バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥

文字の大きさ
上 下
17 / 82
第二章

02 長老の死

しおりを挟む
 長老が身罷みまかられた。

 ワタルは、ゲンヤが発した言葉の意味を、すぐには飲み込むことができなかった。
 祈りの間は静寂に包まれた。皆、呼吸をするのさえ忘れている。

長老だ」
 と訂正するパウの言葉は、使徒の嘆きの声にかき消された。
「偉大なる我らが長老が」古参の使徒が天を仰いで言う。
、長老が、ね」とパウ。
「厳しい時代になろう。あの偉大なお方のお導きなくして我々は一体どうなることか」と別の古株の使徒も言う。

 使徒達の狼狽はたちまち民の代表団に伝染した。大声をあげて泣きだす者、抱き合って震える者。青ざめた顔で、がっくりと膝をつく者――
 呆然と立ち尽くし喧騒を眺めていたワタルのすぐ側から、怒号が響きわたった。

「愚か者ども。お前達は前長老の操り人形だったとでもいうのか? 前長老は自らの寿命が尽きかけているのを知り、後継者をお選びになった。お前たちの仕事は、現長老を支えることだ。煉瓦職人が煉瓦を作るがごとく、厨房係がパンを焼くが如く、自らの任務を全うせよ。それができずにただ赤子のように泣きわめく使徒なら不要だ。そこにおられる職人代表のどなたかに弟子入りして、一から仕事を教えてもらうがよい」

 それは使徒の中でもかなり年長のミロだった。それは明らかに、見苦しく取り乱す使徒達に向けられた非難だったが、彼の剣幕に押されて、職人代表も含め一同静まり返った。
 ゲンヤがつと前に進み出た。狼狽の色など微塵もない、いつも通りの無表情な顔で、彼は言う。

「若輩者の私に皆が不安になるのは無理のないことだ。しかし、使徒ミロの言う通りだ。もはや偉大なる前長老に助言を仰ぐことは叶わない。これまで通り、使徒一丸となって、役割を果たしてもらわねばならない。皆は」

 とゲンヤは代表団を見渡し、語りかける。

「仕事に戻り、前長老が旅立たれたことを仲間に伝えよ。本日をどのように過ごすかは、各代表の判断に任せよう。一日喪に服してもよい。だが、前長老は自身の死を嘆き悲しまれるより、民が前へ進むことを望むお方であった。それは忘れないでいてほしい」

 若き長老の言葉に、職人代表達は、ゆっくりと、しかしまだ後ろ髪引かれる様子で集会所を後にしていく。

「いくら長老様――前の偉大な長老様がお選びになったとはいえ、あんな子供に」

 そんな悲観的な声がワタルの所まで届いた。当然、ゲンヤにも聞こえているはずだった。使徒ミロが、あるいはパウが何か言うかと思い、そっと様子を窺うと、パウは腕組みをしてむっつりと黙り込んでいた。

 民の不安を軽減させるべく、何か言葉を発するべきではないのか。自分とて今は使徒の一員なのだし――

 ワタルはそう思ったが、口の中はカラカラに乾き、杖を握りしめた手が微かに震えているのがわかる。
 こんな頼りない自分に一体何ができようか
 その時、聞き覚えのある声が響いた。

「お前達、泣き言を言うんじゃない。『あんな子供』だと? あのお方は幼少の頃、あちこちの居住区に預けられていた。無口で何を考えているのかわからない子だったが、ただの一度も嘘をついたり、自分より幼い子に手をあげたり、割り振られた仕事を怠けたりしたことはなかった。一度教えたことは二度繰り返す必要がない、賢い子だった。選ばれし子に選ばれた時は、誰もが納得したはずだ。あの子よりもそれに相応しい子が、このコミューン内に居るか? いると思うなら、言ってみるがいい。選ばれし者に選ばれたのだって当然のことだ。皆そう思ったはずだろう。それがなんだ、長老様――前の長老様がいなくなった途端、疑い始めるのか。それは長老様――前の長老様に対する侮辱だ。俺は前の長老様を信じている。その決断を信じた自分も信じている。前の長老様が、あのお方を後継者に選ばれたのなら、俺はそれを信じる」

 人混みに紛れ姿は見えなかったが、それはワタルの父の声だった。
 そうだ、その通りだ、という声があちこちから上がり、声高に不安を訴えていた者達も、口をつぐまざるを得なくなった。
 新米使徒達は明らかに安堵の表情を浮かべていた。

「幸せなるかな、愚かなる者」

 背後から聞こえた静かな声に、新米使徒全員が振り向いた。ワタルは声だけで認識していた。使徒の中ではパウに続く古株、ケラが口の端を歪め、真っ直ぐワタルを見つめていた。先ほど声を上げた職人が誰なのか、ケラは知っているのだとワタルは思った。

「愚か者とは、一体誰の事でしょうか」

 とキリヤが穏やかな口調で言った。ケラはキリヤを睨みつけたが、キリヤは質問を繰り返した。
「前長老への絶対的信頼に基づき現長老を信頼する者達のことでしょうか。即ちそれは、我々ということになりますが、愚か者というのは、我々一同のことでしょうか」
「小賢しい」
 ケラは不快感を隠さず吐き捨てた。
「私はゲンヤ殿ほど賢くはないし長老の器でもないという評価を受けたが故に、使徒なのです。あなたと同じように。現状、経験不足からくる未熟さは大目に見ていただきたい。もう一度お尋ねしますが、あなたご自身は、幸福な愚か者ではないのですか?」
「若造が、なんという無礼な口の利き方か」
 とケラの傍らに立つ使徒の一人、ギノーが杖を振り上げた。

「誰が無礼かという話ならば、一番はケラだろうな。わざわざ聞こえるように、新旧の長老と使徒、新米使徒の父である職人を一度に侮辱したんだから。二番目はギノー、お前だ。今や正式な使徒であるキリヤに対し『若造』だの杖で打ち据えようだの、言語道断。それから、未熟な新米使徒が、わかりきった答えをあえて求めて、立てなくていい波風を立てようとする――これが無礼かどうかは判断が難しいところだ」

 間に割って入ったパウに向かって、キリヤが言う。

「私はただ、知りたいだけです。なぜ腐った林檎を捨ててしまわないのか。腐敗した実は、他の清廉な果実までたちまち腐らせてしまうという話です」
「それを『政《まつりごと》』と呼ぶんだ。十五で理解するのは難しいかもしれないがね。さて、なかなか楽しいお喋りだったが、生憎いつまでも遊んでいるわけにはいかない。君らはどうか知らないが、私は仕事が山積みでね。さっさと会議を済ませてしまおうじゃないか」

 パウは一同を見回してそう言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

柘榴話

こはり梅
ホラー
ザクロの実の花言葉は「愚かしさ」、様々な愚かしさをどうぞ。 柘榴(ざくろ)の実には「愚かしさ」という花言葉があります。 短い作品集になっていますが、どの話にも必ず「愚かしさ」が隠れています。 各話10分ほどで読めますので、色んな愚かしさに触れてみて下さい。

【死に文字】42文字の怖い話 【ゆる怖】

灰色猫
ホラー
https://www.alphapolis.co.jp/novel/952325966/414749892 【意味怖】意味が解ると怖い話 ↑本編はこちらになります↑ 今回は短い怖い話をさらに短くまとめ42文字の怖い話を作ってみました。 本編で続けている意味が解ると怖い話のネタとして いつも言葉遊びを考えておりますが、せっかく思いついたものを 何もせずに捨ててしまうのももったいないので、備忘録として 形を整えて残していきたいと思います。 カクヨム様 ノベルアップ+様 アルファポリス様 に掲載させていただいております。 小説家になろう様は文字が少なすぎて投稿できませんでした(涙)

鉄錆の女王機兵

荻原数馬
SF
戦車と一体化した四肢無き女王と、荒野に生きる鉄騎士の物語。 荒廃した世界。 暴走したDNA、ミュータントの跳梁跋扈する荒野。 恐るべき異形の化け物の前に、命は無残に散る。 ミュータントに攫われた少女は 闇の中で、赤く光る無数の目に囲まれ 絶望の中で食われ死ぬ定めにあった。 奇跡か、あるいはさらなる絶望の罠か。 死に場所を求めた男によって助け出されたが 美しき四肢は無残に食いちぎられた後である。 慈悲無き世界で二人に迫る、甘美なる死の誘惑。 その先に求めた生、災厄の箱に残ったものは 戦車と一体化し、戦い続ける宿命。 愛だけが、か細い未来を照らし出す。

【完結済】昼と夜〜闇に生きる住人〜

野花マリオ
ホラー
この世の中の人間は昼と夜に分けられる。 昼は我々のことである。 では、夜とは闇に生きる住人達のことであり、彼らは闇社会に生きるモノではなく、異界に棲むモノとして生きる住人達のことだ。 彼らは善悪関係なく夜の時間帯を基本として活動するので、とある街には24時間眠らない街であり、それを可能としてるのは我々昼の住人と闇に溶けこむ夜の住人と分けられて活動するからだ。そりゃあ彼らにも同じムジナ生きる住人だから、生きるためヒト社会に溶け込むのだから……。

りこの怖いはなし

月見こだま
ホラー
 本文は全て実話を元にしたフィクションです。どこまでが本当なのか、信じるのかはこれを読んでいるあなた次第です。さて、まずは全ての物語の中心となっていただく少女をご紹介しましょう。  少女の名は神田りこ。十一歳の誕生日を迎えたばかりです。  彼女は田舎のごく平凡な家庭の次女として生を受けました。六歳上に姉、三歳上に兄がいますが、その中で彼女が一番『母方』の血を濃く受け継いでしまったようです。  今回紹介するのは、彼女が体験したほんの少しだけ怖いお話。 ***更新予定 4話→18日0時 5話→19日0時 6話→20日0時 7話→21日0時

処理中です...