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友人作家の死(2)
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「君がやったんだろう」と名探偵よろしく彼は言った。
「なぜそう思うんだ」わたしは面食らってそうきき返した。
「なぜだと思う」彼は意味ありげににやにや笑っている。
わたしたちは、共通の友人の墓の前で偶然顔を合わせた。亡くなった男は人付き合いが悪く友も少なかったから、それほど偶然ともいえないのかもしれなかったが。今日は、その男の命日だった。
「なぜ今頃になってそんなことを言うんだ」わたしはニヤニヤしている彼に精一杯の皮肉を込めて言う。
「あれから八年も経つのに、君は毎年彼の命日に墓参りを欠かさない」と彼は言った。「墓前におはぎを供えるのは、君だろう」
「なぜそう思う」
「川島は、おはぎなんか好きじゃなかった」
「そんなわけが」
「君の妹さんの勘違いなんだ。彼女がひょんなことから、それが彼の好物だと思い込んでしまった。ささいなことさ。どうしてそうなったかは、重要じゃない。妹さんが嬉しそうにおはぎをこしらえては持参するので、彼はずっと我慢して食べていたんだ。あの大酒飲みが甘いものだなんて、おかしいと思わなかったのか」
彼はそう言って、持参した日本酒の栓を開けると、墓石のてっぺんからざぶざぶとかけたので、わたしが供えたおはぎの上にも、少し液体が飛び散った。
わたしは酒瓶の中身が流れ出るのに比例するがごとく、顔から血の気が引いていくのを感じた。
この男の名は斉木といった。親の遺産を若くして受け継ぎ、特に定職にもつかずに呑気に暮らしている変わり者。いわゆる高等遊民というやつだ。小説家だった川島の数少ない友人の一人で、わたしとも面識があった。
しかし斉木とわたしは、共通の友人があったというだけで、さして親しい間柄ではなかったから、八年前に川島の葬儀で顔を合わせたきりだった。その斉木と、川島の墓前で久々の再会を果たしたわけだが、開口一番彼が言ったのが先ほどの「君がやったんだろう」だった。
「証拠は――」
「そんなものは、ないよ。でも君のその血の気を失った顔を見れば、十分だ」
彼は川島の墓に向かって手を合わせ目を閉じた。その横顔に、わたしは問いたださずにはいられなかった。
「それで、どうする気だ」
彼はゆっくりと目を開き、わたしに向き直って、言った。
「どうもしない。言ったろう。証拠はないんだ。奴は酔っぱらって、アパートの階段から転落した。真夜中の出来事で、目撃者は誰もいないんだから、今後もそういうことになる。あれからもう八年も経っている。君の当夜のアリバイがないことだって、今さら証明しようがない」
「どうしてわかった」
「ぼくは川島から、君の妹について聞いていた。彼は、兄の友人である彼に淡い恋心を抱いた君の妹を受け入れなかった。理由のひとつは彼女がまだ十五歳で、彼とは倍も歳が離れていたこと、そしてもう一つは、彼女が君の妹だったからだ。ご両親をはやくに亡くした君が、妹さんの父親代わりだったことを彼は知っていたし、自分のようなうだつの上がらない男よりマシな相手を見つけて幸せになってほしい、といつも言っていたよ。彼にとって、君の妹はただの親友の妹であり、女として見ていなかった」
「だが妹は――」
「妹さんは、あいつと交際しているつもりだった。彼の好物だと思い込んで、おはぎを作っては彼のボロアパートに押しかけたりしてね。我々から見ればおままごとみたいなものだったが、彼女自身はしごく真剣だった。川島はそれに気づかず、そのうちに彼女も彼に愛想をつかして歳相応な恋をするだろうと思い、我慢しておはぎを食べ、彼女の勉強をみてやっていたんだ」
わたしは台所で嬉しそうにおはぎを作っていた妹の姿を思い出した。セーラー服でおさげ髪、まだまだ子供だと思っていた妹が、川島のアパートに足しげく通い、何時間もやつの部屋で過ごしていると知ったわたしは、川島に激しい怒りを覚えた。よりにもよって、親友の、まだ十五の妹をたぶらかすとは許せないと。
『わたしはあのひとを愛しているの!』
もう二度とあいつに会うことは許さないとこっぴどく叱りつけたわたしに、妹は泣きながらそう言った。妹が亡くなったのは、あいつのせいだと、わたしは信じ込んだ。自分のせいだと思いたくなかったから。
「あいつは、君に恨まれていることを知っていたが、甘んじてそれを受けると言っていた。妹さんの死に、少なからず責任を感じていたんだね。彼としては第二の兄のような気持だったんだが、部屋にあがらせて彼女がまるで世話女房のように振る舞うのを許していたんだからね。だから、君がやったことも、恨んではいないと思うよ」
斉木はそう言い残して、立ち去った。
わたしの脳裏に、階段から落ちていく彼の顔が浮かんだ。一瞬驚いてわたしを見上げたが、すぐに悲しそうに目を伏せた。全てがスローモーションのようにゆっくりで、わたしは頭を下にして落ちていく彼を、冷ややかに見降ろしていた。
川島の墓の前で言ったように、斉木はわたしのしたことをどこにも、誰にも告発しなかった。わたしが妹と川島の元に行って直接詫びることにしたのは、彼の墓前で斉木と対峙してから三ヶ月後のことである。
「なぜそう思うんだ」わたしは面食らってそうきき返した。
「なぜだと思う」彼は意味ありげににやにや笑っている。
わたしたちは、共通の友人の墓の前で偶然顔を合わせた。亡くなった男は人付き合いが悪く友も少なかったから、それほど偶然ともいえないのかもしれなかったが。今日は、その男の命日だった。
「なぜ今頃になってそんなことを言うんだ」わたしはニヤニヤしている彼に精一杯の皮肉を込めて言う。
「あれから八年も経つのに、君は毎年彼の命日に墓参りを欠かさない」と彼は言った。「墓前におはぎを供えるのは、君だろう」
「なぜそう思う」
「川島は、おはぎなんか好きじゃなかった」
「そんなわけが」
「君の妹さんの勘違いなんだ。彼女がひょんなことから、それが彼の好物だと思い込んでしまった。ささいなことさ。どうしてそうなったかは、重要じゃない。妹さんが嬉しそうにおはぎをこしらえては持参するので、彼はずっと我慢して食べていたんだ。あの大酒飲みが甘いものだなんて、おかしいと思わなかったのか」
彼はそう言って、持参した日本酒の栓を開けると、墓石のてっぺんからざぶざぶとかけたので、わたしが供えたおはぎの上にも、少し液体が飛び散った。
わたしは酒瓶の中身が流れ出るのに比例するがごとく、顔から血の気が引いていくのを感じた。
この男の名は斉木といった。親の遺産を若くして受け継ぎ、特に定職にもつかずに呑気に暮らしている変わり者。いわゆる高等遊民というやつだ。小説家だった川島の数少ない友人の一人で、わたしとも面識があった。
しかし斉木とわたしは、共通の友人があったというだけで、さして親しい間柄ではなかったから、八年前に川島の葬儀で顔を合わせたきりだった。その斉木と、川島の墓前で久々の再会を果たしたわけだが、開口一番彼が言ったのが先ほどの「君がやったんだろう」だった。
「証拠は――」
「そんなものは、ないよ。でも君のその血の気を失った顔を見れば、十分だ」
彼は川島の墓に向かって手を合わせ目を閉じた。その横顔に、わたしは問いたださずにはいられなかった。
「それで、どうする気だ」
彼はゆっくりと目を開き、わたしに向き直って、言った。
「どうもしない。言ったろう。証拠はないんだ。奴は酔っぱらって、アパートの階段から転落した。真夜中の出来事で、目撃者は誰もいないんだから、今後もそういうことになる。あれからもう八年も経っている。君の当夜のアリバイがないことだって、今さら証明しようがない」
「どうしてわかった」
「ぼくは川島から、君の妹について聞いていた。彼は、兄の友人である彼に淡い恋心を抱いた君の妹を受け入れなかった。理由のひとつは彼女がまだ十五歳で、彼とは倍も歳が離れていたこと、そしてもう一つは、彼女が君の妹だったからだ。ご両親をはやくに亡くした君が、妹さんの父親代わりだったことを彼は知っていたし、自分のようなうだつの上がらない男よりマシな相手を見つけて幸せになってほしい、といつも言っていたよ。彼にとって、君の妹はただの親友の妹であり、女として見ていなかった」
「だが妹は――」
「妹さんは、あいつと交際しているつもりだった。彼の好物だと思い込んで、おはぎを作っては彼のボロアパートに押しかけたりしてね。我々から見ればおままごとみたいなものだったが、彼女自身はしごく真剣だった。川島はそれに気づかず、そのうちに彼女も彼に愛想をつかして歳相応な恋をするだろうと思い、我慢しておはぎを食べ、彼女の勉強をみてやっていたんだ」
わたしは台所で嬉しそうにおはぎを作っていた妹の姿を思い出した。セーラー服でおさげ髪、まだまだ子供だと思っていた妹が、川島のアパートに足しげく通い、何時間もやつの部屋で過ごしていると知ったわたしは、川島に激しい怒りを覚えた。よりにもよって、親友の、まだ十五の妹をたぶらかすとは許せないと。
『わたしはあのひとを愛しているの!』
もう二度とあいつに会うことは許さないとこっぴどく叱りつけたわたしに、妹は泣きながらそう言った。妹が亡くなったのは、あいつのせいだと、わたしは信じ込んだ。自分のせいだと思いたくなかったから。
「あいつは、君に恨まれていることを知っていたが、甘んじてそれを受けると言っていた。妹さんの死に、少なからず責任を感じていたんだね。彼としては第二の兄のような気持だったんだが、部屋にあがらせて彼女がまるで世話女房のように振る舞うのを許していたんだからね。だから、君がやったことも、恨んではいないと思うよ」
斉木はそう言い残して、立ち去った。
わたしの脳裏に、階段から落ちていく彼の顔が浮かんだ。一瞬驚いてわたしを見上げたが、すぐに悲しそうに目を伏せた。全てがスローモーションのようにゆっくりで、わたしは頭を下にして落ちていく彼を、冷ややかに見降ろしていた。
川島の墓の前で言ったように、斉木はわたしのしたことをどこにも、誰にも告発しなかった。わたしが妹と川島の元に行って直接詫びることにしたのは、彼の墓前で斉木と対峙してから三ヶ月後のことである。
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