追放令嬢はバーバリアンにクラスチェンジする

永島ひろあき

文字の大きさ
上 下
6 / 6

第五話 覚醒

しおりを挟む
 気付くと、エルリンネは星も月もない真っ暗な闇の中にたたずんでいた。エルリンネの周りだけ淡い月の光が差し込んでいるように明るいが、右を向いても左を向いても果ての無い闇が広がっている。
 思わず一歩を踏み出すと足元に波紋が生じた。水面のような場所に立っているらしい。

「まさか死後の世界? それらしいような味気ないような……」

 するとエルリンネが目を覚ます――というのもおかしいが――のを待っていたように、目の前に紙に水が滲むようにして一人の青年が姿を露にした。先程の体が痺れるほど甘い囁き声の主だろう。
 毛先で緩く巻く白い髪を持ち、服から覗く肌もまた生命を感じさせない死人のような白だ。あまりにも冷たい白は、まるで命の熱を感じさせない空虚な印象を受ける。

 神が気まぐれに筆をとったか、鑿を手にして作り上げたとしか信じられない美貌は、社交場で数多くの美少年や美青年を見てきたエルリンネをして息を呑む程だった。
 もしわずかな狂いもなく青年の美貌を絵画や彫刻に出来たなら、あらゆる財を投げ捨てでも手に入れたいと万人が恋焦がれるように願うだろう。
 黄金の満月を思わせる瞳に、魂まで吸い込まれたいと願う者は男女を問わず、老若も関係なく数えきれまい。

 白い体を彩る鮮血を思わせる赤いチュニックと黒い脚衣きゃくいを纏い、手首や指先には金銀と宝石を惜しみなく使った指輪や腕輪が光り輝いているが、なによりも主の方こそが奈落に引き込むような魅力を纏っている。
 チュニックの上から襟に黒い羽根のあしらわれた黒いマントを羽織っていた。まるで周囲の暗黒から切り取ったように深い黒は、見ているだけでも底知れない恐怖を駆り立てるものがある。

「再び問おう。力が欲しいか? 追放されし炎の娘。復讐を望んでいるだろう? 貴人たる資格をはく奪された令嬢よ」

 謎の男はそこだけ血を塗ったように鮮やかに赤い唇を笑みの形にして、エルリンネへと向けて一歩、二歩と足を進めて、そっと右手を伸ばしてきた。
 触れるだけでも罪ではないかと畏怖する程にしなやかで美しい指が、誘うようにエルリンネ向けられている。その手を取ればそのまま闇の彼方へと連れ去られるのだろか。
 世界中の芸術家達の求めた美の概念が人型になったようなこの男の誘いを断れる者が、果たしてこの世界にいるだろうか。
 例え悪魔の罠だと分かっていたとしても、誰もがなすすべなく男の手を取るに違いない。それを証明するようにエルリンネもまた右手を伸ばして、男の手を取ったではないか。

「いい子だ、エルリンネ」

 優しく囁く男に、エルリンネはまっすぐと黄金の瞳を見つめながら問いかける。それは考えたものではなく、ほとんど直感で口にした言葉だった。

「あなたは……ゼガ?」

 男は一瞬だけ目を見開き、笑みを深める。

「いずれゼガとなる者だ。私と同じ暗黒の血を受け継ぐ同胞よ。君と私はいわば半身だ。この世にゼガを復活させ、再び世界を一つに統一する。いくつもの国、いくつもの宗教、いくつもの思想に分かれたこの世界を、一つにまとめて永遠の理想郷を築く。
 そして君が力を得る為に私が必要なのだ。君を捨てた王国に、父親に、王子に復讐する為に、君は私と出会う運命だったのだよ。私に君が必要なように。我が比翼の翼よ、連理の枝よ、運命の半身エルリンネよ、私と共に行くのだ」

「そう、あなたも私と同じ血を持つのね」

 ふっとエルリンネの口元に微笑が浮かぶ。全てを理解し、全てを受け入れた笑みだと男は察した。
 その時、ミシリ、と男の右手から嫌な音が聞こえた。男の顔に苦痛が走り、小さな驚きがじわじわと広がる。エルリンネの右手が万力のような握力で、男の右手を“決して逃がさない”と握り締めている。

「そう、そう、そう……お前かあああああ!!!」

 顔を上げたエルリンネの浮かべる怒り一色に染まる表情の凄絶さに、男は息を呑む。そして暗黒に満ちていた水面の奥底から、周囲からエルリンネの叫びに呼応して真っ赤な炎が吹き荒れて、この暗闇の世界を一転、炎ので満ちた世界へと変貌させる。

「この炎はヴァリオン! ヴァリオンの血が邪魔をするか!!」

 エルリンネに暗黒の皇帝ゼガの血が流れているのは紛れもない事実だが、同時に彼女に聖戦士と呼ばれる過去の英雄の血が流れているのもまた事実。
 本来、この暗黒の空間に引きずり込んだ時点で、エルリンネの精神は混迷して男の意思に無条件に従うはずだった。
 それを未然に防いでエルリンネの正気と判断力を維持し、こうして彼女の感情に呼応して炎が出現したのも、エルリンネ中のヴァリオンの血の成せる業だ。そしてなによりも、エルリンネの鋼鉄のように固い精神力があればこそ!

「いや、これはヴァリオンの血よりも君の精神の強さか! はははは、素晴らしい!」

「よくも私を陥れてくれたな! この借りは例えこの魂が七回生まれ変わっても必ず返してやる!!」

 そしてエルリンネの渾身の左拳が男の顔面に深々と突き刺さり、鼻の骨や歯を折る感触を感じたのと同時にプツリと再びエルリンネの意識は途切れた。



 精神世界と言うべき場所に引きずり込まれたエルリンネだが、彼女の肉体は濁流から這いずり上がり、俯せの姿勢で気を失ったままだった。
 ずぶ濡れの彼女の下へ近くの森林から一匹の動物が姿を見せ、エルリンネの下へ警戒しながら近づいて行く。

 茶色い毛皮に黒い斑の模様を散らした猫科の猛獣だ。ギントと呼ばれる豹の一種で、エルリンネを今日のディナーにするつもりなのだろう。
 音を立てず一歩、また一歩と進むギントはエルリンネのすぐ傍で足を止め、黒い鼻を鳴らしてエルリンネの臭いをかぎ、生存を計り始める。死を偽装する生物の例を知っているのか、ギントは強く警戒しているようだった。
 そろりそろりとエルリンネへと近づいたギントが警戒を解き、少女の細い首に噛みついて脛骨をへし折ろうと顎を開き、ゾッとするほど鋭い牙が覗いた。

「しぃっ!」

 どんな生き物であれ獲物に襲い掛かるその瞬間は警戒を解かざるを得ない。狩りを成功させることに意識を集中するからだ。例え獲物の反撃に備えようとしても、自分が襲い掛かる以上は万全の備えとはなりえない。
 既に意識を覚醒させていたエルリンネはそこを狙い、バネ仕掛けのおもちゃのように飛び起きるとギントが反応する間もなく背後に回り込む。
 そのままギントの首に右腕を絡み付けて左の肘裏辺りを掴み、左手はギントの後頭部を力の限り押し込んで、両足はギントの胴体に回してこちらも目一杯力を込めて締め上げる。

「ふんっ!!」

 エルリンネはごわごわとしたギントの毛皮の感触、そして締め技から逃れようと暴れ回るギントの力強さを味わいながら決して拘束を緩めない。
 ギントはエルリンネを背中に乗せたまま暴れまわり、地面や木々に体当たりしてエルリンネを振りほどこうとする。次々と体に襲い掛かってくる痛みに耐えながら、エルリンネは締め付けを更に強める。
 そうして毒を飲まされ、川に流されて弱った体に鞭を打ち、ギントを相手に行った死闘がどれほど続いたものか……。

「ごめんなさいね、これも生きる為なのです」

 信じられないほど暴れまわり、散々にエルリンネの体を痛めつけたギントはぐったりと力を失い、エルリンネの腕の中で命の火を絶やしていた。
 エルリンネはくたくたに疲れはてた体に鞭を打ち、一本一本指を引き剥がすようにして両腕と両足をギントから離して、その場に尻餅をつく。深く息を吸い、荒れた呼吸を急いで整える。

「はあ、はあ、はあ、確か、この大きな猫ちゃんは…………ええと、ギントとかいう珍しい猛獣だったわね。はあ、はあ」

 エルリンネは国の地図を記憶の中から引っ張り出して、自分が川に落ちた地点と流された時間、ギントの生息域や周囲の木々からおおよその位置を割り出そうと試みる。

(おそらく南西にあるヴェクタル王国の方へと流された? そうなるとギズの大森林に迷い込んでしまったのかしら? 大部分が未開の地と聞くけれど、身を隠すには良くても生き抜くのはかなり難しい場所ね。とはいえ、まずは……)

 エルリンネは死んだふりをしていた場所から少し離れたところに落ちていた短剣を拾い上げ、川へと近づいて行く。
 ギントにかなり近づかれてから意識を取り戻したのだが、その時に短剣を手放しているのに気付いて内心では大いに焦ったのだ。すぐに見つけられたのは幸いという他ない。

「もし本当にここが大森林だったら、この短剣が数少ない文明の利器ね。後はこの腕輪……あら、壊れている?」

 見れば魔術を封じる厄介な腕輪には大きな亀裂が走っており、エルリンネが少し力を籠めるだけであっさりと二つに割れた。

「こればかりは不幸中の幸いと言うべきかかしらね。さて、まずは体を温めないと。こんな状況で風邪なんてひいたら死に直結してしまうもの。それに……」

 エルリンネが振り返ってみたのは、力なく横たわるギントだ。

「当面の食料は調達できましたし」

 どうやらギントを食べるつもりらしかった。

「美味しいのかしら?」

 さあ?
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

灰雲
2020.08.06 灰雲

常識内で生きている人間を
血で疎むとか素敵な勘違いですね。

彼女、コレで覚醒するのか…。
楽しみにしてます。(ニッコリ)

2020.08.06 永島ひろあき

ご感想ありがとうございます。
タイトルの方向に覚醒します(ニッコリ)
ずいぶんと間が開いてしまいましたが、コツコツとストックを増やしている最中です。また少しずつ話を続けてゆけるよう頑張ります。

解除

あなたにおすすめの小説

神様に嫌われた神官でしたが、高位神に愛されました

土広真丘
ファンタジー
神と交信する力を持つ者が生まれる国、ミレニアム帝国。 神官としての力が弱いアマーリエは、両親から疎まれていた。 追い討ちをかけるように神にも拒絶され、両親は妹のみを溺愛し、妹の婚約者には無能と罵倒される日々。 居場所も立場もない中、アマーリエが出会ったのは、紅蓮の炎を操る青年だった。 小説家になろうでも公開しています。 2025年1月18日、内容を一部修正しました。

使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。気長に待っててください。月2くらいで更新したいとは思ってます。

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

ボッチの少女は、精霊の加護をもらいました

星名 七緒
ファンタジー
身寄りのない少女が、異世界に飛ばされてしまいます。異世界でいろいろな人と出会い、料理を通して交流していくお話です。異世界で幸せを探して、がんばって生きていきます。

魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました

紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。 国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です 更新は1週間に1度くらいのペースになります。 何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。 自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m

1人生活なので自由な生き方を謳歌する

さっちさん
ファンタジー
大商会の娘。 出来損ないと家族から追い出された。 唯一の救いは祖父母が家族に内緒で譲ってくれた小さな町のお店だけ。 これからはひとりで生きていかなくては。 そんな少女も実は、、、 1人の方が気楽に出来るしラッキー これ幸いと実家と絶縁。1人生活を満喫する。

嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜

𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。 だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。 「もっと早く癒せよ! このグズが!」 「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」 「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」 また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、 「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」 「チッ。あの能無しのせいで……」 頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。 もう我慢ならない! 聖女さんは、とうとう怒った。

加護を疑われ婚約破棄された後、帝国皇子の契約妃になって隣国を豊かに立て直しました

ファンタジー
幼い頃、神獣ヴァレンの加護を期待され、ロザリアは王家に買い取られて王子の婚約者となった。しかし、侍女を取り上げられ、将来の王妃だからと都合よく仕事を押し付けられ、一方で、公爵令嬢があたかも王子の婚約者であるかのように振る舞う。そんな風に冷遇されながらも、ロザリアはヴァレンと共にたくましく生き続けてきた。 そんな中、王子がロザリアに「君との婚約では神獣の加護を感じたことがない。公爵令嬢が加護を持つと判明したし、彼女と結婚する」と婚約破棄をつきつける。 家も職も金も失ったロザリアは、偶然出会った帝国皇子ラウレンツに雇われることになる。元皇妃の暴政で荒廃した帝国を立て直そうとする彼の契約妃となったロザリアは、ヴァレンの力と自身の知恵と経験を駆使し、帝国を豊かに復興させていき、帝国とラウレンツの心に希望を灯す存在となっていく。 *短編に続きをとのお声をたくさんいただき、始めることになりました。引き続きよろしくお願いします。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。