59 / 82
エピローグ
水の向こうに
しおりを挟む
パウの水没刑を近く執行するつもりだと長老からきかされたワタルは、血が出るほどに唇を噛みしめた。ゲンヤがそう決めたからには何を言っても無駄なことはわかっていた。しかし
「君があの人の横っ面を張り倒して『さっさと仕事に戻れ』と命令してやればいいじゃないか」
そう言わずにいられなかった。長老は静かにワタルを見つめる。
「それで効果があるなら、とっくにやっている」
「なら、僕も横っ面を張り倒してやる。考えを改めるまで、何度でも」
「それは、ただの囚人の虐待だ」
「パウは、君の父親だろう」
「私を作ったという意味ではそうだが。それを言うなら彼は君の父親でもあるし、キリヤやエルの父親でもある」
そう言ったゲンヤは一呼吸置くと
「ワタル」とワタルの目を見て言う。
「知りたいことがあるなら、そんな風に遠回しにではなく、直接訊くがいい。君は図書館長だ。君からの質問には、何でも答えよう」
「僕は、それを知りたいのかどうかわからない」
「君は図書館長だ。知らないでおくという権利はない。まったく、パウは君を甘やかし過ぎだ」
パウの水没刑の執行について、使徒会議ではミロ、フーラ、ワタル、キリヤ、リーヤ、エル、ユッコ、……要するに使徒全員が反対票を投じた。彼のこれまでの功績に加え、水没刑の執行方法に関しては明文化されておらず、従って彼のしたことは罰に値しないと判断したからだ。
「まずは、様々な法の明文化及びディテールを決定することが先ではないか。決まりごとがないのに、罰を与えることはできない」
とキリヤは言った。
「すると、少なくとも使徒は必ず読み書きができるようになっておくべきだ。例外なく」
とリーヤ。
「今後は、そのように定めるのがよかろう。長老殿、それでよろしいかな」
と進行役のフーラに問われて、ゲンヤは答えた。
「それには、賛同いたしかねる」
長老曰く、若い使徒に読み書きを習得させることは、新しい試みである。それが吉と出るかは、これからの彼らの活躍にかかっている。まずはその成果を見届けてから判断を下したい。
「先の長老が、あの聡明なお方がこのような改革に消極的――否、否定的ですらあったのにはそれなりの理由がある。ミロ殿ならばご存知であろう。知識への飽くなき探求は」
長老は一同の顔を見回して、言った。
「パウのような怪物を生み出すことになりかねない」
ミロは呻き声をあげた。
「一体、過去に何をしでかしたのだ、あの男は」
会議がお開きとなった後に、キリヤが忌々しそうに言った。
パウの水没刑の執行は七日後と決定された。使徒の意見に長老は一切耳を貸さず、長老権限による強行採決がとられたのだ。
「七日で世界を作った神もいる。それだけあれば、長老に心変わりさせることも不可能ではあるまい」
とユッコが静かに言った。
そうだ、そうだと若い使徒達はいきり立った。ただ一人、ワタルを除いて。
* * *
水の向こうには、一体何があるのだろうか
天気の良い日に、塔の窓から彼方の水平線を眺めながら、ワタルはそんなことを考える。
何もないなどということは、むしろ不自然であろう。図書館に納められ、現在も増殖を続けている書物、様々な言語で書かれた様々な分野の書物。あれを書き記した民族、文明が大洪水のためにワタル達だけを残して滅んでしまったなどとは到底信じられない。
この広い世界には、まだ陸地が残っているのかもしれない。
あるいは、彼らと同じように、高い建築物に避難して辛くも生き延びた人々がいるのかもしれない。
ならばそれを、見つければよい。
彼はもはや、遠くの水平線を眺めて原始的な本の舟に跨って旅をすることを夢想していた子供ではなくなっていた。
(了)
「君があの人の横っ面を張り倒して『さっさと仕事に戻れ』と命令してやればいいじゃないか」
そう言わずにいられなかった。長老は静かにワタルを見つめる。
「それで効果があるなら、とっくにやっている」
「なら、僕も横っ面を張り倒してやる。考えを改めるまで、何度でも」
「それは、ただの囚人の虐待だ」
「パウは、君の父親だろう」
「私を作ったという意味ではそうだが。それを言うなら彼は君の父親でもあるし、キリヤやエルの父親でもある」
そう言ったゲンヤは一呼吸置くと
「ワタル」とワタルの目を見て言う。
「知りたいことがあるなら、そんな風に遠回しにではなく、直接訊くがいい。君は図書館長だ。君からの質問には、何でも答えよう」
「僕は、それを知りたいのかどうかわからない」
「君は図書館長だ。知らないでおくという権利はない。まったく、パウは君を甘やかし過ぎだ」
パウの水没刑の執行について、使徒会議ではミロ、フーラ、ワタル、キリヤ、リーヤ、エル、ユッコ、……要するに使徒全員が反対票を投じた。彼のこれまでの功績に加え、水没刑の執行方法に関しては明文化されておらず、従って彼のしたことは罰に値しないと判断したからだ。
「まずは、様々な法の明文化及びディテールを決定することが先ではないか。決まりごとがないのに、罰を与えることはできない」
とキリヤは言った。
「すると、少なくとも使徒は必ず読み書きができるようになっておくべきだ。例外なく」
とリーヤ。
「今後は、そのように定めるのがよかろう。長老殿、それでよろしいかな」
と進行役のフーラに問われて、ゲンヤは答えた。
「それには、賛同いたしかねる」
長老曰く、若い使徒に読み書きを習得させることは、新しい試みである。それが吉と出るかは、これからの彼らの活躍にかかっている。まずはその成果を見届けてから判断を下したい。
「先の長老が、あの聡明なお方がこのような改革に消極的――否、否定的ですらあったのにはそれなりの理由がある。ミロ殿ならばご存知であろう。知識への飽くなき探求は」
長老は一同の顔を見回して、言った。
「パウのような怪物を生み出すことになりかねない」
ミロは呻き声をあげた。
「一体、過去に何をしでかしたのだ、あの男は」
会議がお開きとなった後に、キリヤが忌々しそうに言った。
パウの水没刑の執行は七日後と決定された。使徒の意見に長老は一切耳を貸さず、長老権限による強行採決がとられたのだ。
「七日で世界を作った神もいる。それだけあれば、長老に心変わりさせることも不可能ではあるまい」
とユッコが静かに言った。
そうだ、そうだと若い使徒達はいきり立った。ただ一人、ワタルを除いて。
* * *
水の向こうには、一体何があるのだろうか
天気の良い日に、塔の窓から彼方の水平線を眺めながら、ワタルはそんなことを考える。
何もないなどということは、むしろ不自然であろう。図書館に納められ、現在も増殖を続けている書物、様々な言語で書かれた様々な分野の書物。あれを書き記した民族、文明が大洪水のためにワタル達だけを残して滅んでしまったなどとは到底信じられない。
この広い世界には、まだ陸地が残っているのかもしれない。
あるいは、彼らと同じように、高い建築物に避難して辛くも生き延びた人々がいるのかもしれない。
ならばそれを、見つければよい。
彼はもはや、遠くの水平線を眺めて原始的な本の舟に跨って旅をすることを夢想していた子供ではなくなっていた。
(了)
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
怪物どもが蠢く島
湖城マコト
ホラー
大学生の綿上黎一は謎の組織に拉致され、絶海の孤島でのデスゲームに参加させられる。
クリア条件は至ってシンプル。この島で二十四時間生き残ることのみ。しかしこの島には、組織が放った大量のゾンビが蠢いていた。
黎一ら十七名の参加者は果たして、このデスゲームをクリアすることが出来るのか?
次第に明らかになっていく参加者達の秘密。この島で蠢く怪物は、決してゾンビだけではない。
【死に文字】42文字の怖い話 【ゆる怖】
灰色猫
ホラー
https://www.alphapolis.co.jp/novel/952325966/414749892
【意味怖】意味が解ると怖い話
↑本編はこちらになります↑
今回は短い怖い話をさらに短くまとめ42文字の怖い話を作ってみました。
本編で続けている意味が解ると怖い話のネタとして
いつも言葉遊びを考えておりますが、せっかく思いついたものを
何もせずに捨ててしまうのももったいないので、備忘録として
形を整えて残していきたいと思います。
カクヨム様
ノベルアップ+様
アルファポリス様
に掲載させていただいております。
小説家になろう様は文字が少なすぎて投稿できませんでした(涙)
闇に蠢く
野村勇輔(ノムラユーリ)
ホラー
関わると行方不明になると噂される喪服の女(少女)に関わってしまった相原奈央と相原響紀。
響紀は女の手にかかり、命を落とす。
さらに奈央も狙われて……
イラスト:ミコトカエ(@takoharamint)様
※無断転載等不可
鉄錆の女王機兵
荻原数馬
SF
戦車と一体化した四肢無き女王と、荒野に生きる鉄騎士の物語。
荒廃した世界。
暴走したDNA、ミュータントの跳梁跋扈する荒野。
恐るべき異形の化け物の前に、命は無残に散る。
ミュータントに攫われた少女は
闇の中で、赤く光る無数の目に囲まれ
絶望の中で食われ死ぬ定めにあった。
奇跡か、あるいはさらなる絶望の罠か。
死に場所を求めた男によって助け出されたが
美しき四肢は無残に食いちぎられた後である。
慈悲無き世界で二人に迫る、甘美なる死の誘惑。
その先に求めた生、災厄の箱に残ったものは
戦車と一体化し、戦い続ける宿命。
愛だけが、か細い未来を照らし出す。
柘榴話
こはり梅
ホラー
ザクロの実の花言葉は「愚かしさ」、様々な愚かしさをどうぞ。
柘榴(ざくろ)の実には「愚かしさ」という花言葉があります。
短い作品集になっていますが、どの話にも必ず「愚かしさ」が隠れています。
各話10分ほどで読めますので、色んな愚かしさに触れてみて下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる