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冥界の剣

第二十八話 禍羅漢強し

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 クムを連れたヨウゼツ達は螺旋階段を登り終えて、中層へと辿り着いていた。セイケンとウロト、ゲンテツは万が一にもヨウゼツが不審な行動を取った場合と、ルリエンが姿を見せた場合を想定して神経を尖らせている。
 クムはヨウゼツに膝裏と背中に腕を回されて、姫君の如く丁重に扱われていた。ヨウゼツはハクラにも匹敵する速さで走っていたが、その間、クムはほとんど揺れを感じておらず体術においても彼がハクラやクガイに並ぶ実力者である証左だ。

「あの、クガイさん達は大丈夫でしょうか。この剣が封印に役立たなくても、武器としては役に立つのでは?」

 刃を剥き出しでは危険だから、と冥業剣はヨウゼツが用意していた紫色の布で包んでいる。ヨウゼツは登り切ったばかりの階段を振り返り、こう答えた。

「禍羅漢も言っていただろう。その剣は本来死せる世界の死せる者が振るうべき剣だ。持っているだけならばともかく、あの禍羅漢を相手に武器として使えば、命を吸われてかえって危険になるだけだよ。
 それこそ禍羅漢が虫の息になって動けなくなったところをグサッと刺すなら、まだ使いようはあるという程度だ」

「う~ん、そうですかぁ。……むむむ!」

 ヨウゼツに厳しい現実を伝えられたクムは、手の中の冥業剣に微妙に役に立たない、とこの上なく冷たい目を向けていた。彼女にとっては平穏な生活を変えられた元凶であることもあり、冥業剣に関してよい感情がないのだが、それがさらに悪化してしまったようだ。

「冥業剣に罪はないよ。君の父上は冥府の神の加護を受けたから、禍羅漢と戦えるほど冥業剣を扱えた。それに神託を受けた巫女の援助もあった。
 そうではないクガイ達が同じ真似をしようとしたら、たちまちの内に彼ら自身が死者へと変わってしまう。それでは本末転倒だろう?」

「ヨウゼツさんは本当にいろんなことを知っているんですね。ひょっとして、父と一緒に禍羅漢を封印した仲間だったとか?」

「あははは、ああ、そうか、そういう風に勘違いされてもおかしくはないね。けれど私は違うよ。そんな隠された英雄譚の登場人物たる資格もないし、大人物でもない。ただ知っているだけさ。おっと、おしゃべりが過ぎたか」

 ヨウゼツが浮かべていた微笑を取り消し、真剣な眼差しで螺旋階段を降りきった先にある広間を見れば、特大の地震かと間違うような振動と轟音が中層にまで伝わってくる。
 直後、通路から洪水のように粉塵が噴き出して、さらにそこからクガイ、ハクラ、クゼ、ラドウ、それにやや遅れて禍羅漢が飛び出してきた。

「ガアアアアア!」

 禍羅漢の咆哮が粉塵を全て吹き飛ばし、クガイやクゼ、ラドウの肉体を粉砕せんと衝撃が襲い掛かってくる。恐るべきことに禍羅漢の咆哮はまともに受ければ五体が粉砕される程の力と妖力が籠められていた。
 クガイとクゼは練り上げた気を込めた木刀と拳を振るい、ラドウは仙術武具を縦横無尽に振るって音速の咆哮を散らす事により、肉体の破砕を防ぐ。そんな中で、白龍の鎧を纏うハクラだけは咆哮を浴びながら突撃し、禍羅漢と正面から斬り結ぶ。

「はああ!」

「ハハハ、白龍の鱗とはいえ仮初のものでここまで頑丈とは、俺の眠っている間に大した龍が生まれたようだ。そして女、お前も見事な力量だ!」

 直後、二人の周囲に無数の腕と直剣が生じては消え、消えては生じる。常軌を逸した速さで放たれる打撃と斬撃の残像が、あたかも両者に百本の腕があるかのような錯覚を引き起こしている。
 そして賞賛すべきは禍羅漢を相手に正面から斬り結ぶハクラばかりでなく、この両者の戦いの間隙を縫って禍羅漢に仕掛けられるクガイ達もだ。

「奮ッ!」

 踏み込む度に床を砕き、加速するクゼがするりと煙のように両者に間に割り込み、禍羅漢の連打に負けぬ数の打撃を白銀の甲冑に叩き込んでゆく。
 一撃ごとに返ってくる手応えが、純粋な打撃も気を通しての内部破壊も無為に終わっているのをありありと伝えてくるが、それでもクゼの連打は止まらない。

「いい拳だ。鍛錬と天賦の才の両立、それもとびきり上等のものでなければ、俺を殴って拳を壊さずに済ませられん。たとえ俺と同じ作り物の体でもな!」

「べらべらとよく動く舌だ。引き抜いて珍味として売り飛ばしてくれる」

「ハハハハハ! 俺のベロを珍味扱いか。これは初めての経験だ。愉快愉快!」

 秒間数十、あるいは百をも超えるクゼの連撃は、禍羅漢の言う通り作り物の体を土台とした技術あればこそか。
 クゼは巨大生物の甲殻や分厚い鎧を貫通して衝撃を内部へ伝える技術を習得しているが、禍羅漢の甲冑と生身の部分はこれまで彼が倒してきた連中とはモノが違った。

 禍羅漢の持つ力があまりに巨大かつ暴力的すぎて、気を通そうにもこちらが壊されないよう相殺するので手いっぱいだった。故に無数の乱打の中に髪の毛一本の狂いもなく、同じ個所を狙って打ち込み続けている。
 狙いは禍羅漢の右肘。堅固な相手の関節破壊を狙うのは常道だ。まずは腕一つ、確実に戦力を削ごうとしている。
 それを知ってか知らずか、禍羅漢はハクラによる斬撃を受けながらも、強引に右腕を振り抜き、いわゆる裏拳でクゼの上半身を粉砕せんとする。

「愉快だが、纏わりつかれるのは不愉快だぞ!」

 クゼは腕一つを盾にして稼げる時間を計算し、瞬時に右腕を犠牲にする決断を固める。禍羅漢の指摘通り、クゼの肉体の大部分は作り物だ。生身の肉体と違って脳と脊髄の一部が残っていれば、そう簡単には死なない。
 腕一つ失くしても、失血や激痛による戦闘能力の低下はない。それゆえ、クゼの決断に迷いはなかった。

「決断が早すぎるのも、損なもんだな!」

 クガイだ。クガイが大上段に思い切り振りかぶった木刀を、クゼに当たる寸前の禍羅漢の右拳に叩きつけて、強引に軌道を変える。

「やるな、気功使い」

「目覚めたてならもうちっと寝惚けていても、罰は当たらんと思うがね」

 さらにクガイを加えた至近距離での乱打戦が始まり、四者の位置は一瞬ごとに変化して目まぐるしく拳と刃と木刀とが振るわれる。
 一撃一撃に込められた威力の凄まじさから、周囲へと発せられる余波は床を抉り、壁を斬り、円柱形の空間の底部を徐々に崩壊させている。

「あの狭苦しい祭壇の中で眠っていたわけではないぞ!」

「そうかよ。大体、今更復活して何がしたいってんだ。てめえらを引き連れていた魔神共はとっくに魔界に帰ったぜ。てめえの御同輩の魔王だってほとんどは討たれたか、主人と一緒に魔界に帰っている。
 こっちに残っている魔族だって、今じゃ地上の暮らしに慣れて魔界なんて行った事も見た事もない連中がほとんどだ。今更魔王なんぞが蘇っても、誰も喜びやしねえ!」

 クガイの木刀が唸りを上げて禍羅漢の額に叩きつけられる。春の雷を思わせる轟音を伴う一撃を生身の部分で受けても、禍羅漢に苦痛の色はない。

「かつての主人にはもう忠義も恩も十分に尽くし終えた。魔界に撤退する時、俺が殿を務めなければ、更に何柱の魔神は討たれていただろう。俺が前回と今回、目覚めて求めるのは俺が強いという実感を味わう事だ!」

 禍羅漢は頭突きの要領でクガイの木刀を押し返して、空中に吹き飛ぶクガイへ左の赤く輝く手刀を振るう。音の壁をはるかに超えて振るわれる手刀は、かつて城塞すら両断した一撃。

朱討刀しゅとうとう!」

「クガイッ!」

 咄嗟にハクラが割込み、白龍の気によって巨大化した直剣を盾として禍羅漢の一撃を受け止める。両者の激突点から発した力はこれまでよりもいっそう凄まじく、クガイの体が更に後方へと吹き飛び、螺旋階段の上に居たクム達へも衝撃波が届いて全身を震わせる。
 がぎん、と途方もなく硬く、重たい物体の激突する音が連続して発する。ハクラと禍羅漢が神速の攻防を再開したのだ。

「かつて俺は弱かった!」

「はあっ!」

 禍羅漢の右の拳をハクラの左手が受け止め、直後に捻りを加えて打点をずらして被害を最小限に抑える。ハクラと契約している白龍が並みの龍だったなら、受け流してさえ鱗の鎧を砕かれて、骨を粉砕されている。

「特に魔界では弱き者は何も得られん。奪われるばかりだ。だからこそ俺は強くなろうとし、いくらかは強くなった。だがそれでも俺は弱かったと心底から思い知らされた」

「泣き言か、それとも後悔か。敵に聞かせる話ではあるまい!」

 返すハクラの言葉と共に直剣が禍羅漢の左首筋に叩きつけられ、わずかに毛並みに食い込んでプツプツと数本の毛を斬り落とす。

「俺の目的が知りたいのだろう? 強き者をこの手で葬った時、俺は自分が強いと実感できる。お前達は強い。だから何が何でも俺の手で葬る。そうしてこの世のありとあらゆる強い者を葬り尽くす! それが俺の望み、俺の生きがい、そうでなければ俺は俺であれん。
 その為ならば他者が俺をどう利用しようとも構わん。気功使いは地上の魔族はこの世の暮らしに慣れたと口にしたが、そうでない者が居るから俺が復活したのだろう?
 ならばそ奴らの神輿として担がれて、この世に戦乱を齎すも一興! 平穏が破れ、乱れた時にこそ強者は台頭するのだからな!」

 禍羅漢の胸部の穴が赤い光を発して光の奔流が放たれて、至近距離で直撃を浴びたハクラは白龍の鎧越しにも高熱を感じ、壁へと叩きつけられて巨大な罅が壁に走る。白龍殻のあちこちから白煙が立ち上っている。
 深々と壁に埋め込まれたハクラだったが、何度か身震いしたのちに力づくで飛び出して、直剣を右上段に構える。

「ほう、俺の隠し札だが、これでもまだ倒れんとは。女を通じて俺を見ている龍よ、直にお前と対峙する時が楽しみでならんぞ」

 にかっと陽気に笑う禍羅漢は、両腕を肘から立てて背後から斬りかかってきたラドウの二刀を左腕が、真横から突き込まれたクゼの左飛び蹴りを右腕が受け止める。

「あちゃあ、ぎりぎりまで気配と殺気を消したんだけどなあ」

「そのぎりぎりからでも俺が反応できたという話だ。二刀流」

「そうかい。次から気を付けるよ」

 軽口の応酬からすぐさまラドウは炎と雷の刃をクゼと呼吸を合わせ、即興の連携で繰り出す。海千山千のぶじにゃ妖怪であったなら、瞬く間に百を超す骸の山が出来上がる連続攻撃も、禍羅漢は嬉々として迎えうって数百回目となる攻防が続けられる。

「ねえ、ちょっと、クゼ殿。うん、これは、結構まず、まずいかも、しれないね!」

 こんな状況でラドウは薄ら笑いを浮かべているが、禍羅漢のかすり傷一つで死にかねない苛烈な攻撃に晒されて言葉は途切れ途切れだ。

「口は動かす暇があるのなら問題あるまい」

 クゼはそれに取り合わないが、両者の攻撃は見事にはまり合っており、刹那の判断が生死を分ける状況において、お互いに技を繰り出して隙を作り一秒にも満たない休憩を取り合って、わずかな回復を重ねている。

「自由になって早々にお前達のような強者と戦えたのは、まさに幸運だ、ハハハハ!」

 戦い続ければ禍羅漢の動きを覚えられる。早さにも慣れる。一人一人で挑んでいれば、とっくに殺されていた戦力差も、四人が入れ代わり立ち代わり、またあるいは同時に掛かる事で今に至るまで戦い続けられている。
 眼下で行われる神代の激戦を想起させる戦いに、クムはおろかセイケンやウロト、ゲンテツまでもが息を忘れて見入っている。セイケンらにとってもあれは異次元の戦いであった。

「ああ、これはいけない。ハクラ殿が積極的に盾になっているから致命傷はまだないが、少しずつ負傷を重ねている。連携が取れるようになっても怪我が増えれば動きが鈍くなる。それでは禍羅漢には勝てない」

「ええ、ヨウゼツさん、そんな。じゃ、じゃあどうしたら勝てますか!?」

「そうだねえ、これ以上怪我が増える前に大技を叩き込むしかない。だがどうやってその隙を作るかが問題なのは、言うまでもないね?」

「……隙、隙を作る」

「おっと、もっと下がろうか。魔王殿がちょっと本気だ」

 クムに有無を言わさずにヨウゼツは彼女を抱えたまま階段の縁から大きく離れた。セイケン達もまた彼とほぼ同じくして階段から大きく距離を取る。そうしなければならなかった理由は、すぐさま知れた。

神輝斗堕かかとおとし!」

 禍羅漢の咆哮が聞こえてきた直後、円柱形の空間全てを埋め尽くす明かり光がそそり立ち、中層の天井を貫いて更に、更に上へと伸びてゆく。この蔵全体を破壊しかねない途方もない力だ。
 蔵全体を揺らす振動と熱波が襲ってきて、クムはヨウゼツに庇われながら屹立する赤い光の柱から、見知った人影が分離するのを目撃した。

 刃を連ねたような翼を広げたハクラにクゼ、ラドウ、クガイがしがみついており、飛行能力を有するハクラに頼って、赤い破滅から逃れたようだった。
 ラドウは灼骨炎戯と雷電轟鳴の代わりに、子供がむちゃくちゃに曲げたような錫杖を手にしている。禍羅漢の攻撃を防ぐ為に用いた防御特化の仙術武具なのだが、それでもわずかな間しか機能せずこうして壊れてしまったのである。

「あ~あ、これって仙術武具の中でも貴重な奴なんだぜ。大赤字だよお」

 ラドウはしょんぼりとへこたれながら、手の中から錫杖を消し去ると再び灼骨炎戯と雷電轟鳴を握る。仕立ての良いスーツとシャツは跡形もなく、鋼の如く鍛え抜かれた上半身を露にしている。
 クゼも道着のあちこちが破れて、陶器のようにつるりとした質感の肌が露となり、ところどころに継ぎ目のように黒い線が走る肉体が覗いている。視線はようやく終息し始めた赤光の柱へ固定されていて、ラドウの愚痴は完全に無視している。

「あちらも調子が出始めたか」

「負けた時に本調子ではなかったと言い訳されずに済む」

 ハクラの白龍殻は高熱に晒されて再び白煙をたなびかせているが、それ以外に目立った損傷はない。ただハクラの声色には多少の疲労が滲んでおり、他の三人の盾となって積極的に禍羅漢の攻撃に晒された精神的な負荷は相当に大きい。
 この中で傷らしい傷を負わず、服にいくらかの傷を作っただけで済ませているのがクガイだ。両手で握った木刀右下段に下げながら、赤光の柱へ猛禽を思わせる眼光を向けている。

「休憩はここまでだ。奴さんが来るぞ!」
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