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前日譚
そして竜は死ぬ
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そこは、人や亜人、魔物はおろか鳥、獣、虫のみならず精霊さえも住まぬ生命の声の絶えた場所だった。
惑星最大の山脈の中でも、空の色を写し取る水晶で構築された、最も峻険な山の一角である。
夜風に花弁を揺らす花もなく草もなく、あるのは枯れ果てた樹木と見間違うような針金細工に酷似した、地面から空へと伸びる細い水晶くらいのもの。
黄金の盆を思わせる月が雲に遮られることもなく煌々と輝いて、夜空の支配者が自分であると誇示している。
降り注ぐ白みがかった月光は、水晶の山に言葉に表せぬ幽玄の美しさを誇る光の粒を纏わせて夜の暗闇を払拭し、水晶の中には古代から降り注いだ月光が閉じ込められているのかもしれない。
だがその夜は夜天と水晶の大地に満ちる静寂を打ち破る、風情を知らぬ者達の影が七つあった。
七つの影の主達は水晶の大地の上を歩くのではなく、空中を飛んで水晶山の頂上を目指していた。
一糸乱れずに編隊を維持し、針の先の様に鋭くなっている山の頂上の岩壁に縦に走る亀裂へと吸いこまれてゆく。月光を内部で屈折、反射させている為か水晶山の付近は朝焼けの明るさだ。
亀裂から水晶山の内部に入り込んだ七つの影はそのまま止まることなく飛び続け、やがてもっとも奥まった場所に広がる空間に出て、広間に足を着ける。
七人がこの場を訪れるのは初めての事ではない。以前、邪悪なる神が生み出した悪竜ニーズヘッグ種を討つ為に、この山の主に助力を求めた際にもこの地を訪れている。
その存在と伝説を広く知られていた山の主は温厚な気質で、かつ人間に好意的であると知られており、助力を得られる可能性は決して低くはないと予測されていた。
そして実際に話をしてみれば主は人ならぬ顔に穏やかな色を浮かべ、七人の申し出を快く承諾してくれたのである。
その恩義に対する報いを施す為に、七人は今宵この場へと遣わされている。そして七人全員がその胸の中に暗澹たる気持ちを抱いていた。
大恩あるといっても過言ではない山の主に対し、七人が所属する集団が下した決断はあまりに道理を無視した卑劣なものであると、誰よりも七人それぞれが理解していたからだ。
広間の奥で煮え滾る溶岩の覗く火口を暖炉の代わりにしていた山の主が、床の上で組んでいた前肢に乗せていた顎を持ち上げて不意の来客へと虹色の視線を向ける。
山の主は人ならぬ者――世界原初の形である混沌と共に在った始祖竜の心臓より産まれたと言う、竜種の頂点に君臨する始原の七竜が一柱“全にして一なる”と称される竜であった。
巨体は、霊峰に積もる人跡未踏の処女雪を思わせる美しい白い鱗で覆われている。
もっとも肉体の大きさは主の意思一つで自在に変えられるから、この数字は地上で暮らすにあたっての仮のものにすぎない。
深い知性と穏やかな気性を一目で見た者に伝える光を湛えた瞳は虹色に輝き、その背中からは六枚の翼が伸びている。
名をドラゴン。あまりに強く、あまりに古く、種族の名前がドラゴンであると誤解させてしまうほどに名を知られた竜である。
ドラゴンは肩を並べて悪竜と戦った人間達の来訪に、知らせなき不意のものとは言え歓迎の意を表そうとし、先頭に立つ勇者が手にする初めて見る剣に気付いて、彼らが今宵自分を訪ねた意味を悟り、一度は開きかけた口を閉ざした。
勇者の剣より放たれる強大な力の属性が、竜の鱗を貫き、肉を裂き、骨を断ち、魂を斬る為のものであると看破したのである。
俗に言う竜殺しの剣、いや、それを超えて竜を滅殺せしめる事のみに特化した剣である。
およそ竜に連なる者にとってこれほどまでに禍々しく脅威となる剣は、地上に於いて過去にも未来にもこの一振りのみであろう。
これまでドラゴンを討伐しようと考えたのは人間のみならず、多くの種族の数え切れぬ英雄や勇者と呼ばれる者達が存在していた。
ある者は名声を求め、あるいはドラゴンの肉体を武具や魔法具の素材として求め、あるいは強大なる竜の血肉を食べて己が力へ、あるいは食べる事で竜に成れると盲信し、ドラゴンへと幾度となく挑んできた。
ある者には警告を発し、ある者は道を惑わせて、ある者は咆哮の轟きで追い返し、そしてある者とは刃を交えてその命を奪った。
時にはドラゴンを討伐せんと息巻いて足を踏み入れて来た侵入者の所属する国家や、集団に対し警告を発して二度と愚かな真似をせぬようにと脅したのも一度や二度ではない。
だがそれでもドラゴンの命を狙う者は絶えない。少しでも愚行に走る哀れな者を減らそうと、ドラゴンは今ではこうして滅多に足を踏み入れる者の無い秘境に住まいを定めていた。
もっとも、兄妹と言っても差し支えのない同格の竜達と同じように、竜種が造り出した竜種の為の世界――竜界に籠っていれば、襲撃者達に煩わしさと疲れを覚える事もなくなる。
ドラゴンがそれをしないのは、ひとえに地上の生命が尽きぬ欲望とあくなき探究心を持つ存在であると理解しながらも地上に生きる者らを好いているからだろう。
ただしドラゴンにとっての地上に生きる者たちの定義の中には、邪神や悪神の産み出した妖魔と呼ばれる悪しき生命は含まれてはいないが。
「ふむ、そういうことか」
魂をも震わせる低い声が、諦観と疲れに塗れてドラゴンの口から零れた。
七人の気配に悔恨と躊躇が色濃く混じる。勇者は目の前の竜が途方もなく疲れ果てた孤独な老人のようだと、初めて出会った時と同じ事を思った。
だが、それでも勇者とその仲間達は目の前の竜を討たねばならなかった。義に悖る正義なき戦いである。
七人に共通していたのは誰も目の前の竜を討つのを納得しておらず、しかしそれでもなお必ず討たねばならぬ、しがらみという鎖に意思を縛られていること。
それを察したのか、ドラゴンは折り畳んでいた六枚の翼を大きく広げて戦いの意思を示す。
原初の竜種はその力のあまりの強大さゆえに、地上において本来の力を振るう事は出来ない。地上があまりにも脆すぎて、意図せずして滅ぼしてしまう為だ。
すでに全力を振るっても地上を破壊出来ない弱い竜が産まれて久しいが、ドラゴンはそれらの地上に適応して弱体化という進化の道を選んだ竜とはまるで別格の、最も始祖竜に近く最も強大な竜の一柱であった。
そしてドラゴンは勇者達との戦いに際して、自分と勇者達がぶつかり合いむやみに力を振るえば地上世界そのものを破滅させる事を危惧し、竜語魔法を用いて戦う為の空間を新たに創造する。
ドラゴンの咽喉奥で小さな唸り声が響くのと同時に、勇者達の存在していた水晶山の内部はその様相をがらりと変える。
それは無窮の闇を数え切れぬ星々と渦状銀河がその輝きを持って照らし出す星の海であった。
厳密に言えばドラゴンがその比類なき莫大な力と最高位の竜語魔法を用いて創造した、仮初の決闘用空間である。
足場を喪失したドラゴンはふわりとその場に浮かび上がる様に翼をかすかに動かし、静かな瞳で勇者達を見つめる。
この同格の古神竜や古龍神からは甘い、愚か、変わり者と散々な評価を受けているドラゴンは、ここまで至ってなおなにか交すべき言葉があるだろうかと、口に乗せる言葉を探していたのである。
しかしドラゴンはすぐさま自分のしている事が無意味であると悟る。
仮初の星の海の中で勇者達は既にそれぞれの得物を抜き放ち、ドラゴンといつでも戦端を切れる構えにある。
この状況で言葉を弄するのに意味はない。ただ徒労感を増すだけだと、ドラゴンは理解した。だから、せめてと思いながら一言だけ呟いた。
「始めようか」
終わりを、とドラゴンは自身の死を受け入れながら続く言葉を飲み込んだ。ドラゴンの口から零れた言葉が仮初の世界に響いた時、勇者達が散開する。
全力を振るえる状況のドラゴンを相手に戦端を開けば、躊躇する一瞬がすぐさま死に繋がるのを、彼らは良く理解していた。
勇者と同じくパーティーの前衛を務めるのは、多次元世界最高位の侍、長槍を操る辺境次元宇宙最強の傭兵である戦士、最大規模の宗教国家の僧兵でもあるモンクが、扇状に広がってドラゴンを包囲する陣形を取る。
先手を取ったのは勇者達のパーティーの中で後衛を務める魔法使いであった。宇宙の化石数十個を先端に納め、魔法の強化に使用する魔法杖を振るう。
詠唱、神秘象徴、帯状魔法文字の展開を必要としない思念のみで発動する最速の魔法行使である。
魔法の発動と同時に、ドラゴンの周囲を小さな太陽が無数に生まれるや白い巨体を飲み込む。
魔法使いが行使したのは、反物質対消滅反応を意図的に誘発する魔法であった。
反物質は魔法使い達が創造された物質界とは逆の素粒子スピンを持ち、本来であれば物質界には決して存在しない、また存在してはならない物質である。
その存在してはならない反物質は、通常の物質と接触して対消滅反応を引き起こし、その質量を莫大なエネルギーに変換して消滅する。
魔法使いが鼻歌を歌うように軽やかに行使した対消滅によって発生するエネルギーを持って対象を破壊する魔法は、純物理的な破壊魔法としては最高峰に位置する。
ドラゴンを取り巻いた小手調べの魔法は、そういった代物であった。
小さな太陽の輝きがいまなお消えぬ超高熱と超破壊エネルギーの地獄の中から、しかしてドラゴンは無傷で姿を見せた。
白く輝く光の球体の中から姿を見せたドラゴンは、六枚の翼をほのかに発光させながら、魔法使い達めがけて自身を光の矢と変えて加速する。
それを魔法使いの左に控えていた神官が完成させた多重防護障壁が、ドラゴンの進む前方に展開されてその侵攻を阻んだ。
次元断層、空間歪曲、純魔力をはじめ多種多様な力による障壁、時間停止、拒絶の念などを含んだ多層の障壁は接触した対象の足を止めるに留まらず、接触と同時に原子レベルにまで分解させる攻撃性を兼ね備えている。
それに触れたドラゴンはかすかに抵抗を覚えたのかわずかに飛翔速度を緩め、魂と肉体の生み出す魔力を障壁へと向けて放出する。ドラゴンが障壁に対して行ったのは進み続ける事を除けば、それだけである。
ただそれだけで歪められた空間や次元の断層、拒絶の概念、停止した時間などで構築された数千枚の障壁が、無残に砕け散った。
時間、空間、因果律の操作などおよそ神の領域とされる能力は、ドラゴンや勇者達の領域になれば当たり前のように身につけている、あるいは対処法が確立されているありふれた力に過ぎなかった。
ドラゴンが障壁の突破に費やした時間は、三次元における最小の時間単位の二倍ほど。
それは勇者、侍、戦士、モンクがそれぞれ頼みとする武器を振るうには十分な時間であった。
侍の右腰の鞘から、優美な弧を描く巨大な刀が銀河団の光を跳ね返しながら煌めく。
刀身に素粒子レベルで破邪妖滅の霊力が施され、故郷の国に所属する全ての僧侶・神官達の祈祷と思念が込められた最上大業物である。
肩越しに刀を振りかぶり、侍の咽喉から咆哮が放たれる。
「きぇええええーーーーいいい!!!」
侍が血肉と変えた流派独特の発声が仮想世界の果てまでも響き渡る。
ドラゴンの生み出した仮想世界全体を震わせるかのごとき絶叫と共に振り下ろされる一刀は、その白銀の軌跡だけでも星の海を真っ二つに裂くだろう。まさに剣の道の頂きに至った者のみに許される領域の一振り。
刃はy吸い寄せられるかのようにドラゴンの首を目掛けて、この上なく美しい孤月を描く。
それを、ドラゴンは普段鱗の表面に展開している対物理対魔法障壁の多重積層展開を施した左腕で受けた。
幾重にも重ねられた障壁に斬り込んだ刀は、勢いをそのままに次々と水を断つかの如く無数の障壁を斬り裂き、ドラゴンは斬り裂かれるのと同時に新たな障壁を展開して、刀を防ぎ続ける。
斬られた障壁は消滅の瞬間刀に込められた祈祷の思念と、刀自体の霊力、侍の気合いに呼応して無数の光の粒と変わって煌めき、侍の顔とドラゴンの左腕を煌々と照らす。
しかしドラゴンが障壁を再構築する速度と等速の太刀の速さでは、拮抗状態を維持するのさえ奇跡に近い偉業だ。
そして侍の武器が刀一振りであるのに対し、ドラゴンにはまだ牙も右腕も尻尾も六枚の翼も残っている。
ドラゴンの左三枚の翼の内、最上部にある翼がゆらりと柔らかに動く。それを未来予知にも等しい第六感と視界に捕捉した侍の反応は的確であった。
刃を捩じり込んで障壁を破砕する反動を使って刀を引き戻し、空間を跳躍し、次元を渡る歩法を用いて周辺の空間への干渉を行い、タイムラグの発生しない空間跳躍を行ったのである。
刃圏に敵を捉えた好機を自ら捨てた侍が、つい先ほどまで存在していた空間にめがけて左最上翼が叩きつけられていた。
座標に対して静止しているエネルギーであるエーテルを捉えて推進力と変える竜の翼は、それ自体があらゆる存在に対して干渉する力を持った万能の打撃武器である。
ドラゴンの翼は空間それ自体を打ちつけて空間振動を発生させ、物理的強度がなんら意味を成さない一撃を侍に見舞う所であった。
侍への追撃に他の翼を広げるドラゴンに対し、距離を置いていた魔法使いの放った新たな攻撃魔法による反撃が絶妙なタイミングで行われた。
精神同調による他者との思考共有が、勇者達に完全なる連携の恩恵を与えているからこそのタイミングであった。
反物質による対消滅をもってしても無傷であったドラゴンに対し、魔法使いが新たに選択したのは量子反応を持って対象を分解消滅させる、重量子反応弾による弾幕の展開である。
魔法使いは愛杖を銃器の如く横に構えて、その先端をドラゴンへと向けており環状魔法陣が何重にも先端部分に展開されて、激しく唸りを上げて高速で回転する。
環状の魔法陣を構成する無数の魔法文字は赤く発光して、発動者である魔法使いを鮮血をぶちまけた様に禍々しく照らす。
「我が瞳は死のみを映す 我が歩みの後に命なし 我が指先は滅びの仕手 バニッセウス!!」
魔法使いの前方に数万本に及ぶ重量子反応を引き起こす魔法は黒い光の槍の形状で発生し、億千万を数えるそれらが一斉にドラゴンへと超光速で持って殺到する。
黒い光の槍が餓狼の如く殺到すれば、たちまちのうちにドラゴンの姿をまるまる飲み込んで魔法使いたちの視界から遮るが、仮想世界全体に放射される力の波動は変わらずドラゴンの健在を示しており、七人の誰の心にも油断や曖昧な期待というものはわずかも存在していなかった。
バニセッウスの黒い光の粒子が殺到する向こうの空間から感じ取れる力の変化に、最も早く魔法使いが気付く。
ドラゴンの反撃が来る――心臓を直接つかみ取られているかのような恐怖と共に、魔法使いは即座にバニッセウスの展開を中止し、神官の新たに展開した最強の防御障壁の内側に後退する。
バニッセウスの黒い光の向こう側から感じ取られる力の胎動が一層強まった瞬間、真っ白な白い光の渦が黒い光の球形状の檻を内側から破壊して、魔法使いを目がけて襲い掛かる。
ドラゴンのブレスだ!
黒白の光の闘争は一瞬で白い光に軍配が上がり、ドラゴンが大きく開いた口から光の大渦を放った瞬間にバニッセウスの黒い光は駆逐される。
ドラゴンの口から放たれたのは、進行方向に存在する物体を空間ごと破壊する空間破砕砲とでも呼称すべきブレスであった。
空間に対する干渉や作用をもって作り出す防御障壁であれば、その強度の如何を問わず根本から破砕する圧倒的な破壊現象だ。
しかしドラゴンの口から放たれるブレス前に、魔法使いたちとの間に割り込む影が一つあった。モンクである。これ以上なく鍛え終えられた肉体に携えたる武器はなく、最大の武器は己自身。
空間そのものを破砕するドラゴンのブレスだが、渦状の外見を持っている事からも分かる通りにそのエネルギーには指向性が存在している。
モンクが取った行動はそのエネルギーの流れに干渉する事であった。
魔法使いのように世界の理を読み説く魔道の業ではなく、ただ純粋に鍛え抜いた肉体と精神力、そして拳神と称賛された拳士の頂点に立つ業をもって。
柔らかく、柔らかくモンクの腕が動く。
体内に存在する七つのチャクラと体外に造り出した三つのチャクラを最大効率で稼働させて宇宙に満ちるエネルギーを濾過し、より高次元のエネルギーに変えて取り込むことで、モンクの心身には無秩序に放出すれば宇宙の命運を左右する程の“気”が満ちる。
最も注目すべきはエネルギー量の多寡ではなく、その質の高さ。
より純粋に高次元のものへと変換されたエネルギーは、既存の物理法則や霊的法則を無視した一種の奇跡を可能とする。
いまや時空破砕砲が触れるというその瞬間に、モンクの巨木の幹を思わせる腕が繊細に自ら時空破砕の渦の中に触れて、金色の気に包まれた腕は砕かれることもなくそのまま渦をかきまわし、力の流れを取り込み手足の延長の如く操って行く。
モンクの腕に触れた時空破砕砲のエネルギーは次々と無力化され、その一片たりともモンクの後方へ通す事はなく、モンク自身が絶対の防御壁と化す。
だが時空破砕砲とモンクの絶技との拮抗状態は長くは続かなかった。
最後の七人目、ハイエルフの精霊使いが戦闘開始直後から口にしていた精霊へとの呼びかけを完了させ、ドラゴンの創りだした仮想世界が創る次元隔壁を超越し、精霊神の産み出した精霊王をドラゴンの周囲に呼び出したのである。
ドラゴンを中心に火、水、土、風、氷、雷、光、闇、時間、空間の十属性を筆頭に、既知多次元宇宙に知られた無数の精霊王達の同時召喚は、このハイエルフの精霊使いを除けば他に可能とする者のいない、現状、究極の精霊召喚の御技であった。
神々にも匹敵する高位次元存在である精霊王を数十柱も召喚すれば、並大抵の高位の神ならば消滅は必定。
しかるに召喚に応じた精霊王達の、人間とは異なる精神に共通していたのは絶対的な存在に対する畏怖と畏敬であった。精霊王でさえ、いや、精霊神でさえ、ドラゴンは本来足元にも及ばぬ絶対的な存在なのだから。
精霊王達の感じているものと等しい感情を抱きながら、精霊使いは己の持つ究極の精霊魔法を発現する。
精霊とは物質界で生じる現象に対し。神々を除けば最も影響力の強い霊的な存在だ。
火が燃えるのも、水が流れるのも、大地が震えるのも、風が吹くのも、その全てに精霊界に存在する精霊の存在が関与している。
精霊と心を通わし操る事は、すなわち世界の理を精霊という存在を介して、限定的に干渉する事と等しい。
全ての精霊の創造主たる精霊神に次ぐ精霊王の物質界における影響力は、絶大なものと言える。
その精霊王をこれだけ大量に同時召喚すれば、生半な高位次元の存在では太刀打ちする間もなく滅ぼされるだけだ。
燃える炎に包まれた巨人、岩石で構成された巨大な人面の山、透き通った水の美女、風纏う中性的な小人、光輝く鳥、蟠る闇と特徴的な姿を持つ精霊王達は、精霊使いの意思を汲み己らが囲い込むドラゴンへとそれぞれが持てる力の全てを振り絞って干渉を開始した。
物質界は火、水、土、風の四元素ないしはこれに空か金を加えた五大元素で成り立つ、という思想がこの世界には古来より存在する。
これに従えば四柱か五柱の精霊王の力を借りれば、擬似的に物質界を創造する事が出来るのではないか? それが精霊使いのみならず魔道の道を歩む者達の共通の疑問であった。
ハイエルフの精霊使いが行おうとしているのは、その永年の疑問に対する一つの答えと言える。
ドラゴンを中心に同心円状に召喚された精霊王達は、それぞれの持つ物質界への干渉能力を最大限に発揮し、ドラゴンの周囲に隔離結界を構築。
ドラゴンの拘束を行った後、即座に全精霊王がドラゴンの居る座標を目がけて持てる力の全てを振り絞る。
精霊王達の体が放つ可視化されたオーラが激しく明滅し、それらの光が一斉にドラゴンへと向かって注ぎ込まれ、白い竜の巨体を混沌と色彩の溶けあった光が飲み込んだ次の瞬間、混沌は内側から弾け飛び、隔離結界の中を言語に絶する莫大なエネルギーの奔流が埋め尽くした。
世界を構成する主要元素と自然現象を司る精霊王の同時召喚によって成す、擬似的な天地開闢、宇宙の創造。
意図的に不完全な形で模倣された宇宙の創造は急速に瓦解して、即座に構築された新たな生まれたての宇宙は寿命を迎えて消滅の一途を辿る。
隔離用の結界内部ではこの宇宙の誕生から消滅までごく短時間で行われ、その間に発生する莫大なエネルギーを持って対象を滅する、精霊使いの最大火力であった。
神々の作り給うたこの多次元宇宙には遠く及ばぬ、稚拙で歪な小宇宙は誕生の産声を上げるのと同時に、断末魔の悲鳴を上げて唯一の住人となったドラゴンを道連れにせんと内包するエネルギーとありとあらゆる物質を叩きつける。
召喚した精霊王達が精霊界へと帰還しても、一度発生した擬似宇宙は崩壊し続けて内部に閉じ込めたドラゴンの肉体を消滅させる。
そのはずであるが、しかし、精霊使いを筆頭に七人の勇者達は誰もこれでドラゴンを倒せたとは思ってはいなかった。動物的な直感によるものだったかもしれない。
あるいはニーズヘッグ討伐の際に見たドラゴンの力の一端なりから推測したのかもしれない。
彼らが共通して胸に抱いたその確信が間違ってはいなかったのは、ドラゴンが精霊使いと同様に防御の為に擬似宇宙を創造し崩壊させることで、いまだ宇宙崩壊の破滅エネルギーが渦巻く隔離結界を内側から破り姿を見せた事で証明される。
二つの宇宙の誕生と崩壊の残滓を白い鱗に覆われた巨躯に纏いながら、ドラゴンは自身の右腕を振るって右半身をカバーする半球状の防御障壁を展開する。
右方を向いたドラゴンの視線の先には天地開闢と崩壊のエネルギーでは倒せないと確信していた戦士が、愛槍を腰だめに構えたまま、虚空を蹴って加速しながら突撃してくる姿があった。
ドラゴンが展開したのは神官が張った多重防護障壁のように、時間停止や空間歪曲、次元断層などを含む多芸な代物ではなく、純粋に自身の魔力を凝縮して創りだした半透明の白い膜である。
戦士の力量があれば、時間を止めようが空間を捻じ曲げようが次元を断裂させようが、その全てを貫いてくることは明白。
それ故に、ただただ頑丈で壊れないだけの単純極まりない防御障壁の展開を選択したのだ。
戦士は踏み込んだ空間を破砕し、その反発力を活かして光の速さを超越し、ドラゴンの展開した障壁に己の半身にも等しい愛槍を突き込む。
槍の先端が半透明の障壁に激突した瞬間、力の余波が周囲の空間を波打たせ、激突して干渉し合う力と力とが虹入りの光の粒子と変わって、激しい稲妻と共にドラゴンと戦士の周囲を彩る。
わずかに槍の鋭い穂先がドラゴンの防御障壁に食い込む姿に、ドラゴンの意識が逸れた。戦士の狙いは自らの槍を持ってドラゴンの肉を貫く事ではなく、ドラゴンの意識が逸れる刹那であった。
気を抜けば一息に障壁を貫かれる拮抗状態にあるドラゴンは、それゆえ逆方向から竜殺しの、いや、竜滅の聖剣を腰だめに構えて迫りくる勇者に対する反応が常よりもほんのわずかに遅れる。あるいは……。
ドラゴンは防御よりも迎撃を選んだ。勇者へと顔を振り向ける最中から口を開いてブレスを零しつつ、距離を詰めていた勇者めがけて数多くの神性とその眷族を滅びしたが故に、“滅び”と称された白い光のブレスを正面から浴びせかける。
このブレスを肉体かすめながらも回避すると踏んだドラゴンの判断は、大いに裏切られた。
竜滅の聖剣が白銀の刀身をわずかに振動させるや、ドラゴンの放ったブレスとは逆位相のエネルギーが放出されて、勇者に触れる寸前にブレスが次々と消失していったのである。
ブレスでは止められないと悟ったドラゴンは咄嗟に左手を突き出して、聖剣の刺突を防ぐ盾とする。
そしてドラゴンは、地上に腰を据えてからはほとんど初めてと言っていい痛みに、かすかに硬質の皮膚に覆われた眉を寄せる。
ドラゴンのブレスばかりか常に展開している障壁をブレス同様に消失させるや、これまで如何なる外部からの干渉に対しても、無傷を誇ったドラゴンの鱗は呆気なく貫かれ、その下の筋肉や脂肪、骨格に至るまでがまるで紙細工か何かのように聖剣の刃に貫かれる。
掲げた腕を貫き自分の目の前に飛び出て来た所でようやく止まった聖剣の切っ先を見つめ、ドラゴンは悲壮な目でちらを見ている勇者に虹色の瞳を向けて呟いた。
「私を含むあらゆる竜種の力を無効化する剣か。よくぞ創り上げたもの。材料とする為に幾つの宇宙を潰した?」
ドラゴンの左腕から聖剣を引き抜き傷口から零れる赤い血潮が、虚空に飛沫となって散る。長い、長い戦いの、ようやくの幕開けである。
七人の勇者とドラゴンとの戦いが熾烈を極めた事は語るまでもない。
竜滅の聖剣の力によって多くの力を封じられたドラゴンではあるが、それでもなお強大な存在である事実は変わりなく、勇者達に余裕は一瞬たりとも生まれなかった。
戦いの激しさは、ドラゴンが構築した決闘用の世界を幾度となく破壊し、再構築する事が幾度も繰り返されるほどだった。
常ならば決闘用の世界は現実の宇宙と同程度の広さを持つが、七勇者との戦いの激しさを予期したドラゴンは、これは銀河一つ分の大きさに留める代わりに、その堅牢さを飛躍的に高めていたが、その世界でもなお受け止めきれぬ激しい戦いであった。
七勇者は一人の例外もなく重症を負い、勇者はドラゴンに勝てない事など分かりきっていたと、改めて胸中で吐き捨てながら、残る最後の力を振り絞って駆けた。
勇者に応じ、右手に力を集約させたドラゴンは勇者と正面から互いを目がけて可能な限りの速さで突撃を敢行する。
一瞬の交錯がドラゴンと勇者達の命運を分ける時間であった。
決まりきっていた結末を受け入れるべく、ドラゴンの懐へと刃を突き出した勇者は、ドラゴンの右腕の一振りに激しく左の頬と髪を嬲られながら、ついに聖剣の刃をドラゴンの心臓へと突き立てる事に成功していた。
ドラゴンの胸元から背中へと抜けた聖剣の刃は深々と突き刺さり、一度も明確に思い描けなかった、あり得ない光景に対して勇者が呆然と呟いた。
「なぜ?」
ドラゴンの一撃は勇者を跡形もなく消滅させるはずであった。であるにも関わらずドラゴンの右腕は軌道を変えたのである。
ドラゴンがひどく疲れた様子で笑むのを、勇者は見た。生涯瞼に焼きついて離れる事のない笑みであった。
「近頃、生きる張りというものがなくてな。それに、少々疲れた」
ドラゴンの疲れ果てた言葉を理解した時、勇者は初めてこの竜と出会った時の事を、刹那の内に思い出していた。
《続》
某所に投稿していた既存三話まで、まずは順番に投稿して行きます。
惑星最大の山脈の中でも、空の色を写し取る水晶で構築された、最も峻険な山の一角である。
夜風に花弁を揺らす花もなく草もなく、あるのは枯れ果てた樹木と見間違うような針金細工に酷似した、地面から空へと伸びる細い水晶くらいのもの。
黄金の盆を思わせる月が雲に遮られることもなく煌々と輝いて、夜空の支配者が自分であると誇示している。
降り注ぐ白みがかった月光は、水晶の山に言葉に表せぬ幽玄の美しさを誇る光の粒を纏わせて夜の暗闇を払拭し、水晶の中には古代から降り注いだ月光が閉じ込められているのかもしれない。
だがその夜は夜天と水晶の大地に満ちる静寂を打ち破る、風情を知らぬ者達の影が七つあった。
七つの影の主達は水晶の大地の上を歩くのではなく、空中を飛んで水晶山の頂上を目指していた。
一糸乱れずに編隊を維持し、針の先の様に鋭くなっている山の頂上の岩壁に縦に走る亀裂へと吸いこまれてゆく。月光を内部で屈折、反射させている為か水晶山の付近は朝焼けの明るさだ。
亀裂から水晶山の内部に入り込んだ七つの影はそのまま止まることなく飛び続け、やがてもっとも奥まった場所に広がる空間に出て、広間に足を着ける。
七人がこの場を訪れるのは初めての事ではない。以前、邪悪なる神が生み出した悪竜ニーズヘッグ種を討つ為に、この山の主に助力を求めた際にもこの地を訪れている。
その存在と伝説を広く知られていた山の主は温厚な気質で、かつ人間に好意的であると知られており、助力を得られる可能性は決して低くはないと予測されていた。
そして実際に話をしてみれば主は人ならぬ顔に穏やかな色を浮かべ、七人の申し出を快く承諾してくれたのである。
その恩義に対する報いを施す為に、七人は今宵この場へと遣わされている。そして七人全員がその胸の中に暗澹たる気持ちを抱いていた。
大恩あるといっても過言ではない山の主に対し、七人が所属する集団が下した決断はあまりに道理を無視した卑劣なものであると、誰よりも七人それぞれが理解していたからだ。
広間の奥で煮え滾る溶岩の覗く火口を暖炉の代わりにしていた山の主が、床の上で組んでいた前肢に乗せていた顎を持ち上げて不意の来客へと虹色の視線を向ける。
山の主は人ならぬ者――世界原初の形である混沌と共に在った始祖竜の心臓より産まれたと言う、竜種の頂点に君臨する始原の七竜が一柱“全にして一なる”と称される竜であった。
巨体は、霊峰に積もる人跡未踏の処女雪を思わせる美しい白い鱗で覆われている。
もっとも肉体の大きさは主の意思一つで自在に変えられるから、この数字は地上で暮らすにあたっての仮のものにすぎない。
深い知性と穏やかな気性を一目で見た者に伝える光を湛えた瞳は虹色に輝き、その背中からは六枚の翼が伸びている。
名をドラゴン。あまりに強く、あまりに古く、種族の名前がドラゴンであると誤解させてしまうほどに名を知られた竜である。
ドラゴンは肩を並べて悪竜と戦った人間達の来訪に、知らせなき不意のものとは言え歓迎の意を表そうとし、先頭に立つ勇者が手にする初めて見る剣に気付いて、彼らが今宵自分を訪ねた意味を悟り、一度は開きかけた口を閉ざした。
勇者の剣より放たれる強大な力の属性が、竜の鱗を貫き、肉を裂き、骨を断ち、魂を斬る為のものであると看破したのである。
俗に言う竜殺しの剣、いや、それを超えて竜を滅殺せしめる事のみに特化した剣である。
およそ竜に連なる者にとってこれほどまでに禍々しく脅威となる剣は、地上に於いて過去にも未来にもこの一振りのみであろう。
これまでドラゴンを討伐しようと考えたのは人間のみならず、多くの種族の数え切れぬ英雄や勇者と呼ばれる者達が存在していた。
ある者は名声を求め、あるいはドラゴンの肉体を武具や魔法具の素材として求め、あるいは強大なる竜の血肉を食べて己が力へ、あるいは食べる事で竜に成れると盲信し、ドラゴンへと幾度となく挑んできた。
ある者には警告を発し、ある者は道を惑わせて、ある者は咆哮の轟きで追い返し、そしてある者とは刃を交えてその命を奪った。
時にはドラゴンを討伐せんと息巻いて足を踏み入れて来た侵入者の所属する国家や、集団に対し警告を発して二度と愚かな真似をせぬようにと脅したのも一度や二度ではない。
だがそれでもドラゴンの命を狙う者は絶えない。少しでも愚行に走る哀れな者を減らそうと、ドラゴンは今ではこうして滅多に足を踏み入れる者の無い秘境に住まいを定めていた。
もっとも、兄妹と言っても差し支えのない同格の竜達と同じように、竜種が造り出した竜種の為の世界――竜界に籠っていれば、襲撃者達に煩わしさと疲れを覚える事もなくなる。
ドラゴンがそれをしないのは、ひとえに地上の生命が尽きぬ欲望とあくなき探究心を持つ存在であると理解しながらも地上に生きる者らを好いているからだろう。
ただしドラゴンにとっての地上に生きる者たちの定義の中には、邪神や悪神の産み出した妖魔と呼ばれる悪しき生命は含まれてはいないが。
「ふむ、そういうことか」
魂をも震わせる低い声が、諦観と疲れに塗れてドラゴンの口から零れた。
七人の気配に悔恨と躊躇が色濃く混じる。勇者は目の前の竜が途方もなく疲れ果てた孤独な老人のようだと、初めて出会った時と同じ事を思った。
だが、それでも勇者とその仲間達は目の前の竜を討たねばならなかった。義に悖る正義なき戦いである。
七人に共通していたのは誰も目の前の竜を討つのを納得しておらず、しかしそれでもなお必ず討たねばならぬ、しがらみという鎖に意思を縛られていること。
それを察したのか、ドラゴンは折り畳んでいた六枚の翼を大きく広げて戦いの意思を示す。
原初の竜種はその力のあまりの強大さゆえに、地上において本来の力を振るう事は出来ない。地上があまりにも脆すぎて、意図せずして滅ぼしてしまう為だ。
すでに全力を振るっても地上を破壊出来ない弱い竜が産まれて久しいが、ドラゴンはそれらの地上に適応して弱体化という進化の道を選んだ竜とはまるで別格の、最も始祖竜に近く最も強大な竜の一柱であった。
そしてドラゴンは勇者達との戦いに際して、自分と勇者達がぶつかり合いむやみに力を振るえば地上世界そのものを破滅させる事を危惧し、竜語魔法を用いて戦う為の空間を新たに創造する。
ドラゴンの咽喉奥で小さな唸り声が響くのと同時に、勇者達の存在していた水晶山の内部はその様相をがらりと変える。
それは無窮の闇を数え切れぬ星々と渦状銀河がその輝きを持って照らし出す星の海であった。
厳密に言えばドラゴンがその比類なき莫大な力と最高位の竜語魔法を用いて創造した、仮初の決闘用空間である。
足場を喪失したドラゴンはふわりとその場に浮かび上がる様に翼をかすかに動かし、静かな瞳で勇者達を見つめる。
この同格の古神竜や古龍神からは甘い、愚か、変わり者と散々な評価を受けているドラゴンは、ここまで至ってなおなにか交すべき言葉があるだろうかと、口に乗せる言葉を探していたのである。
しかしドラゴンはすぐさま自分のしている事が無意味であると悟る。
仮初の星の海の中で勇者達は既にそれぞれの得物を抜き放ち、ドラゴンといつでも戦端を切れる構えにある。
この状況で言葉を弄するのに意味はない。ただ徒労感を増すだけだと、ドラゴンは理解した。だから、せめてと思いながら一言だけ呟いた。
「始めようか」
終わりを、とドラゴンは自身の死を受け入れながら続く言葉を飲み込んだ。ドラゴンの口から零れた言葉が仮初の世界に響いた時、勇者達が散開する。
全力を振るえる状況のドラゴンを相手に戦端を開けば、躊躇する一瞬がすぐさま死に繋がるのを、彼らは良く理解していた。
勇者と同じくパーティーの前衛を務めるのは、多次元世界最高位の侍、長槍を操る辺境次元宇宙最強の傭兵である戦士、最大規模の宗教国家の僧兵でもあるモンクが、扇状に広がってドラゴンを包囲する陣形を取る。
先手を取ったのは勇者達のパーティーの中で後衛を務める魔法使いであった。宇宙の化石数十個を先端に納め、魔法の強化に使用する魔法杖を振るう。
詠唱、神秘象徴、帯状魔法文字の展開を必要としない思念のみで発動する最速の魔法行使である。
魔法の発動と同時に、ドラゴンの周囲を小さな太陽が無数に生まれるや白い巨体を飲み込む。
魔法使いが行使したのは、反物質対消滅反応を意図的に誘発する魔法であった。
反物質は魔法使い達が創造された物質界とは逆の素粒子スピンを持ち、本来であれば物質界には決して存在しない、また存在してはならない物質である。
その存在してはならない反物質は、通常の物質と接触して対消滅反応を引き起こし、その質量を莫大なエネルギーに変換して消滅する。
魔法使いが鼻歌を歌うように軽やかに行使した対消滅によって発生するエネルギーを持って対象を破壊する魔法は、純物理的な破壊魔法としては最高峰に位置する。
ドラゴンを取り巻いた小手調べの魔法は、そういった代物であった。
小さな太陽の輝きがいまなお消えぬ超高熱と超破壊エネルギーの地獄の中から、しかしてドラゴンは無傷で姿を見せた。
白く輝く光の球体の中から姿を見せたドラゴンは、六枚の翼をほのかに発光させながら、魔法使い達めがけて自身を光の矢と変えて加速する。
それを魔法使いの左に控えていた神官が完成させた多重防護障壁が、ドラゴンの進む前方に展開されてその侵攻を阻んだ。
次元断層、空間歪曲、純魔力をはじめ多種多様な力による障壁、時間停止、拒絶の念などを含んだ多層の障壁は接触した対象の足を止めるに留まらず、接触と同時に原子レベルにまで分解させる攻撃性を兼ね備えている。
それに触れたドラゴンはかすかに抵抗を覚えたのかわずかに飛翔速度を緩め、魂と肉体の生み出す魔力を障壁へと向けて放出する。ドラゴンが障壁に対して行ったのは進み続ける事を除けば、それだけである。
ただそれだけで歪められた空間や次元の断層、拒絶の概念、停止した時間などで構築された数千枚の障壁が、無残に砕け散った。
時間、空間、因果律の操作などおよそ神の領域とされる能力は、ドラゴンや勇者達の領域になれば当たり前のように身につけている、あるいは対処法が確立されているありふれた力に過ぎなかった。
ドラゴンが障壁の突破に費やした時間は、三次元における最小の時間単位の二倍ほど。
それは勇者、侍、戦士、モンクがそれぞれ頼みとする武器を振るうには十分な時間であった。
侍の右腰の鞘から、優美な弧を描く巨大な刀が銀河団の光を跳ね返しながら煌めく。
刀身に素粒子レベルで破邪妖滅の霊力が施され、故郷の国に所属する全ての僧侶・神官達の祈祷と思念が込められた最上大業物である。
肩越しに刀を振りかぶり、侍の咽喉から咆哮が放たれる。
「きぇええええーーーーいいい!!!」
侍が血肉と変えた流派独特の発声が仮想世界の果てまでも響き渡る。
ドラゴンの生み出した仮想世界全体を震わせるかのごとき絶叫と共に振り下ろされる一刀は、その白銀の軌跡だけでも星の海を真っ二つに裂くだろう。まさに剣の道の頂きに至った者のみに許される領域の一振り。
刃はy吸い寄せられるかのようにドラゴンの首を目掛けて、この上なく美しい孤月を描く。
それを、ドラゴンは普段鱗の表面に展開している対物理対魔法障壁の多重積層展開を施した左腕で受けた。
幾重にも重ねられた障壁に斬り込んだ刀は、勢いをそのままに次々と水を断つかの如く無数の障壁を斬り裂き、ドラゴンは斬り裂かれるのと同時に新たな障壁を展開して、刀を防ぎ続ける。
斬られた障壁は消滅の瞬間刀に込められた祈祷の思念と、刀自体の霊力、侍の気合いに呼応して無数の光の粒と変わって煌めき、侍の顔とドラゴンの左腕を煌々と照らす。
しかしドラゴンが障壁を再構築する速度と等速の太刀の速さでは、拮抗状態を維持するのさえ奇跡に近い偉業だ。
そして侍の武器が刀一振りであるのに対し、ドラゴンにはまだ牙も右腕も尻尾も六枚の翼も残っている。
ドラゴンの左三枚の翼の内、最上部にある翼がゆらりと柔らかに動く。それを未来予知にも等しい第六感と視界に捕捉した侍の反応は的確であった。
刃を捩じり込んで障壁を破砕する反動を使って刀を引き戻し、空間を跳躍し、次元を渡る歩法を用いて周辺の空間への干渉を行い、タイムラグの発生しない空間跳躍を行ったのである。
刃圏に敵を捉えた好機を自ら捨てた侍が、つい先ほどまで存在していた空間にめがけて左最上翼が叩きつけられていた。
座標に対して静止しているエネルギーであるエーテルを捉えて推進力と変える竜の翼は、それ自体があらゆる存在に対して干渉する力を持った万能の打撃武器である。
ドラゴンの翼は空間それ自体を打ちつけて空間振動を発生させ、物理的強度がなんら意味を成さない一撃を侍に見舞う所であった。
侍への追撃に他の翼を広げるドラゴンに対し、距離を置いていた魔法使いの放った新たな攻撃魔法による反撃が絶妙なタイミングで行われた。
精神同調による他者との思考共有が、勇者達に完全なる連携の恩恵を与えているからこそのタイミングであった。
反物質による対消滅をもってしても無傷であったドラゴンに対し、魔法使いが新たに選択したのは量子反応を持って対象を分解消滅させる、重量子反応弾による弾幕の展開である。
魔法使いは愛杖を銃器の如く横に構えて、その先端をドラゴンへと向けており環状魔法陣が何重にも先端部分に展開されて、激しく唸りを上げて高速で回転する。
環状の魔法陣を構成する無数の魔法文字は赤く発光して、発動者である魔法使いを鮮血をぶちまけた様に禍々しく照らす。
「我が瞳は死のみを映す 我が歩みの後に命なし 我が指先は滅びの仕手 バニッセウス!!」
魔法使いの前方に数万本に及ぶ重量子反応を引き起こす魔法は黒い光の槍の形状で発生し、億千万を数えるそれらが一斉にドラゴンへと超光速で持って殺到する。
黒い光の槍が餓狼の如く殺到すれば、たちまちのうちにドラゴンの姿をまるまる飲み込んで魔法使いたちの視界から遮るが、仮想世界全体に放射される力の波動は変わらずドラゴンの健在を示しており、七人の誰の心にも油断や曖昧な期待というものはわずかも存在していなかった。
バニセッウスの黒い光の粒子が殺到する向こうの空間から感じ取れる力の変化に、最も早く魔法使いが気付く。
ドラゴンの反撃が来る――心臓を直接つかみ取られているかのような恐怖と共に、魔法使いは即座にバニッセウスの展開を中止し、神官の新たに展開した最強の防御障壁の内側に後退する。
バニッセウスの黒い光の向こう側から感じ取られる力の胎動が一層強まった瞬間、真っ白な白い光の渦が黒い光の球形状の檻を内側から破壊して、魔法使いを目がけて襲い掛かる。
ドラゴンのブレスだ!
黒白の光の闘争は一瞬で白い光に軍配が上がり、ドラゴンが大きく開いた口から光の大渦を放った瞬間にバニッセウスの黒い光は駆逐される。
ドラゴンの口から放たれたのは、進行方向に存在する物体を空間ごと破壊する空間破砕砲とでも呼称すべきブレスであった。
空間に対する干渉や作用をもって作り出す防御障壁であれば、その強度の如何を問わず根本から破砕する圧倒的な破壊現象だ。
しかしドラゴンの口から放たれるブレス前に、魔法使いたちとの間に割り込む影が一つあった。モンクである。これ以上なく鍛え終えられた肉体に携えたる武器はなく、最大の武器は己自身。
空間そのものを破砕するドラゴンのブレスだが、渦状の外見を持っている事からも分かる通りにそのエネルギーには指向性が存在している。
モンクが取った行動はそのエネルギーの流れに干渉する事であった。
魔法使いのように世界の理を読み説く魔道の業ではなく、ただ純粋に鍛え抜いた肉体と精神力、そして拳神と称賛された拳士の頂点に立つ業をもって。
柔らかく、柔らかくモンクの腕が動く。
体内に存在する七つのチャクラと体外に造り出した三つのチャクラを最大効率で稼働させて宇宙に満ちるエネルギーを濾過し、より高次元のエネルギーに変えて取り込むことで、モンクの心身には無秩序に放出すれば宇宙の命運を左右する程の“気”が満ちる。
最も注目すべきはエネルギー量の多寡ではなく、その質の高さ。
より純粋に高次元のものへと変換されたエネルギーは、既存の物理法則や霊的法則を無視した一種の奇跡を可能とする。
いまや時空破砕砲が触れるというその瞬間に、モンクの巨木の幹を思わせる腕が繊細に自ら時空破砕の渦の中に触れて、金色の気に包まれた腕は砕かれることもなくそのまま渦をかきまわし、力の流れを取り込み手足の延長の如く操って行く。
モンクの腕に触れた時空破砕砲のエネルギーは次々と無力化され、その一片たりともモンクの後方へ通す事はなく、モンク自身が絶対の防御壁と化す。
だが時空破砕砲とモンクの絶技との拮抗状態は長くは続かなかった。
最後の七人目、ハイエルフの精霊使いが戦闘開始直後から口にしていた精霊へとの呼びかけを完了させ、ドラゴンの創りだした仮想世界が創る次元隔壁を超越し、精霊神の産み出した精霊王をドラゴンの周囲に呼び出したのである。
ドラゴンを中心に火、水、土、風、氷、雷、光、闇、時間、空間の十属性を筆頭に、既知多次元宇宙に知られた無数の精霊王達の同時召喚は、このハイエルフの精霊使いを除けば他に可能とする者のいない、現状、究極の精霊召喚の御技であった。
神々にも匹敵する高位次元存在である精霊王を数十柱も召喚すれば、並大抵の高位の神ならば消滅は必定。
しかるに召喚に応じた精霊王達の、人間とは異なる精神に共通していたのは絶対的な存在に対する畏怖と畏敬であった。精霊王でさえ、いや、精霊神でさえ、ドラゴンは本来足元にも及ばぬ絶対的な存在なのだから。
精霊王達の感じているものと等しい感情を抱きながら、精霊使いは己の持つ究極の精霊魔法を発現する。
精霊とは物質界で生じる現象に対し。神々を除けば最も影響力の強い霊的な存在だ。
火が燃えるのも、水が流れるのも、大地が震えるのも、風が吹くのも、その全てに精霊界に存在する精霊の存在が関与している。
精霊と心を通わし操る事は、すなわち世界の理を精霊という存在を介して、限定的に干渉する事と等しい。
全ての精霊の創造主たる精霊神に次ぐ精霊王の物質界における影響力は、絶大なものと言える。
その精霊王をこれだけ大量に同時召喚すれば、生半な高位次元の存在では太刀打ちする間もなく滅ぼされるだけだ。
燃える炎に包まれた巨人、岩石で構成された巨大な人面の山、透き通った水の美女、風纏う中性的な小人、光輝く鳥、蟠る闇と特徴的な姿を持つ精霊王達は、精霊使いの意思を汲み己らが囲い込むドラゴンへとそれぞれが持てる力の全てを振り絞って干渉を開始した。
物質界は火、水、土、風の四元素ないしはこれに空か金を加えた五大元素で成り立つ、という思想がこの世界には古来より存在する。
これに従えば四柱か五柱の精霊王の力を借りれば、擬似的に物質界を創造する事が出来るのではないか? それが精霊使いのみならず魔道の道を歩む者達の共通の疑問であった。
ハイエルフの精霊使いが行おうとしているのは、その永年の疑問に対する一つの答えと言える。
ドラゴンを中心に同心円状に召喚された精霊王達は、それぞれの持つ物質界への干渉能力を最大限に発揮し、ドラゴンの周囲に隔離結界を構築。
ドラゴンの拘束を行った後、即座に全精霊王がドラゴンの居る座標を目がけて持てる力の全てを振り絞る。
精霊王達の体が放つ可視化されたオーラが激しく明滅し、それらの光が一斉にドラゴンへと向かって注ぎ込まれ、白い竜の巨体を混沌と色彩の溶けあった光が飲み込んだ次の瞬間、混沌は内側から弾け飛び、隔離結界の中を言語に絶する莫大なエネルギーの奔流が埋め尽くした。
世界を構成する主要元素と自然現象を司る精霊王の同時召喚によって成す、擬似的な天地開闢、宇宙の創造。
意図的に不完全な形で模倣された宇宙の創造は急速に瓦解して、即座に構築された新たな生まれたての宇宙は寿命を迎えて消滅の一途を辿る。
隔離用の結界内部ではこの宇宙の誕生から消滅までごく短時間で行われ、その間に発生する莫大なエネルギーを持って対象を滅する、精霊使いの最大火力であった。
神々の作り給うたこの多次元宇宙には遠く及ばぬ、稚拙で歪な小宇宙は誕生の産声を上げるのと同時に、断末魔の悲鳴を上げて唯一の住人となったドラゴンを道連れにせんと内包するエネルギーとありとあらゆる物質を叩きつける。
召喚した精霊王達が精霊界へと帰還しても、一度発生した擬似宇宙は崩壊し続けて内部に閉じ込めたドラゴンの肉体を消滅させる。
そのはずであるが、しかし、精霊使いを筆頭に七人の勇者達は誰もこれでドラゴンを倒せたとは思ってはいなかった。動物的な直感によるものだったかもしれない。
あるいはニーズヘッグ討伐の際に見たドラゴンの力の一端なりから推測したのかもしれない。
彼らが共通して胸に抱いたその確信が間違ってはいなかったのは、ドラゴンが精霊使いと同様に防御の為に擬似宇宙を創造し崩壊させることで、いまだ宇宙崩壊の破滅エネルギーが渦巻く隔離結界を内側から破り姿を見せた事で証明される。
二つの宇宙の誕生と崩壊の残滓を白い鱗に覆われた巨躯に纏いながら、ドラゴンは自身の右腕を振るって右半身をカバーする半球状の防御障壁を展開する。
右方を向いたドラゴンの視線の先には天地開闢と崩壊のエネルギーでは倒せないと確信していた戦士が、愛槍を腰だめに構えたまま、虚空を蹴って加速しながら突撃してくる姿があった。
ドラゴンが展開したのは神官が張った多重防護障壁のように、時間停止や空間歪曲、次元断層などを含む多芸な代物ではなく、純粋に自身の魔力を凝縮して創りだした半透明の白い膜である。
戦士の力量があれば、時間を止めようが空間を捻じ曲げようが次元を断裂させようが、その全てを貫いてくることは明白。
それ故に、ただただ頑丈で壊れないだけの単純極まりない防御障壁の展開を選択したのだ。
戦士は踏み込んだ空間を破砕し、その反発力を活かして光の速さを超越し、ドラゴンの展開した障壁に己の半身にも等しい愛槍を突き込む。
槍の先端が半透明の障壁に激突した瞬間、力の余波が周囲の空間を波打たせ、激突して干渉し合う力と力とが虹入りの光の粒子と変わって、激しい稲妻と共にドラゴンと戦士の周囲を彩る。
わずかに槍の鋭い穂先がドラゴンの防御障壁に食い込む姿に、ドラゴンの意識が逸れた。戦士の狙いは自らの槍を持ってドラゴンの肉を貫く事ではなく、ドラゴンの意識が逸れる刹那であった。
気を抜けば一息に障壁を貫かれる拮抗状態にあるドラゴンは、それゆえ逆方向から竜殺しの、いや、竜滅の聖剣を腰だめに構えて迫りくる勇者に対する反応が常よりもほんのわずかに遅れる。あるいは……。
ドラゴンは防御よりも迎撃を選んだ。勇者へと顔を振り向ける最中から口を開いてブレスを零しつつ、距離を詰めていた勇者めがけて数多くの神性とその眷族を滅びしたが故に、“滅び”と称された白い光のブレスを正面から浴びせかける。
このブレスを肉体かすめながらも回避すると踏んだドラゴンの判断は、大いに裏切られた。
竜滅の聖剣が白銀の刀身をわずかに振動させるや、ドラゴンの放ったブレスとは逆位相のエネルギーが放出されて、勇者に触れる寸前にブレスが次々と消失していったのである。
ブレスでは止められないと悟ったドラゴンは咄嗟に左手を突き出して、聖剣の刺突を防ぐ盾とする。
そしてドラゴンは、地上に腰を据えてからはほとんど初めてと言っていい痛みに、かすかに硬質の皮膚に覆われた眉を寄せる。
ドラゴンのブレスばかりか常に展開している障壁をブレス同様に消失させるや、これまで如何なる外部からの干渉に対しても、無傷を誇ったドラゴンの鱗は呆気なく貫かれ、その下の筋肉や脂肪、骨格に至るまでがまるで紙細工か何かのように聖剣の刃に貫かれる。
掲げた腕を貫き自分の目の前に飛び出て来た所でようやく止まった聖剣の切っ先を見つめ、ドラゴンは悲壮な目でちらを見ている勇者に虹色の瞳を向けて呟いた。
「私を含むあらゆる竜種の力を無効化する剣か。よくぞ創り上げたもの。材料とする為に幾つの宇宙を潰した?」
ドラゴンの左腕から聖剣を引き抜き傷口から零れる赤い血潮が、虚空に飛沫となって散る。長い、長い戦いの、ようやくの幕開けである。
七人の勇者とドラゴンとの戦いが熾烈を極めた事は語るまでもない。
竜滅の聖剣の力によって多くの力を封じられたドラゴンではあるが、それでもなお強大な存在である事実は変わりなく、勇者達に余裕は一瞬たりとも生まれなかった。
戦いの激しさは、ドラゴンが構築した決闘用の世界を幾度となく破壊し、再構築する事が幾度も繰り返されるほどだった。
常ならば決闘用の世界は現実の宇宙と同程度の広さを持つが、七勇者との戦いの激しさを予期したドラゴンは、これは銀河一つ分の大きさに留める代わりに、その堅牢さを飛躍的に高めていたが、その世界でもなお受け止めきれぬ激しい戦いであった。
七勇者は一人の例外もなく重症を負い、勇者はドラゴンに勝てない事など分かりきっていたと、改めて胸中で吐き捨てながら、残る最後の力を振り絞って駆けた。
勇者に応じ、右手に力を集約させたドラゴンは勇者と正面から互いを目がけて可能な限りの速さで突撃を敢行する。
一瞬の交錯がドラゴンと勇者達の命運を分ける時間であった。
決まりきっていた結末を受け入れるべく、ドラゴンの懐へと刃を突き出した勇者は、ドラゴンの右腕の一振りに激しく左の頬と髪を嬲られながら、ついに聖剣の刃をドラゴンの心臓へと突き立てる事に成功していた。
ドラゴンの胸元から背中へと抜けた聖剣の刃は深々と突き刺さり、一度も明確に思い描けなかった、あり得ない光景に対して勇者が呆然と呟いた。
「なぜ?」
ドラゴンの一撃は勇者を跡形もなく消滅させるはずであった。であるにも関わらずドラゴンの右腕は軌道を変えたのである。
ドラゴンがひどく疲れた様子で笑むのを、勇者は見た。生涯瞼に焼きついて離れる事のない笑みであった。
「近頃、生きる張りというものがなくてな。それに、少々疲れた」
ドラゴンの疲れ果てた言葉を理解した時、勇者は初めてこの竜と出会った時の事を、刹那の内に思い出していた。
《続》
某所に投稿していた既存三話まで、まずは順番に投稿して行きます。
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