていく。
あるのは、この身が震えそうなほどの、高揚感。
ただ、それだけだった。
世界が、目覚めていく。
そこで、夢から覚めた。
*****
不思議なほど、心は落ち着いている。
やるべきことは、やった。
今のまま愚直に突き進めば、勝てぬ相手だ。それを止め、生きたまま捕らえて一族宿敵だけを討ち果たす。
その方法を、思い当たるだけ準備した。もし万が一の場合は、お供ともども緊急離脱する手段もだ。
やれることすべきこと全て、今できるぶんだけ、やった。おかげで少し、寝不足だけれども。
「……本当に、ここら辺までは大丈夫なのか?」
念のためもう一度確認すると、隣の男は「うん」と頷いた。
「昨日偵察した限りだと、この辺までは地面を歩いていても平気だったよ」
にこにこと上機嫌に語る男へ「そうか」と返事をし、改めて前を見据える。
まだ早朝の涼やかな風が吹き渡る、草原。それを貫くような道を二人で歩んでいく。
王都へと戻る、その当日。昨日宣言していたとおり夜明け前に起き出したシルヴァは、お供を連れ彼の古戦場へと向かっている。恐らくそこで待っているだろう義叔父を、助けるために。
「さっき打ち合わせしたとおりだからな」
「うん。シルヴァがもう無理~ってなったら、僕は君を抱えた状態でこの宝石を地面へ叩きつける」
と、お供は懐から紫色の水晶護符を取り出した。
昨晩突貫で作った、万が一のための緊急手段だ。
叩き割ればヴィヴェールの街まで浮いて帰れるよう、空中浮遊の魔法をアレンジした力を込めてある。これならもしシルヴァが気絶している状況でも、全員無事に戦線離脱できるはずだ。
瞬間移動の術が使えれば一番なのだが、通常、専用の機械を必要とする。高位な魔法使いでもなければ、機械が設置してある場所以外での空間転移は出来ないのだ。
「お前は、あんま兄貴に手を出すなよ? 相性悪いんだろ? まぁ、ちょっと注意を引いてもらう必要はあるけれど、あの剣はオレがへし折るし、お前が変なことして兄貴に何かあったら困るからな!」
「うん、それはわかっているんだけれど。でもシルヴァの命が危なくなったら、さすがに僕も我慢できないかもしれないから――」
「いやだから、兄貴に何かあったほうがオレは傷つくっていってんだろうが」
昨日の「お兄さんの生死については保証できない」という発言から、仲間さえ油断ならない面はあるものの。それでもまぁ、オレよりも強いこいつのほうが先に気絶することはなかろうと、二人とも全滅だけはなさそうだという謎の安心感は、ある。
本当に、一人じゃなくてよかった。
そうしみじみ思いながら、歩む先を見つめる。ちょうど、髪を揺らす風の匂いが少しずつ変わってきたような、そんな気配がした。
「シルヴァ。そろそろかもしれない」
その言葉が意図するところは――先日の怨念のことである。
まだ地表は青々した草原が広がっているものの、ずいぶん進んだ先が黒く変色しているのが見えた。
もうそろそろ、あのおぞましい黒い手が出てくると思われる。
シルヴァはともかく、お供は少し触れられるだけで大ダメージを受けるのだ。たったの一瞬たりとも、あの怨霊たちに捕まるわけにはいかない。
「月雫、オレに掴まれ」
「うん」
「なんで前から抱きつくんだよ! 後ろだ後ろ!」
前が見えないだろうがと悪態をつくと、白男は「だってぇ」と零しながら背中のほうに回った。そしてしっかりと抱きついたのを確認してから、首の後ろにくくりつけられた天女の羽衣【呪】へと魔力を流し込んでいく。
「ちゃんと掴まってろよ」
そう言うや否や、シルヴァは跳躍する。まだ朝日が眩しい空へと。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる