2 / 50
第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。
1-1 お金がない
しおりを挟むこの土地の初代の領主が作らせたという立派な水路。水が豊富なこの町は、様々な農作物を春夏秋冬作り、町の中だけでなく周辺の村や町に対しても商いを行っていた。
そのため、ひとが絶えず行き交っているような、商人や行商の多い、賑やかしい町なのである。
市井は、町の者たちが暮らす居住区と、様々な店が軒を連ねる商業区に分けられており、町の奥に在る、ひと際目立つ立派な建物が、この地を治める領主の邸らしい。
様々な出店とそこに集まった人々で賑わう市井の路を歩く、見目麗しい目立つ三人の青年たちがいた。ひとりが前を歩き、ふたりはその後ろをそれぞれ違う足取りでついて行く。
真っ赤な林檎を宙に放りながら、秀麗で人当たりの良さそうな若い青年が、機嫌よく鼻歌を歌っていた。鳶色の瞳は穏やかだが、どこか涼やかでもあり、万人に好かれそうな印象を受ける。
彼のすぐ後ろを歩く、ふたりの青年たちよりも背が低く細身で、見た目は十八歳くらい。少し癖のある長い黒髪を、琥珀の玉飾りの付いた紅色の髪紐で括り、右肩に垂らしていた。
白い上衣の上に、どこにいてもすぐにみつけられるだろう、膝までの長さの紅色の衣を重ねて纏っている。衣の隙間から覗く黒い下衣。紅色の衣の上に、模様の入った上質な白い帯を巻いていた。
黒い靴をカツカツ鳴らしながら歩くその青年は、どこかつかみどころのなさそうな雰囲気もあった。
歩く度に揺れる、両耳に下がっている小さな紅い玉の付いた、耳飾りが目に付く。
「食べ物で遊んでいないで、ひとの話をちゃんと聞いてください」
前を軽快に歩く青年に対して、三人の中で一番背の高い二十五歳くらいの青年が、瑪瑙色の切れ長の眼を細め、さらに眉間に皺を寄せて口を尖らせる。
肩くらいまでの黒髪を、頭の天辺でお団子にしてきっちりと括っており、真ん中分けの前髪は、彼の生真面目そうな性格がそうさせているのか。
その青年は紺色の上衣下衣に赤い帯をし、腰から白い布を垂らしている。彼は他のふたりよりも、比較的自由の効く動きやすそうな格好をしていた。
手首に銀色の籠手、腰に宝剣を佩き、背中に黒い弓と矢筒を背負っている様子から、武人か護衛、もしくは武芸に優れた侠客のようだ。
「ちゃんと聞いてるよ、碧雲。お金を稼ぐ方法を考えるんでしょ?お金がないと、人の世では生きていけないんだもんね、」
お金がなければ、この林檎ひとつ手に入れるのも、ままならないのだ。ちなみにこの真っ赤な林檎は、年上の優しいお姐さんに、タダで貰ったものだった。
店先でちょっとした揉め事があり、世間知らずでお節介な性格の青年が、迷わずに首を突っ込んだ結果、余計にややこしい事になったのだが、有能なふたりの従者が上手く事を治めたのだ。
「嫌ですよ、私。重労働とか、無理ですからね。爪が汚れるのは御免です」
そしてもうひとり、二十歳くらいの中性的な容姿と声を持つ美しい青年が、黒く染めた左の指の爪を眺めながら、扇いでいた大扇を止めてうんざりした顔で言う。翡翠色の瞳が、明らかに面倒くさそうな色を浮かべているのがわかる。
背中まである茶色い髪を、右側のひと房だけ三つ編みにしていて、他は背中に垂らしているその青年は、黒く塗った爪が特徴的で、白い道袍の上に若草色の衣を纏っている。
その姿は有名な門派の名のある道士のようだが、言っていることは、まるで名家の我が儘な箱入りお嬢様だ。
「あはは。じゃあどうしようか?僕たちができることと言ったら、大道芸人か、妖魔退治くらい?」
「大道芸人····?」
呆れた顔で碧雲が嘆息する。
「藍玉様、あなたが何を考えているかは知りたくもありませんが、俺たちは訳ありなんですから、あまり目立ったことはせず、さっきのような厄介事に首を突っ込んだりせず、なるべく大人しくしていることを提案します」
「えー。やだよ。せっかくこんな賑やかな町にいるのに。翠雪はどう?お金ってどうやったらたくさん稼げるか知ってる?」
藍玉は林檎を投げて翠雪に答えを求める。飛んで来た赤い紅玉を片手で掴み、その瑞々しそうな果物を眺めて笑う。
「簡単です。お金を増やすなら、賭け事で勝つのが一番ですよ。私は運が良いので、絶対に負けませんしね。でもまあ、そこの堅物殿が許さないでしょうけど」
ぽいっと今度は隣にいる碧雲に林檎を放る。それを受け取って、当たり前だ!と怒鳴ると、ますます彼の眉間の皺が増えた。
「じゃあ、やっぱり僕の提案が妥当かな。あ、妖魔退治の方ね」
碧雲はこちらを振り向いて笑みを浮かべる主の手に、そっと林檎を落とす。戻って来たその赤い実を懐に納め、藍玉は再び前を向く。
妖魔、とは。
魔界を棲み処とする魔族の中でも格下の存在で、ひとの形を成していない者が多い。どこか歪で、悍ましい姿の魔物である。
それらは主がいて、その指示で動いている者もいれば、人間を喰らうために、勝手気ままに悪さをしている者もいるので、ある意味この人界ではよく知れた存在であった。
もちろん、人界もそんな好き勝手をしている存在を野放しにして、呑気に構えているわけでもなく、いくつもの門派が各地に道士を派遣し、妖魔退治を生業としている。
彼ら彼女らは、人が強い恨みや想いを持ったまま亡くなった存在である、鬼界の鬼や、魔界の魔族や妖魔を、浄化したり封じるのが仕事である。
そんな人外の脅威と戦う道士たちが、唯一犯してはならないこと。それは、殺すこと、つまり"殺生"だった。真面目な門派で真面目に修行をした者たちは、その教えを固く守るので、ある意味不利な戦いを強いられることになる。
あくまでも、浄化するか封じるのが、道士が道士であるための条件であった。
「けれども今日の宿はどうするんです?今から都合よく、妖魔退治の依頼なんてないでしょうに。この辺りは、他の地に比べて穢れも少ないですし。ひと通り市井を回って来ましたが、特にそのような不穏な気配もありませんでしたけど、」
翠雪は閉じていた大扇を開き、再びゆらゆらと仰ぐ。
「そうだなぁ。僕たちの唯一の財産は、この林檎だけかぁ」
懐に納めた林檎に視線を落とし、藍玉はうーんと顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「よし、良いこと思いついた。この林檎を使って、今日の宿を見つけよう」
言って、人懐っこい笑みを浮かべた藍玉。
何が、どう良いことなのか。その林檎で宿に泊まるなど、まず不可能だろう。
主の考えが全く理解できないふたりは、しばし目を丸くして立ち尽くすのだった。
10
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら
風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」
伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。
男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。
それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。
何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。
そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。
学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに!
これで死なずにすむのでは!?
ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ――
あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?
完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!
音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。
頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。
都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。
「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」
断末魔に涙した彼女は……
転生おばさんは有能な侍女
吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした
え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀?
転生おばさんは忙しい
そして、新しい恋の予感……
てへ
豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!
平民と恋に落ちたからと婚約破棄を言い渡されました。
なつめ猫
恋愛
聖女としての天啓を受けた公爵家令嬢のクララは、生まれた日に王家に嫁ぐことが決まってしまう。
そして物心がつく5歳になると同時に、両親から引き離され王都で一人、妃教育を受ける事を強要され10年以上の歳月が経過した。
そして美しく成長したクララは16才の誕生日と同時に貴族院を卒業するラインハルト王太子殿下に嫁ぐはずであったが、平民の娘に恋をした婚約者のラインハルト王太子で殿下から一方的に婚約破棄を言い渡されてしまう。
クララは動揺しつつも、婚約者であるラインハルト王太子殿下に、国王陛下が決めた事を覆すのは貴族として間違っていると諭そうとするが、ラインハルト王太子殿下の逆鱗に触れたことで貴族院から追放されてしまうのであった。
よくある婚約破棄なので
おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。
その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。
言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。
「よくある婚約破棄なので」
・すれ違う二人をめぐる短い話
・前編は各自の証言になります
・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド
・全25話完結
【完結】出て行ってください! 午前0時 なぜか王太子に起こされる
ユユ
恋愛
えっと……呪いですか?
うちに関係ありませんよね?
は? 私が掛ける訳がないじゃないですか。
っていうか、迷惑だから出て行ってください。
ある日突然 午前0時に王太子殿下が
私の部屋に現れるようになった話。
いや、本当 他所に行ってください!
* 作り話です。
* 大人表現は少しあり、R指定ほどは無し。
* 完結保証あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる