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第十八話 ふたりの道士
しおりを挟むあれから二年の月日が流れた。
風明山での生活にも慣れたもので、陽は桶を抱えて水を汲みに行った帰り、いつものように門下弟たちの息の合った修練の様子を横目で眺めつつ、別棟へと向かっていた。そんな中、ある噂を耳にする。それは、十年ほど前から閉関していた掌門の弟が、近々戻ってくるという噂だ。
閉関とは簡単に言ってしまえば、他者との交流を断って己の修行に専念することである。この山には閉関に適した龍脈があり、その太く大きな気の流れを取り込むことで、より強い力を得ることができるとかなんとか。陽は書物で得た知識を思い返しながら、「ふーん」と特に興味がない素振りで通り抜けつつ、聞き耳はしっかりと立てていた。
「風獅様がこの門派をひとりで大きくしていた時に、氷鷹様はずっと閉関していたらしい。確か、清風様が亡くなったのもその頃だった気がするが、余程の覚悟がなければ十年も閉関なんてできないさ」
「そんなすごい御方が合流するとなれば、この風明派はさらに門下弟が増えて大きくなるんじゃないか? 俺もぜひご指導いただきたいものだ」
俺も、私も、と道士たちが頷きながら期待を胸に声も自然と大きくなる。
「は? 馬鹿な夢は抱かない方がいい。お前たちみたいな底辺の道士や魔物の一匹も倒せない門下弟が、そんなすごい御方に指導などしてもらえるわけがないだろう!」
「慶明の言う通りですよ。残念ながら、あなたたちなど相手にすらしてもらえないでしょうね」
道士たちが盛り上がっている中、そのひと言で場の空気が一気に不穏になる。正直な話、皆が皆、本気にしていたわけではなく、夢を語るように面白がっていただけだったからだ。そこに現実的でしかも嫌な言い方をしてきたふたりに、周囲はかなり引いていた。
(あれ? ····あの道士たちって確か、)
陽はこそこそと人だかりの間からそっと覗き見し、空気の読めないふたりの顔を見て嫌な思い出が甦る。あれはひと月ほど前だったか。珍しく翠雪が外の空気を吸いたいと、陽と天雨と共に町に出かけようとしていた時だった。
山を下りるには門を通らないといけないため、どうしても他の道士たちと顔を合わせることになる。丁度、門の前まで来た時に、外から戻って来た討伐隊と鉢合わせをしたのだった。
「呑気なもんだな、劣等生のくせに。修練もせずに、金魚の糞みたいに師の後ろを付いて回るとは。風獅様もとんだお荷物を拾って来たものだ。しかもあの疫病神を師と仰いでいるのだから、本気で同情する」
天雨を見るなり開口一番にそう嫌味を言って来たのは、慶明という道士だった。門派の中でもその性格の悪さから、他の道士たちにも嫌われているのだが、なぜか取り巻きは多いという色んな意味で問題児のひとりだ。
「それは流石に失礼でしょう。一応、首席道士である翠雪殿を疫病神だなんて。風獅様のお気に入りである彼にそんなことを言ったら、告げ口されてしまいますよ?」
わざわざ言葉を選んで嫌なことを言ってくるこの道士は、栄莱。見た目は優しそうだが、性格の悪さは慶明以上だろう。
どちらも可もなく不可もない容姿で、その実力も天雨には遠く及ばない。それを知らないふたりは、修練の際に手を抜きまくっていた天雨の印象だけでそこまで言っているのだった。討伐隊はこのふたりを中心に集められた者たちのようで、くすくすと笑い声が起こった。おそらく、風獅が気を遣って編制したのだろう討伐隊だと、察することができる。
陽は「さっさと行ってくれないかな」と心の中でうんざりしていたが、そんな中、慶明があろうことか翠雪の前にわざわざやって来て見下ろし、不敵な笑みを浮かべた。見た目の年齢的には二十代半ばくらいか、もう少し上だろうか。もしかしたら同期とかなのかもしれない。
陽はハラハラとしながらその様子を見守るが、空気の読めない慶明が翠雪の右手首を強く掴み、強引に自分の方へと引き寄せた。細身で軽い翠雪は、それによって前のめりになる。
「こんな細腕で、この風明派の師を名乗るだなんて。身に余る地位なんじゃないか? お前が首席道士だなんて、俺は絶対に認めないぞ」
その発言に対して、翠雪が何か言うわけでもなく、心ここにあらずという感じで遠くを見ているのがわかる。それとなく自分の横に立つ天雨を仰ぎ見れば、苛ついているのが目に見えてわかった。そんな中、はあ、と翠雪が大きくため息を吐き出す。
「首席道士というのは、あなたに認められてなるものではなく、皆が受ける試験を受けた結果、数年間首席になっているだけの話です。つまり、私ごときに勝てないあなたが、認めようが認めなかろうが、これに関してなにも影響がないということ」
左手に持った大扇を扇ぎながら、目も合わせずに面倒くさそうに呟く翠雪に、慶明の蟀谷に青筋が浮かぶ。正論を言われて、逆に腹が立ったのだろう。掴んだ手首を掲げるように持ち上げ、翠雪は地面に対して爪先立ちになる。
「首席道士なら、俺から逃げることくらい簡単だろう? 自力で抜け出して見ろよ」
「····どうでもいいんですが、あなた誰ですか? 年上のように見えますが、だったとしても初対面のひとに対して、この行為は失礼なのでは?」
え? とその場にいた全員の頭に「?」が浮かぶ。明らかに慶明が知っている風だったので、周りにいた者たちもその雰囲気から、ふたりは因縁の仲かなにかだと思っていたはずだ。天雨でさえ、この瞬間までそう思っていた。天雨自身も他の道士たちと一緒に修練をしていた頃は、慶明や栄莱の態度は目に余っていたからだ。
色んな意味でこの門派における腫瘍のようなふたりだ。翠雪がほとんど外に出ないといっても、一応彼らは上級道士。ただでさえ悪目立ちする上に、そもそも目立ちたがりなふたりなのだ。天雨が弟子入りした後も、妖魔の討伐で何度か顔を合わせたことはあったはずだが····。
「つ、強がりも大概にしてくださいよ。この前も討伐で一緒だったじゃないですか! 私たちの道士としての優秀さはその目で見ていたでしょう? あなたはいつも通りなにもしていなかったとしても!」
「ああ、あの討伐部隊にいたんです? すみません、あの時は考え事をしていたのでまったく憶えてません。先日はお疲れさまでした。大きな怪我もなく、無事に帰還できて良かったですね」
大扇の奥でにっこりと微笑んで、翠雪は栄莱を労うような言葉をかけた。余裕の笑みを浮かべていた栄莱の蟀谷にも、うっすらと青筋が浮き、その笑みが引きつり始める。これでは後ろにいる弟弟子や下級道士たちに示しがつかない。
「まさか····本当に憶えてないのか······お前がここに来た時から、俺たちはずっと知ってるって言うのに? 師としての地位を与えられるまで、毎回顔を合わせる度にお前に絡んでいたのに?」
「すみません、ひとの顔や名前を憶えることほど無駄なことはなくて。興味があれば憶えれられたかもしれないのですが。おそらく、あなた方はそれに値しない、私にとって特に得るもののない存在だったのでしょう」
自分の好敵手と思い込んでいた翠雪に、悪気もなくそう言い切られてしまった慶明は、地面に沈む。解放された翠雪は大扇をしまい、強く掴まれていた手首に左手を添えてさすりながら、行きましょうと陽たちを促す。
気になってちらっと後ろの様子を見てみると、慶明を囲んで取り巻きたちが慰めているようだった。あんな輩のような者でも、一応慕われているのだろうか。それとも翠雪の言葉のおかげで同情されているのだろうか。どちらにしても、よく天雨が口を挟まなかったなぁと陽は感心する。
「翠雪さま、本当にあのひとたちのこと知らないんですか?」
どうしても気になったので翠雪に訊ねる。しかしその回答は訊くまでもなく、本当に興味の欠片もなかったんだろうなぁと、慶明たちに同情する陽なのであった。
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