上 下
47 / 50
第二章 朱に交われば赤くなる

番外編① 桃李 前編 ※注

しおりを挟む


 花椿ホアチュン殿。
 桃李タオリーは母である蘭玲ランリンと、同じ宮で暮らしている。

 成人した皇子たちは、基本的に自身の宮を与えられそこに住まうのが本来の流れだが、半魔族でありひとの血が流れる蘭玲ランリンの扱いを知っていた桃李タオリーは、今も共に生活している。

 自分にも少なからずひとの血が混じっており、皇子たちの中でも魔力が低く、武芸も術もそんなに得意ではないため、人界へ派遣されるような任務は与えられなかった。

 その代わり、幼い頃に大王である父から与えられた、たったひとつの任務があった。

 それは、ほとんど同じ頃に生まれた第四皇子の監視。たった二年しか違わない第四皇子である梓楽ズーラ。他の兄たちとは百年以上は歳が離れていたので、ほとんど交流もなく、形式的な会話くらいしか交わしたことがなかった。

桃李タオリー、お前は今日から兄の梓楽ズーラの信頼を得て、その行動や言動、なにを考えているかをすべて監視し、私に定期的に報告すること。鏡華ジンホアにはくれぐれも気を付けろ。彼女は梓楽ズーラに近付く者を排除したがる。自分はあれ・・に近づきもしないくせにな」

 大王は桃李タオリーが首を傾げたまま見上げてくるのに対して、ふっと口元を緩めた。まだ十にも満たない幼い子供には、理解できなくとも仕方がないだろう。

 おいで、と大きな手を目の前に差し出され、桃李タオリーは立ち上がり父の前まで近付いていき、その小さな手を伸ばした。

 花椿ホアチュン殿にわざわざ足を運んだのは、聞き耳を立てるような者がここには存在しないからだろう。

 最低限の従者と護衛が配置されており、大王が赴く際は人払いをするので、今の宮はいつも以上に静かだった。

 蘭玲ランリンも挨拶を交わした後は、自室に籠っていた。桃李タオリーに用があると大王が言ったためである。

 大きな手は小さな手をそっと掴み、そのまま片腕で抱き上げられる。いつも見ている景色が一変し、高い位置にある視線に戸惑う。

 赤い瞳からは先程までの厳しさは消え、どこか優しささえ垣間見える微笑を湛えていた。

「簡単なことだ。梓楽ズーラと仲良くなって、たくさん話をすればいい。あやつが心を開くまで、時間はかかるだろうがな。できるかい?」

「兄様と、仲良しになればいいのですか?」

 今まで一度もまともに話したことがない兄と、はたして仲良くなれるだろうか?他の兄たちとさえ、挨拶以外の会話をしたことがないというのに。

 不安しかないが、できそこないの自分に父が与えてくれた初めての任務。仲良くなって交わした言葉を報告すればいいのだから、難しいことではないだろう。

「でも······兄様は、私なんかとお話、してくださるでしょうか?」

「それはお前の頑張り次第だろう。お前が頑張れば、お前の母も他の妃たちのように優遇される。お前には何よりの褒美だろう?」

 母はひとの血が混じっている半魔族であるため、大王は別として、他の妃たちからはかなり冷遇されていた。

 自分が頑張れば、母は報われるのだろうか。それなら、やるしかないと桃李タオリーは心を決める。

 その日から、皇子たちが集められる場では必ず梓楽ズーラと挨拶を交わすようにした。

 魔王候補第二位でありながら、梓楽ズーラの周りには高官たちも近寄りたがらず、他の三人の皇子たちも関心がないようだった。

 それもそのはずで、梓楽ズーラは挨拶をされても誰ともひと言も言葉を交わすことはなく、素通りしていってしまう。高官たちは一応形だけの挨拶はするが、それ以上の余計なことはしなかった。

 それが日常と化していたので、桃李タオリーはまったく気にも留めていなかったのだが、改めて状況を見てみると不思議な光景だった。

 仮にも魔王候補、赤い瞳を持つ皇子だというのに、第一皇子の玖朧ジゥロンとの扱いの差に違和感さえある。もちろん、先に生まれもう成人している玖朧ジゥロンが期待されているのは理解できる。

 彼は完璧すぎる皇子だった。

 だからだろうか。いつも俯いていて挨拶さえまともにできない梓楽ズーラは、あくまでも第二候補、つまり玖朧ジゥロンの"予備"としての扱いなのだろう。

 挨拶を交わしても何度となく無視されたが、ある日偶然、衝撃的な場面を目撃してしまう。

 紫烏ズーウー殿は花椿ホアチュン殿の近くにあり、途中までは同じ路を辿る。大王から与えられた任務は未だ思うようにいっておらず、桃李タオリーは護衛も付けずにこの辺りを意味もなくうろうろしていた。

 もしかしたら、紫烏ズーウー殿から出て来た梓楽ズーラに逢えるかもしれない。そうしたら、偶然を装って会話ができるかもという子供ながらの発想であった。

 元々花椿ホアチュン殿の護衛も従者も最小限しかいなかったので、抜け出すのも思った以上に簡単だった。

 目の前に続く整えられた路は、十字に分かれており、高い塀が迷路のように方向感覚を失わせる。何年も通っている道だが、いつも初めて来たような気分になって、桃李タオリーは右の道に足を向ける。

 そんな中、ガシャン!という陶器が割れるような音が響き、桃李タオリーは向けていた足を止める。その音は紫烏ズーウー殿の方から聞こえて来た。そのすぐ後に、複数の悲鳴が上がる。

 まだ幼い桃李タオリーは響いた悲鳴に対して、単純に"怖い"と思ってしまった。なぜなら、それはあまりにも悲痛な叫び声で、何度も繰り返しては、そのどれもが途中で途切れてしまうのだ。

 ただ事ではないと想像させるには十分で、思わず逃げ出したくなったが、聞こえてきたのが紫烏ズーウー殿ということもあり、何とか踏み止《とど》まる。

(怖いけど····とにかく、覗いてみよう)

 薄桃色の羽織をぎゅっと握りしめ、桃李タオリーは右の道から左の道へと踵を返した。あり得ないことだが、万が一賊でも入り込んでいたら大変だし、勘違いならそれで良いと思ったのだ。

 紫烏ズーウー殿の門の隙間から、中の様子が覗えた。その光景に、思わず口を塞ぐ。目の前に広がるその凄惨な状況に声を上げそうになったのだ。

 殺風景な庭に佇む小さな影。その少し先に満足そうな笑みを浮かべて立っている、紫色の優雅な上衣下裳を纏う女性。

 あれは、梓楽ズーラの母である鏡華ジンホアだ。庭の真ん中で赤を滴らせた剣を握り締め、立ち尽くす梓楽ズーラの後ろ姿が見えた。

 その周りでぴくりとも動かない者たち。纏っている衣を見るに、護衛の武官や従者たちだろう。状況が全く呑み込めない。

 そこには心臓を貫かれ、無残にも絶命している者たちの姿があった。いったい何が起こっているというのか。

「良い子ね、梓楽ズーラ。これであなたに近付く者はいなくなったわ。わかったでしょう?その者たちはお前のせいで死んだの。お前は一生、誰とも関わらずにひとりで生きていかないと駄目よ?お前は誰にも触れられることなく、私以外に愛されることもなく、ただの駒として大王様に一生を尽くすの」

 梓楽ズーラ鏡華ジンホアの言葉に対して何か言うでもなく、ただ剣を強く握り締めていた。

 桃李タオリー鏡華ジンホアに対して、今まで美しくて怖いひとという漠然とした印象しかなかったが、その言葉を聞いて、その眼を見て、狂った愛情で梓楽ズーラを縛る、恐ろしいひとという現実を思い知る。

 狂気。

 これが梓楽ズーラにとっての日常なのだろうか?

 自分とはあまりにもかけ離れすぎていて、想像もできない。蘭玲ランリンはいつも優しく微笑みかけてくれるし、私の可愛い桃李タオリーと言って頭を撫でてくれる。たくさん褒めてくれるし、甘やかしてくれる。

 鏡華ジンホアは興味が無くなったのか、侍女を連れてさっさと奥へと消えていった。それを待っていたのかのように、握っていた剣が地面に音を立てて落ち、繋がれていた糸が切れたかのように、梓楽ズーラもその場に崩れ落ちる。

「ごめ····な、さい········ごめ······っ」

 カタカタと震える小さな身体を自分で抱きしめるように、膝を付いたまま地面に伏せて蹲る。それはまるで、自分の周りで息絶えている者たちへの懺悔のように見えた。

 状況はよくわからないが、鏡華ジンホアが言っていたことを読解するに、自分に善くしてくれただろう護衛や従者を、彼自身の手で残酷に殺させた、ということだろうか。

 こんなこと、赦されるのだろうか?

 宮ごとに配置されている武官や従者は、確かに皇子や妃の所有物ではある。しかしその扱いが自分の宮とあまりにも違いすぎて、幼い頭では理解できない。あんな状況に置かれている梓楽ズーラを、どうやって救ってあげたらいいのか。

 救う?

 自分で考えて、自分で問いかける。そんなこと、できるわけがない。

(父上は、酷い扱いを受けている兄様を心配して、私にあんな任務を与えたのかな?)

 ふと、父の言葉が頭を過った。

鏡華ジンホアにはくれぐれも気を付けろ』

 あの時はその意味を知りもしなかったが、今なら解かる。

 蹲ったまま震えている梓楽ズーラを見守る。立ち上がるまで、ずっとその姿を見つめていた。できることなら駆け寄って、声をかけてあげたかった。けれども、ふたりを隔てる壁はぶ厚く、どうすることもできない。

 なにより、もし鏡華ジンホアに見つかったらと思うと、怖くて動けなかった。


 この時はどうすることもできず、やがて立ち上がった梓楽ズーラが、周りに横たわる無残な姿の死体を弔う姿を見届け、その場を後にした。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つのつきの子は龍神の妻となる

白湯すい
BL
龍(人外)×片角の人間のBL。ハピエン/愛され/エロは気持ちだけ/ほのぼのスローライフ系の会話劇です。 毎週火曜・土曜の18時更新 ―――――――――――――― とある東の小国に、ふたりの男児が産まれた。子はその国の皇子となる子どもだった。その時代、双子が産まれることは縁起の悪いこととされていた。そのうえ、先に生まれた兄の額には一本の角が生えていたのだった……『つのつき』と呼ばれ王宮に閉じ込められて生きてきた異形の子は、成人になると同時に国を守る龍神の元へ嫁ぐこととなる。その先で待つ未来とは?

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

【黒竜に法力半減と余命十年の呪いをかけられましたが、謝るのは絶対に嫌なので、1200の徳を積んで天仙になります。】中華風BL

柚月 なぎ
BL
✿第12回BL大賞参加作品✿  黒竜に踏み潰されそうになっていた白蛇を助けた櫻花は、黒竜の怒りを買い、法力が半分になった上、余命十年の呪いをかけられてしまう。  地に頭を付いて謝れば赦してやると黒竜は言うが、櫻花は「私は間違っていないので、謝りません」ときっぱり笑顔で吐き捨てたことにより、ふたりの関係は最悪な方向に。  そんなやり取りから数年後、櫻花の前に不思議な雰囲気を纏う白髪の青年、肖月が現れる。肖月は、あの時助けられた白蛇であることを告げると、あろうことか櫻花に口付けをし、主従の契約を結んでしまう。  余命僅かの櫻花が生き永らえるためには、1200の徳を積んで天上に昇り天仙になるか、もしくは黒竜に謝るしかない。  持ち前の"運の良さ"を武器に、世のため人のために尽くす地仙と、命を救われた恩を返したい、白蛇の化身。  果たして、櫻花は天仙になり、余命十年の呪いを断ち切れるのか――――。  マイペースだが天才肌の地仙と、彼の呪いを解きたい白蛇の物語。 ※この作品はカクヨムさんでも公開している作品です。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

真冬の痛悔

白鳩 唯斗
BL
 闇を抱えた王道学園の生徒会長、東雲真冬は、完璧王子と呼ばれ、真面目に日々を送っていた。  ある日、王道転校生が訪れ、真冬の生活は狂っていく。  主人公嫌われでも無ければ、生徒会に裏切られる様な話でもありません。  むしろその逆と言いますか·····逆王道?的な感じです。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

僕を拾ってくれたのはイケメン社長さんでした

なの
BL
社長になって1年、父の葬儀でその少年に出会った。 「あんたのせいよ。あんたさえいなかったら、あの人は死なずに済んだのに…」 高校にも通わせてもらえず、実母の恋人にいいように身体を弄ばれていたことを知った。 そんな理不尽なことがあっていいのか、人は誰でも幸せになる権利があるのに… その少年は昔、誰よりも可愛がってた犬に似ていた。 ついその犬を思い出してしまい、その少年を幸せにしたいと思うようになった。 かわいそうな人生を送ってきた少年とイケメン社長が出会い、恋に落ちるまで… ハッピーエンドです。 R18の場面には※をつけます。

処理中です...