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海辺の開拓村編
10.スパイキークラブ物語(10)
しおりを挟む他人が美味そうに食っているのを見ると、そうなるんだよなぁ。
昆虫や甲虫ならそうはならないかもしれないが、これは蟹。外殻を外せばぷっくりとした艶めく肉がある。
それも、ふんわりと優しい良い香りを漂わせているのだから、美味そうに見えない訳がない。よし、今度はカニミソだ。
俺はビルさんから目を離し、黙って次の準備に移る。茹で上がったスパイキークラブの甲羅をベリベリ剥がし、カニミソを確認。
ところがそこにカニミソはなく、本来それがあるはずの甲羅の内側には、一つの魔石があるだけだった。
「マジか」
カニミソがないという事実に愕然とする。あの風味が得られないとは。
まぁ、無いものは仕方ない。
仮にあったとしても、それなりに癖があるものなので、この世界で受け入れられる可能性は低いように思えた。それを救いとして早々に気持ちを切り替えた。
甲羅の内側中心にくっついている魔石を引っ剥がす。力がいるかと思ったが、コンセントを抜くような感覚でカコッと簡単に外せた。
「そうなると、脚肉だけだな。焼きと、剥き身でスープもいけるか。出汁も取れるし、外殻を粉砕できれば他にも用途が見えてくるな」
独り言を呟きつつ、ビルさんへと目を遣る。と、ビルさんが意を決したようにギュッと目を閉じ、思い切り脚肉にかぶりつくところだった。
「美味い……」
信じられないといったような顔で、食べかけの脚肉と俺を交互に見る。
「どうです? 俺、依頼達成できそうですかね?」
笑って訊くと、ビルさんは嬉しそうに「ああ、ああ」と何度も頷いた。
俺はホッとしたが、脚肉を頬張りながらポロポロと涙を溢し始めたビルさんを見てすぐにギョッとした。心臓も少し動悸が起きる。ビルさん情緒不安定過ぎだろう。
「美味いなぁ、うん。美味い」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
ビルさんは袖で涙を拭って笑った。
「すいません。ちょっと、昔のことを思い出して」
「それって、この厨房が使われてた頃のことですか?」
ビルさんが頷いて、説明してくれた。
元々、ここは宿と食堂を兼ねていたという。奥さんが作った料理は、村人だけでなく宿泊客からも人気だったらしい。ところが、移住して最初の夏期に事件は起きた。
スパイキークラブが奥さんを襲ったのだ。
「私たちは、移住してきたばかりでした。こんなものが出るなんてまるで知らず、村長に言っても、対策も取ってもらえませんでした」
「それは、奥さんが襲われてからの話ですか?」
ビルさんが頷くのを見て俺は頭に血が上るのを感じた。この世界に来て腹が立った回数は少ない。大抵怒ってないよで済ませる俺を怒らせたら大したもんだ。
「それで、奥さんは?」
「療養所にいます」
「療養所って、そんなに酷いんですか?」
「左脚の膝から下と、右手を切り落とされてしまって、心を病んだんです」
俺は言葉が出なかった。頭でプツリと何かが切れた。
そんな状態になった被害者が出ているのに、害虫駆除依頼だと?
俺は一度大きく息を吐いて燃え上がる憤怒を鎮める。ここで怒り狂っても何も変わらない。努めて冷静に話を聞いて、諸悪の根源にぶつけなければ。
もう気が済まん。村長許すまじ。
「ビルさん、スパイキークラブの被害者は奥さんの他にもいますか?」
「はい、この村ができてからまだ四年程度ですが、年に二、三人は大怪我をしています。命を落とす場合も」
「冒険者ギルドへの依頼は?」
「何人かの村民で集まって、村長に掛け合いました。そしたら『依頼に出せるほど村に金はない、各々が気をつけていれば済む話だ』って」
「それじゃあ、依頼は?」
「被害者の家族が呼び掛けて、身銭を切って、その金で依頼を出すように村長にお願いしたんです。それで、皆さんが来てくれて」
俺は【異空収納】から害虫駆除の依頼受注書を取り出し、無言でビルさんに渡す。怪訝そうな顔で受け取ったビルさんだったが、それを読み始めた途端に体が震えだす。
「なっ、何ですかっ、このっふざけた依頼はっ!」
顔を真っ赤にして叫ぶビルさん。俺は破かれる前に素早く依頼受注書を取り返し【異空収納】に戻しながら村に集会所がないかを訊ねた。
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