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第五話
生き延びれた理由
しおりを挟む「まぁ、それは犬に限ったことではないけどね。魔素は水の中にもあるし、食べ物にも含まれているから、どうしたって影響は受けてしまうんだよ」
「この世界には動物が存在しないってことですか?」
「いや、例外もいるよ。魔素を取り込んではいるけど、魔物には分類されない動物が一種だけ存在する。なんだと思う?」
俺は首を傾げて少し考える。
「人、ですか?」
「御名答。さて、と。これで解体は済んだね。串焼きの準備に移ろう。あ、でも、その前に一度身綺麗にしておこうか。私は火を起こしておくから、これを使って川で体を洗ってくるといいよ。そのままじゃ食事を楽しめないだろうしね」
こ、これは──。
ラフィが鞄から取り出したのは石鹸だった。俺はそれを震える手で恭しく受け取ると、小躍りするように川の縁に向かった。
浅瀬に足をつけ、優しい冷たさを感じながら貫頭衣を脱ぐ。俺はもう汚れたボロ布にしか見えないそれに濡らした石鹸を擦り付けてゴシゴシと泡立てた。
真っ黒に染まった泡を川の水で流し、また貫頭衣を洗う。何度か繰り返すと、泡の色が白いままになったので、今度は貫頭衣をタオル代わりに体を洗った。
抵抗がないと言えば嘘になる。石鹸で洗ったとはいえまだ血生臭さは残っていたし、生地もゴワゴワしていて心地良くはない。何より折角洗った貫頭衣がまた汚れてしまう恐れがあった。とはいえそこは仕方ないと割り切る他ない。
清拭と洗濯を同時進行していると思えば良いだけだしな。深く考えないでおこう。うわ、こんな垢の量、前世でも見たことねぇよ。石鹸なくなるなこりゃ。
それにしても、ナイフを借りれたのは助かった。実際に犬を解体してわかったが、ナイフでも簡単には捌けなかった。石だと日が暮れても終わらなかっただろう。
そのことを感謝の気持ちと共に大声でラフィに伝えると「ナイフくらいで大袈裟だね」と苦笑された。俺はその返しに少しむっとした。
ラフィに悪気はないのだろうし、飽くまで謝意に対する定型的な返事であることもわかっているが、ずっと原始的な道具しかない中で過ごしてきたからか、その苦労を理解してもらえていないように感じられて腹が立ったのだ。
「そのナイフすらなかった状況でしたから。石でやるのは大変でしたよ」
「それはまた無謀な挑戦だね」
「俺からすると、生きること自体が無謀な挑戦でしたよ」
身寄りがない、言葉も話せない、食べ物はゴミ漁りで取った残飯か捕まえた鼠や虫。その上、火を起こせないからそのまま食うしかなかった。
原始的な道具しか使えなかった苦労をわかってほしかっただけだが、いつの間にか自分の辿った過酷な半生について愚痴をこぼしていた。
「す、すごいね君は。まさかそこまで酷い環境に置かれていたとは思いもしなかったよ。よくここまで生き延びてこれたものだね」
「ええ、本当に。自分でも不思議ですよ」
「そうだよね。どう考えても普通は死んでるよね。なにかあるのかな?」
浅瀬で体を洗っている俺に、串焼き肉の準備を済ませたラフィが近づいてきた。そして生まれたままの姿の俺をじっと見つめて青褪める。
そんなラフィの視線を受けて俺は血の気が引く。変なことされないだろうな。
「ラ、ラフィ?」
平静を装い、なるべくにこやかに名前を呼ぶ。口角が痙攣しているのがわかる。前世も含めて、こんなに裸をじろじろ見られた経験なんてない。
ラフィは俺の表情に気づいたのか、一瞬はっとした表情を見せたあとで焦ったように苦笑した。俺に両手のひらを向けて小刻みに振る。
「い、いや、ごめん。違うんだ。実は今、【分析】という技能を使って、君の情報を確認していたんだよ。決して他意はないから」
「そ、そうですか」
俺は胸に手を当て安堵の息を吐く。ラフィも同じようにしていたが、誤解が解けて気を取り直したのかすぐに神妙な顔つきになった。
「でね、君が生き延びれた理由がわかったよ」
「生き延びれた理由? な、なんです?」
「とても言いにくいことなんだけど、君は、人ではなく魔物だった」
「え?」
驚いたように呟いてみたものの、内心、だからなんだと思っていた。魔物どころかこの世界について何も知らない俺にそんな深刻そうに言われても困る。
そもそもあの劣悪な環境下で見た目十歳前後まで生き延びてる時点で人間離れしてると思ってたよ。驚きもなにもあったもんじゃない。
ん? そういえばフェリルアトスが『そう簡単に死ぬことはない』とか『設定をいじくる』って言ってたな。そうか、あれはこのことを言ってたのか。
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