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第二章 朱に交われば赤くなる
2-13 赤い糸と黒い糸
しおりを挟む高い塀を軽々とした身のこなしで飛び越え、影の妖魔を追いかけて行った暁狼や碧雲の姿は、暗い路に溶けてしまったかのように、すでに見えなくなっていた。
だが後から邸を出た紅玉と翠雪は、彼らに追いつく気がないようだ。それどころか、翠雪は「こっちです」と紅玉に違う路を指し示し、うん、と紅玉はその指示に従う。
「はあ。あの体力馬鹿たちについて行く必要はありません。私たちは予定通り、先回りをして待ちましょう」
「飛星たちが予めそこら中に貼りつけた結界符で、妖魔は上手く誘導されてるってわけだね!」
その結界符は趙螢の邸から市井のある商業区に立ち入れないよう、そのまま町の外へと導くような誘い方をしており、人通りが少ない路地をわざと選ばせている。彼らは有能なので、重要任務ともなれば手を抜くことはないのだ。
「まあ、よほどの間抜けでない限り、逃げている途中で気付くでしょうが。そこは碧雲たちの腕の見せ所でしょう」
「暁狼兄さんもいるから、きっと大丈夫だね」
その時、なぜか翠雪の足がぴたりと止まる。あれ?と紅玉は数歩先でそれに気付いて同じように止まった。振り向くと、月明かりの下、翠雪が珍しく真剣な面持ちで紅玉を見つめていた。
「どうしたの?なにか問題でもあった?」
「紅玉、いえ、藍玉。あなたに忠告したいことがあります。話すかどうか、非常に迷いましたが、やはり知っていた方が良いと思います」
その瞳は複雑な色を浮かべており、自分にとって大事な話なのだと、なんとなく感じ取れた。藍玉、と呼んだのも意味があるのだろう。
「うん、ちゃんと聞くから教えてくれる?」
夕刻に碧雲に言われたこと。妖魔を説得するなどと言うのは馬鹿げている、と。無駄なことだ、と。その時は話を聞きながらも、自分の意志を貫きたいと思った。けれども、翠雪がこれから言おうとしていることは、それとはまた違う気がする。
「私も碧雲も、あなたの純粋な理想や願いを踏み躙るようなことはしたくありません。これを話すことで、あなたが立ち止まったりするのを良しともしません。けれども、あえてお伝えします」
翠雪は息を整えるように瞼を伏せ、再びゆっくりと藍玉に視線を戻した。
「あの白暁狼という道士ですが、五年前、ある村で魔族の皇子に弟を殺されたそうです。当時、派遣された道士は彼以外全滅。村も壊滅状態となり、凄惨な事件として各門派に伝えられたそうです」
「······それってまさか、梓楽兄上が壊滅させたあの村の事なの?弟さんが殺されたって、」
五年前。壊滅させられた後の村に碧雲とふたりで赴いた。真っ黒に焼け焦げた家屋。ひとだったモノたち。何度も通っていた村は、なにもかもすべて燃やされ消し炭となり、跡形もなく破壊されていた。
それは、大王の命によって派遣された第四皇子、梓楽の手によって行われたものだったと聞いた。まさかその村を救うために派遣された道士の中に、暁狼とその弟がいたと?
藍玉は、ふと、あの時の会話を思い出す。耳を塞ぎたい気持ちで聞いていたあの会話。黄夏と梓楽の会話。言い終えた後、最後に自分を見て梓楽が問いかけてきたことも。
『梓楽兄上、ご健勝でなりよりです。牢での生活はさぞ窮屈でつまらなかったでしょう?早々に人間の村を焼いたと聞きました。道士諸共皆殺しとは、容赦がないですね』
『まあね~。でも俺もぬるいことしたなって思うよ?皆殺しにはしてないから。仲良しこよしの気持ち悪い兄弟の片割れを、見逃してあげたんだぁ。これって命令違反?別にいいよね、一匹くらい』
あれが、暁狼と彼の弟の事だったのだろうか?
ぎゅっと藍玉は俯いて唇を噛み締める。これはなんの因果なのだろう?それが本当だとしたら、彼の弟の仇は自分の兄ということになる。
「彼はそれ以来、妖魔や魔物、出遭った魔族を殺しまくったそうです。道士が殺生をするのは禁じられており、将来有望とされていた彼は当然門派を破門され、付いたあだ名が"暁の餓狼"。魔族を憎む復讐者となったわけです」
淡々と翠雪は語った。それが彼の優しさであり、厳しさだと知っているだけに、藍玉は落としたままの視線が戻せずにいた。
「あなたが感じた縁は、そういう因果からだったのでしょう。これ以上彼に興味を持つのは、」
「僕の眼は、少し変わってて、」
諭そうとした翠雪の言葉を遮るように、藍玉が口を開く。その表情はなんだか悲し気で、けれども口元には笑みが浮かんでいた。
「魔眼の能力のひとつなんだと思うけど、僕の眼には、自分と繋がりが深いひと、深くなるだろうひととの縁が、色の付いた糸になって見えるんだ。翠雪と出会ったあの時もそうだった。碧雲と同じ、赤い糸が見えたんだ」
だから、絶対に逃したくないと思った。
離してはいけないと思った。
「だからね、趙螢さんと出会えたのも本当は偶然じゃなくて、糸を辿って行ったら出会えたんだ。彼の糸は青色だったけど、その先にさらに赤と黒のふたつの糸が見えたんだ」
青色が何を意味するかはまだよくわかっていなかったが、それよりもその先に伸びていた二色の糸が気になった。赤は強い繋がり。黒は·····。
「そのふたつの糸のひとつが、彼だったと?」
ううん、と藍玉はゆっくりと首を振る。
「僕もびっくりしたんだけど······。赤い糸と黒い糸、そのどれもあのひとに繋がってたんだ」
この時は黒い糸の意味もわからなかった。良いものではないのかもしれない。けれどもひとりにふたつの糸が伸びていたのは初めてで、藍玉は勝手な解釈をした。これからの関係次第で、どちらにも染まる可能性がある、ということだろうと。
けれども、翠雪の話を聞いてなんとなくわかってしまった。
黒い糸の意味。
それはおそらく、"悪縁"だろうと。
「僕があのひとを知りたいと思った答えは、まだ出ていない。でも、前に約束した通り、この事件が解決したらさよならをする。それでもふたつの縁が本当なら、きっとまたどこかで出逢うことになる。その時、どちらの縁がきっかけで出逢うことになるか······考えると怖いけど、でも、それでも、」
はい、と翠雪は頷く。
「それでもあなたは、知ることを絶対に諦めないんですね?」
「うん、」
あの悲し気な笑みはどこかへ消え去り、いつもの人懐っこい笑みが藍玉を輝かせる。ただ単に突っ走っているわけではないと思っていたが、やはりちゃんと考えていたようだ。
「話してくれてありがとう。僕の事を心配して、鬼谷のひとたちにわざわざ調べてもらったんだよね?嫌な役をさせちゃってごめんなさい、翠雪」
「いいんですよ。私が気になって調べてもらっただけです。あなたは私の友ですから、心配するのは当然のことです。それに、嫌な役目を引き受けるのは、私の楽しみなのでお気になさらず」
ふふ、と可愛らしい笑みを浮かべて、翠雪は肩を竦めた。友など、今までいなかった翠雪にとって、藍玉は特別だった。随分と年の離れた、主でもあり友でもあり、守ってあげたい子。
そのためなら、いくらでも嫌な人間になろう。
「それにしても魔眼の力は未知数ですね。あの時、賽子の目を揃えたのは、どういう仕掛けだったんですか?」
ふたりは遅れた分を取り戻すため、民家の屋根と屋根の間を飛び越えながら最短の道を進む。それでも余裕があるのか、ふと思い出したことを翠雪が口にする。
あの時初めて魔眼の力に気付いたが、それがどういう原理でああいう結果を齎したかはあえて訊いていなかった。
「あれは、翠雪が賽子を抛る仕草を観察してたんだ!六のゾロ目が出るまでのすべてを視てた。賽子を握った時の賽子の目、抛り方、早さ、全部ね。武術の稽古とかも、碧雲の動きを"視る"ことで、完璧にこなしてたんだけど、途中からは、ほら、駄目皇子になったから」
五歳で神童などと呼ばれていたのは、能力を使っていたからでもある。
「まあ、だいたい予想通りの答えでしたね」
「そっか。やっぱりわかってたんだね」
だが翠雪はそれ以上に理解していた。視るだけでそんな器用なことができるわけがない。それこそ藍玉の実力なのだと。
楽しく会話をしながら、気付けば町が随分と遠ざかる。
月が導く中、ふたりは町の外、罠を仕掛けた最終地点へと辿り着いた。
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