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3‐1 正木誠司、カレーを食う(前編)

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 しばらくして、落ち着きを取り戻したのか女が慌てて俺から離れた。
 視線を彷徨わせながら恥ずかしげに頬を染めている。

「す、すみません」
「あーうん」

 こういった場合どういう言葉をかけるのが正解かを考えながら、俺は頭を掻く。
 知らないおっさんに抱きついて泣くというのはかなり勇気ある行動だと思うが、それをそのまま言葉にするのは憚られたので当たり障りなくフォローしておく。

「気にしなくていいよ。多分、俺みたいなおっさんでも、君と同じ境遇だったらそうなってたと思うし」

「そ、そう言っていただけると助かります」

「むしろ逆じゃなくてよかったよ。若い女性に抱きついて泣くおっさんって、変質者でしかないからね」

 悲鳴を上げられて引っ叩かれている自分が想像されて、目覚める順番が逆じゃなくてよかったと心から思う。
 そんな俺の心中をわかっていないようで、女が控え目に笑う。

「ふふっ、おっさんだなんて。面白い方なんですね」

「いや、実際そうなってたら、そんな風に笑えてなかったと思うよ。何すんの変態って怒鳴りつけてたんじゃないかな?」

「そ、そんなことないです。そういうことをする方には見えませんし、とても優しそうで、その……」

 あ、そうか。俺、若返ってたんだ。
 てことは、この反応は俗に言う吊り橋効果か?
 安全な吊り橋もあったもんだ。

 女がもじもじしているのを見ながら言葉を待っていると、クイクイと俺のツナギが引っ張られた。目を移すと、ジーナが太腿の部分を引っ張っていた。

 鍋を指差し目で訴えてくる。

「うわ、鍋火にかけたままじゃない? 大丈夫?」
「あ、ごめんなさい! 火は消してあるんで大丈夫です! 座って待っててください! すぐに食事を用意しますね!」

 厨房にいても何もできないので、俺はジーナを抱き上げて食堂に戻った。

「ナイスだ。よく教えてくれた。偉いぞジーナ」

 頭を撫でると、ジーナがくすぐったそうに「えへへ」と目を細めて笑い、小さな手で俺にしがみつく。実に可愛い。可愛い以外に言葉がない。

「エレス様々だな」
【はい? どうされましたマスター?】
「感謝の独り言だよ。ありがとな」
【うふふ、よくわかりませんが、光栄です】

 念には念を入れ、事前に禁忌についてエレスに確認してあるので、心置きなくジーナの頭を撫でることができた。
 地球でも宗教や文化的に頭を撫でるどころか触れること自体が禁忌な地域があった。郷に行っては郷に従え。自国文化準拠の感覚で接するのは危険だ。

 今後も気をつけないとな。

 そんなことを考えながら、ジーナの頭を優しく撫で続けていると、側を漂っていたエレスが指をくわえるような仕草を見せた。

【頭を撫でられるというのは、どういう感覚なのでしょう?】
「ん? それは難しい質問だな。ジーナに訊いてくれるか?」
【いえ。あの、マスター。私に実体があれば撫でてくれますか?】
「実体? エレス、まさか実体化できるのか?」
【条件が揃えば可能です。詳細はマスターの手が空いた時にでもお伝えします。まずは席に着いてください。食事が運ばれてきます】
「ああ、そうだった」

 ジーナと二人でテーブル席に着いてすぐに、女が白い深皿を運んできた。中身はやはりカレーだったが、その横に盛られているはずのライスはない。

「もしかして、米がない?」

「あるとは聞いてるんですけど、ウシャスにもマリーチにも積まれてないそうです。あまり好まれてないとかで」

「それじゃあ主食は?」

「パンです。ちょっと硬めのバゲットみたいな」

 女が眉を下げて笑う。

「料理をして、異世界に来たんだなって実感しました。元の世界と似てるけど、やっぱりどこか違う食材しかなかったり、スパイスは揃ってるのに、カレーは誰も知らなかったり。最初に作ったときは、色がおかしいって気持ち悪がられました」

「食べたことないものって抵抗あるからなぁ。でも『最初は』ってことは、今は違うんだよね?」

「はい。ジーナちゃんが美味しそうに食べてくれたんで、それを見た周りの人たちも食べ始めてって感じです」

「ジーナ大活躍だな」

 名前を呼ばれたからか、ジーナは俺と女を交互に見ながら首を傾げる。ほっぺたをぷにぷにつついてやると、「やっ」という声と共に、小さな両手で俺の手を真上に跳ねのけた。万歳をしたジーナが、してやったりと得意げな笑顔を見せる。

 まさか新技を拝めるとは思っていなかったよ。ありがとう。

「それにしてもすごいね、これ。一から作ったってことでしょ?」

「小麦粉とバターにスパイスパウダーを混ぜ込んでお湯で伸ばしただけですから、実は難しくないんです。ブレンドも適当ですし、具材も見た目が似ているものを使ってる感じで。口に合わなかったらすみません。あ、スプーンとパンを取ってきますね」

 女がスプーンとパンをテーブルに載せ、俺の向かいの席につく。ジーナは俺の隣で、エレスは気を利かせたのか女の隣に座った。

 もっとも、実体を持たないエレスがしているのは飽くまで座ったふりなので、座ったように見せているというのが正しい。ちなみに椅子ではなくテーブルの上にだ。相変わらずすごい技術だと思う。

「じゃあ、いただきます」
「いたーます」
「はい、どうぞ」

 異世界カレーは、ちゃんとカレーだった。店で食べる本格的なものではなく、市販の中辛カレールーを使ったような家庭の味で、普段俺が作っているものとよく似ていた。心安らぐ、毎日食べれる味だ。何よりジーナ、いただきますできて偉かった。

「うん、美味い」
「まい!」
「よ、よかったです」

 カレーライスではなかったが、一口目から満足できた。ややとろみのあるカレースープにパンを浸して食べるのもすごく美味い。パンが硬めなので、浸すと丁度よくなるのがまた良い。
 ジーナも満面の笑みで食べている。でも、ちょっと危ない。いや、ちょっとじゃない。そこ口じゃない。手はパンじゃない。

「うわ、拭く物ある?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと用意してます」

 苦笑する女にハンドタオルを手渡される。

「ありがとう。助かったよ」

 ジーナは口の周りと手がカレーでベタベタになっている。ツナギが汚れたら困るので、手早くハンドタオルを襟に押し込んで前に垂らしエプロンにする。

「おおー」と、ジーナが俺とエプロンを交互に見て目を丸くする。

「ジーナ、汚れたら、ここで拭くんだぞ。服を汚さないようにな」

 手振りを加えて説明すると、すかさずエレスが通訳に入り、ジーナが「ん」と頷いてハンドタオルで手を拭いた。なんだろうかこの可愛い流れ作業は。
 一生やれる自信があるぞ。
 
 
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