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第三章 六年後編

編纂者の真実

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 黄昏時の監獄街を、ツルハシを担いだ衛兵の男が歩いていた。

 元はアリアトス聖教国で聖職者をしていたその男は、今では穴を掘るだけの日々を過ごしている。この日も朝から延々と穴を掘り続けていた。

 十六年前、突如として空から降ってきた『異形』を顔に受け、意図せず核を飲み込んでしまったことが男の不運の始まりだった。

 適性があったことで死ぬことはなく、レクタスで最初の『適合者』となったその男は、更に不運なことに地球の記録が保管されたアーカイブとの無意識の接触という不安定な能力を得てしまった。

 能力を得た当初はそこまで酷くはなかった。多少の目眩や白昼夢に苛まれはしたものの、少なくとも、それを神の預言と受け止め、アリアトス教典の編纂を行える程度には正気を保つことができていた。しかしそれは、浸食が進んでいなかったが故のこと。

 日に日にアーカイブの見せる光景と現実の境目がわからなくなっていき、ついには死を望んだ。飛び降り、首吊り、服毒と様々な自殺方法を試みてみたが、どの方法も死を与えてはくれなかった。男は絶望し、やがて気が触れてしまった。

 男はアリアトス聖教国がゲイロード帝国と名を変える前に出奔していた。その頃にはもう、周囲からはまともではないと思われていた為、止められることはなかった。消息が途絶えても、気に留められることも探されることもなかった。

 男は導かれるように荒野を歩いた。
 探しものをしていた。
 それがあれば死ねると考えていた。

 自分諸共、世界まで終らせる破滅の炎。
 男はその光景を求めていた。
 一瞬で消え去れるのなら、それ以上の喜びはない。

 位置の特定は済んでいた。地球はレクタスと同化しているので、人ならざる物の残骸は各地に遺物として存在していた。

 その大半は地中深くに埋もれていたが、男にはその場所もわかっていた。

 男が辿り着いた先は監獄島にある監獄街だった。そこで身分の証明をして衛兵の職を得た。気が触れているとはいえ、教養と身分はしっかりとしたものだった為に、特に問題とされることもなく、男はすんなりと職に就くことができた。

 言ってしまえば、それほど程度が低いということだった。監獄街の管理を担う者から見れば、勤めていた衛兵たちよりも、気の触れた男の方が遥かにましに見えていた。

 男は自分が死ぬ為の物を探し続けていた。だが見つけることができずにいた。能力に邪魔をされ、現実と地球のアーカイブが見せる光景の狭間を漂い続けていた。

 近づいても、また遠ざかる。
 ただうろうろと街を彷徨い歩くばかり。

 他の衛兵からは真面目に巡回する変わり者だと思われていた。時折、突発的に死のうとすることはあったが、誰も気にしなかった。

 生きるも死ぬも自由。自殺する衛兵は少なからずいた。放っておくのが常だった。

 ただ男は死ななかった。ぎょっとさせられる衛兵は多くいた。男が勤めて一二年の間は死にぞこないと嘲笑う者もいたが、そのうち恐れられるようになった。

 衛兵となって十年が過ぎたある日、男は輝く人を見た。
 夢現のような世界の中で、その人だけがはっきりとしていた。

 その人の傍らには少年がいた。こちらも他とは違って見えた。
 男は少年に声をかけた。フードローブを着ていたので、被っているフードを覗き込むようにじっと観察した。酒が入っていたが少年の姿はよく見えた。

 衛兵としての仕事をする気はなかった。
 興味が湧いて声をかけずにいられなかったというだけだった。

「私の連れです。行商見習いですよ」

 少年を見ていると、輝く人が声をかけてきた。

 連れの少年が行商見習いということは、輝く人は行商で間違いない。
 男は酒を頼んだ。だが酒は切らしているという。それなら眠れる薬をもらおうかと男が頼むと、輝く人は錠剤入りの薬瓶を差し出した。

 男はそれを受け取るなりに、錠剤を一瓶分すべて飲み干した。
 いや、食べた。ボリボリと咀嚼し、味わって飲み込んだ。

 これが最期の食事なのだと男は思っていた。

 元が聖職者である為、信仰心は高い。輝く人が神の『御使い』で、行商人を装って死なせにきてくれたのだろうと思い込んでいた。

(そうかそうか。なるほどなるほど。神の再誕は既に起きてたんだな。じゃあもっと早く救いに来いってんだよ。遅すぎるんだよ、馬鹿野郎が)

 酒に酔い朦朧としている男は、都合良くそう解釈した。

 いつまでも苦しめ続けた神に対して憤っているところがあった為「効いたらまた頼むよ」などと言って小馬鹿にしたものの、その程度は許されると考えていた。

 これでようやく死ねる。

 男がそう思うくらい薬はよく効いた。ぐにゃりと視界が歪んだ先は真っ暗闇。
 男はこの十年の間に、一度としてなかった幸せを得た。

 夢を見なかった。
 何一つ考えることができなくなった。

 安息の闇の中で、男の壊れたところが治っていった。

 結局、男は死ねなかった。むしろどんどん健康になっていった。

 三日後、男は詰め所のベッドで気持ちよく目覚めた。
 邪魔だからと他の衛兵に運び込まれていた。

 男はほぼ間違ってはいなかった。確かに輝く人は神の『御使いのラフィ』だった。そして常人なら確実に死ねる薬を与えられていた。
 男の唯一の間違いは、『御使い』が死なせにきたと思い込んだことだった。

 当然、ラフィにはそんな気はなかった。目的は貧民区画──ゴミ捨て場──にいたイスカを神域に連れて行くことであって、男のことなど知りもしなかった。

 ただ男が自意識過剰で勘違いしたというだけである。

 しかし、男は生きていることに絶望した。怒りに歯噛みし叫びを上げた。

 何故、まだ死んでいないのか。
 神の『御使い』でも自分を殺せないのか。

 もしかすると、あれは『御使い』ではなかったのか。
 神の再誕は起きていないのか。

 三日の間、ほぼ死んだように過ごしたことで思考はこれまでになく冴えていた。

(そうだ、世界ごと消してしまえばいい。最初からそう考えていたはずだ。どうして忘れていた。酒に溺れて朦朧として、俺は一体何をしていた)

 男は地球のアーカイブで見た終末戦争の光景を思い出し、それをもたらした『偽神』が収められた黒い箱を探していたこともまた思い出した。何もかもどうでも良くなってしまう前に、それを見つけ出してやろうと躍起になった。

 男はゴミ捨て場で穴を掘り始めた。そして行商人が訪れると例の薬を求めて一瓶まるまる飲み干し三日眠って正気を取り戻すという生活を続けた。

 男が仕事らしい仕事もせずにいることを咎めに行く者はいた。からかいに行く者も新参者の中にいた。その尽くが男に殺された。男が殺されかけたことも何度もあったが、必ず回復して復讐を遂げた。そのうち邪魔立てする者はいなくなった。

 そして──。

 男が穴を掘り始めてから六年の歳月が流れた。

 この日も男は坑道となった穴をツルハシとスコップを使い掘り進めていた。

 土はストレージに収めて外に捨てれば良いだけ。
 湧き出て邪魔をする地下水にしても同じこと。

 たった一人で、死ぬ為だけに続けてきた。
 その作業が、ついに報われるときがきた。

 ガツンと男の手にしたスコップに硬い感触があった。周辺の土を削り落とし、手で払うと明らかに人の手によって作られた滑らかな金属の壁が現れた。

 男は歓喜し、その壁を破ろうと試みた。だがどれだけツルハシを振るっても僅かな傷と凹みをつけるのが関の山で、どうにも壊せる気がしなかった。

 既に七年近いときが過ぎている。
 これからは壁を破る為に時間を費やすことになるのかと項垂れた。

 男は神を呪った。再誕を願う敬虔な信者であった自分にこのような仕打ちを与える理由はなんだと叫んだ。そして壁を殴った。拳から血が流れても殴り続けた。

 そうしているうちに、ふと原点に立ち返った。
 何故、自分はこうなってしまったのかと。

「『異形』だ。ハッハハハ。『異形』なら壁を溶かせる!」

 坑道に男の狂喜する声が響き渡った。

 男が『異形』を手にするのは、それから半年後──。

 アーケイディア王国領から、人が消えた後のことである。
 
 
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