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27話 森の迷子

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 森の冬、さほど雪は降らないが今年は違った。

(なんで、こんな時に)

 足首まで埋まるほどの雪を踏みしめながらモリーは歩く。
 彼女はヤギ人と呼ばれる種族、角が特徴的なヤギに似た姿である。

「お姉ちゃん、もう歩けないよ」
「ダメよ、少しでも歩かなきゃ。追いつかれたら殺されてしまうわ」

 モリーは必死で弟のピーターを励まし、歩き続ける。

 彼女たちは逃亡者だ。
 とはいえ、罪を犯したわけではない。
 敵に追われているのだ。

 モリーの家は血族単位で生活する小さな集落だった。
 家畜を飼い、季節ごとに移動するささやかな暮らし。
 そこに突然、エルフたちが現れたのだ。

 はじめは狩りの場で鉢合わせる程度の接触だった。
 しかし、徐々にエルフは数を増し、とうとうヤギ人が冬の間を過ごす予定の土地を占拠したのだ。

 これにはヤギ人たちも怒り、モリーの父や叔父たちはエルフに抗議を行った。
 だが、縄張り争いは集落全体の死活問題である。
 穏やかな話し合いで決着がつくわけもなく、争いになったのだ。

「いいかい、モリーは春の家は覚えているね。そこにピーターを連れて逃げなさい」

 母はそれだけを言い残し、モリーたち子供らを集落から逃がした。
 しかし、子供たちだけの集団である。
 慣れぬ夜道にバラバラとなり、いまではモリーも弟の手を引くだけで精一杯だ。

(なんで、なんで、こんなことになっちゃったの)

 ぐずる弟の手を引く彼女もまだ年若い。
 世の理不尽に打ちひしがれ、疲れきっていた。

「もう足が痛いよ、歩きたくないよ」
「困ったわね……少し休もうか?」

 少し周囲を見渡すと、倒木が重なり雪が積もっていない場所があるようだ。
 倒木の影にモリーとピーターは身を寄せ合い、休むことにした。

「お姉ちゃん、寒いね」
「大丈夫よ、体を寄せれば暖かいわ。朝を待ちましょう」

 朝を待つとはいうものの、寒さと恐怖で眠れるものではない。
 ただ、じっと抱き合い耐えるのみだ。

 これが最悪の事態を招くことになるのだが、彼女たちを責めることはできないだろう。

 ほどなくして、モリーの耳が異変をとらえた。
 どこか遠くで獣の遠吠えが聞こえるのだ。

 ヤギ人は臆病で敵への勘がよい。
 だがこの状態では打つ手なし、恐怖が近づいてくるのを待つばかりだ。

「……お姉ちゃん」
「しっ、オオカミよ。隠れていれば見つからないわ」

 自分の希望を口にし、モリーはピーターを抱きしめる。
 だが、その長い耳はオオカミの接近をハッキリと感じとっていた。

(聖霊様、お助けください)

 彼女の怯えがピーターに伝わり、こちらも泣きだしてしまう。
 もはやオオカミは目で確認できるほどに近づいている。
 モリーは目を固く閉じて弟を守るように体で隠した。

 キャイン、と近くで悲鳴が聞こえた。
 続く恐ろしげな唸り声、また悲鳴。
 オオカミがなにかと争っているようだ。

 うまそうな獣人の子をめぐって恐ろしげな肉食獣が争っている――そう考えただけで気が弱いモリーは気が遠くなる思いがした。

「ふむ、泣き声が聞こえたと思ったら、こんなところで迷子かね」

 どこか、気の抜けたような声が聞こえた。
 まさか助かるなんて都合のいい話があるわけない――そう思いながら視線を上げた先にいたのは異形の男だ。

「助けてくれた……?」

 顔を上げたピーターをギュッと抱き、モリーは異形の男を観察した。
 彼女らはスケルトンを知らないが、それでも異常なものを感じたのだ。

「怖がることはない。私はスケサブロウ・ホネカワ、スケサンと呼ばれている者だ。散歩の途中に子供の泣き声を聞きつけ立ち寄ったのだよ。迷子ならば送り届けてやろう」

 その立ち振舞いは立派なもので、モリーは少し安心した。
 この狩人(?)はオオカミの群れを追い払ってくれたのだ。
 礼をいわねばならない。

「そ、その、ありがとうございます。わた、私はヤギ人の子供で、モリーとピーターといいます」
「うむ、立派な受け答えだ。家の場所は分かるかね?」

 震える声でモリーが礼を述べると、スケサンと名乗る男は喜んだ気がした。
 見たことのない種族だが、恐ろしい存在ではないのかもしれない。

「その、あの、家には帰ることができません。私たちは逃げて、その、お母さんが、その」

 どこまで伝えてよいものやらも分からず、モリーはしどろもどろに説明する。
 これは無理もない。
 もともと集落の中だけで生きてきた彼女は初対面の人になにかを伝える経験が少ないのだ。

「ゆっくりと、無駄だと思うことでもよい。あわてなくてもオオカミは去ったのだ、時間はある」

 そういわれて、ふと気がついた。
 周囲にはオオカミの死骸どころか血溜まり1つない。
 少し不思議に思うと、スケサンは察したのか槍の先を見せてくれた。
 骨でできた槍先にはわずかに血がついている。

「少しだけ引っかいて、叩いただけだ。殺すまでもないだろう?」

 ヤギ人は臆病な性質である。
 エルフとの争いも仕掛けられたから応じたにすぎない。
 血が流れてないと知って、モリーは深い安堵の息を吐いた。

(優しい人なんだ)

 モリーはこのスケサンと名乗る男の態度にすっかり安心し、つまりながらも話はじめた。
 自分たちは移動して暮らすヤギ獣人であること。
 突然エルフたちが縄張りを犯してきたこと。
 争いになり子供たちだけで逃げ出したこと。
 春の家に向かっていたこと。

 ……長話になってしまい、いつの間にか幼いピーターは眠ってしまったようだ。

「ふむ、春の家までの道のりは分かるかね? はぐれた仲間がいるやもしれぬ、まずはそちらに向かうのが無難だろう」

 スケサンは「歩けるか?」とモリーを助け起こし、ピーターをそっと抱いた。

 見知らぬ人に弟を預けるのは少しだけ抵抗がある。
 だが、もはや自力ではどうにもならぬことをモリーは感じていた。

「ありがとうございます。でも、私はなにもお礼ができなくて――」
「かまわんよ。おそらくは私もワイルドエルフたちの行動と無関係ではないからな」

 スケサンは時々槍で木を引っかいて目印をつけながら歩く。
 モリーは目印がエルフに見つかって、追いつかれたらと気が気でなかった。
 しかしスケサンは「なあに、追ってはこぬよ」と気にした様子はない。

「これは私が自分の家からつけてきた帰るための目印だ。ヤギ人の集落からつけているわけではない」

 いわれてみればそうなのだが、臆病なモリーには気が気でない。

「モリーよ、不安なのは分かる。家族も心配であろう。だが、これは用心だ。この目印があればオヌシたちは私の家まで道が分かるではないか。いざとなれば逃げ込んでくるがよい」

 これを聞いてモリーは目が覚めるような思いがした。
 怖がっていたものが、実は自分を助けるためのものだったのだ。

(この人は、本当に私を助けようとしているんだ)

 そう感じたとたんに、はらはらと涙がこぼれた。

「厳しいことをいうようだが、いまは涙をこらえるのだ。春の家までは泣き声を出してはならぬぞ」

 ここで優しい言葉をかけられては歩けなくなったかもしれない。
 モリーはスケサンの気づかいを感じていた。

 なんとか日が昇る前にたどり着き、倒れこむように小屋の戸(ドアではなく侵入者を防ぐ障害物)を動かした。

「石造りのシェルターか。なるほど、これなら長い間留守にしても大丈夫だろうな」

 スケサンはそのままピーターをベッドに寝かせ、モリーと向かい合う。

「モリーよ、日のあるうちにまた様子を見にこよう。槍を預けておく、両親や仲間が来て私の助けが必要ないならばしまっておけ、必要ならばそのまま出しておくのだ。わかったな?」

 春の家に着いた途端に急激な睡魔に襲われた。
 体はクタクタ、まぶたを開けていられない。

 モリーはスケサンの言葉を半ば夢の中で聞き、頷いた。



■■■■


ヤギ人

特徴的な角と足をもつ小柄な獣人。
姿は人間に似ているが、立派な角と蹄のような形の足をもち、急斜面や高い場所での行動が得意な種族。
臆病な性質で争い事は好まない傾向にあり、敵意に敏感。
モリーがスケサンを信頼したのも敵意を感じなかったためだろう。
森のヤギ人は血族単位の小さなグループを作り、牧畜を営みながら穏やかに暮らしていた。
宗教は素朴な聖霊信仰(アニミズム)。
名前は似ているがスケサンが仕えた聖霊王とは全く別物である。
瞳孔は横に細長い。
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