怪奇幻想恐怖短編集

春泥

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シリアルキラーの妻

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 余罪が疑われる殺人犯、本日出所。そんな見出しが新聞に踊った。

 彼は二十人もの女性を手にかけたシリアルキラーだったが、立件され罪を問われたのは一件だけだった。二十五年の刑期を終えて、刑務所を出てきた五十代になった彼を出迎えたのは、彼のファンの一人から妻になった女だった。

 凶悪犯にはファンがつく。にわかに信じられないことだが、犯行がセンセーショナルであるほど人気は高くなるようだ。彼の「被害者」は一人であったが、知的な外見と礼儀正しく洗練された振る舞い、更に余罪がいくらでもあるらしいという噂から、特に幅広い年齢層の女性ファンを獲得していた。その中の何人かとは文通し、うち一人と獄中結婚をした。

 出所の日、妻は中古の軽自動車で刑務所まで迎えに来ていた。他にも彼の出所を聞きつけたファンが大勢駆けつけていたが、彼は彼女達には目もくれずに妻の元へ直行し、車に乗り込んだ。四十代の、見るからに真面目そうな中年女性だ。
「ただいま、ハニー」
 と彼は言って、妻の頬にキスをした。

 二人の暮らしは、静かなものであった。彼の顔は国中に知れ渡っていたので、整形手術を受け、髪の色も変えた。夜の清掃の仕事を見つけ、働き始めた。彼の妻は看護師であった。贅沢はできないが、二人ともつましい生活が性に合っていた。子供はなかったが、仲睦まじく十年が経過した時、妻が言った。

「ねえあなた。私、幸せだわ。でも……時々心配になるのよ」
「わかってるよ、ハニー。僕が昔の悪い癖を出すんじゃないかと不安なんだろう。大丈夫だよ。ずっと欠かさず薬を飲んでいるからね」

 それは、彼が獄中にいる間に参加した治療プログラムで投薬された、当時は画期的といわれた新薬だった。それまでは手にかけた女性達の断末魔の苦しみを思い出しては溜息をつく日々だった彼が、新薬の服用を開始した途端、変わった。驚くほど心が穏やかになり、殺人への渇望もなくなった。彼が出所を許されたのは、その治療効果が認められたためでもあった。
「そうなの。よかったわ」
 彼女は少し憂いのある顔で無理に微笑んでいるようだった。彼は思った。

 やはり、自分が犯行を再開しないか心配なのだ。

 しかし薬の効果のお陰か、彼が望むのはこのまま最愛の妻と穏やかな暮らしを続けていくことだけだった。


 更に十年の月日が流れた。彼も妻も引退し、ささやかな年金でつましく暮らしていた。彼は幸せだったが、ある懸念が毎年大きくなっていた。それは、彼が手にかけた二十人の女性達のこと。そのうち立件された一名については有罪となり罪を償ったが、残り十九名については、未だに遺体すら発見されておらず、彼は彼女達に対しても、心の底から申し訳なく思うようになった。
 長いこと悩み続けた末、彼は妻にこう言った。

「僕が手にかけてまだ発見されていない十九名の女性達について、自首をして全て告白しようと思うんだ」

 妻はさっと青ざめた。

「あなたが、実は大勢の女性を手にかけたのではないかということは、なんとなくわかっていました」
「君は僕が刑務所に居る時からずっと寄り添って励ましてくれた。こうして更生できたのも、君のお陰だ。今ではもう、誰一人手にかけたいなんて思わない。だけど僕は、まだ一人分の罪しか償っていない。それに耐えられなくなったんだ。僕は君にふさわしい人間ではない」

 彼女は何も言わなかったが、ただ彼の胸に顔を埋めて泣いた。老いた妻を一人残していくことに彼の胸は痛んだ。しかし、彼女のためにも、彼は犯した罪を償いたいと思うのだ。例え刑務所に逆戻りして彼女と離れ離れのまま死ぬことになろうとも。

 ひとしきり泣いた妻は、一つだけお願いがある、と言った。彼女は、今日は金曜日であるから、最後の週末を夫婦水入らずで過ごしたい、自首するのは月曜まで待ってほしいと懇願した。彼は承諾し、二人は少しだけ贅沢な食事をし、映画を見て、手を繋いで公園を散歩し、まるで初々しい恋人同士のように週末を楽しんだ。

 そして月曜日の朝、彼は早い時間に目を覚ました。暖かい毛布の下で伸びをすると、体の節々が痛んだが、深い霧が晴れたみたいに晴れ晴れとした気分だった。

 彼は静かにベッドを抜け出しキッチンに行くと、朝食を作り、コーヒーを入れた。ゆっくりと味わってから、シンクの横の引き出しからいつも服用している薬の入った小瓶を取り出すと、ゴミ箱に捨てた。

 それから寝室に戻った彼は、ベッドに横たわる妻に目をやった。彼女は首に紐を巻き付けた状態で事切れていた。皺の深い顔は苦悶の表情に歪んでいる。彼はそれを見て悲しそうに溜息をついた。

 俺の趣味じゃない。

 彼が殺した二十名の女性は、全て二十代だった。それが二十代から三十代にかけて犯行を繰り返していた時の彼の好みで、老人になった現在も変わっていなかった。若い頃より力が弱まっていること、身体の衰えも身に染みてわかった。老いた妻に抵抗されて、夕べはかなり手間取ってしまった。

 これからは、殺し方に工夫がいる。彼はそう思った。
 これまで完璧に抑制されていた殺意が唐突に復活した理由を彼は知らなかった。彼が昨日の晩までは確かに服用していた薬は、朝晩食後に一カプセル、この二十年欠かさず飲み続けてきた。そのカプセルの中身を、彼の妻が土曜の晩にこっそり抜き取り、医学的に何の効果も害もない粉と入れ替えたのだった。そして、日曜の夜、衝動が抑え難くなった彼は、たまたま身近にいた女性、妻を殺害した。

 彼女は夫を失いたくなかった。服薬を強制的にやめさせたのは、自首を阻止する苦肉の策だったが、実は彼が連続殺人を再開することを密かに願ってもいたからだった。彼女が愛したのは、ミステリアスでスリリングな、シリアルキラーの彼なのだから。
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