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序章

一、黒竜と喧嘩しました。

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 新月の夜。蓬莱ほうらい山の北方。深い海底より姿を現したのは、漆黒の鱗に覆われし黒き竜。見るからに災いを齎しそうな邪悪の化身とも言える黒竜は、その天にも届きそうな大きな体躯で地上に二本の前足をついた。

 彼は光よりも闇を好むため、夜に姿を現すことが多い。黒竜は本来の半分ほどの大きさに姿を変えるが、それでも森の木々の高さより頭ふたつ分は飛び出ていた。

 見るからに邪悪という印象の強い黒竜だが、一応これでも北方を守護する神聖な竜なのである。

 その黒い大蛇のような身体をうねらせて、久々の地を這う。夜に蠢く生き物や妖の類までが、黒竜を避けるように道から左右に散っていく。

 そんな中、逃げ遅れたのだろう小さな白蛇が、細い首をきょろきょろとさせて右往左往していた。黒竜はそんな些細なことなど気にしない。避けないのならばそれまでと、構わずに前へと進む。

 その体躯の餌食になるまであと一尺(約30センチ)という所で、まったく予想もしていなかった人物が立ちはだかった。

 黒竜が思わずその歩みを止める。立ちはだかった者の鼻先が当たるか当たらないかというぎりぎりの所でなんとか止まったが、気付かなければ小さき白蛇と共に踏み潰していただろう。

『貴様、俺の道を阻むとはどういう了見だ?』

 白蛇を左手でそっと抱き上げて、こちらを無言で見上げてくるその者は、黒竜もよく知る人物だった。故に、なぜこんな所にいて、たかが白蛇のために己の命を危険に晒しているのかと疑問に思う。

「黒竜、ここはあなただけの道ではありません。そもそも誰のものでもありません。それなのに、あなたは自分の道だと言う。地を歩くなら、人形ひとがたになればいいでしょう、」

『なぜ貴様ら弱き者に合わせなければならないのだ? それこそそっちの勝手な都合だろう。踏まれたくなければ逃げればいいのだ。それができぬのなら、どの道この地では生きてはいけぬだろうよ』

 腰の辺りで垂れ下がるように雑に結ばれた、紫色の細い紐状の腰帯。その細身に纏う袖幅が広い白い道袍は裾が長く、足元が隠れて見えない。真っすぐに物怖じせずに見上げてくる瞳は琥珀色。腰が隠れるくらいの細く長い黒髪は、上の方だけ団子にしていて、それ以外は背中にそのまま垂らしていた。

 その美しく整った顔立ちはどこまでも穏やかだが、自分の考えを変える気はなさそうだ。大人しそうなくせに誰よりも頑固であることを、黒竜は知っている。

地仙ちせんごときが、俺に楯突くとは····いくら長の知己ちきと言えど、立場を弁えよ、櫻花インホア

「それとこれとは関係ありません。黒竜よ、強き者は弱き者を守る義務があると思います。あなたの考えは神聖な者の考えとは思えません。この子に謝ってください」

 この子・・・とは、その白蛇のことだろうか····。

 黒竜はだんだん馬鹿らしくなってきたが、ここは譲るまいと意地になる。地仙ちせんとは、仙道を得てはいるがいつまでも地上に留まっている凡庸な者で、徳が足りないため天上に昇れない者、もしくは昇天する気がない者である。

 そんな半端者と、神聖な竜の言い分。その場に他の者がいたならば、間違いなく黒竜が正しいと言うだろう。そこに自身の考えや是非は関係ない。

 しかし、この地仙ちせん櫻花インホアという者は、黒竜に対して「謝れ」と言ってきたのだ。

 新月に照らされただけのその場所は、木々の生い茂る森だった。

 黒竜がここまで進んできたことで、周辺の木々も折れている。しかし今までそれに対して何か訴えた者などいない。それが当たり前だったからだ。

 琥珀色の瞳は最初から真っすぐにこちらを見上げていた。黒竜もまた、金色の眼を逸らすことはしなかった。

「謝ってくれないのなら、あなたとは絶交です!」

『··········は?』

 今、なんと言ったか?
 絶交? そもそも友ですらないわ!

 そう心の中で突っ込みを入れた黒竜だったが、その言葉にちょっとだけ傷付いている自分に、苛立ちを覚えるのだった。



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