バベル 本の舟・塔の亡霊

春泥

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第一章

07 パズルを解く

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 もう少し体を鍛えなければ、とワタルは息も切れ切れに図書館の扉の鍵穴があるはずの場所に鍵を差し入れながら思う。幼い頃から父の手伝いをしてきて力仕事には自信があったのだが、司書になるためにはまず頑丈な足腰が必要だ。
 二日目からは一人で修業に励むように、とパウから言い渡されていた。
 昨日渡された薄い本が解読できたかどうか、結果を知りたくないのだろうか、とワタルは思う。ゲンヤですら(現在より一、二歳若いゲンヤだが)二晩かかったというから、ワタルならば何日もかかるはずと高を括っているのだろうか。

 パズル。ゲンヤの言う通りだとワタルは思う。

 パウから譲り受けた写本には複数の挿絵があり、その絵を見て、幼い頃に父から聞いたお話であるとすぐにわかった。それは、コミューンの子供達なら誰でも知っているお伽噺で、代々子供達へ語り継がれてきたものだ。口伝されるものであるから、語り部によって細部が異なるのは致し方がないとしても、ストーリーの大筋は同じはずだ。
 お話の主人公の名前はユンとユラ。食いしん坊のワニの兄弟だ。
 コミューンの民は本物のワニを見たことがないが、子供達は、体中を蛇のような鱗で覆われ、鼻の先が狼よりも長く伸びた凶暴な獣であると親から聞かされ、各々ワニの姿を思い描きながら話に聞き入ることになる。

 では、これがワニの姿なのか。顔は、鼻先が長く伸び、口には鋭い牙を生やしている。だが、見たこともない形状の衣類を身に着けているその体は、人間の子供のようである。
 ワタルは首を捻りながらその薄い本の表を眺めた。

 ユンとユラのお話は、食いしん坊のワニの兄弟が、近隣の獣や魚を全て食べ尽くしても一向に満足せず、遂にはお互いの体を食べあって消滅してしまうという所謂「強欲は罪である」という教訓を含んだ寓話だ。

 その寓話を内包していると思われる薄い本の表紙に記されているのは、複数の記号で構成された、文字の塊。真ん中の塊の両脇にはスペースがあり、それが文字の塊を三つに分割している。
 そして第一の塊の最初の文字と、第三の塊の最初の文字は同じ。仮にこれが物語のタイトルを表すとして、タイトルが『ユンとユラ』であるならば、共通する文字は「ユ」という音を表していることになる。
 ならば、「ユ」の後に続く文字はそれぞれ第一の塊では「ン」を、第三の塊では「ラ」を表していることになる。つまり第一の塊はワニ兄弟の兄の名前「ユン」を、第三の塊は弟の名前「ユラ」、第二の文字の塊は二つものを繋ぐ言葉、「と」だ。

 そのように仮定して頁をめくると、それまで全く意味を成さなかった記号の羅列の中に、この表紙の文字の配列が頻繁に登場するのが見て取れる。主人公達の名前であるなら当然だ。
 そして、表紙の文字の塊と同じように、いくつかの記号のまとまり――時には一つだけの箇所もあったが――の後には、スペースが挿入され、意味を持つ語の塊ごとに区切られているようだ。

 ワタルは心臓の音の高鳴りを感じた。

 解読できた文字をまだ大半は意味不明の文字列にあてはめ、特に反復される頻度が高い記号の塊に注目しつつ、物語の大筋とそれに対応する挿絵をヒントに文字の読み方を推測していく過程は、まさしくゲンヤの言う通りパズルを解いている様であった。夢中で取り組んで結局夜明けまでかかってしまったが、解答には自信があった。

 パウに答え合わせをしてもらいたいと思い図書館内を上へ下へと探し回ったが、彼の姿はなかった。移動しながら、各部屋に「目印」を設定することも忘れなかった。
 今のところワタルがどうにか意味を汲み取れるのは、一晩かかって解読した二十六個の記号の組み合わせで音を表す言語――ワタル達が日常で使っている言語を文字で表したもの――だけだが、図書館内の蔵書をざっと見まわしてみただけで、それに該当しない書物の方がはるかに多いことに気付く。そこにはパウから最初に見せられた粘土にヘラで刻みつける文字の同類と思われるものの他に、明らかに別の種であると思われる言語がいくつも確認できた。それらはワタルが少し眺めてみただけでは、まったく歯が立たなかった。『ユンとユラ』の言語とは比較にならない程の文字数で、しかも一字一字の構造が複雑怪奇でありながら奇妙な美しさを持った言語まで存在しており、ワタルは身震いした。

 なんてすばらしいことであろうか。

 パウは最初の言語の解読時と同様に、これらの言語にも読解のヒントをくれるのだろうか。それとも、後は自分でどうにかしろと放り出されるのか。
 そんなことを考えながら図書館内を移動している間に、ワタルは何名かの司書に遭遇した。コミューン内で見覚えのある顔はなく、彼らは一様にワタルの存在に興味がない様子で、本を抱えて足早に通り過ぎるか、各々の作業に没頭していた。 
 このまま闇雲に歩き回っても偶然パウに行き当たる可能性は極めて低いように思われ、ワタルは意を決して、司書の一人に声をかけてみることにした。

「あの、お仕事中にすみません」

 四角形の部屋の一つ(ワタルの記憶が正しければそこはレベル24のはず)だが、他の部屋とは比べ物にならないほど大量の蝋燭で真昼の如く照らし出された室内に足を踏み入れて何度も瞬きをしながら、背中を丸めて熱心になにかしている司書に、恐る恐る声をかけた。
 その部屋には通常のテーブルの代わりに、一冊の書を載せた台(書見台)と、それとほぼ同じ高さの作業机があり、司書は、台の上、概ね司書の胸の高さに斜めに設置された板の上に広げ固定された本の頁と、やはり傾斜した作業机の上に固定された紙と、交互にかがみこんでいる。

「何だい、ワタル」

 司書は書見台の上の書物を凝視したまま言った。
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