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最悪。風邪引いた。脇に挟んだ体温計が鳴り確認すると、37.5°という何とも微妙な数字を叩き出している。幸い少しぼーっとするくらいで、典型的な風邪の症状はまだ出ていない。実際今日も会社に行って、何の支障もなく仕事を終えた。
でもいつもと違うことが一つ。それは同居している咲耶さんこと「さくちゃん」が出張で明日の夜まで帰ってこないこと。俺ももう大人なんだから自分のことは自分で出来る。でも、しんどい時に1人っていうのは寂しいわけで。早めに寝ようと布団に入ってみるものの、いまいち上手く寝付けない。
(さくちゃんのお粥、おいしかったな…)
一年くらい前に風邪をひいた時の記憶が蘇る。椎茸とか人参とか、鶏肉とか。小さく小さく切って、食べやすいようにしてくれて。今日は特別って言って、ご飯と一緒にリンゴジュースを出してくれて。
今日もしも家に居たら、お粥、作ってくれたかな。布団の上からぽんぽんってしてくれたかな。
「…、」
すっごく胸がざわざわする。いつから俺はこんなに寂しがりになったのだろう。少し疲れが出た程度なのに、どうしようもなく甘えたい。
単に興味だった。さくちゃんの部屋に入って、布団に潜り込む。
(さくちゃんの匂い…)
いつも抱きつく時に鼻を掠める、少しスパイシーな香水の匂い。隣で大きな体積を占めているクマのぬいぐるみを抱きしめるとまた良い感じ。いつもはさくちゃんの隣に居て邪魔だってベッドから払い落とすけれど、今日限りは仲良くなれそう。
「あ、そーだ」
いいこと考えた。クローゼットを開けて、いつもさくちゃんが着ているパーカーを羽織ってみる。
「…おっきーなー…」
これが彼シャツってやつ?裾が手のひら一個分くらい余って、尻が隠れるぐらいに大きい。さくちゃんに抱きしめられてるみたいで、安心する。少し恥ずかしいような、後ろめたい感情を抱えながら、瞼を閉じた。
「ぅ゛~…」
頭痛い。熱い。喉痛い。昨日には全くといってなかった風邪の症状が、ドッと押し寄せてきた。汗もすごいし、体の節々が痛いし。
(…汗?)
思い返して違和感を抱く。汗って体中に纏わりついているものじゃなかったっけ。何で布団が濡れてるの?何でグジュグジュしてるの?それも、ズボンだけ。
ヒュッと息が漏れた。心臓が急にうるさい。だって、こんな失敗小学生でも中学生でもした記憶がない。何でこの歳になって今さら。とりあえず片付けないと。何で昨日自分の部屋で寝なかったんだろう。布団も、今着ているパーカーも、股に挟んで抱きしめていたクマも、全部全部濡れている。
体を起こしてベッドから降りる。どうやって洗濯したら良いのか。どうやったら元通りになるのか。震える手でシーツのチャックを開けるけど、中まで湿ってしまっている。どうすんのこれ。外側だけなら洗濯機に入れられたけど、こんな分厚いやつ、捨てるしかないじゃん。頭フラフラする。座ってるだけでも平衡感覚が曖昧で、地面がぐにゃぐにゃしてる。
(重っ…)
とりあえず、洗面所。いつもなら軽々持てる重さなのに、持とうとすると尻もちをついてしまって、端を引き摺るようにして布団を運ぶ。廊下を出て数歩なのに、それだけで息が上がる。
何からしたら良いか分かんなくて、立ち尽くす。とりあえず、パーカーを脱いで、洗面台に置いてぐしゃぐしゃと濯いだ。
しんどい。頭痛い。寝っ転がりたい。いつの間にか涙が滲んで水面に落ちた。目元が熱くて熱くて仕方ない。
(ふとん…どうしよ…)
まだ部屋に置いてある掛け布団は?クマさんは?訳が分かんなくなって、風呂場にシーツを被せたままの敷布団を持ち込んで、シャワーで汚れた部分を流すけど絶対間違ってる。
もう、全部無茶苦茶。泣いて解決なんてしない癖に、呼吸が引き攣って苦しい。さくちゃんの顔が浮かんでは消えて、また浮かんでは消えて。
帰ってきて欲しいけど帰ってきて欲しくない。ギュッて抱きしめて欲しいけど、怒られたくない。
(ちょっとだけ…きゅうけい…)
立ってるのも座ってるのも辛くて床に転がるともう、立ち上がれなかった。寝ている場合じゃないのに熱い瞼はどんどん閉じて、地面はふわふわして。ちょっとだけ。1時間だけ休憩してから考えよう、そう自分に言い訳して目を閉じた。
ドアが開く音で一気に意識が覚醒した。俺、ずっと寝てた。汚れ物、全部そのまんまにして。
「あれー日翔??会社はーー?」
さくちゃんだ。さくちゃんの声だ。頭はずっと真っ白で動けない。返事なんてできる訳ない。でも、どんどん足音はこちらに近づいてくる。
「日翔ー?あ、居た。どしたのこんなとこで…なにこの状況」
「ぁ、ぇ、と、…え、っと、」
ごめんなさいしないと。ちゃんと言わないと。そう思うのに日本語が分からなくなったみたいに言葉が出てこない。
「っ゛、ぅ、~…」
「なになに、どしたの。あ、これ俺の…」
洗面台の上に置きっぱのパーカーを手に取るさくちゃんは、怪訝な顔をしてこっちをみている。
言わないと。言わないと言わないと言わないと。
「…よごし、…ました、」
「熱ある?吐いちゃった?」
おでこに当たる手が気持ちいい。でもそうやって心配されるの、辛い。
「どしたの。怒んないよー言ってみ?」
立ち上がったさくちゃんは、閉めていた風呂場の扉を開けながら言う。
「あ、おねしょしちゃった?」
瞬間、ぼろりと熱いものが目から垂れた。
「っ゛、、」
おねしょ、その単語がどうしようもなく恥ずかしい。バレたのも、自分の口で言えなかったのも全部全部恥ずかしい。
「熱あるもん仕方ないよ。後やっとくから着替えて俺の部屋で寝ときな」
さくちゃんの部屋。背中を冷や汗が伝った。あのクマのぬいぐるみ、どうやって洗濯するんだろう。てか、時間経っちゃったからシミになってるじゃん。震える足で廊下を歩く。まださくちゃんは「俺の布団」を汚したって思ってる。見た目は一緒の布団だから、気づいていない。ましてやクマを抱いて小便をかけながら寝ただなんて思ってもいないだろう。
未だしっとりとした胴体。色はわかんないけど、もわりとしたアンモニア臭が部屋を埋めている。
どうしよう。これ。これは大学の頃の貰い物って言っていた。もしこれが非売品とかだったら。もし、人から貰ったものだったら。買い直してなんとかなるものじゃ無かったら?許してもらえなかったら?
「あれ、早く着替えに行かないと風邪ひくよ?」
咄嗟に手に持ってたクマを後ろに隠した。そんで、また自分が嫌になった。
「あれ…布団…」
「ぁ、ぇ、と、ここで、ねた、」
顔見れない。ちゃんと自分から言わないとダメなのに。謝るシミュレーションも何度もしたのに。いざ目の前にすると言葉が出てこない。
「ねた、の…失敗するっておもわなかった、」
違う。言い訳がましくしたいわけじゃない。
「こんなこと、なかった、するってわかってたら、ねなかった、」
ごめんなさい、何でその一言が言えないんだろう。何で、言いたくないことばっかり言っちゃうんだろう。
「さくちゃん、いなかったから、いたら自分のへやでねた、っ゛、」
「さびしかった?」
甘い、声。昨日からずっとずっと欲しかった声。喉がぐって詰まって苦しい。
「俺のパーカー着た?」
こくりと頷いたら、頭をガシガシと撫でられる。
「後ろに隠してるのはなぁに?」
正直に言えるかな?そう言いながら腕を摩るさくちゃんは、半分笑っている。まるで自分が隠し事をしている子供みたい。
「ごめ、ん、」
最後まで言えなかった。クマを差し出すしか出来なかった。なのに、ちゃんと言えたね、と頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「大丈夫よ~、クマさんすぐ綺麗になるからね~」
呼吸が引き攣って、涙がボロボロ溢れてくる。
「ニチカクン、ダイジョウブダヨ、ナイタラモットシンドイヨ」
泣き止めなかったからだろうか。クマの腕を振りながら突然高い声を出すさくちゃん。
「マタ、イッショニネヨウネ?ほらクマさんもこう言って…」
「っ、っふ、なにそれ、」
「だって、全然泣き止まないから…」
「っふふ、へん、なのっ、」
しゃくりあげるのは辞められなくて、でも面白くて変な笑い方になってしまう。
「さ、早く着替えちゃお?ご飯も食べてないでしょ」
「おかゆ…しいたけ入ったやつ…あと、たまご、」
「分かった分かった。りんごもあるから後で擦ったげる」
でもいつもと違うことが一つ。それは同居している咲耶さんこと「さくちゃん」が出張で明日の夜まで帰ってこないこと。俺ももう大人なんだから自分のことは自分で出来る。でも、しんどい時に1人っていうのは寂しいわけで。早めに寝ようと布団に入ってみるものの、いまいち上手く寝付けない。
(さくちゃんのお粥、おいしかったな…)
一年くらい前に風邪をひいた時の記憶が蘇る。椎茸とか人参とか、鶏肉とか。小さく小さく切って、食べやすいようにしてくれて。今日は特別って言って、ご飯と一緒にリンゴジュースを出してくれて。
今日もしも家に居たら、お粥、作ってくれたかな。布団の上からぽんぽんってしてくれたかな。
「…、」
すっごく胸がざわざわする。いつから俺はこんなに寂しがりになったのだろう。少し疲れが出た程度なのに、どうしようもなく甘えたい。
単に興味だった。さくちゃんの部屋に入って、布団に潜り込む。
(さくちゃんの匂い…)
いつも抱きつく時に鼻を掠める、少しスパイシーな香水の匂い。隣で大きな体積を占めているクマのぬいぐるみを抱きしめるとまた良い感じ。いつもはさくちゃんの隣に居て邪魔だってベッドから払い落とすけれど、今日限りは仲良くなれそう。
「あ、そーだ」
いいこと考えた。クローゼットを開けて、いつもさくちゃんが着ているパーカーを羽織ってみる。
「…おっきーなー…」
これが彼シャツってやつ?裾が手のひら一個分くらい余って、尻が隠れるぐらいに大きい。さくちゃんに抱きしめられてるみたいで、安心する。少し恥ずかしいような、後ろめたい感情を抱えながら、瞼を閉じた。
「ぅ゛~…」
頭痛い。熱い。喉痛い。昨日には全くといってなかった風邪の症状が、ドッと押し寄せてきた。汗もすごいし、体の節々が痛いし。
(…汗?)
思い返して違和感を抱く。汗って体中に纏わりついているものじゃなかったっけ。何で布団が濡れてるの?何でグジュグジュしてるの?それも、ズボンだけ。
ヒュッと息が漏れた。心臓が急にうるさい。だって、こんな失敗小学生でも中学生でもした記憶がない。何でこの歳になって今さら。とりあえず片付けないと。何で昨日自分の部屋で寝なかったんだろう。布団も、今着ているパーカーも、股に挟んで抱きしめていたクマも、全部全部濡れている。
体を起こしてベッドから降りる。どうやって洗濯したら良いのか。どうやったら元通りになるのか。震える手でシーツのチャックを開けるけど、中まで湿ってしまっている。どうすんのこれ。外側だけなら洗濯機に入れられたけど、こんな分厚いやつ、捨てるしかないじゃん。頭フラフラする。座ってるだけでも平衡感覚が曖昧で、地面がぐにゃぐにゃしてる。
(重っ…)
とりあえず、洗面所。いつもなら軽々持てる重さなのに、持とうとすると尻もちをついてしまって、端を引き摺るようにして布団を運ぶ。廊下を出て数歩なのに、それだけで息が上がる。
何からしたら良いか分かんなくて、立ち尽くす。とりあえず、パーカーを脱いで、洗面台に置いてぐしゃぐしゃと濯いだ。
しんどい。頭痛い。寝っ転がりたい。いつの間にか涙が滲んで水面に落ちた。目元が熱くて熱くて仕方ない。
(ふとん…どうしよ…)
まだ部屋に置いてある掛け布団は?クマさんは?訳が分かんなくなって、風呂場にシーツを被せたままの敷布団を持ち込んで、シャワーで汚れた部分を流すけど絶対間違ってる。
もう、全部無茶苦茶。泣いて解決なんてしない癖に、呼吸が引き攣って苦しい。さくちゃんの顔が浮かんでは消えて、また浮かんでは消えて。
帰ってきて欲しいけど帰ってきて欲しくない。ギュッて抱きしめて欲しいけど、怒られたくない。
(ちょっとだけ…きゅうけい…)
立ってるのも座ってるのも辛くて床に転がるともう、立ち上がれなかった。寝ている場合じゃないのに熱い瞼はどんどん閉じて、地面はふわふわして。ちょっとだけ。1時間だけ休憩してから考えよう、そう自分に言い訳して目を閉じた。
ドアが開く音で一気に意識が覚醒した。俺、ずっと寝てた。汚れ物、全部そのまんまにして。
「あれー日翔??会社はーー?」
さくちゃんだ。さくちゃんの声だ。頭はずっと真っ白で動けない。返事なんてできる訳ない。でも、どんどん足音はこちらに近づいてくる。
「日翔ー?あ、居た。どしたのこんなとこで…なにこの状況」
「ぁ、ぇ、と、…え、っと、」
ごめんなさいしないと。ちゃんと言わないと。そう思うのに日本語が分からなくなったみたいに言葉が出てこない。
「っ゛、ぅ、~…」
「なになに、どしたの。あ、これ俺の…」
洗面台の上に置きっぱのパーカーを手に取るさくちゃんは、怪訝な顔をしてこっちをみている。
言わないと。言わないと言わないと言わないと。
「…よごし、…ました、」
「熱ある?吐いちゃった?」
おでこに当たる手が気持ちいい。でもそうやって心配されるの、辛い。
「どしたの。怒んないよー言ってみ?」
立ち上がったさくちゃんは、閉めていた風呂場の扉を開けながら言う。
「あ、おねしょしちゃった?」
瞬間、ぼろりと熱いものが目から垂れた。
「っ゛、、」
おねしょ、その単語がどうしようもなく恥ずかしい。バレたのも、自分の口で言えなかったのも全部全部恥ずかしい。
「熱あるもん仕方ないよ。後やっとくから着替えて俺の部屋で寝ときな」
さくちゃんの部屋。背中を冷や汗が伝った。あのクマのぬいぐるみ、どうやって洗濯するんだろう。てか、時間経っちゃったからシミになってるじゃん。震える足で廊下を歩く。まださくちゃんは「俺の布団」を汚したって思ってる。見た目は一緒の布団だから、気づいていない。ましてやクマを抱いて小便をかけながら寝ただなんて思ってもいないだろう。
未だしっとりとした胴体。色はわかんないけど、もわりとしたアンモニア臭が部屋を埋めている。
どうしよう。これ。これは大学の頃の貰い物って言っていた。もしこれが非売品とかだったら。もし、人から貰ったものだったら。買い直してなんとかなるものじゃ無かったら?許してもらえなかったら?
「あれ、早く着替えに行かないと風邪ひくよ?」
咄嗟に手に持ってたクマを後ろに隠した。そんで、また自分が嫌になった。
「あれ…布団…」
「ぁ、ぇ、と、ここで、ねた、」
顔見れない。ちゃんと自分から言わないとダメなのに。謝るシミュレーションも何度もしたのに。いざ目の前にすると言葉が出てこない。
「ねた、の…失敗するっておもわなかった、」
違う。言い訳がましくしたいわけじゃない。
「こんなこと、なかった、するってわかってたら、ねなかった、」
ごめんなさい、何でその一言が言えないんだろう。何で、言いたくないことばっかり言っちゃうんだろう。
「さくちゃん、いなかったから、いたら自分のへやでねた、っ゛、」
「さびしかった?」
甘い、声。昨日からずっとずっと欲しかった声。喉がぐって詰まって苦しい。
「俺のパーカー着た?」
こくりと頷いたら、頭をガシガシと撫でられる。
「後ろに隠してるのはなぁに?」
正直に言えるかな?そう言いながら腕を摩るさくちゃんは、半分笑っている。まるで自分が隠し事をしている子供みたい。
「ごめ、ん、」
最後まで言えなかった。クマを差し出すしか出来なかった。なのに、ちゃんと言えたね、と頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「大丈夫よ~、クマさんすぐ綺麗になるからね~」
呼吸が引き攣って、涙がボロボロ溢れてくる。
「ニチカクン、ダイジョウブダヨ、ナイタラモットシンドイヨ」
泣き止めなかったからだろうか。クマの腕を振りながら突然高い声を出すさくちゃん。
「マタ、イッショニネヨウネ?ほらクマさんもこう言って…」
「っ、っふ、なにそれ、」
「だって、全然泣き止まないから…」
「っふふ、へん、なのっ、」
しゃくりあげるのは辞められなくて、でも面白くて変な笑い方になってしまう。
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