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第二章 朱に交われば赤くなる

2-6 その問いの答えは?

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 店から離れ、ふたりは一旦趙螢ヂャオインの邸に戻ることを決める。もう昼も過ぎた頃だった。

「········おい、なぜ急に黙る?」

 無言で歩き続ける紅玉ホンユーに対して、暁狼シャオランがなぜか耐えきれなくなり、問う。趙螢ヂャオインの邸を出発しあの店を出るまで、隣にいる青年は自由に歩き回り、飽きれば無駄に話しかけてきた。

 かと言って暁狼シャオランはその会話に付き合う気もなくほとんど無視していたわけだが、それが急に沈黙すれば間が持たず、さすがに理由を訊ねたくもなる。

「うん。ちょっと考え事をしてて、」

 紅玉ホンユーは珍しく難しそうな顔で答える。

「さっき、大好きなひとのために贈り物をしてるって、そのひとはおばあちゃんに言ったって。それが呪詛を込めた贈り物で、大好きなひとへのもので······よく、わからなくて、」

 大好きなのに殺したいほど憎い。
 その歪な感情が理解できずにいた。

「別にお前がそれを理解せずともいいだろう?そもそも、確かに箱を買っていたという事実はあったが、まだその者が犯人とも言えない」

 それは半分嘘が混じっていたが、なぜそんな気を遣う必要が?と暁狼シャオランは自分に対して疑問を投げる。別に目の前の者が落ち込もうが、考え込もうが、どうでも良いはずなのに。

「うん、······そうだね、そうだよね。ねえ、兄さん。兄さんは、そんな風に誰かを好きになったことはある?」

 は?と暁狼シャオランは思わず首を傾げて聞き返す。急に何を言い出したかと思えば、口にするのも恥ずかしいことを平然と訊いてくる。正直、そんな感情は持ち合わせておらず、大人になってからは特に興味が湧かない議題のひとつだった。

 あの事件の後は、ますますそんな余裕はなくなった。だが、自分が魔族を殺したいほど憎んでいるその感情は、それに似ているのではないかとも思う。執着。憎悪。負の感情のすべてがそこに注がれている。だがそれを口にしたとて、他人には理解などされないだろう。

「さあな、俺は少なくともない」

「そっか。僕も、憧れみたいなものは抱いたことがあるけど、そういう感情は、よく、わからなくて。そのひとは、どういう気持ちであの呪詛を作ったんだろうって、その理由を知りたいと思ってしまったんだ」

 ひとを知る。

 それがこの旅の目的だった。綺麗なものばかりではないと母である夜鈴イーリンは言った。それがこういうことなのかも、と思ったら、また知りたいと思った。理解できなくてもいい。ひとだからこそ、持つものなのか。根本的なものは魔族と大差ないのか。

 桃李タオリーの死の原因である梓楽ズーラを、自分が赦せないように。
 暁狼シャオランのことを、もっと知りたいと思ったように。


 堂々巡りのように、ぐるぐると解決しないその問いの答えは、短い時間の間に出すことは到底できなかった。


******


 翠雪ツェイシュエ碧雲ビーユンは、趙螢ヂャオインの妻であるホア夫人の部屋を訪ねていた。看病疲れで休んでいると言っていたが、面と向かって彼女を見れば、確かに随分とやつれてしまっている。

「体調が優れないところ、大変申し訳ありません。あなたの息子さんのためにも、二、三でいいので質問をさせてもらってもよろしいでしょうか?」

 どの口が!と碧雲ビーユンは思ったが、眼を細めてその様子を見守る。ホア夫人は疲れた様子だったが、ゆっくりと頷いた。

 翠雪ツェイシュエが彼女までも臥せってしまった原因は、慶螢チンインの傍に居すぎたせいだろうと言っていた。

 彼女はどうやら少しそういうモノに敏感な体質らしく、知らぬ間に呪詛の影響を受けてしまったのだ。身体を起こして傍にあった衣を羽織ると、化粧もしていない顔を恥ずかしそうに袖で隠し、申し訳なさそうに頭を下げた。

 ちらりと視線だけ向けて翠雪ツェイシュエの姿を映すと、ぼんやりとした表情で固まっていた。よく見れば見るほど、その美しさに目を奪われる。中性的なそのどちらともいえない曖昧さと珍しい翡翠の瞳に、ホア夫人は思わず見惚れてしまう。

「夫人、大丈夫ですか?やはり、日を改めた方が良いのでは?」

 碧雲ビーユンは夫人を心配して、翠雪ツェイシュエに提案するが、

「へ、平気です!そんなことよりも、本当に慶螢チンインの病を治していただけるのですか?」

 夫人は慌てて我に返って、ぶんぶんと首を横に振った。四十代くらいの夫人は、やつれていなければ、きっともっと穏やかで朗らかな印象を受ける事だろう。邸にいる使用人たちを管理しているのが彼女だった。

「最善を尽くすつもりですが、そのためにも夫人の協力が欠かせません。私たちはこの邸のことはよく知りませんから、あなただけ・・・・・が頼りなのです」

 碧雲ビーユンは、もはやなにも言うまいと沈黙する。翠雪ツェイシュエは優し気に微笑み、それに絆された夫人はただ頷く。なんだか先程よりも頬に赤みが戻って来たようだ。

「なんでも訊いて下さい。私でわかることならば、すべてお答えします」

「ではお言葉に甘えて、そうさせていただきます」

 にこやかに口角を上げ、翠雪ツェイシュエは微笑む。夫人に訊きたいことは三つあった。

「ひとつ、慶螢チンイン殿の普段の振る舞いです。使用人、商団で雇われている者たち、あなたや趙螢ヂャオイン殿へも含めて。ふたつ、婚約者の麗花リーファ殿との関係性。あなたから見て、ふたりは本当に納得していたか。みっつ、最近使用人で怪我をした者がいたかどうか。答えやすいものからでかまいません」

 は、はい、と不思議そうにその問いを頭の中で繰り返してみる。答えやすいものからで良いというひと言が、自分の中にあった戸惑いを和らげてくれたようにも感じる。

麗花リーファ様はこの町の領主の娘さんで、とても気立ての良いお嬢さんという印象がありました。会って話をしてみれば、それが噂だけでないこともわかりました。あの子も、婚姻の話があるまでは彼女と話したこともなかったそうですが、公の場で遠目で見ることはあったので、思った通りの女性ひとだったと言っていました」

 趙螢ヂャオインの言う通り、婚姻についてどちらも納得の上という話は、どうやら間違いないなさそうだ。

「あの子の使用人たちへの振る舞いは、次期当主として、ひとの上に立つものとして、特に問題はないと思います。家によっては使用人をないがしろにしたり、使い捨てのように酷い扱いをする所もあるようですが····。夫や私はそれを良しとしていないので、常に自分たちのために働いてくれていることを感謝しなさいと、教えて来ました。なので、自分の家族のように大切にしてくれていると思います」

「それは立派ですね、」

 翠雪ツェイシュエは抑揚のない声で言っているが、夫人は自分が褒められたかのように嬉しそうに表情を崩している。油断しすぎだろう、と碧雲ビーユンは心の中で毒づく。あれは翠雪ツェイシュエの演技だ、とすぐにわかった。いつも通りと言えばそれまでだが。

(まったく、こいつは·····また心にもないことを平然と!)

 そんな風に呆れている碧雲ビーユンになど夫人が気付くはずもなく、もうひとつの質問の答えを考えているようだった。

「では、質問の範囲を狭めましょう。慶螢チンイン殿が病に倒れた頃と同じ時期に、体調を崩した者、休んでいる者、怪我をした者、そのせいでいつもと違う行動をしている者はいますか?もしくは、この一年以内にそれに該当する者はいますか?」

 何十人もいる使用人や商団の関係者たち。どういう意図でその質問をしているのかを、夫人は考えないようにしていた。なぜなら、それを聞くということは、自分の息子をあんな目に遭わせている犯人が、あの者たちの中にいるかもしれないということだからだ。

 祈祷師が言った、恨みを買ったという言葉。それが使用人からだとは思いたくはなかった。
 そんなことならば、まだ不治の病であった方が良かっただろう。

「······そういえば、」

 夫人は、ふと、ひとりだけ頭に浮かぶ者がいた。あまり印象のない子で、けれども真面目に働いてくれている姿を目にすることはあった。しかし、なぜあの子が慶螢チンインに恨みを抱くというのだろう。

 それとも、自分が知らないだけで、なにかきっかけでもあったのだろうか?
 いずれにせよ、質問の答えは見つかった。

「女中の中にひとり、思い当たる子がいます。けれども、彼女はそんなことをするような子ではないと思いますが、」

 夫人が言う"あの子"という単語に、碧雲ビーユンは先程の少女の姿がなぜか浮かんだ。翠雪ツェイシュエがあんなことを言うから、無意識に浮かんでしまったのだろう。しかし、夫人も困惑しており、言葉の続きがなかなか出てこない。

「なぜそう思うのです?」

 翠雪ツェイシュエはそんな夫人に対して気を遣うことはない。その遠慮のない態度のお陰か、逆に夫人は楽になったのか唇が動き始める。

「だってあの子は······、」

 その口から紡がれた意外な言葉に、ふたりは目を瞠った。それは、翠雪ツェイシュエも予想していなかったのか、珍しく間の抜けた顔をしていた。だがそれによって、推測される理由も加わり、彼の表情がご機嫌なものに変化する。

「お辛い中、話してくださりありがとうございました。この件は、三日以内に必ず解決すると約束しましょう」

 夫人の手を取り、自信満々に翠雪ツェイシュエはそう言いきった。

「ほ、本当ですか?よろしくお願いします!!」

 夫人も翠雪ツェイシュエの冷たい手を握り締め、目を輝かせている。そんなふたりを見守っていた碧雲ビーユンは、心の中で突っ込むしかない。

(ちょっと待て、そんな約束を軽々しくして大丈夫なのか!?)

 少し元気になった夫人は良いとして、部屋を出た後にその問いを本人にぶつける。翠雪ツェイシュエは大扇を広げて口元を隠すと、にやりと笑みを浮かべた。自分の考察が、ほぼ合っていたことを喜んでいるに違いない。

 もう怒る気も失せて、碧雲ビーユンは黙って後ろを付いて行く。解決するならそれに越したことはないが、どうも目の前の者は、その過程を楽しんでいるように思えてならない。

 あの道士と一緒にいるだろう主のことが、ふと脳裏を過った。


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