上 下
17 / 50
第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。

1-16 その出遭いは幸運か、それとも?

しおりを挟む


その宮殿の庭は、まるでそこだけ人界にいるような錯覚になった。白と赤の花を基調とした、統一感のある美しい庭で、小さな池も趣がある。この宮殿の主は、風情のわかる人物のようだ。

 大扇を手に持ちながら、ふと、足元に咲く白い花に目がいった。ひとつの房にいくつもの小さな白い花を咲かせており、名は知らないが、単純に可愛らしいと思えた。

 不自然なことに、他の花や木々は同じような種類がいくつも植えられているのに、この花だけはぽつんと一輪だけ咲いており、しかしながら大事にされている事だけは、その周りの状態を見ればわかる。

(けれども、この魔界でこんなに見事な庭を見ることができるなんて、思いもしませんでした。これだけでも遊びに来た甲斐がありましたね、)

 口許を緩め、翠雪ツェイシュエは可愛らしい花に微笑みかける。鬼谷きこくは底も見えない深い谷の下、崖の間に造られているため、燈はすべて赤や青の鬼火の入った灯篭や提灯しかなく、陽の光など届かない。

 もちろん、植物など育つはずもなく、観賞用に摘んで来たものも長くは持たない。

 魔界も同じようなもので、常に暗い雲が空を覆っており、時折光る雷光が唯一の空から齎される光なのだ。この庭がどういう仕組みでこのような見事な状態を保っているのか、ぜひとも主に訊ねてみたいものだ。

 宮殿内に入ると、護衛の武官たちや忙しくしている宮女たちとすれ違った。彼ら彼女らの会話を聞くに、ここは黑蝶ヘイディェ殿という場所で、第七皇子の住まいらしい。

 そして、皇子の母、つまり大王の妃のひとりであるこの宮殿の主は、体調が優れないようで、自室で療養中とのことだ。

(魔界の皇子に恩を売るのも悪くないですね、)

 一応、生前は仙人を目指して日々修行に明け暮れ、その合間に丹薬たんやくの研究していた過去を持つ翠雪ツェイシュエは、鬼になってからも煉丹れんたんは続けていた。

 煉丹れんたんとは、神仙しんせんになることを目的として作られる丹薬たんやくを、様々な原料を組み合わせて作る技術のことで、よっぽどの知識がないとその成果は得られない。そもそもなぜ彼が鬼谷きこくに落とされたのか。

 それは、優秀すぎたからというのも理由のひとつだろう。周りの道士たちの妬みや嫉みを物ともせず、我が道を突き進んだ結果、丹薬の秘伝書を書き上げた。

 しかしその秘伝書を巡って同門で争いが起き、属していた門派の、信頼していた掌門しょうもんさえも敵となってしまう。翠雪ツェイシュエは掌門が率いる道士たちに谷に追い込まれ、秘伝書の在り処を問い詰められる。

 元々同門たちには、歯に衣着せぬ物言いと、その天賦の才能故に煙たがられていた。

 一見すると中性的でおっとりとしており、物腰は柔らかく穏やかなのだが、彼の周りと歩幅を合わせない唯我独尊な性格も災いして、その最悪の状況を招いてしまったのだ。

 そして、仕方なく秘伝書を彼らに譲った矢先、底の見えない鬼の棲み処、よりにもよって、鬼谷きこくの谷底へと落とされてしまったのだった。

 その後の事は先に語った通りである。

 あれから百数十年が経ち、彼も少しは大人になったかと思いきや、今回の魔界訪問である。

 妃の自室らしき場所に辿り着き、物怖じすることもなく扉をすり抜ける。便利な符を作ったものだ、と自画自賛し、妃が眠る天蓋付の寝台へと近付く。

 本来、魔族であっても赦されないだろう行為だが、翠雪ツェイシュエはまったく気にする様子もなく歩を進める。寝台で眠る顔色の悪い妃の顔を眺め、おや?と首を傾げた。

「このお方は、魔族と人間の混血のようですね」

 かつて、魔族と人間が共に暮らしていたという昔話がある。本当かどうかは今となっては不明だが、どちらが先に裏切ったのかは、当事者で見解が違う。魔族は人間が悪いと言い、人間は魔族が悪いと言う。水掛け論というやつだ。

 だが、中には良い関係を保っていた者たちもいた。その証が、混血の存在。彼ら彼女らはひっそりとひとの世で暮らしており、稀に魔族と違わぬ魔力を持って生まれる者もいるらしい。

 ただ身体は人間に近いので、ある程度歳を重ねても若さを保てるらしいが、本来の魔族が持つ再生能力や不死といった特徴はない。

 この童顔だが美しい妃からは、人間の匂いと魔族の気配が混ざって感じられた。

「······この症状、普通の病ではないですね、」

 翡翠の瞳を細めて、ぽそりと呟く。そんな中、部屋の扉がキィと音を立てて開かれる。

桃李タオリー兄上?」

 符の効果があるので見破られることはないと思っていたのに、背中に投げかけられた声に、思わず振り向く。

 その声は、まだ声変わりもしていないような少年の声で、まるで幻でも見たかのような顔で、こちらを真っすぐに見つめてきた。

 赤い瞳。魔王候補の皇子の証。幼さの残る容姿だが、すでに秀麗さが備わっているのが見てわかる。

 少年の表情は急にガッカリしたようなものに変わり、なんのことやら?と翠雪ツェイシュエは首を傾げた。

 その隣にいる青年、いや、鬼の護衛らしき青年には、自分の事は見えていないらしく、怪訝そうに的外れな方向を見ていた。

 仕方ない、と翠雪ツェイシュエは符を破り、ふたりの前に姿を晒す。

「な、いつの間に!貴様、どこから入って来た!妃嬪ひひん様になにを······ちょっ、藍玉ランユー様?」

「あなたは、誰?」

 護衛の青年を右腕で制して、黒衣の少年が一歩前に出る。そう言えば、桃李タオリー兄上、と自分を見るなり呟いていた。

 今は先程までの動揺を隠して、冷静な表情で訊ねてくる。知り合いにでも似ていたのだろうか。

「どうも、はじめまして。私は鬼界きかい鬼谷きこく谷主こくしゅ、名をー翠雪ツェイシュエと申します」

「鬼谷?谷主?あ、鬼ってことは、碧雲ビーユンと一緒?」

 斜め上に後ろにいる護衛の青年を見上げ、少年は敵意などまったくない瞳で訊ねてくる。

 その碧雲ビーユンという者の事は知らないが、少年の後ろにいる彼がそうだろう。確かに、彼は鬼。
 しかし、なぜ魔族の皇子の護衛など?

「えっと、翠雪ツェイシュエさんは、なにしにここへ?母上に何か用?」

「ああ、この方に用はありません。ありませんが、あなたの母君はとても深刻な状態のようです。正しい治療をして差し上げた方が良いですよ?」

 後ろで眠る少年の母に視線だけ向けて、翠雪ツェイシュエはにっこりと笑みを浮かべる。

 魔族の中に医師がいるのかは不明だが、見つかってしまった今の状況ならば、交渉をするにはもってこいだろう。

「貴様のような者に何がわかるというのだ!そもそも妃嬪ひひん様のことは、関係ないだろう!」

「ちょっと待って、碧雲ビーユン。僕、このひとの話が聞きたい」

 声を荒げる碧雲ビーユンに対して、藍玉ランユーと呼ばれた少年が落ち着いた声でこちらを見上げて来る。喧しい従者と違い、この皇子は話がわかるようだ。

「ここの医師がどう診断したかは知りませんが、この薬では一生治らないどころか、症状を悪化させるだけでしょうね」

 寝台の横に置いてある棚の上の白い包みを手に取り、くん、と匂いを嗅ぐ。これがなんであるか、彼らは本当に知らないらしい。となれば、こちらの要求も通りやすくなるだろう。

「どこで呑まされたのか知りませんが、彼女の中にむしがいるようです。魔界で蠱毒こどくを作るとすれば、魔蟲まちゅうの掛け合わせでしょう。解毒剤がないと、いずれ死にますよ?」

 ふたりの気持ちなど知らない翠雪ツェイシュエは、不穏な言葉を包むこともせず、はっきりと言い放つ。案の定、信じられないという顔で、ふたりは呆然とその場に立ち尽くしていた。

 その微妙な空気は感じていたが、またやってしまったかも、と翠雪ツェイシュエは心の中で反省する。だがすべて本当のことなので、遠回しに言おうが結果は同じ。言い換えるのも面倒だったのだ。

「私なら、なんとかできなくも、ないですけど?」

 指に挟んでいた薬を戻し、大扇を広げた翠雪ツェイシュエは、隠した口元に笑みを浮かべる。その瞳は、どこまでも穏やかで優し気。しかしその心の内は、誰にも読めないのだ。

「母上を助けてくれるのなら、どんな要求でも呑む。なにをすればいい?」

 藍玉ランユーが口を開く。碧雲ビーユンはそれに対して、かなり不服そうな顔をしていた。

 その答えに満足げに微笑むと、翠雪ツェイシュエはふたりに対して、ある提案をするのだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

大好きなBLゲームの世界に転生したので、最推しの隣に居座り続けます。 〜名も無き君への献身〜

7ズ
BL
 異世界BLゲーム『救済のマリアージュ』。通称:Qマリには、普通のBLゲームには無い闇堕ちルートと言うものが存在していた。  攻略対象の為に手を汚す事さえ厭わない主人公闇堕ちルートは、闇の腐女子の心を掴み、大ヒットした。  そして、そのゲームにハートを打ち抜かれた光の腐女子の中にも闇堕ちルートに最推しを持つ者が居た。  しかし、大規模なファンコミュニティであっても彼女の推しについて好意的に話す者は居ない。  彼女の推しは、攻略対象の養父。ろくでなしで飲んだくれ。表ルートでは事故で命を落とし、闇堕ちルートで主人公によって殺されてしまう。  どのルートでも死の運命が確約されている名も無きキャラクターへ異常な執着と愛情をたった一人で注いでいる孤独な彼女。  ある日、眠りから目覚めたら、彼女はQマリの世界へ幼い少年の姿で転生してしまった。  異常な執着と愛情を現実へと持ち出した彼女は、最推しである養父の設定に秘められた真実を知る事となった。  果たして彼女は、死の運命から彼を救い出す事が出来るのか──? ーーーーーーーーーーーー 狂気的なまでに一途な男(in腐女子)×名無しの訳あり飲兵衛  

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

配信ボタン切り忘れて…苦手だった歌い手に囲われました!?お、俺は彼女が欲しいかな!!

ふわりんしず。
BL
晒し系配信者が配信ボタンを切り忘れて 素の性格がリスナー全員にバレてしまう しかも苦手な歌い手に外堀を埋められて… ■ □ ■ 歌い手配信者(中身は腹黒) × 晒し系配信者(中身は不憫系男子) 保険でR15付けてます

つのつきの子は龍神の妻となる

白湯すい
BL
龍(人外)×片角の人間のBL。ハピエン/愛され/エロは気持ちだけ/ほのぼのスローライフ系の会話劇です。 毎週火曜・土曜の18時更新 ―――――――――――――― とある東の小国に、ふたりの男児が産まれた。子はその国の皇子となる子どもだった。その時代、双子が産まれることは縁起の悪いこととされていた。そのうえ、先に生まれた兄の額には一本の角が生えていたのだった……『つのつき』と呼ばれ王宮に閉じ込められて生きてきた異形の子は、成人になると同時に国を守る龍神の元へ嫁ぐこととなる。その先で待つ未来とは?

【黒竜に法力半減と余命十年の呪いをかけられましたが、謝るのは絶対に嫌なので、1200の徳を積んで天仙になります。】中華風BL

柚月 なぎ
BL
✿第12回BL大賞参加作品✿  黒竜に踏み潰されそうになっていた白蛇を助けた櫻花は、黒竜の怒りを買い、法力が半分になった上、余命十年の呪いをかけられてしまう。  地に頭を付いて謝れば赦してやると黒竜は言うが、櫻花は「私は間違っていないので、謝りません」ときっぱり笑顔で吐き捨てたことにより、ふたりの関係は最悪な方向に。  そんなやり取りから数年後、櫻花の前に不思議な雰囲気を纏う白髪の青年、肖月が現れる。肖月は、あの時助けられた白蛇であることを告げると、あろうことか櫻花に口付けをし、主従の契約を結んでしまう。  余命僅かの櫻花が生き永らえるためには、1200の徳を積んで天上に昇り天仙になるか、もしくは黒竜に謝るしかない。  持ち前の"運の良さ"を武器に、世のため人のために尽くす地仙と、命を救われた恩を返したい、白蛇の化身。  果たして、櫻花は天仙になり、余命十年の呪いを断ち切れるのか――――。  マイペースだが天才肌の地仙と、彼の呪いを解きたい白蛇の物語。 ※この作品はカクヨムさんでも公開している作品です。

腐男子ですが、お気に入りのBL小説に転移してしまいました

くるむ
BL
芹沢真紀(せりざわまさき)は、大の読書好き(ただし読むのはBLのみ)。 特にお気に入りなのは、『男なのに彼氏が出来ました』だ。 毎日毎日それを舐めるように読み、そして必ず寝る前には自分もその小説の中に入り込み妄想を繰り広げるのが日課だった。 そんなある日、朝目覚めたら世界は一変していて……。 無自覚な腐男子が、小説内一番のイケてる男子に溺愛されるお話し♡

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

処理中です...