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芽生え~彼此繋穴シリーズ短編~
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しおりを挟む滑らかな石壁に囲まれ、天井からは鍾乳石が垂れている。床の半分ほどが池で、その澄んだ水面が、風海月たちの青い光を揺らめきに載せて返していた。
すっ、と白くて細長いものが池の中を通った。すぐに死角に入ってしまったのでよく見えなかったが、大きな尾鰭が翻っていた。
魚だ! と僕は心で叫んだ。僕は初めて目にする生き物に胸を弾ませた。
そんな僕の興奮を察してか、父がすかさず顔の前で人差し指を立てて言った。
「驚かせないように、小声でね」
「は、はい」僕は頷き、池を指差す。
「今、あそこに大きな白い魚が見えました」
「おしい。あれは魚ではないよ」
「え、じゃあ、何です? イルカですか?」
「いや、それも惜しいね。どっちも半分は正解してる」
「半分? まさか、人魚ですか?」
「そう、そのまさか。あれは家で飼ってる人魚だよ。名前は魅音。彼此だ」
「ヒコン?」
僕は首を捻る。父が、「うん」と頷いて言う。
「彼の世のものが、此の世で体を得たものだよ。風海月と違って実体がある。彼の世で体を失った父さんとは逆だね」
「じゃあ、父さんはコンヒですか?」
「此彼?」父が小さく失笑する。
「安直だね。そんな風に呼ばれたことはないな。父さんはカエラズと呼ばれてる。不可能の不に、返還の還を合わせてそう読む。彼の世に長く留まり過ぎて、魂の奔流に拒まれた人間の成れの果てだよ。でも、彼の世の瘴気が抜ければまた奔流に還れるから、そんなに悪いものでもないよ。誰かに祓われでもしない限りは、自分で還る時期を決められるんだからね」
「それって」僕は父の決して変わらない顔色を窺うように訊く。
「死なないってことですか?」
「ある意味ではそうだね」父が僕の頭を撫でて言う。
「父さんはもう体がない。それは死んでるってことだ。死んでるんだから、もうどうしたって死ぬことはない。後はいつ還るかを決めるだけなんだよ。百鹿とも、いつかはお別れしないとね」
お別れ。
それは、冬枯れの中に一人佇むような、とても寂しい言葉だと感じた。離れたくないという強い思いが沸き起こり、泣きそうになった僕は父の足に抱きついた。
「父さん、還らないでください」
慰めを期待した僕に、父は乾いた笑い声を上げて答えた。
「そういう訳にもいかないよ。ずっと此の世にいたら悲しいばっかりじゃないか。だけど、まぁ、百鹿がお爺ちゃんになるくらいまでは還らないだろうから、そこは安心すると良いよ。その安心は、いずれ辟易に変わるだろうけどね?」
父が袖を軽くめくり、腕時計を見て言う。
「おっと、いけない。そろそろ魅音を紹介しよう。詰まってきちゃった」
父は僕をさらりと引き剥がした。そして早足で歩き出し、池の縁で立ち止まると、水面に向かって小さく手招きした。
すると、ちゃぽん、と小さな音をたてて、白髪で覆われた顔が水面に現れた。
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