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第一章 第七皇子は平穏に暮らしたいので、死んだことにします。

1-1 お金がない

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 この土地の初代の領主が作らせたという立派な水路。水が豊富なこの町は、様々な農作物を春夏秋冬作り、町の中だけでなく周辺の村や町に対しても商いを行っていた。

 そのため、ひとが絶えず行き交っているような、商人や行商の多い、賑やかしい町なのである。

 市井しせいは、町の者たちが暮らす居住区と、様々な店が軒を連ねる商業区に分けられており、町の奥に在る、ひと際目立つ立派な建物が、この地を治める領主の邸らしい。

 様々な出店とそこに集まった人々で賑わう市井しせいの路を歩く、見目麗しい目立つ三人の青年たちがいた。ひとりが前を歩き、ふたりはその後ろをそれぞれ違う足取りでついて行く。

 真っ赤な林檎を宙に放りながら、秀麗で人当たりの良さそうな若い青年が、機嫌よく鼻歌を歌っていた。鳶色の瞳は穏やかだが、どこか涼やかでもあり、万人に好かれそうな印象を受ける。

 彼のすぐ後ろを歩く、ふたりの青年たちよりも背が低く細身で、見た目は十八歳くらい。少し癖のある長い黒髪を、琥珀の玉飾りの付いた紅色の髪紐で括り、右肩に垂らしていた。

 白い上衣の上に、どこにいてもすぐにみつけられるだろう、膝までの長さの紅色の衣を重ねて纏っている。衣の隙間から覗く黒い下衣。紅色の衣の上に、模様の入った上質な白い帯を巻いていた。

 黒い靴をカツカツ鳴らしながら歩くその青年は、どこかつかみどころのなさそうな雰囲気もあった。

 歩く度に揺れる、両耳に下がっている小さな紅い玉の付いた、耳飾りが目に付く。

「食べ物で遊んでいないで、ひとの話をちゃんと聞いてください」

 前を軽快に歩く青年に対して、三人の中で一番背の高い二十五歳くらいの青年が、瑪瑙色の切れ長の眼を細め、さらに眉間に皺を寄せて口を尖らせる。

 肩くらいまでの黒髪を、頭の天辺でお団子にしてきっちりと括っており、真ん中分けの前髪は、彼の生真面目そうな性格がそうさせているのか。

 その青年は紺色の上衣下衣に赤い帯をし、腰から白い布を垂らしている。彼は他のふたりよりも、比較的自由の効く動きやすそうな格好をしていた。
 
 手首に銀色の籠手こて、腰に宝剣を佩き、背中に黒い弓と矢筒を背負っている様子から、武人か護衛、もしくは武芸に優れた侠客のようだ。

「ちゃんと聞いてるよ、碧雲ビーユン。お金を稼ぐ方法を考えるんでしょ?お金がないと、人の世では生きていけないんだもんね、」

 お金がなければ、この林檎ひとつ手に入れるのも、ままならないのだ。ちなみにこの真っ赤な林檎は、年上の優しいお姐さん・・・・に、タダで貰ったものだった。

 店先でちょっとした揉め事があり、世間知らずでお節介な性格の青年が、迷わずに首を突っ込んだ結果、余計にややこしい事になったのだが、有能なふたりの従者が上手く事を治めたのだ。

「嫌ですよ、私。重労働とか、無理ですからね。爪が汚れるのは御免です」

 そしてもうひとり、二十歳くらいの中性的な容姿と声を持つ美しい青年が、黒く染めた左の指の爪を眺めながら、扇いでいた大扇を止めてうんざりした顔で言う。翡翠色の瞳が、明らかに面倒くさそうな色を浮かべているのがわかる。

 背中まである茶色い髪を、右側のひと房だけ三つ編みにしていて、他は背中に垂らしているその青年は、黒く塗った爪が特徴的で、白い道袍の上に若草色の衣を纏っている。

 その姿は有名な門派の名のある道士のようだが、言っていることは、まるで名家の我が儘な箱入りお嬢様だ。

「あはは。じゃあどうしようか?僕たちができることと言ったら、大道芸人か、妖魔退治くらい?」

「大道芸人····?」

 呆れた顔で碧雲ビーユンが嘆息する。

藍玉ランユ―様、あなたが何を考えているかは知りたくもありませんが、俺たちは訳あり・・・なんですから、あまり目立ったことはせず、さっきのような厄介事に首を突っ込んだりせず、なるべく大人しくしていることを提案します」

「えー。やだよ。せっかくこんな賑やかな町にいるのに。翠雪ツェイシュエはどう?お金ってどうやったらたくさん稼げるか知ってる?」

 藍玉ランユ―は林檎を投げて翠雪ツェイシュエに答えを求める。飛んで来た赤い紅玉を片手で掴み、その瑞々しそうな果物を眺めて笑う。

「簡単です。お金を増やすなら、賭け事で勝つのが一番ですよ。私は運が良いので、絶対に負けませんしね。でもまあ、そこの堅物殿が許さないでしょうけど」

 ぽいっと今度は隣にいる碧雲ビーユンに林檎を放る。それを受け取って、当たり前だ!と怒鳴ると、ますます彼の眉間の皺が増えた。

「じゃあ、やっぱり僕の提案が妥当かな。あ、妖魔退治の方ね」

 碧雲ビーユンはこちらを振り向いて笑みを浮かべる主の手に、そっと林檎を落とす。戻って来たその赤い実を懐に納め、藍玉ランユ―は再び前を向く。

 妖魔、とは。

 魔界を棲み処とする魔族の中でも格下の存在で、ひとの形を成していない者が多い。どこか歪で、悍ましい姿の魔物である。

 それらは主がいて、その指示で動いている者もいれば、人間を喰らうために、勝手気ままに悪さをしている者もいるので、ある意味この人界ではよく知れた存在であった。

 もちろん、人界もそんな好き勝手をしている存在を野放しにして、呑気に構えているわけでもなく、いくつもの門派が各地に道士を派遣し、妖魔退治を生業としている。

 彼ら彼女らは、人が強い恨みや想いを持ったまま亡くなった存在である、鬼界の鬼や、魔界の魔族や妖魔を、浄化したり封じるのが仕事である。

 そんな人外の脅威と戦う道士たちが、唯一犯してはならないこと。それは、殺すこと、つまり"殺生"だった。真面目な門派で真面目に修行をした者たちは、その教えを固く守るので、ある意味不利な戦いを強いられることになる。

 あくまでも、浄化するか封じるのが、道士が道士であるための条件であった。

「けれども今日の宿はどうするんです?今から都合よく、妖魔退治の依頼なんてないでしょうに。この辺りは、他の地に比べて穢れも少ないですし。ひと通り市井しせいを回って来ましたが、特にそのような不穏な気配もありませんでしたけど、」

 翠雪ツェイシュエは閉じていた大扇を開き、再びゆらゆらと仰ぐ。

「そうだなぁ。僕たちの唯一の財産は、この林檎だけかぁ」

 懐に納めた林檎に視線を落とし、藍玉ランユ―はうーんと顎に手を当てて考える素振りを見せる。

「よし、良いこと思いついた。この林檎を使って、今日の宿を見つけよう」

 言って、人懐っこい笑みを浮かべた藍玉ランユ―
 何が、どう良いことなのか。その林檎で宿に泊まるなど、まず不可能だろう。

 主の考えが全く理解できないふたりは、しばし目を丸くして立ち尽くすのだった。



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