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「司」
「あ、栄之助だ」
 放課後の廊下で栄之助が声をかけてきた。とりあえず学校では何もなかったように過ごそうと、いつも通りの返事をする。
「なぁ、今日バイトは?」
「え?ないけど……なんで?」
 突然の質問の意図が分からずに司は首を傾げた。栄之助は笑って言う。
「ちょっと付き合え」
「えぇ……」
(またぁ……?)
 司はげんなりした表情を見せたが、栄之助は有無を言わさぬ笑顔で司の腕を引く。司は小さくため息をつくと、渋々彼の後に続いた。
(結局セックスしちゃうんだよね……まあ別にいいんだけど…キモチイイし…)
 ただそれだけの関係だ。司の中ではムカつく幼なじみからセフレに昇格したに過ぎない。栄之助は司の彼氏でも何でもないのだ。
(…と言うか、僕たち男同士だし、彼氏も何も…でもセフレってどういう括りに入るのかな?)
 司はそんなことをぼんやり考えながら歩いていた。しかし、栄之助が立ち止まったことで思考が中断される。
「ここ?」
「ああ」
 そこは街の中心部にあるカフェだった。店内に入ると、雰囲気が良く落ち着いた音楽が流れていて、客層も若過ぎず大人過ぎずといった感じだ。メニューを見るとドリンクやスイーツの種類も多く、なかなかに魅力的だ。
(センスいい…ちぇっ…)
「好きなの頼めよ」
「な、なーに?奢ってくれたりすんの?」
 わざと冗談ぽくして逃げようとしたが、栄之助は「ああ」と短く答えるだけだった。司は困った表情を浮かべる。まるで本命の女の子にするようなシチュエーションではないか。
(……まさか、僕のこと本気で好きになったとかじゃないよね?)
 司は不安を覚えながらも、メニューに目を落とす。その様子を真正面からじっと見つめられて落ち着かない。
「えっと……じゃあ、このクリームブリュレとドリンクセットにしようかな」
「分かった。俺はコーヒーで」
 注文を終えたところで、栄之助が話を切り出した。
「なぁ、昨日のことなんだけど…」
「ん?ああ、映画ね!ま、刺激的だったけど」
 司は笑いながら答えた。セクハラとの戦いだったけど、思い返してみればハラハラして刺激的でちょっと楽しかったし悪くなかった。だけど、栄之助は真剣な顔で続ける。
「お前は嫌じゃないのか?」
(え……?)
 司は首を傾げた。どういう意味なのか理解できない。
(やだ、やめてよ…そんな真面目な顔で)
 まるで自分のことを好きだと錯覚しそうになる。司は少しだけ栄之助に視線を向けた。彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。その視線があまりにも真剣過ぎて、司は少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
「な、何が……?」
「俺と一緒にいることが」
「……っ!?」
(なんだよそれ……!?)
 栄之助は真顔で問い続けた。司は焦ったように目を泳がせる。そして彼の視線から逃れるように俯いてしまった。
(なんでそんなこと聞くの?だって僕たちずーっと小さい頃からケンカして……)
「そ、そんな聞き方ずるくない!?」
 司は顔を真っ赤にして聞き返すが、栄之助は眉ひとつ動かさない。ただじっと司を見つめているだけだ。その瞳には迷いなど微塵も感じられなかった。司はごくりと喉を鳴らし、恐る恐る口を開く。
「だ、だって僕たちは仲が悪かったんだよ?ケンカばっかりだったし……なのに突然なんなの?」
「俺はずっとお前が欲しかった」
「は……?」
(なに言ってんのこいつ……?)
 司は呆然と栄之助を見つめた。彼はまだ真剣な表情でこちらを見ている。その視線に耐えきれなくなり、司は目を逸らそうとする。
「…だって、あんな、その…」
 気恥ずかしさに言葉が詰まる。抱かれたら好きになるなんて、女の子じゃあるまいし。しかし栄之助は続ける。
「言ったろ?ガキの頃からお前が欲しかった」
「え、えぇ……?」
(いやいやいやいや!そんなの知らないよ!)
 司は混乱した。まさかずっと昔から彼に好かれていたなんて全く気付かなかったし、思いもしなかった。
「えっと……その……」
 司は目を泳がせながら口籠る。栄之助は黙ったままだ。司はしばらく沈黙に耐えていたが、やがて小さくため息をつくと口を開いた。
「……とりあえず、僕の気持ちも聞かずにあんなことしたのは許せないかな……」
(女の子扱いされてたのも……)
 司は頬を赤らめながら答えた。栄之助は不思議そうに首を傾げる。
「なんでだ?」
「なっ、なんでって……」
「家来た時点で同意したもんだろ」
「そ、それは……そうだけど……」
 司は反論できずに口籠った。確かに自分はあの行為を受け入れたわけだし、何なら楽しんでたとこもある。文句を言える立場ではないのかもしれないが、それでも納得できないものは納得できない。しかし栄之助は気にした様子もなく続ける。
「まあとにかく、俺はお前が欲しい。抱きたいし、死ぬほど甘やかしたいと思う」
「っ!う、うん……」
(なんかすごいこと言われた気がする……)
 司は顔を真っ赤にしながら栄之助の話を聞いていた。嬉しい気持ちもないわけではないが、それ以上に戸惑いが強い。というか今まで全然好意を持って接していなかったくせに突然態度を変えられると困惑してしまう。司が黙っていると栄之助が口を開く。
「で?」
「……え?なに?」
「返事はどっちなんだ?」
(き、きたぁ……!)
 司はぎゅっと拳を握る。
「か、考えさせて…?そんな、急に言われても……」
 司は口籠りながら言った。栄之助はふっと笑うと、司の頬に手を当て、顔を近づけてきた。唇が触れそうな距離に、司の心臓が跳ねる。
(えっ……!?キスされる……!)
 咄嗟に身を引こうとしたが、頬をがっちりと掴まれてしまったため身動きが取れなかった。司は観念してギュッと目を瞑る。
「っ……!」
 しかしいくら待っても唇に何かが触れる気配はなかった。恐る恐る目を開けると、栄之助はニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
「キスされると思った?」
「っ!?ち、ちがっ…!べ、別に期待なんてしてないし……!」
 司は顔を真っ赤にして反論する。しかし栄之助は愉快そうに笑うだけだ。司はムッとした表情を浮かべると、栄之助に背を向ける。
「もう、僕帰る」
「待てよ」
 栄之助が慌てて司の腕を引いた。そしてそのまま自分の胸に抱き寄せる。司の頰に柔らかいものが当たったかと思うと、チュッとリップ音が聴こえた。
「ひゃっ……!」
 司は慌てて身を引こうとするが、栄之助の腕の力が強く離れることができない。それどころか更に強く抱き締められてしまう。司は焦りながらも抵抗するが、びくともしなかった。
(くそっ……!力強すぎでしょ……!)
 司は心の中で悪態をついたが、栄之助は構わずに続けた。今度は司の額にキスをする。そして最後に鼻の頭にチュッと音を立ててキスをしたかと思うと、ようやく身体を離した。司は呆然としながら額を押さえて呟く。
「お、おま…信じらんな…」
「何意識してんだよ?女子同士だってやってるだろ?こんなん」
「そ、そうだけど……」
(でも男同士だよ!?しかも僕たち!)
 司は心の中で叫んだ。栄之助は意地悪そうに笑いながらこちらを見ている。
(なんか悔しい……!)
 司は少しムッとしながらも立ち上がった。そして彼のことを睨む。彼は余裕そうな顔で微笑んでいた。それがまた腹立たしい。
「…帰る」
「おう、また明日な」
 栄之助がひらひらと手を振っているのを見ながら店を出た。司は帰り道を歩きながら考える。
(どうしよう……)
 自分の気持ちが分からない。今までずっと栄之助は自分を嫌っていると思っていたし、自分も彼を嫌っていた。それが突然好きだと言われて戸惑うのは当然だ。しかも自分は男で、栄之助も男なのだ。
(でも……なんかちょっと、嬉しいかも……)
 栄之助の腕に抱かれた時の感覚を思い出し、司は小さく微笑んだ。しかしすぐに首を横に振る。
(いやいやいやいや!だめだろ!何考えてんの!?相手はあの栄之助だぞ!?)
 司は頭をぶんぶん振って考えを振り払うと、家まで全力で走った。
(わ…忘れよう…こんなの気のせいなんだから…!)
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