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鞘鳴りえれぢゐ
無頼のすゝめ
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「またあんただろう。この育ちの悪い父なし子が」
酒屋の勘定台のまえ、女房のお今が喚いた。喜作はかぶりを振る。
「あっしじゃござんせん」
「あんたじゃなきゃ、誰がやるってんだい」
お今が手を振った。頬が爆ぜて、痛みがふくらむ。喜作は頬を押さえ、女の目を見つめかえす。
「なんといわれても、やっとらんものはやっとりゃしやせん」
お今は眉を逆立て、また手を振りあげる。喜作は身構えた。まあまあまあ、と亭主の吉蔵が割りこむ。
「わざとちゃう。きっと、かぞえまちごうたんやろ。大目に見たりい」
あくまで喜作の咎だと思いたいらしい。吉蔵には感謝している。みなしご同然の喜作をひきとって世話を焼いてくれた。けれど……喜作は唇を嚙んだ。
「けど、おまえさん、これで五度目ですよ。それも一文や二文じゃないんだ。やだやだ、家に盗っ人がいるなんて。この子も生まれるってのに」
お今はふくらんだ腹をこれ見よがしにさする。その瓜のような腹をかち割れたら、どれだけすっきりするだろう。喜作はきいっと睨んだ。
「あっしはやってない。そんなに疑うなら、裸に剝くなり家探しするなりしたらいいでしょう」
「いったね。きょうこそはっきりさせようじゃないか。弥平、弥平」
女房は気入りの下郎を呼びつけた。喜作は溜息をつく。これであらぬ疑いは晴れるはずだ。
二階の大部屋の一隅、喜作の蒲団を捲りあげ弥平が叫ぶ。
「おかみさん」
蒲団のなかに満貫の宋銭。喜作は現を疑った。ざっと顔から血の気がひいて、唇が、指先がわななく。
「……あっしじゃ、あっしじゃねえ」
女房の勝ち誇った笑み。「ほら、あんたじゃないか。この恩知らずの野良犬め」
「往生際が悪いぞ。さあ、お代官のとこに行くんだ」
弥平が喜作の腕を掴んだ。吉蔵がいう。
「待っとくれ。喜作は姪の子ぉや。外聞が悪いわ」
「この恩知らずを見逃せと?」
「ほんの出来心やんな。そうやろ、喜作」
吉蔵はいいふくめる調子だった。喜作は怒鳴る。
「あっしは何も盗んじゃいねえ。誰かが嵌めたんだ」
吉蔵は青ざめて、首を振った。弥平が喜作の肩を掴んで、ひきずった。
酒室の土倉のまえ、年嵩の下郎五人は無言で喜作を蹴りつけた。弥平は執拗に尾骨を狙った。こいつ、殺してやる、と喜作は思った。
喜作は納屋にほうりこまれた。狭くて埃臭く、日が陰れば真っ暗だ。躰の節々が痛み、腹の虫が鳴いた。しかし痛みよりも飢えよりも、怒りが喜作の肚に据わっていた。誰があっしを嵌めたのか? お今か、下郎の誰かか、それとも……。
納屋の戸がひらいて、蠟燭の火がゆれた。まぶしさに、喜作は目を細めた。
「すまへんなあ。腹減ったやろ」
吉蔵だった。盆に載せた飯と汁物は冷めきっている。くやしくて悔しくて涙が滲んでくる。大きな手が頭を撫でた。
「かわいそになあ」
吉蔵の目に憐れみの色。この優しい若亭主が、喜作は好きだった。けれど……。
「あんたが盗んだのでしょう」
喜作のことばに、吉蔵の顔はこわばった。それで十分だった。喜作は拳を吉蔵の腹に叩きこんだ。亭主が尻もちをつく。喜作は飛び越えて、夜明けのなかへと転げでた。
腹が、減った。酷いめまいがして、喜作はしゃがみこんだ。頬を打つ朝風の砂埃。小町大路の往来。茅葺の庇の下、市の売子たちが威勢よく声を張りあげる。牛の咆え声。町人の子らの遊ぶ声。喜作を気にかける者はなかった。いつだってそうだった。あっしが生きようが死のうが――
「おい、坊主。どうした」
声の主を見あげて、仰天した。その男には片目が無かった。戦で矢でも受けたんだろうか、攣れた醜い傷跡になっている。いつもの癖で、喜作は笑った。おまえは器量が悪いんだから、せめて笑っときな、と母親は幼い息子にいいきかせた。色の白いのが自慢の母親は、そばかすを嫌っていた。おのれそっくりのそばかすの息子の顔も。
片目の男は、にんまりと笑いかえした。男の右目の光は強かった。烏帽子を戴いてはいたが、かぞえで十二の喜作と、十もちがわなそうだ。
「坊主、腹減ってねえか」
「……減ってやす」
「あんまり持ちあわせがねえんだよなあ」
男はふいと離れていく。喜作はあっけにとられた。あっさり見捨てられて、目頭がじんとした。熱い涙がぼろぼろと湧く。喜作は袖でこすった。
「坊主。ほら」
片目の男が突きだす何か、笹にくるんだ粽。見捨てられたんじゃなかった。喜作はしゃくりあげて、温かい粽を受けとった。笹の香りの飯は砂糖で甘い。一口、二口でたいらげてしまう。じゃりじゃりと砂粒が残ったが、かまわなかった。胃袋が急に騒ぎだして、余計に腹が減ってきた。
「おれぁ百舌ってんだ。おめえは」
「……喜作」
「ふん。もし行くあてがねえなら、おれらんとこに来るか。飯はあるぞ」
喜作は首がもげそうなほど頷いた。
まさか山を登らされるとは思わなかった。夏の初めの青葉の峠。喜作は息切れして、なんべんも休んだ。百舌はいう。
「男五人で住んでんだ。いや、今は六人か。おめえも入れて七人だな」
「猟師ですか」
「山賊だ」
喜作は驚かなかった。山で暮らす盗っ人かあ。その程度の感慨だった。
「山賊ってな因果な商売でな、おれの百舌って名ぁかりそめなんだ。おめえにも、かりそめの名をやる。おめえは今から喜々須だ。いいな?」
喜作は――、喜々須は頷いた。
一刻ほど登ると、いい匂いが鼻をくすぐった。峠の越に、葦で葺いた掘建小屋。間口の簾を百舌が捲る。
「おっ、うまそうなモンがあらぁ」
喜々須よりも年嵩の童と女童が、炉の大鍋をかこんでいた。童が女童の髪をぽんと撫でる。
「こいつが煮たんでさ。で、そいつは?」
のっぽの童はうさんくさそうに見た。紹介もそこそこに、相伴にあずかった。肉の入った粥だった。喜々須のあまりの勢いに、童と女童――十一とお日羽がたじろいでいる。わかっていても、空腹はいかんともしがたい。
「お代わりは?」
お日羽が手を差しのべる。いまさらに気づく。えらい美貌だ。涼しい目もとに、紅い唇。色は白いが、そばかすなどない。どっかから拐してきたのか、と喜々須は思った。
烏帽子の者が現れた。丈六尺に届きそうな大男。男の黄金がかった目が細くなる。
「誰だ」
渋く深い声。こりゃ頭にちげえねえ。喜々須は跪いて、一礼した。
「きさ……喜々須と申しやす。百舌の兄ぃに拾っていただきやした。お世話になりやす」
「銀鴟だ。怒らすとこええぞ」百舌がささやいた。お頭にいう。「見てのとおり、ちいっとばっかし滋養がたりてねえが、しばらく食わせりゃ使いモンになるだろうよ。酒屋に奉公してたそうだ」
「酒屋か」
銀鴟はにやりと無精髭の口をゆがめた。人は笑うと可愛らしくなるものだが、この男の笑いは獣が舌なめずりしているようだ。喜々須はどぎまぎして目を伏せた。
山賊どもが続々と戻り、肉粥にありついた。大鍋はあっというまに底をついた。ざんばら髪の童がいう。
「お日羽の汁は天下一品だな」
「あっちの汁もな」
百舌が笑った。お日羽は耳を染めて顔を伏せた。あっちの汁って? と喜々須は思った。
山賊五人は盃を傾けつつ話した。ざんばら髪の童は夷虎といって、威勢のいい口をきいた。烏帽子の小太りは牙良といって、大工くずれらしかった。五人の話がシモがかってくると、牙良がお日羽を抱き寄せた。
「おゝ、ちょうどいいところに女がいたぜ」
銀鴟が牙良を張り倒して、お日羽をさらった。丹色の衣を捲りあげる。喜々須は息を呑んだ。お日羽の股ぐらには、魔羅と陰嚢があった。
銀鴟は袴を解き、膝立ちのお日羽の背を抱いて、激しくゆさぶった。肉が肉を打つ音。お日羽のせつなく寄せた眉根、うわずった喘ぎ声。喜々須は文字どおり首をかしげた。何がどうなってる? どうやら魔羅を尻の穴に押しこんでいるらしい。なんで? と思った。疑問だらけながら、喜々須の胸は早くなり、股間は疼いていた。銀鴟はお日羽の首をねじって、唇をねっとりと吸った。喜々須の心の臓は熱くなった。
百舌が膝行って、お日羽の衣をほどいた。妖しく白い肌に、ぷつりと尖った乳首と、赤く熟れて蜜を滴らせた魔羅。喜々須は生唾を呑んだ。百舌がお日羽の乳首を吸って、もう一方を捏ねた。あゝ、とお日羽が身をよじる。おのれの魔羅にふれようとして、百舌にひょいと両手を押さえられる。
「お日羽。おれは教えたよな。それはおめえのだが、おめえのじゃねえんだ。勝手にさわっちゃなんねえ。そういうときは、どうするんだ?」
お日羽は泣きそうに顔をうつむける。そのあいだも、銀鴟が容赦なく腰をたたきこみ、百舌が頸から腋から胸乳をねぶる。お日羽はぶるぶると腿を震わせて、ようやっと口にする。
「……ま、魔羅を、……てくださ……」
「魔羅が、なんだ。はっきりいってみな」
「……魔羅を、しごい……てください」
「そうだ、よくできたな」
百舌は口づけをくれると、三つ指でお日羽のそれをつまむ。お日羽は身をくねらせ、おゝん、おゝん、と高く咆える。あんなふうに乱暴にされて、気持ちいいのか。牙良も夷虎も十一も、お日羽の艶態に釘づけだ。お日羽と代わってみたい、と喜々須は思い、思ったことに惑う。こんなみっともねえあっしじゃ……。泣きたい気がして、喜々須は簾を捲って宵闇へ逃げだす。
酒屋の女房が喚いている。また銭がたりない。あんたがくすねたんだろ。下郎たちの冷ややかな目。喜作は抗弁しようと口をひらくが、なぜか声がでない。亭主の優男がいう。わざとちゃう。かぞえまちごうたんやろ。怒りのあまり、頭も肚も煮えそうになる。あっしは何もしちゃいねえ。盗んだのはあんただろう。善人ぶるんじゃねえや。叫びたいのに、喉からは呻き声だけ。女房に顔をぶん殴られる。
薄闇。男の蹠が顔を押していた。夷虎だ。のんきないびき。むらむらと腹が立って、脇腹を蹴りとばした。夷虎はまぬけな声をあげたが、すぐいびきをかきだす。未明の小屋のなか、むさ苦しい男たちの酒臭い息。あっしはもう、お人よしの喜作じゃねえ。山賊の喜々須だ。
山賊というのは、豪快で破茶滅茶な暮らしをしているものだ――おのれがなってみるまで、喜々須はそう思っていた。喜々須に割り当てられたのは炊事・洗濯・掃除・道具の手入・牝鶏の世話・町への買出……諸々の雑用だった。酒屋での奉公とたいして変わりやしねえ。それでも喜々須は文句はいわなかった。よっぽどのへまをやらかさないかぎり殴られることはないし、飯は腹いっぱい食えたし、小遣いももらえたからだ。
下働きはもっぱら童らの役目だった。喜々須とお日羽と十一と、夷虎。だが夷虎はどこをほっつき歩いているのか、顔をあまり見なかった。十一は寡黙で何を考えているのかわかりにくかった。お日羽は喜々須の直観どおり、拐されてきた寺の小僧だった。法名は天翰だそうだ。喜々須は解せなかった。
「なんで逃げねえんです」
お日羽は縛られても見張られてもいない。逃げようと思えば、いつでもできそうだ。お日羽はうつむいて、沢のせせらぎで包丁をすすいだ。
「十一どのに累がおよぶ」
十一が思いつめた顔で、お日羽の頭をぽんと撫でた。あゝ、こりゃ絆されちまってんだな、と喜々須は思った。
夜ごと山賊どもは宴をひらき、酒を酌んだ。そして酔いが回ってくると、お日羽を嬲った。銀鴟は手荒で、おのれ本位だった。牙良はせっかちで、しかも長くもたなかった。百舌はあくまで優しく、あの手この手で弄んだ。百舌が抱くとき、お日羽はあきらかに悦がった。喜々須は合点がいった。男をとっかえひっかえつれてきては、夜な夜なおかしな悲鳴をあげていた母親――これをしていたのだ。
もし抱かれるんなら、百舌の兄ぃがいい。
けれど、こんな美しくもない童がいい寄ったところで、苦笑されるだけだろう。いたたまれなくなって、喜々須は小屋を抜けだす。
正しいようで、てんでな水音。宵の沢に、うすみどりの暗い光が無数に明滅する。疼きの残る股ぐらを持てあまし、喜々須はぼうっと口をあけた。蛍は光ると気持ちいいんだろうか? 気持ちいいから、あんなに光るんだろうか?
するりと頸に絡む腕。ひっ、と喜々須は息を止めた。低めた笑声。
「こんなところでひとりじゃ、すだまに喰われちまうぜ」
「……す、すだま?」
心の臓がずきずきする。顔の真横で、夷虎が笑った。
「そうさ。夜の水辺にゃ寄ってくる。人をとって喰うのさ」
「すだまって、どんなんで?」
「さあ、見たこたぁねえからな。けど、すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう」
夷虎は後ろ手をついて、素足をせせらぎに投げだした。その腕の逞しい筋骨。ふれてみたくなって、けれど喜々須は目を背けた。何しに来たんだろう。
「夷虎の兄ぃは……」
夷虎がはじかれたように笑った。「夷虎の兄ぃときたよ。まいったな。おめえ、いくつだ」
「十二」
「おれぁ十四だ。まあ、兄ぃにはちげえねえか」
「兄ぃは、いつから山賊に?」
「おめえと同じで十二からさ」
「その前は何を?」
「忘れた」
そこはきいてほしくないのだな、と思った。沢の涼しさに、喜々須は身震いした。夷虎が肩を寄せてくる。
「なあ、どう思った。兄ぃらがお日羽をやってるのを見て」
喜々須は困った。お日羽と同じことをされてみたい、などといえるわけがない。
「てめえもやってみてえ、って思わねえか?」
「よく、わかんねえです」
「あそこが張るだろう」
喜々須はかぶりを振った。夷虎がむんずと股ぐらを鷲掴みにし、揉みしだく。
「いっちょまえに硬くなってんじゃねえか」
「……や」
いやにくすぐったくて、喜々須は躰ごと背いた。夷虎はさらに身を乗りだす。
「おめえ、せんずりはわかるか?」
「せんずり……?」
「だから、これをこうして」
夷虎はおのれの袴をずらして、魔羅をむきだしにした。大人並に立派で、ぬらぬらと光る。かあっと脳が焼けつくようで喜々須は、つい凝視した。夷虎はにやりとして、
「こうするわけよ」
見せつけるかにそれを両手で挊った。喜々須ははっとして目をつむったが、遅かった。
「おめえもやんな」
袴に夷虎の手がかかった。喜々須は這って逃げたが、なかば抱きあげられて夷虎の胸におさまった。袴と褌を解かれて、魔羅をじかに握られる。しごかれると、ひとりでに腰が跳ねて、あられもない声が喉を突く。
「うるせえな」
夷虎は口に口を咬みあわせる。魔羅をまさぐられつつ唇を吸われて、頭んなかがぼうっと霞んだ。間近に童の精悍な顔。
「おめえのさわってやるから、おれのさわれ。な?」
右手を導かれる。夷虎のそれ、熱くて硬くて湿っぽい。喜々須はこわごわと撫でさすった。夷虎も喜々須のを同じようにした。声をあげると、また口を塞がれて、こんどは舌を吸われた。湿った音がこだまして、喜々須は何も考えられなくなった。
「あっしがいたのは、柳楽屋ってえ酒屋でさ」
小屋の裏手、山賊五人の真顔にかこまれ、喜々須の声は硬かった。喜々須は小枝で地べたをひっかいた。店の間取と、土倉の間取。
「これが小町の店。間口四間、奥行三間。人は二階で寝起きしやす。亭主と女房と、下郎が五人。これが酒室。間口四間、奥行六間ってとこでしょうか。冬に仕込んだ酒甕が、ざっと九十、秋には飲み頃だ」
「九十も運べねえだろ」
夷虎がいった。百舌のあきれ声。
「おめえは酒池肉林でもしようってか? 十もありゃたくさんだ」
牙良がばか笑いした。銀鴟がいう。
「いっぺん下見に行かにゃなんねえな」
「そうですね。けど、あっしは面が割れてるんで」
喜々須は山賊一同を見まわす。銀鴟と目が合った。黄金色の双眸。
「おめえは誰が行けばいいと思う」
試されている、と思った。「銀鴟のお頭と百舌の兄ぃは目立ちすぎる。夷虎の兄ぃは……まあ、アレです」
「アレたぁなんだ」
夷虎は嚙みついた。十一が頭を指差す。
「ここがたりねえ、といいてえんだろ」
あゞ? と夷虎は凄んだ。この童がいつも姿を晦ませるのは、下働きを怠けたいばかりでなく、十一と反りが合わないせいだ。夷虎の目は敵愾心むきだしで、十一の顔はいよいよ冷たかった。
「店を下見に行くなら牙良の兄ぃと、十一の兄ぃが適当でしょう。牙良の兄ぃは大工あがりだから建物に強そうだし、十一の兄ぃはまともに見える」
喜々須はいった。銀鴟は百舌に頷いた。合格みたいだ。つい、安堵の息をつく。
「この女房が見栄っぱりで、衣に草履に簪にと、とにかく金を食う。亭主もばくち狂いで、借財をごまんとかかえてる。銭をちらつかせりゃ、いうこときくでしょうよ。ところで、いざ柳楽屋を襲うとなったら、店の者はどうしやす」
「朝まで気づかれねえのが一番だが、気づいて騒ぐなら殺す」
銀鴟はいった。喜々須は笑う。
「できたら皆殺しがいい。それがだめなら、亭主と女房だけ殺すんでもいい。殺すのは、あっしがやりやす」
「機会があればな。勝手はするな」
銀鴟の口は笑っていたが、目は笑わなかった。牙良がいう。
「下見はいいとして、盗みの当日はどうする。六人で行ったら、誰がお日羽を見てるんだ」
夷虎が手を挙げる。「おれが残ろう」
「だめだ」
銀鴟と十一が同時にいった。十一はいう。
「おめえはすけべなことしやがるからだめだ」
そうとも、こんなうらなりの青瓢箪にさえ手をつけやがる男だ、と喜々須は思った。
「十一、おめえもだ。また妙な気を起こされちゃ困る」
銀鴟がいった。十一はぐっと奥歯を嚙んだ。喜々須は意外だった。この堅物がお日羽に手をつけようとしたのか?
「いっそ、つれていっては?」
「それもだめだ」
十一はいいはった。お日羽のこととなると、この童はてんで阿呆になる。
「ひとりで留守番させりゃいい。おい、お日羽」
銀鴟が呼ばった。小屋から襷掛のお日羽が転げでた。夕餉の支度をしていたのだろう。銀鴟は薄笑いを浮かべる。
「近えうちに、おれらは留守にする。逃げようなどとゆめゆめ考えるなよ。おめえがいなくなったら、そのときは十一が死ぬ」
お日羽は澄んだ目を瞠って、十一を見やった。十一は、何もいわずにそっぽを向いた。
鳩合の果てたのち、十一とお日羽は深刻な顔で何やら話しあっていた。十一の肩に、お日羽は頭を乗せた。お日羽は逃げまい、と思った。ふたりの仲が、喜々須にはまぶしく映った。
夕刻、驟雨が峠を通りすぎた。山賊どもの夜の宴を、喜々須は抜けだした。雨後、沢の蛍の光は夥しかった。すだまとは蛍火のことじゃねえだろうか、と思った。
まもなく夷虎はやってきた。話もせずに、いきなり衣を剝ごうとしてくる。癇に障った。
「あっしはお日羽の姐さんの代わりですか」
夷虎はにやりとする。「なんだ、妬いてんのか」
「べつにかまやしません。あんたのことは、なんとも思わない」
夷虎が眉を顰めた。こういう男を幾人も見てきた。初めはいいことをいって下手にでているが、枕を共にするなり、まるでてめえのモンだといわんばかりに女をぞんざいにあつかう。いつだって母親がつれてくるのは、そんなやつらばかりだった。
「あんたが誰を抱こうが勝手だ。ただ、姐さんには手をださねえほうがいい。十一の兄ぃが黙ってねえ」
「十一」夷虎は鼻を鳴らした。「あいつはハナから気に食わねえ。わかったようなつらで人を小ばかにしやがるくせに、あんな小僧に腑抜けにされちまって、情けねえったらねえ」
「穴が空いてりゃ見境ねえあんたよか、十一の兄ぃのほうがましさ。あんたは木の股でも抱いときゃいい」
あゞ? と夷虎が胸ぐらを掴んだ。「ずいぶんとなめた口を利くじゃねえか」
「あっしの親分は銀鴟のお頭と百舌の兄ぃらで、あんたじゃねえ」
「このっ……」
顔を打つ拳骨。喜々須は舌を嚙んだ。血の味。岩陰の得物を、喜々須は振った。夷虎の左目の下が裂けて、血が滴る。夷虎の目が動揺し、血に染まった切先を認めた。喜々須は笑った。夷虎は手を伸ばす。
「こっちによこしな」
喜々須は包丁をまっすぐ握りなおした。夷虎の炯々たる目。男が、豹のごとく咆えた。一瞬の怯みを突かれ、手首を捻じられる。包丁が水へ没した。喜々須を組み伏せて、夷虎は笑った。
「おめえとは場数がちげえ。観念しな」
両腕で絞めあげられる。息ができない。おのれの頸の脈動を感じつつ、喜々須の眼前は暗んだ。袴と褌が剝ぎとられる。尻を撫でる夜気の冷たさ。ぬめった魔羅が割れ目に当たる。ぬめぬめと滑ってから、尻の穴に定まった。刃で裂かれるごとき痛み。喜々須は暴れた。けれど腰骨を掴まれ、力ずくで奥まで抉られる。内と外があべこべになるようだ。悲鳴が掠れた。ぎゅっと目をつむると、冷やっこい涙がでた。
「くそ、硬えな」男の声も苦しげにきこえた。「初めてか」
喜々須は頷いた。背から抱きかかえられ、男の膝に乗せられた。萎えた魔羅をしごく、優しげな手つき。
「おとなしくしてりゃ、悪いようにゃしねえ。ほら、力ぬけ」
胸乳を抓られ、右耳を食まれる。荒い息、濡れた音、硬い手のひら、熱い背中と、尻のなかの重たいもの――こんなの、ちっとも悦かねえ。喜々須はただ声を殺して、浅く早く喘いだ。瞼裏に無数の蛍が明滅した。
十三夜の月が、深閑とした小町を照らす。柳楽屋の土倉が白く映える。酒室の観音扉に、牙良は鑿と金槌を使った。海老錠が繋いだ金具を、漆喰ごと削りとろうというのだ。半刻ほどで牙良はやってのけた。喜々須は感服した。
「すげえ」
「へへ、大工の腕は悪くなかったんだぜ」
牙良は扉の片方からばきりと金具をもいで、あけ放った。銀鴟が顎で合図する。まず十一が踏みこんでいき、やがて中から手招きした。
高窓から差す月明り。ずらりと揃った常滑の甕。下見の際に目星をつけた甕を、山賊どもは一口ずつかかえて持ちだす。荷車に十二口をならべきり、牙良と百舌が大路を牽いていった。
銀鴟の佇まいから緊張が失せていた。これっぽっちで終いにする気なのだ。喜々須は金槌を拾って、土倉に駈けこんだ。酒甕をぶっ叩く。がぢゃん、とあっけなく割れ、酒の波が草履の足指を洗った。喜々須は続けざまに酒甕を叩いた。がぼん、がぢゃん。
「この大ばかが」
羽交い絞めにされた。夷虎だ。喜々須はもがいた。
「潰れちまえ、こんな店」
銀鴟と十一も顔をだす。銀鴟がいう。
「おい、喜々須。人が来るぜ」
「来たら殺す」
あゝ、誰も彼も殺してやる――
十一がいう。「殺すほどの恨みなのか」
「亭主が店の金をくすねてたのを、あの男、あっしになすりつけやがった。あっしに行き場がないのを知っていて。下郎に折檻されて、女房に飯を抜かれて、あっしは死ぬところだった。あんな男を親のように思ってたなんて。許せるわけがねえ」
血を吐くように喜々須はいった。銀鴟の手が、太刀へ伸びた。斬られるなら、それでいい。こんなくだらねえ娑婆に未練なんか――
十一が動いた。ばぼん、と大甕が真っ二つになり、酒の波が股を通り抜けた。鞘の太刀を手に十一は銀鴟にいう。
「なら因果応報だ。そうでしょう」
銀鴟の黄金の目が細くなる。十一の喉仏が上下した。銀鴟はおもむろに甕を持ちあげ、甕の列へ投げつけた。いっぺんに四つ砕けて、派手な音が室を満たした。銀鴟は手を叩く。
「みんな割っちまいな」
夷虎が金槌を奪い、片っぱしから甕を打った。
「南無・阿弥・陀っと」
高窓からの淡い月光の下、三人の山賊が暴れまわる。がぢゃん、ばぼん、ぐゎじゃららら。陶片と化す甕、むっとする酒の匂い。喜々須は痺れたかに立ちつくした。三人にとっては何の得もない、それどころか身を危うくする行為だ。おのれのために誰かが動いてくれたのは、思いだせぬほど昔のことだった。
誰ぞおるんか、と外から人声。銀鴟が近づいて、喜々須の手に匕首を握らせた。美しい刃。銀鴟は獣のごとく笑った。
「それで殺んな」
喜々須は頷いて、酒室を飛びだした。
提灯を下げた弥平と、吉蔵が庭に佇んだ。喜々須を認め、それから匕首を認めて、二人の顔が引き攣った。弥平がいう。
「喜作。てめえは恩を仇で返したうえに、よくもそんな」
「先にあっしの信頼を無下にしたのは、どこのどいつだ。吉蔵、あんたはよくわかってるはずだ」
吉蔵は下郎の図体に隠れるかに後ずさった。喜々須は刃を振りかざした。弥平は匕首を奪わんとした。喜々須のほうが素早く、弥平の手が血だらけになる。ぐぶりと嫌な手応え。押さえた腹から血が黒々と溢れ、弥平は倒れた。吉蔵が逃げだす。喜々須は腰を突き刺した。悲鳴をあげて吉蔵が這いつくばる。
「……す、すまんかった……喜作、ゆるしてく……」
喜々須は掻っ捌いた。頸からどぶりと血を噴いて吉蔵は黙った。痙攣する、なりかけの死体が二つ。燃える提灯。かたわらの鍵束を、喜々須は拾いあげた。
「あっしはもう、喜作じゃねえ」
ただの人殺しだ。
柳楽屋の店は静まりかえっていた。喜々須は跫音を忍ばせて階段をあがった。夫婦の寝所の襖を叩きあける。
お今は布団に半身を起こしていた。血飛沫を浴びた喜々須に目を丸くし、血塗られた匕首にさらに目をひんむいた。喜々須は笑った。
「野良犬が恩を返しにきましたよ、おかみさん」
「誰の血だい」
「あんたの亭主と、弥平のさ」
「弥平、弥平をどうしたんだい」
女の半狂乱の形相。吉蔵の初めの女房は郷里に帰され、お今は二人目だ。しかし二年経っても懐妊の兆しがなく、三人目をもらえと吉蔵の老母が騒ぎはじめた。その矢先の子宝だった。喜々須は口をゆがめた。
「へえ、吉蔵の旦那は気の毒に。その胎の子は弥平のか」
「弥平は」
「庭で死んでる」
あゞゞゞゞゞゞ、とお今は絶叫した。孕婦とは思えぬ動きで喜々須に迫り、突き飛ばして去った。喜々須は追った。
月下の庭、お今が弥平にすがりついていた。名を呼ぶか細い声。亭主から見れば不義にせよ、この女が弥平を思うのにうそはなかった。
「おれと取引しねえか」
ごく自然に、おれと喜々須は口にした。お今のつぶらな目、宿る月影。
「銭をいくらか分けてくれ。その代わり、おれは胎の子の素性は口外しねえし、あんたのまえにも二度と現れねえ」
「いやだといったら?」
「あんたの目を潰す。あんたも、胎の子も、後ろ指さされる。どうする」
喜々須は匕首の血を、親指でぬぐって舐めた。お今はわなわなと震えて、顔を背けた。男のように太い声をだす。
「銭でもなんでも持って、とっとと行っちまいな。そのそばかすづら、二度と見せないどくれ」
喜々須は店へ歩を進め、ふと顧みる。「あゝ、あとひとつ。その子は男だと思うぞ。弥平に似ねえといいが」
腰に差した匕首が、かたかたと鞘鳴りする。懐に銭を持てるだけ持って、喜々須は峠を登った。吹きあげてくる夜明けの風。生きている、と無性に思った。山麓の森と遠い町。風は冷たかったが、ひらけた眼下に闇は見えなかった。
がさり、と藪が鳴った。喜々須は身構えた。するりと頸に絡む腕、その抱き方で夷虎だとわかった。やらせろ、と息を耳孔に注がれる。背筋がぞくぞくした。すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう。喜々須は、力を抜いた――
酒屋の勘定台のまえ、女房のお今が喚いた。喜作はかぶりを振る。
「あっしじゃござんせん」
「あんたじゃなきゃ、誰がやるってんだい」
お今が手を振った。頬が爆ぜて、痛みがふくらむ。喜作は頬を押さえ、女の目を見つめかえす。
「なんといわれても、やっとらんものはやっとりゃしやせん」
お今は眉を逆立て、また手を振りあげる。喜作は身構えた。まあまあまあ、と亭主の吉蔵が割りこむ。
「わざとちゃう。きっと、かぞえまちごうたんやろ。大目に見たりい」
あくまで喜作の咎だと思いたいらしい。吉蔵には感謝している。みなしご同然の喜作をひきとって世話を焼いてくれた。けれど……喜作は唇を嚙んだ。
「けど、おまえさん、これで五度目ですよ。それも一文や二文じゃないんだ。やだやだ、家に盗っ人がいるなんて。この子も生まれるってのに」
お今はふくらんだ腹をこれ見よがしにさする。その瓜のような腹をかち割れたら、どれだけすっきりするだろう。喜作はきいっと睨んだ。
「あっしはやってない。そんなに疑うなら、裸に剝くなり家探しするなりしたらいいでしょう」
「いったね。きょうこそはっきりさせようじゃないか。弥平、弥平」
女房は気入りの下郎を呼びつけた。喜作は溜息をつく。これであらぬ疑いは晴れるはずだ。
二階の大部屋の一隅、喜作の蒲団を捲りあげ弥平が叫ぶ。
「おかみさん」
蒲団のなかに満貫の宋銭。喜作は現を疑った。ざっと顔から血の気がひいて、唇が、指先がわななく。
「……あっしじゃ、あっしじゃねえ」
女房の勝ち誇った笑み。「ほら、あんたじゃないか。この恩知らずの野良犬め」
「往生際が悪いぞ。さあ、お代官のとこに行くんだ」
弥平が喜作の腕を掴んだ。吉蔵がいう。
「待っとくれ。喜作は姪の子ぉや。外聞が悪いわ」
「この恩知らずを見逃せと?」
「ほんの出来心やんな。そうやろ、喜作」
吉蔵はいいふくめる調子だった。喜作は怒鳴る。
「あっしは何も盗んじゃいねえ。誰かが嵌めたんだ」
吉蔵は青ざめて、首を振った。弥平が喜作の肩を掴んで、ひきずった。
酒室の土倉のまえ、年嵩の下郎五人は無言で喜作を蹴りつけた。弥平は執拗に尾骨を狙った。こいつ、殺してやる、と喜作は思った。
喜作は納屋にほうりこまれた。狭くて埃臭く、日が陰れば真っ暗だ。躰の節々が痛み、腹の虫が鳴いた。しかし痛みよりも飢えよりも、怒りが喜作の肚に据わっていた。誰があっしを嵌めたのか? お今か、下郎の誰かか、それとも……。
納屋の戸がひらいて、蠟燭の火がゆれた。まぶしさに、喜作は目を細めた。
「すまへんなあ。腹減ったやろ」
吉蔵だった。盆に載せた飯と汁物は冷めきっている。くやしくて悔しくて涙が滲んでくる。大きな手が頭を撫でた。
「かわいそになあ」
吉蔵の目に憐れみの色。この優しい若亭主が、喜作は好きだった。けれど……。
「あんたが盗んだのでしょう」
喜作のことばに、吉蔵の顔はこわばった。それで十分だった。喜作は拳を吉蔵の腹に叩きこんだ。亭主が尻もちをつく。喜作は飛び越えて、夜明けのなかへと転げでた。
腹が、減った。酷いめまいがして、喜作はしゃがみこんだ。頬を打つ朝風の砂埃。小町大路の往来。茅葺の庇の下、市の売子たちが威勢よく声を張りあげる。牛の咆え声。町人の子らの遊ぶ声。喜作を気にかける者はなかった。いつだってそうだった。あっしが生きようが死のうが――
「おい、坊主。どうした」
声の主を見あげて、仰天した。その男には片目が無かった。戦で矢でも受けたんだろうか、攣れた醜い傷跡になっている。いつもの癖で、喜作は笑った。おまえは器量が悪いんだから、せめて笑っときな、と母親は幼い息子にいいきかせた。色の白いのが自慢の母親は、そばかすを嫌っていた。おのれそっくりのそばかすの息子の顔も。
片目の男は、にんまりと笑いかえした。男の右目の光は強かった。烏帽子を戴いてはいたが、かぞえで十二の喜作と、十もちがわなそうだ。
「坊主、腹減ってねえか」
「……減ってやす」
「あんまり持ちあわせがねえんだよなあ」
男はふいと離れていく。喜作はあっけにとられた。あっさり見捨てられて、目頭がじんとした。熱い涙がぼろぼろと湧く。喜作は袖でこすった。
「坊主。ほら」
片目の男が突きだす何か、笹にくるんだ粽。見捨てられたんじゃなかった。喜作はしゃくりあげて、温かい粽を受けとった。笹の香りの飯は砂糖で甘い。一口、二口でたいらげてしまう。じゃりじゃりと砂粒が残ったが、かまわなかった。胃袋が急に騒ぎだして、余計に腹が減ってきた。
「おれぁ百舌ってんだ。おめえは」
「……喜作」
「ふん。もし行くあてがねえなら、おれらんとこに来るか。飯はあるぞ」
喜作は首がもげそうなほど頷いた。
まさか山を登らされるとは思わなかった。夏の初めの青葉の峠。喜作は息切れして、なんべんも休んだ。百舌はいう。
「男五人で住んでんだ。いや、今は六人か。おめえも入れて七人だな」
「猟師ですか」
「山賊だ」
喜作は驚かなかった。山で暮らす盗っ人かあ。その程度の感慨だった。
「山賊ってな因果な商売でな、おれの百舌って名ぁかりそめなんだ。おめえにも、かりそめの名をやる。おめえは今から喜々須だ。いいな?」
喜作は――、喜々須は頷いた。
一刻ほど登ると、いい匂いが鼻をくすぐった。峠の越に、葦で葺いた掘建小屋。間口の簾を百舌が捲る。
「おっ、うまそうなモンがあらぁ」
喜々須よりも年嵩の童と女童が、炉の大鍋をかこんでいた。童が女童の髪をぽんと撫でる。
「こいつが煮たんでさ。で、そいつは?」
のっぽの童はうさんくさそうに見た。紹介もそこそこに、相伴にあずかった。肉の入った粥だった。喜々須のあまりの勢いに、童と女童――十一とお日羽がたじろいでいる。わかっていても、空腹はいかんともしがたい。
「お代わりは?」
お日羽が手を差しのべる。いまさらに気づく。えらい美貌だ。涼しい目もとに、紅い唇。色は白いが、そばかすなどない。どっかから拐してきたのか、と喜々須は思った。
烏帽子の者が現れた。丈六尺に届きそうな大男。男の黄金がかった目が細くなる。
「誰だ」
渋く深い声。こりゃ頭にちげえねえ。喜々須は跪いて、一礼した。
「きさ……喜々須と申しやす。百舌の兄ぃに拾っていただきやした。お世話になりやす」
「銀鴟だ。怒らすとこええぞ」百舌がささやいた。お頭にいう。「見てのとおり、ちいっとばっかし滋養がたりてねえが、しばらく食わせりゃ使いモンになるだろうよ。酒屋に奉公してたそうだ」
「酒屋か」
銀鴟はにやりと無精髭の口をゆがめた。人は笑うと可愛らしくなるものだが、この男の笑いは獣が舌なめずりしているようだ。喜々須はどぎまぎして目を伏せた。
山賊どもが続々と戻り、肉粥にありついた。大鍋はあっというまに底をついた。ざんばら髪の童がいう。
「お日羽の汁は天下一品だな」
「あっちの汁もな」
百舌が笑った。お日羽は耳を染めて顔を伏せた。あっちの汁って? と喜々須は思った。
山賊五人は盃を傾けつつ話した。ざんばら髪の童は夷虎といって、威勢のいい口をきいた。烏帽子の小太りは牙良といって、大工くずれらしかった。五人の話がシモがかってくると、牙良がお日羽を抱き寄せた。
「おゝ、ちょうどいいところに女がいたぜ」
銀鴟が牙良を張り倒して、お日羽をさらった。丹色の衣を捲りあげる。喜々須は息を呑んだ。お日羽の股ぐらには、魔羅と陰嚢があった。
銀鴟は袴を解き、膝立ちのお日羽の背を抱いて、激しくゆさぶった。肉が肉を打つ音。お日羽のせつなく寄せた眉根、うわずった喘ぎ声。喜々須は文字どおり首をかしげた。何がどうなってる? どうやら魔羅を尻の穴に押しこんでいるらしい。なんで? と思った。疑問だらけながら、喜々須の胸は早くなり、股間は疼いていた。銀鴟はお日羽の首をねじって、唇をねっとりと吸った。喜々須の心の臓は熱くなった。
百舌が膝行って、お日羽の衣をほどいた。妖しく白い肌に、ぷつりと尖った乳首と、赤く熟れて蜜を滴らせた魔羅。喜々須は生唾を呑んだ。百舌がお日羽の乳首を吸って、もう一方を捏ねた。あゝ、とお日羽が身をよじる。おのれの魔羅にふれようとして、百舌にひょいと両手を押さえられる。
「お日羽。おれは教えたよな。それはおめえのだが、おめえのじゃねえんだ。勝手にさわっちゃなんねえ。そういうときは、どうするんだ?」
お日羽は泣きそうに顔をうつむける。そのあいだも、銀鴟が容赦なく腰をたたきこみ、百舌が頸から腋から胸乳をねぶる。お日羽はぶるぶると腿を震わせて、ようやっと口にする。
「……ま、魔羅を、……てくださ……」
「魔羅が、なんだ。はっきりいってみな」
「……魔羅を、しごい……てください」
「そうだ、よくできたな」
百舌は口づけをくれると、三つ指でお日羽のそれをつまむ。お日羽は身をくねらせ、おゝん、おゝん、と高く咆える。あんなふうに乱暴にされて、気持ちいいのか。牙良も夷虎も十一も、お日羽の艶態に釘づけだ。お日羽と代わってみたい、と喜々須は思い、思ったことに惑う。こんなみっともねえあっしじゃ……。泣きたい気がして、喜々須は簾を捲って宵闇へ逃げだす。
酒屋の女房が喚いている。また銭がたりない。あんたがくすねたんだろ。下郎たちの冷ややかな目。喜作は抗弁しようと口をひらくが、なぜか声がでない。亭主の優男がいう。わざとちゃう。かぞえまちごうたんやろ。怒りのあまり、頭も肚も煮えそうになる。あっしは何もしちゃいねえ。盗んだのはあんただろう。善人ぶるんじゃねえや。叫びたいのに、喉からは呻き声だけ。女房に顔をぶん殴られる。
薄闇。男の蹠が顔を押していた。夷虎だ。のんきないびき。むらむらと腹が立って、脇腹を蹴りとばした。夷虎はまぬけな声をあげたが、すぐいびきをかきだす。未明の小屋のなか、むさ苦しい男たちの酒臭い息。あっしはもう、お人よしの喜作じゃねえ。山賊の喜々須だ。
山賊というのは、豪快で破茶滅茶な暮らしをしているものだ――おのれがなってみるまで、喜々須はそう思っていた。喜々須に割り当てられたのは炊事・洗濯・掃除・道具の手入・牝鶏の世話・町への買出……諸々の雑用だった。酒屋での奉公とたいして変わりやしねえ。それでも喜々須は文句はいわなかった。よっぽどのへまをやらかさないかぎり殴られることはないし、飯は腹いっぱい食えたし、小遣いももらえたからだ。
下働きはもっぱら童らの役目だった。喜々須とお日羽と十一と、夷虎。だが夷虎はどこをほっつき歩いているのか、顔をあまり見なかった。十一は寡黙で何を考えているのかわかりにくかった。お日羽は喜々須の直観どおり、拐されてきた寺の小僧だった。法名は天翰だそうだ。喜々須は解せなかった。
「なんで逃げねえんです」
お日羽は縛られても見張られてもいない。逃げようと思えば、いつでもできそうだ。お日羽はうつむいて、沢のせせらぎで包丁をすすいだ。
「十一どのに累がおよぶ」
十一が思いつめた顔で、お日羽の頭をぽんと撫でた。あゝ、こりゃ絆されちまってんだな、と喜々須は思った。
夜ごと山賊どもは宴をひらき、酒を酌んだ。そして酔いが回ってくると、お日羽を嬲った。銀鴟は手荒で、おのれ本位だった。牙良はせっかちで、しかも長くもたなかった。百舌はあくまで優しく、あの手この手で弄んだ。百舌が抱くとき、お日羽はあきらかに悦がった。喜々須は合点がいった。男をとっかえひっかえつれてきては、夜な夜なおかしな悲鳴をあげていた母親――これをしていたのだ。
もし抱かれるんなら、百舌の兄ぃがいい。
けれど、こんな美しくもない童がいい寄ったところで、苦笑されるだけだろう。いたたまれなくなって、喜々須は小屋を抜けだす。
正しいようで、てんでな水音。宵の沢に、うすみどりの暗い光が無数に明滅する。疼きの残る股ぐらを持てあまし、喜々須はぼうっと口をあけた。蛍は光ると気持ちいいんだろうか? 気持ちいいから、あんなに光るんだろうか?
するりと頸に絡む腕。ひっ、と喜々須は息を止めた。低めた笑声。
「こんなところでひとりじゃ、すだまに喰われちまうぜ」
「……す、すだま?」
心の臓がずきずきする。顔の真横で、夷虎が笑った。
「そうさ。夜の水辺にゃ寄ってくる。人をとって喰うのさ」
「すだまって、どんなんで?」
「さあ、見たこたぁねえからな。けど、すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう」
夷虎は後ろ手をついて、素足をせせらぎに投げだした。その腕の逞しい筋骨。ふれてみたくなって、けれど喜々須は目を背けた。何しに来たんだろう。
「夷虎の兄ぃは……」
夷虎がはじかれたように笑った。「夷虎の兄ぃときたよ。まいったな。おめえ、いくつだ」
「十二」
「おれぁ十四だ。まあ、兄ぃにはちげえねえか」
「兄ぃは、いつから山賊に?」
「おめえと同じで十二からさ」
「その前は何を?」
「忘れた」
そこはきいてほしくないのだな、と思った。沢の涼しさに、喜々須は身震いした。夷虎が肩を寄せてくる。
「なあ、どう思った。兄ぃらがお日羽をやってるのを見て」
喜々須は困った。お日羽と同じことをされてみたい、などといえるわけがない。
「てめえもやってみてえ、って思わねえか?」
「よく、わかんねえです」
「あそこが張るだろう」
喜々須はかぶりを振った。夷虎がむんずと股ぐらを鷲掴みにし、揉みしだく。
「いっちょまえに硬くなってんじゃねえか」
「……や」
いやにくすぐったくて、喜々須は躰ごと背いた。夷虎はさらに身を乗りだす。
「おめえ、せんずりはわかるか?」
「せんずり……?」
「だから、これをこうして」
夷虎はおのれの袴をずらして、魔羅をむきだしにした。大人並に立派で、ぬらぬらと光る。かあっと脳が焼けつくようで喜々須は、つい凝視した。夷虎はにやりとして、
「こうするわけよ」
見せつけるかにそれを両手で挊った。喜々須ははっとして目をつむったが、遅かった。
「おめえもやんな」
袴に夷虎の手がかかった。喜々須は這って逃げたが、なかば抱きあげられて夷虎の胸におさまった。袴と褌を解かれて、魔羅をじかに握られる。しごかれると、ひとりでに腰が跳ねて、あられもない声が喉を突く。
「うるせえな」
夷虎は口に口を咬みあわせる。魔羅をまさぐられつつ唇を吸われて、頭んなかがぼうっと霞んだ。間近に童の精悍な顔。
「おめえのさわってやるから、おれのさわれ。な?」
右手を導かれる。夷虎のそれ、熱くて硬くて湿っぽい。喜々須はこわごわと撫でさすった。夷虎も喜々須のを同じようにした。声をあげると、また口を塞がれて、こんどは舌を吸われた。湿った音がこだまして、喜々須は何も考えられなくなった。
「あっしがいたのは、柳楽屋ってえ酒屋でさ」
小屋の裏手、山賊五人の真顔にかこまれ、喜々須の声は硬かった。喜々須は小枝で地べたをひっかいた。店の間取と、土倉の間取。
「これが小町の店。間口四間、奥行三間。人は二階で寝起きしやす。亭主と女房と、下郎が五人。これが酒室。間口四間、奥行六間ってとこでしょうか。冬に仕込んだ酒甕が、ざっと九十、秋には飲み頃だ」
「九十も運べねえだろ」
夷虎がいった。百舌のあきれ声。
「おめえは酒池肉林でもしようってか? 十もありゃたくさんだ」
牙良がばか笑いした。銀鴟がいう。
「いっぺん下見に行かにゃなんねえな」
「そうですね。けど、あっしは面が割れてるんで」
喜々須は山賊一同を見まわす。銀鴟と目が合った。黄金色の双眸。
「おめえは誰が行けばいいと思う」
試されている、と思った。「銀鴟のお頭と百舌の兄ぃは目立ちすぎる。夷虎の兄ぃは……まあ、アレです」
「アレたぁなんだ」
夷虎は嚙みついた。十一が頭を指差す。
「ここがたりねえ、といいてえんだろ」
あゞ? と夷虎は凄んだ。この童がいつも姿を晦ませるのは、下働きを怠けたいばかりでなく、十一と反りが合わないせいだ。夷虎の目は敵愾心むきだしで、十一の顔はいよいよ冷たかった。
「店を下見に行くなら牙良の兄ぃと、十一の兄ぃが適当でしょう。牙良の兄ぃは大工あがりだから建物に強そうだし、十一の兄ぃはまともに見える」
喜々須はいった。銀鴟は百舌に頷いた。合格みたいだ。つい、安堵の息をつく。
「この女房が見栄っぱりで、衣に草履に簪にと、とにかく金を食う。亭主もばくち狂いで、借財をごまんとかかえてる。銭をちらつかせりゃ、いうこときくでしょうよ。ところで、いざ柳楽屋を襲うとなったら、店の者はどうしやす」
「朝まで気づかれねえのが一番だが、気づいて騒ぐなら殺す」
銀鴟はいった。喜々須は笑う。
「できたら皆殺しがいい。それがだめなら、亭主と女房だけ殺すんでもいい。殺すのは、あっしがやりやす」
「機会があればな。勝手はするな」
銀鴟の口は笑っていたが、目は笑わなかった。牙良がいう。
「下見はいいとして、盗みの当日はどうする。六人で行ったら、誰がお日羽を見てるんだ」
夷虎が手を挙げる。「おれが残ろう」
「だめだ」
銀鴟と十一が同時にいった。十一はいう。
「おめえはすけべなことしやがるからだめだ」
そうとも、こんなうらなりの青瓢箪にさえ手をつけやがる男だ、と喜々須は思った。
「十一、おめえもだ。また妙な気を起こされちゃ困る」
銀鴟がいった。十一はぐっと奥歯を嚙んだ。喜々須は意外だった。この堅物がお日羽に手をつけようとしたのか?
「いっそ、つれていっては?」
「それもだめだ」
十一はいいはった。お日羽のこととなると、この童はてんで阿呆になる。
「ひとりで留守番させりゃいい。おい、お日羽」
銀鴟が呼ばった。小屋から襷掛のお日羽が転げでた。夕餉の支度をしていたのだろう。銀鴟は薄笑いを浮かべる。
「近えうちに、おれらは留守にする。逃げようなどとゆめゆめ考えるなよ。おめえがいなくなったら、そのときは十一が死ぬ」
お日羽は澄んだ目を瞠って、十一を見やった。十一は、何もいわずにそっぽを向いた。
鳩合の果てたのち、十一とお日羽は深刻な顔で何やら話しあっていた。十一の肩に、お日羽は頭を乗せた。お日羽は逃げまい、と思った。ふたりの仲が、喜々須にはまぶしく映った。
夕刻、驟雨が峠を通りすぎた。山賊どもの夜の宴を、喜々須は抜けだした。雨後、沢の蛍の光は夥しかった。すだまとは蛍火のことじゃねえだろうか、と思った。
まもなく夷虎はやってきた。話もせずに、いきなり衣を剝ごうとしてくる。癇に障った。
「あっしはお日羽の姐さんの代わりですか」
夷虎はにやりとする。「なんだ、妬いてんのか」
「べつにかまやしません。あんたのことは、なんとも思わない」
夷虎が眉を顰めた。こういう男を幾人も見てきた。初めはいいことをいって下手にでているが、枕を共にするなり、まるでてめえのモンだといわんばかりに女をぞんざいにあつかう。いつだって母親がつれてくるのは、そんなやつらばかりだった。
「あんたが誰を抱こうが勝手だ。ただ、姐さんには手をださねえほうがいい。十一の兄ぃが黙ってねえ」
「十一」夷虎は鼻を鳴らした。「あいつはハナから気に食わねえ。わかったようなつらで人を小ばかにしやがるくせに、あんな小僧に腑抜けにされちまって、情けねえったらねえ」
「穴が空いてりゃ見境ねえあんたよか、十一の兄ぃのほうがましさ。あんたは木の股でも抱いときゃいい」
あゞ? と夷虎が胸ぐらを掴んだ。「ずいぶんとなめた口を利くじゃねえか」
「あっしの親分は銀鴟のお頭と百舌の兄ぃらで、あんたじゃねえ」
「このっ……」
顔を打つ拳骨。喜々須は舌を嚙んだ。血の味。岩陰の得物を、喜々須は振った。夷虎の左目の下が裂けて、血が滴る。夷虎の目が動揺し、血に染まった切先を認めた。喜々須は笑った。夷虎は手を伸ばす。
「こっちによこしな」
喜々須は包丁をまっすぐ握りなおした。夷虎の炯々たる目。男が、豹のごとく咆えた。一瞬の怯みを突かれ、手首を捻じられる。包丁が水へ没した。喜々須を組み伏せて、夷虎は笑った。
「おめえとは場数がちげえ。観念しな」
両腕で絞めあげられる。息ができない。おのれの頸の脈動を感じつつ、喜々須の眼前は暗んだ。袴と褌が剝ぎとられる。尻を撫でる夜気の冷たさ。ぬめった魔羅が割れ目に当たる。ぬめぬめと滑ってから、尻の穴に定まった。刃で裂かれるごとき痛み。喜々須は暴れた。けれど腰骨を掴まれ、力ずくで奥まで抉られる。内と外があべこべになるようだ。悲鳴が掠れた。ぎゅっと目をつむると、冷やっこい涙がでた。
「くそ、硬えな」男の声も苦しげにきこえた。「初めてか」
喜々須は頷いた。背から抱きかかえられ、男の膝に乗せられた。萎えた魔羅をしごく、優しげな手つき。
「おとなしくしてりゃ、悪いようにゃしねえ。ほら、力ぬけ」
胸乳を抓られ、右耳を食まれる。荒い息、濡れた音、硬い手のひら、熱い背中と、尻のなかの重たいもの――こんなの、ちっとも悦かねえ。喜々須はただ声を殺して、浅く早く喘いだ。瞼裏に無数の蛍が明滅した。
十三夜の月が、深閑とした小町を照らす。柳楽屋の土倉が白く映える。酒室の観音扉に、牙良は鑿と金槌を使った。海老錠が繋いだ金具を、漆喰ごと削りとろうというのだ。半刻ほどで牙良はやってのけた。喜々須は感服した。
「すげえ」
「へへ、大工の腕は悪くなかったんだぜ」
牙良は扉の片方からばきりと金具をもいで、あけ放った。銀鴟が顎で合図する。まず十一が踏みこんでいき、やがて中から手招きした。
高窓から差す月明り。ずらりと揃った常滑の甕。下見の際に目星をつけた甕を、山賊どもは一口ずつかかえて持ちだす。荷車に十二口をならべきり、牙良と百舌が大路を牽いていった。
銀鴟の佇まいから緊張が失せていた。これっぽっちで終いにする気なのだ。喜々須は金槌を拾って、土倉に駈けこんだ。酒甕をぶっ叩く。がぢゃん、とあっけなく割れ、酒の波が草履の足指を洗った。喜々須は続けざまに酒甕を叩いた。がぼん、がぢゃん。
「この大ばかが」
羽交い絞めにされた。夷虎だ。喜々須はもがいた。
「潰れちまえ、こんな店」
銀鴟と十一も顔をだす。銀鴟がいう。
「おい、喜々須。人が来るぜ」
「来たら殺す」
あゝ、誰も彼も殺してやる――
十一がいう。「殺すほどの恨みなのか」
「亭主が店の金をくすねてたのを、あの男、あっしになすりつけやがった。あっしに行き場がないのを知っていて。下郎に折檻されて、女房に飯を抜かれて、あっしは死ぬところだった。あんな男を親のように思ってたなんて。許せるわけがねえ」
血を吐くように喜々須はいった。銀鴟の手が、太刀へ伸びた。斬られるなら、それでいい。こんなくだらねえ娑婆に未練なんか――
十一が動いた。ばぼん、と大甕が真っ二つになり、酒の波が股を通り抜けた。鞘の太刀を手に十一は銀鴟にいう。
「なら因果応報だ。そうでしょう」
銀鴟の黄金の目が細くなる。十一の喉仏が上下した。銀鴟はおもむろに甕を持ちあげ、甕の列へ投げつけた。いっぺんに四つ砕けて、派手な音が室を満たした。銀鴟は手を叩く。
「みんな割っちまいな」
夷虎が金槌を奪い、片っぱしから甕を打った。
「南無・阿弥・陀っと」
高窓からの淡い月光の下、三人の山賊が暴れまわる。がぢゃん、ばぼん、ぐゎじゃららら。陶片と化す甕、むっとする酒の匂い。喜々須は痺れたかに立ちつくした。三人にとっては何の得もない、それどころか身を危うくする行為だ。おのれのために誰かが動いてくれたのは、思いだせぬほど昔のことだった。
誰ぞおるんか、と外から人声。銀鴟が近づいて、喜々須の手に匕首を握らせた。美しい刃。銀鴟は獣のごとく笑った。
「それで殺んな」
喜々須は頷いて、酒室を飛びだした。
提灯を下げた弥平と、吉蔵が庭に佇んだ。喜々須を認め、それから匕首を認めて、二人の顔が引き攣った。弥平がいう。
「喜作。てめえは恩を仇で返したうえに、よくもそんな」
「先にあっしの信頼を無下にしたのは、どこのどいつだ。吉蔵、あんたはよくわかってるはずだ」
吉蔵は下郎の図体に隠れるかに後ずさった。喜々須は刃を振りかざした。弥平は匕首を奪わんとした。喜々須のほうが素早く、弥平の手が血だらけになる。ぐぶりと嫌な手応え。押さえた腹から血が黒々と溢れ、弥平は倒れた。吉蔵が逃げだす。喜々須は腰を突き刺した。悲鳴をあげて吉蔵が這いつくばる。
「……す、すまんかった……喜作、ゆるしてく……」
喜々須は掻っ捌いた。頸からどぶりと血を噴いて吉蔵は黙った。痙攣する、なりかけの死体が二つ。燃える提灯。かたわらの鍵束を、喜々須は拾いあげた。
「あっしはもう、喜作じゃねえ」
ただの人殺しだ。
柳楽屋の店は静まりかえっていた。喜々須は跫音を忍ばせて階段をあがった。夫婦の寝所の襖を叩きあける。
お今は布団に半身を起こしていた。血飛沫を浴びた喜々須に目を丸くし、血塗られた匕首にさらに目をひんむいた。喜々須は笑った。
「野良犬が恩を返しにきましたよ、おかみさん」
「誰の血だい」
「あんたの亭主と、弥平のさ」
「弥平、弥平をどうしたんだい」
女の半狂乱の形相。吉蔵の初めの女房は郷里に帰され、お今は二人目だ。しかし二年経っても懐妊の兆しがなく、三人目をもらえと吉蔵の老母が騒ぎはじめた。その矢先の子宝だった。喜々須は口をゆがめた。
「へえ、吉蔵の旦那は気の毒に。その胎の子は弥平のか」
「弥平は」
「庭で死んでる」
あゞゞゞゞゞゞ、とお今は絶叫した。孕婦とは思えぬ動きで喜々須に迫り、突き飛ばして去った。喜々須は追った。
月下の庭、お今が弥平にすがりついていた。名を呼ぶか細い声。亭主から見れば不義にせよ、この女が弥平を思うのにうそはなかった。
「おれと取引しねえか」
ごく自然に、おれと喜々須は口にした。お今のつぶらな目、宿る月影。
「銭をいくらか分けてくれ。その代わり、おれは胎の子の素性は口外しねえし、あんたのまえにも二度と現れねえ」
「いやだといったら?」
「あんたの目を潰す。あんたも、胎の子も、後ろ指さされる。どうする」
喜々須は匕首の血を、親指でぬぐって舐めた。お今はわなわなと震えて、顔を背けた。男のように太い声をだす。
「銭でもなんでも持って、とっとと行っちまいな。そのそばかすづら、二度と見せないどくれ」
喜々須は店へ歩を進め、ふと顧みる。「あゝ、あとひとつ。その子は男だと思うぞ。弥平に似ねえといいが」
腰に差した匕首が、かたかたと鞘鳴りする。懐に銭を持てるだけ持って、喜々須は峠を登った。吹きあげてくる夜明けの風。生きている、と無性に思った。山麓の森と遠い町。風は冷たかったが、ひらけた眼下に闇は見えなかった。
がさり、と藪が鳴った。喜々須は身構えた。するりと頸に絡む腕、その抱き方で夷虎だとわかった。やらせろ、と息を耳孔に注がれる。背筋がぞくぞくした。すだまに喰われたやつぁ、てめえもすだまになっちまう。喜々須は、力を抜いた――
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