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第一章 邂逅

第十三話① そして、幕はあがる

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 ずっと、眺めていた。
 遠く、海の上にたたずむ、小さな島を。
 壁がなく、青い海に浮かぶようなその小さな部屋で、ただずっと、見つめ続けていた。
 春がきて、夏に踊り、秋を歌い、冬を越え――そしてまた、春がやってきても。何度季節が巡り、部屋を訪れる顔ぶれが変わろうとも、ただずっと、そこで見ていた。
 とこしえの安寧あんねいを祈りながら。願いながら。
 でも、あいも変わらず何もできずに、ただ、じっと、変わりゆく世界を、見つめ続けていたのだ。時が止まったような、この部屋で。

 風が、撫でていく。
 自由に、世界中を渡っていく、風。
 そっとこの身を優しく撫でると、さらさらと日の光を浴びるあの青い海を越えていく。
 ――それを、ただじっと見つめていた。
 気が遠くなるような、長い長い、間。
 やがてその風に、不穏な鉄の匂いが交じり始めても。

「お許し下さい」

 闇に差す光のように。
 もはや朦朧もうろうと眠りについた意識を揺り起こす、その声の主は。黒い髪と瞳が美しい、白い巫女装束の娘だった。
 ふと、誰かに似ている、と思った。
 母さん――いや、誰だ? 誰を思い出そうとしたんだ?
 不意にそんな思いが浮かんだものの、意識に溶け、沈んでいく。代わりにはっきりとしてくるのは、夜明けの海でゆっくりときらめきだした、日の赤だった。

「どうか私に、無辜むこの民を守る力を」

 そう言って伸ばされた手は、どこか、覚えがある。
 暗い闇の底に伸びる陽光の温かさを、思い出す。
 絶望の只中ただなかからすくい上げられる、あの感触が、した。

「お許し下さい。どうか私に、アドルフを守る力を」

 そう許しを請う少女に抱かれたまま、景色が変わっていく。部屋を飛び出したからだ。
 まだほの暗い海に浮かぶ島の輪郭りんかくを、まぶしい赤光しゃっこうが照り出していた。

 不思議と、恐怖はない。
 ただあるのは、高揚感。
 世界を渡るあの風のように、部屋を飛び出し自由に吹き渡る、この興奮。この喜び。

 今度こそ、弱き人の子らを。
 今度こそ――

 赤い陽光が、駆ける道を照らしていた。
 世界は、とこしえの闇から目覚めていく。
 あるのは、この身が震えそうなほどの、高揚感。
 ただ、それだけだった。

 世界が、目覚めていく。

 そこで、夢から覚めた。



 *****



 不思議なほど、心は落ち着いている。
 やるべきことは、やった。
 今のまま愚直ぐちょくに突き進めば、勝てぬ相手だ。それを止め、生きたまま捕らえて一族宿敵だけを討ち果たす。
 その方法を、思い当たるだけ準備した。もし万が一の場合は、おともともども緊急離脱する手段もだ。
 やれることすべきこと全て、今できるぶんだけ、やった。おかげで少し、寝不足だけれども。

「……本当に、ここら辺までは大丈夫なのか?」
 念のためもう一度確認すると、隣の男は「うん」とうなずいた。
「昨日偵察した限りだと、この辺までは地面を歩いていても平気だったよ」
 にこにこと上機嫌に語る男へ「そうか」と返事をし、改めて前を見据える。

 まだ早朝の涼やかな風が吹き渡る、草原。それを貫くような道を二人で歩んでいく。
 王都へと戻る、その当日。昨日宣言していたとおり夜明け前に起き出したシルヴァは、お供を連れの古戦場へと向かっている。恐らくそこで待っているだろう義叔父おじを、助けるために。

「さっき打ち合わせしたとおりだからな」
「うん。シルヴァがもう無理~ってなったら、僕は君を抱えた状態でこの宝石を地面へ叩きつける」
 と、お供は懐から紫色の水晶護符タリスマンを取り出した。
 昨晩突貫で作った、万が一のための緊急手段だ。
 叩き割ればヴィヴェールの街まで浮いて帰れるよう、空中浮遊の魔法をアレンジした力を込めてある。これならもしシルヴァが気絶している状況でも、全員無事に戦線離脱できるはずだ。
 瞬間移動の術が使えれば一番なのだが、通常、専用の機械を必要とする。高位な魔法使いでもなければ、機械が設置してある場所以外での空間転移テレポートは出来ないのだ。

「お前は、あんま兄貴に手を出すなよ? 相性悪いんだろ? まぁ、ちょっと注意を引いてもらう必要はあるけれど、あの剣はオレがへし折るし、お前が変なことして兄貴に何かあったら困るからな!」
「うん、それはわかっているんだけれど。でもシルヴァの命が危なくなったら、さすがに僕も我慢できないかもしれないから――」
「いやだから、兄貴に何かあったほうがオレは傷つくっていってんだろうが」

 昨日の「お兄さんの生死については保証できない」という発言から、仲間さえ油断ならない面はあるものの。それでもまぁ、オレよりも強いこいつのほうが先に気絶することはなかろうと、二人とも全滅だけはなさそうだという謎の安心感は、ある。
 本当に、一人じゃなくてよかった。
 そうしみじみ思いながら、歩む先を見つめる。ちょうど、髪を揺らす風の匂いが少しずつ変わってきたような、そんな気配がした。

「シルヴァ。そろそろかもしれない」
 その言葉が意図いとするところは――先日の怨念のことである。
 まだ地表は青々した草原が広がっているものの、ずいぶん進んだ先が黒く変色しているのが見えた。
 もうそろそろ、あのおぞましい黒い手が出てくると思われる。
 シルヴァはともかく、お供は少し触れられるだけで大ダメージを受けるのだ。たったの一瞬たりとも、あの怨霊たちに捕まるわけにはいかない。

「月雫、オレに掴まれ」
「うん」
「なんで前から抱きつくんだよ! 後ろだ後ろ!」
 前が見えないだろうがと悪態をつくと、白男しろおは「だってぇ」とこぼしながら背中のほうに回った。そしてしっかりと抱きついたのを確認してから、首の後ろにくくりつけられた天女の羽衣はごろも【呪】へと魔力を流し込んでいく。
「ちゃんと掴まってろよ」
 そう言うやいなや、シルヴァは跳躍する。まだ朝日がまぶしい空へと。
 
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