18 / 70
第二章 魔都キンシャチで正直者は女に溺れる?
第六話 どんまいシスター
しおりを挟む
「痛いです!」
体を鍛えているからと言って、ひっぱたかれればやはり痛い。シロは非難のまなざしで女に訴えたが、全く通じた気配がない。女は快活に続ける。
「もちろん、失業は大痛手ですよね。でも大丈夫。あなたの若さなら、人生どれだけでもやり直しはききますよ。どんまい、どんまいです!」
「いってえ! あの、叩くのやめてもらえませんか」
「ええっ。ここに来るお客さんは、みんな励ますと喜んでくれるのに」
「俺にはそんな趣味はないので。励ましていただかなくて結構です。第一俺はハッチョ屋の奉公人じゃない」
シロは誤解の元であるえんじ色の印半纏を脱ぐと丸めて脇に抱えた。
「あらっ。いい筋肉してますね。これなら、建築現場で引く手あまたでしょう。今丁度、歓楽街に新しい酒場を建てているところで作業員募集中です。どうですか?」
「どうですかって、俺は失業者じゃないので」
「ああーそうですか。ご家族にはまだ話せてないんですね。了解です。妻と幼い子を養わなきゃいけないのに、職を失ったなんて、大の男が言えませんよね。どんまーい!」
「ぐあっ。どんまいするのやめてください!」
再度背中を叩かれて悲鳴を上げたシロは、女から数歩遠ざかった。細い体と腕からは想像もつかない力が込められており、かなり痛い。
「それに俺は結婚してませんから」
「あららら。奥さんにも愛想をつかされたんですか。それはお気の毒に。どん」
シロが警戒して更に女との距離を広げたので、女は途中で言葉を切った。
シスター・ウーヤというのがどんまい女(とシロが密かに名付けた)の名で、大教会から派遣されているという。他にも大教会所属のシスターとボランティアの信徒でこのどんまい食堂を運営しているのだが、食事時のピークを過ぎたこの時間帯、シロにとっては不運なことに、スタッフは彼女しかいなかった。
シロが早口に事情を説明すると、シスター・ウーヤの顔から笑顔が消えた。
「そうだったんですね。とても惨めでうち捨てられたご様子なので、てっきり失業者の一人かと」
一応昨晩は湯に浸かり旅の垢を落としてきたのだが、それほどしょぼくれて見えるのだろうかとシロは不安を覚えた。
「お捜しの元スレイヤーさんは、あちらの奥で寝ている体の大きな男性です」
シスターが指さしたのは、入口から最も遠いテーブルの端だった。
「でも……お話ができる状態かどうか」
シスターの後について男に近づくにつれ、シロの不安は絶望にとってかわった。
確かに、大きな男なのだろう。テーブルに突っ伏しているので定かではないが、身長も高そうだ。そして、目を見張るのは横幅だ。食堂内の椅子はどれも簡素な背もたれのない丸椅子だが、彼はそれを三つ尻の下に敷いていた。それでも椅子の脚が軋み悲鳴をあげているのが聞こえる気がする。
「今日はお昼も食べずに、ずっとあの調子で」
「どこか具合でも悪いのでしょうか」
小山のような巨漢に近づくにつれ、シスターの言う「あの調子」の意味がシロにも理解できた。アルコールの臭いだ。たっぷり肉のついた背中に目を奪われ気付かなかったが、酒瓶がいくつもテーブルの上や男の足元に散乱している。
「ここでは、酒も提供するんですか?」
失望と怒りの混じった声でシロは尋ねた。
「必要に応じて提供することもあります。でも彼の場合は……」
「必要に応じて」シロは不快感を隠そうともせずに言う。
「俺の親父も酒飲みだった。酒を出さないと暴れる、『必要』というのはそういうことなんですか。アル中を大人しくさせるために酒を飲ませると」
「あなたはお酒を飲まないのですか」
シスターはシロを振り返らずに言った。先ほどまでにハイテンションが嘘のように、声の調子が沈んでいる。
「飲みませんよ。親父みたいになりたくないので」
「それは、幸いかもしれません。私も、幼少より神に仕える身なので飲んだことがありません。そんなことは別に強い意志がなくとも、簡単なんです。私や、そしてあなたのような方には」
シスターが小山のような背中に手を置いても、男は微動だにしない。
「ヘルシさん、お客様ですよ。あなたに取り急ぎの用事があるそうです」
シスターが揺さぶるが、それでも反応はない。
「一体、どれだけ飲ませたんです。これじゃあ、早く死ぬよう手を貸しているようなものだ」シロが男の周りに転がる酒瓶を見て嫌悪感も露わに言う。こんなところまできて、時間の無駄だったのではないかと後悔の念が押し寄せる。
「こちらが供給するのは、手の震えを止めるためとか、深刻な禁断症状を緩和させるためですが、それとは別に、彼に大量のお酒を供給する『崇拝者』がいるのです」シスターは溜息をついた。「仕方がありません、最終手段です」
シスターは静かに言うと、軽く咳ばらいをしたあと、叫んだ。
「ドラゴンだ! ドラゴンがやって来たぞう!」
それは、がらんとした食堂内に響き渡り、傍らに立つシロをはじめまばらな客たちの度肝を抜く大声だった。
体を鍛えているからと言って、ひっぱたかれればやはり痛い。シロは非難のまなざしで女に訴えたが、全く通じた気配がない。女は快活に続ける。
「もちろん、失業は大痛手ですよね。でも大丈夫。あなたの若さなら、人生どれだけでもやり直しはききますよ。どんまい、どんまいです!」
「いってえ! あの、叩くのやめてもらえませんか」
「ええっ。ここに来るお客さんは、みんな励ますと喜んでくれるのに」
「俺にはそんな趣味はないので。励ましていただかなくて結構です。第一俺はハッチョ屋の奉公人じゃない」
シロは誤解の元であるえんじ色の印半纏を脱ぐと丸めて脇に抱えた。
「あらっ。いい筋肉してますね。これなら、建築現場で引く手あまたでしょう。今丁度、歓楽街に新しい酒場を建てているところで作業員募集中です。どうですか?」
「どうですかって、俺は失業者じゃないので」
「ああーそうですか。ご家族にはまだ話せてないんですね。了解です。妻と幼い子を養わなきゃいけないのに、職を失ったなんて、大の男が言えませんよね。どんまーい!」
「ぐあっ。どんまいするのやめてください!」
再度背中を叩かれて悲鳴を上げたシロは、女から数歩遠ざかった。細い体と腕からは想像もつかない力が込められており、かなり痛い。
「それに俺は結婚してませんから」
「あららら。奥さんにも愛想をつかされたんですか。それはお気の毒に。どん」
シロが警戒して更に女との距離を広げたので、女は途中で言葉を切った。
シスター・ウーヤというのがどんまい女(とシロが密かに名付けた)の名で、大教会から派遣されているという。他にも大教会所属のシスターとボランティアの信徒でこのどんまい食堂を運営しているのだが、食事時のピークを過ぎたこの時間帯、シロにとっては不運なことに、スタッフは彼女しかいなかった。
シロが早口に事情を説明すると、シスター・ウーヤの顔から笑顔が消えた。
「そうだったんですね。とても惨めでうち捨てられたご様子なので、てっきり失業者の一人かと」
一応昨晩は湯に浸かり旅の垢を落としてきたのだが、それほどしょぼくれて見えるのだろうかとシロは不安を覚えた。
「お捜しの元スレイヤーさんは、あちらの奥で寝ている体の大きな男性です」
シスターが指さしたのは、入口から最も遠いテーブルの端だった。
「でも……お話ができる状態かどうか」
シスターの後について男に近づくにつれ、シロの不安は絶望にとってかわった。
確かに、大きな男なのだろう。テーブルに突っ伏しているので定かではないが、身長も高そうだ。そして、目を見張るのは横幅だ。食堂内の椅子はどれも簡素な背もたれのない丸椅子だが、彼はそれを三つ尻の下に敷いていた。それでも椅子の脚が軋み悲鳴をあげているのが聞こえる気がする。
「今日はお昼も食べずに、ずっとあの調子で」
「どこか具合でも悪いのでしょうか」
小山のような巨漢に近づくにつれ、シスターの言う「あの調子」の意味がシロにも理解できた。アルコールの臭いだ。たっぷり肉のついた背中に目を奪われ気付かなかったが、酒瓶がいくつもテーブルの上や男の足元に散乱している。
「ここでは、酒も提供するんですか?」
失望と怒りの混じった声でシロは尋ねた。
「必要に応じて提供することもあります。でも彼の場合は……」
「必要に応じて」シロは不快感を隠そうともせずに言う。
「俺の親父も酒飲みだった。酒を出さないと暴れる、『必要』というのはそういうことなんですか。アル中を大人しくさせるために酒を飲ませると」
「あなたはお酒を飲まないのですか」
シスターはシロを振り返らずに言った。先ほどまでにハイテンションが嘘のように、声の調子が沈んでいる。
「飲みませんよ。親父みたいになりたくないので」
「それは、幸いかもしれません。私も、幼少より神に仕える身なので飲んだことがありません。そんなことは別に強い意志がなくとも、簡単なんです。私や、そしてあなたのような方には」
シスターが小山のような背中に手を置いても、男は微動だにしない。
「ヘルシさん、お客様ですよ。あなたに取り急ぎの用事があるそうです」
シスターが揺さぶるが、それでも反応はない。
「一体、どれだけ飲ませたんです。これじゃあ、早く死ぬよう手を貸しているようなものだ」シロが男の周りに転がる酒瓶を見て嫌悪感も露わに言う。こんなところまできて、時間の無駄だったのではないかと後悔の念が押し寄せる。
「こちらが供給するのは、手の震えを止めるためとか、深刻な禁断症状を緩和させるためですが、それとは別に、彼に大量のお酒を供給する『崇拝者』がいるのです」シスターは溜息をついた。「仕方がありません、最終手段です」
シスターは静かに言うと、軽く咳ばらいをしたあと、叫んだ。
「ドラゴンだ! ドラゴンがやって来たぞう!」
それは、がらんとした食堂内に響き渡り、傍らに立つシロをはじめまばらな客たちの度肝を抜く大声だった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
スナイパー令嬢戦記〜お母様からもらった"ボルトアクションライフル"が普通のマスケットの倍以上の射程があるんですけど〜
シャチ
ファンタジー
タリム復興期を読んでいただくと、なんでミリアのお母さんがぶっ飛んでいるのかがわかります。
アルミナ王国とディクトシス帝国の間では、たびたび戦争が起こる。
前回の戦争ではオリーブオイルの栽培地を欲した帝国がアルミナ王国へと戦争を仕掛けた。
一時はアルミナ王国の一部地域を掌握した帝国であったが、王国側のなりふり構わぬ反撃により戦線は膠着し、一部国境線未確定地域を残して停戦した。
そして20年あまりの時が過ぎた今、皇帝マーダ・マトモアの崩御による帝国の皇位継承権争いから、手柄を欲した時の第二皇子イビリ・ターオス・ディクトシスは軍勢を率いてアルミナ王国への宣戦布告を行った。
砂糖戦争と後に呼ばれるこの戦争において、両国に恐怖を植え付けた一人の令嬢がいる。
彼女の名はミリア・タリム
子爵令嬢である彼女に戦後ついた異名は「狙撃令嬢」
542人の帝国将兵を死傷させた狙撃の天才
そして戦中は、帝国からは死神と恐れられた存在。
このお話は、ミリア・タリムとそのお付きのメイド、ルーナの戦いの記録である。
他サイトに掲載したものと同じ内容となります。
鬼神の刃──かつて世を震撼させた殺人鬼は、スキルが全ての世界で『無能者』へと転生させられるが、前世の記憶を使ってスキル無しで無双する──
ノリオ
ファンタジー
かつて、刀技だけで世界を破滅寸前まで追い込んだ、史上最悪にして最強の殺人鬼がいた。
魔法も特異体質も数多く存在したその世界で、彼は刀1つで数多の強敵たちと渡り合い、何百何千…………何万何十万と屍の山を築いてきた。
その凶悪で残虐な所業は、正に『鬼』。
その超絶で無双の強さは、正に『神』。
だからこそ、後に人々は彼を『鬼神』と呼び、恐怖に支配されながら生きてきた。
しかし、
そんな彼でも、当時の英雄と呼ばれる人間たちに殺され、この世を去ることになる。
………………コレは、そんな男が、前世の記憶を持ったまま、異世界へと転生した物語。
当初は『無能者』として不遇な毎日を送るも、死に間際に前世の記憶を思い出した男が、神と世界に向けて、革命と戦乱を巻き起こす復讐譚────。
いずれ男が『魔王』として魔物たちの王に君臨する────『人類殲滅記』である。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
【R15】人生は彼女の物語のなかに(生真面目JKの魂が異世界の絶世の美人王女の肉体に?!運命の恋?逆ハーレム?それどころじゃありません!)
なずみ智子
ファンタジー
いろんな意味でヤバすぎる絶世の美人王女の肉体にて人生続行中です。
4月。高校受験に失敗した15才の少女・河瀬レイナは、現在の状況を受け入れられず、滑り止めの高校の環境にもになじむことができずに、欝々とした日々を送っていた。
そんなある日、レイナは登校中に暴走車に轢かれ、死亡してしまった。
だが、滅んだのはレイナの肉体だけであったのだ。
異世界のとある王国の王族に忠誠を誓う女性魔導士アンバーの手により、彼女のその魂だけが、絶世の美貌と魅惑的な肉体を持つ王女・マリアの肉体へといざなわれてしまった。
あたりに漂う底冷えするような冷気。そして、彼女を襲うかつてない恐怖と混乱。
そのうえ、”自分”の傍らに転がされていた、血まみれの男の他殺体を見たレイナは気を失ってしまう。
その後、アンバーとマリア王女の兄であるジョセフ王子により、マリア王女の肉体に入ったまま、レイナは城の一角にある部屋に閉じ込められてしまったのだが……
※お約束のイケメンはまあまあの数は出てきますが、主要人物たちの大半(主人公も含め)が恋愛第一主義でないため、恋愛要素とハーレム要素はかなり低めです。
※第4章までの本編は1話あたり10,000文字前後ですが、第5章からの本編は1話あたりの文字数を減らしました。※
※※※本作品は「カクヨム」にても公開中です※※※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる