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16話 ゆれる乙女心
7 残り香
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【靴職人ファン】
あの日から、シェイラに叱られてから、意固地な靴職人は変わった。
利益を出そうと考えたファンが手を出したのは量産の靴だ。
そこに量産品の靴など簡単だと高をくくっていた甘さがあったのは否めない。
ファンは6才で父親に弟子入りし、父親の急死により21才で工房を継いだ。
それから6年と半年、丁寧な作りの靴をオーダーメイドで作ってきた。
目の肥えた旦那衆を唸らせる精緻な細工を施し、時には1日水仕事をしても浸水せず、濡れた足場で滑らない靴も作った。
かかとが隠しポケットになっている特注品もつくったことがある。
丈夫で美しい靴を作れば俺は世界一だ……ファンは半ば本気で信じていた。
その自負とこだわりは、いままで弟子や下働きがいつかなかったほどに凝り固まっていたのだ。
いままでこなしてきた仕事と比べたら、サイズ合わせもしないスタンダードな靴を作るのは容易いはずだった。
だが、始めてみれば全く利益が出ないことに気がついた。
こだわりが強いファンが一人で作業をすれば、制作時間も、材料費もほとんど変わらないのだ。
ファンの父親も頑固で真面目な職人だった。
作業の効率化どころではない。
一つ一つの工程にどれだけ手間をかけるか、他の職人にしない工夫をどれだけするかにこだわっていた。
つまりファンは量産とは真逆の仕事しかしたことがないのだ。
なれない作業ははかどらず、手間を省略すれば雑と言われる始末――しかも普段は来ないようなメンテナンスや修理の客は多い。
制作時間も材料費も変わらず、報酬のみが減る。
いらだちはつのり、ニカワのストックが尽きたことで、何かがプッツリと切れた。
普段の仕事以上に消費していたことに気がつかなかったのである。
「やってられるかっ」
ファンはふて腐れて酒を飲んだ。
もともと我慢強いタイプではない。
それを見とがめたシェイラにも八つ当たりをした。
彼女には非はない。
悪いのは自分だと知覚しているが、こうなると止まらなくなるものだ。
しかし、彼女は逆にファンを叱り飛ばした。
『靴はどうするんだ、仕事を放り出すのか』
彼女の言葉は胸に刺ささり、深くえぐった。
ファンは数日前、彼女に殴られた頬をなでた。
痛みや腫れなどはとうにない。しかし、そこにはまだシェイラが残した熱があるような気がした。
ふと『殴られたのは久しぶりだ、いつ以来だろう』と記憶をたどる。
叱られたのは、父が死んでから初めてだった。
その後も、シェイラは屈託なく手伝いを続けてくれた。
もう呆れて来てくれないのではないかと心配していたファンは大いに安心した。
「油はカメリア油をつかってるけど、カバジョからとれる油でもいいんじゃないかな? 革はヨロイキツネの硬革を使う地域もあるみたいだ」
そして、冒険者としてモンスターの素材を熟知しているシェイラは安価な代替品を提案してくれた。
素材の変更は気が進まなかったが、コストを下げなければ利益がでない。
冷静になれば彼女に従うしかなかった。
「服でもそうだけど、たくさん作るのは職人の腕じゃないんだ」
休憩時間、シェイラの作ってくれたパンに串焼きを挟んだものを食べながら色々な話をした。
彼女が『串焼きサンド』と教えてくれた森人料理は作業中の食事に向いている。
サンドの意味は彼女にもわからないらしい。
語源が失伝することは良くあることだ。
「うん、たくさん作るにはファンの半分の腕前の職人がたくさんいるんだ。それぞれがそれぞれの工程をこなして、最後に組み立てと仕上げの職人が組み上げるんだ」
「それは、他の職人が作った靴を組み立てるってことかい……?」
とても信じられなかったが、彼女の着ている服もそうして作られたものらしい。
工房にこもって靴だけを作り続けたファンよりも、この森人の冒険者は広い世界で多くのものを見聞きしてきたに違いない。
「それは違う技術なんだ。多くの職人を抱える工房に向いた仕事だけど、ファンには向いてない」
「そうだな。俺は靴作りに他の職人が関わるのは嫌なんだ……いままでの弟子も俺のせいで長続きしなかった」
すこしバツが悪くなったファンは誤魔化すように串焼きサンドを急いで食べ終え、すぐに靴に向き合った。
自分にはこうして一つ一つの靴に向き合うことしかできないのだ……これが分かっただけ、この仕事も無駄ではなかった。
彼女もファンに量産靴は向いてないと言っていた。
今は今の仕事と全力で向き合い、こなすこと――これでいい。これしかできない。
「シェイラさん、良かったらなんだが――」
ファンは食器を片付けるシェイラに背中を向けたまま語りかける。
「もし良かったらなんだが、この工房で働いてくれないか? これからずっとだ」
「……あ、その、でも――」
シェイラが口ごもる。
少し急ぎすぎたかもしれないとは思ったが、これはファンの本心だった。
「わかってる。よく考えて返事をしてほしい」
「……うん、わかった」
それだけを聞くと、ファンは靴に没頭した。
こうなれば他のものなど目に入らない。
「――はどうかな?」
「――ごめんなさい、今は無理みたい」
どこかでシェイラが接客をしている声が聞こえた。
――――――
仕事が一段落ついた日の朝、いつもよりかなり早くシェイラが現れた。
荷物を背負い、弓を携えている。
動きを妨げないためだろうか、髪型もアップでまとめてあり、いつもよりも大人びて見えた。
旅支度、これが彼女本来の姿なのだろう。
「ファン、今日は依頼を受けてないんだ、その――」
その姿を見ればわかる。
彼女は冒険者を続けることを選択したのだ。
これは仕方がないとファンは思う。
自分とて、靴職人をやめて旅に出ようと言われたら断るしかない。生き方を変えることは難しいのだ。
「シェイラさん、気にしないでほしい。互いに違う道を歩んでいたんだ……たまたま巡り会えた幸運に感謝したい」
「うん、でも、でもね……靴を作る仕事は楽しかった。一緒にやらないかって言ってもらえて嬉しかった」
これは彼女の本心だ、ファンはそう感じた。
「ファン、弟子をとったら優しくしてあげてくれ。毎日、ヒゲを剃って、ご飯を食べるんだぞ」
最後までシェイラは世話焼きだった。
ファンは小さく「気をつける」と頷いた。
「それじゃ、行くよ――またな!」
それだけを告げ、森人の冒険者は去った。
「……さて、仕事をするか」
誰に言うでもなく、ファンは呟いた。
あまり仕事をしたい気持ちでもなかったが、彼女に叱られた身としてはサボるわけにはいかない。
シェイラが革の裁断で使っていた机に向かうと、どこかで見たような緑色の小さな木彫り細工が置いてあった。
新しいものではなさそうだが、ファンのものではない。
手に取り眺めていると、シェイラの髪飾りだと気がついた。
「忘れたのか?」
つい、独り言が漏れた。
いや、違うとファンは思い直した。
この髪飾りは2つで対のものだ。
彼女はファンの気持ちに応えてくれた。残してくれたのだ――心を。
そう思うと、小さな髪飾りがとてつもなく愛しいものに思えた。
その瞬間ドアが開き、先ほどの姿のシェイラが現れた。
まさか帰って来てくれたのか、いやそんなはずはとファンが戸惑っていると、シェイラは嬉しそうに「あ、それ忘れ物」と一言かけたのちに、ヒョイとファンの手のひらから髪飾りをつまみ上げた。
「それじゃ」
それだけ言い残し、今度こそシェイラは行った。
■■■■
ファン
若いイケメン靴職人。
今回の件で思うとこがあったらしく、弟子をとったらしい。
なんだかんだで量産靴の作り方を学び、仕事との向き合い方を見つめなおした彼は一皮むけ、職人として成長したようだ。
可哀想じゃないやい。
あの日から、シェイラに叱られてから、意固地な靴職人は変わった。
利益を出そうと考えたファンが手を出したのは量産の靴だ。
そこに量産品の靴など簡単だと高をくくっていた甘さがあったのは否めない。
ファンは6才で父親に弟子入りし、父親の急死により21才で工房を継いだ。
それから6年と半年、丁寧な作りの靴をオーダーメイドで作ってきた。
目の肥えた旦那衆を唸らせる精緻な細工を施し、時には1日水仕事をしても浸水せず、濡れた足場で滑らない靴も作った。
かかとが隠しポケットになっている特注品もつくったことがある。
丈夫で美しい靴を作れば俺は世界一だ……ファンは半ば本気で信じていた。
その自負とこだわりは、いままで弟子や下働きがいつかなかったほどに凝り固まっていたのだ。
いままでこなしてきた仕事と比べたら、サイズ合わせもしないスタンダードな靴を作るのは容易いはずだった。
だが、始めてみれば全く利益が出ないことに気がついた。
こだわりが強いファンが一人で作業をすれば、制作時間も、材料費もほとんど変わらないのだ。
ファンの父親も頑固で真面目な職人だった。
作業の効率化どころではない。
一つ一つの工程にどれだけ手間をかけるか、他の職人にしない工夫をどれだけするかにこだわっていた。
つまりファンは量産とは真逆の仕事しかしたことがないのだ。
なれない作業ははかどらず、手間を省略すれば雑と言われる始末――しかも普段は来ないようなメンテナンスや修理の客は多い。
制作時間も材料費も変わらず、報酬のみが減る。
いらだちはつのり、ニカワのストックが尽きたことで、何かがプッツリと切れた。
普段の仕事以上に消費していたことに気がつかなかったのである。
「やってられるかっ」
ファンはふて腐れて酒を飲んだ。
もともと我慢強いタイプではない。
それを見とがめたシェイラにも八つ当たりをした。
彼女には非はない。
悪いのは自分だと知覚しているが、こうなると止まらなくなるものだ。
しかし、彼女は逆にファンを叱り飛ばした。
『靴はどうするんだ、仕事を放り出すのか』
彼女の言葉は胸に刺ささり、深くえぐった。
ファンは数日前、彼女に殴られた頬をなでた。
痛みや腫れなどはとうにない。しかし、そこにはまだシェイラが残した熱があるような気がした。
ふと『殴られたのは久しぶりだ、いつ以来だろう』と記憶をたどる。
叱られたのは、父が死んでから初めてだった。
その後も、シェイラは屈託なく手伝いを続けてくれた。
もう呆れて来てくれないのではないかと心配していたファンは大いに安心した。
「油はカメリア油をつかってるけど、カバジョからとれる油でもいいんじゃないかな? 革はヨロイキツネの硬革を使う地域もあるみたいだ」
そして、冒険者としてモンスターの素材を熟知しているシェイラは安価な代替品を提案してくれた。
素材の変更は気が進まなかったが、コストを下げなければ利益がでない。
冷静になれば彼女に従うしかなかった。
「服でもそうだけど、たくさん作るのは職人の腕じゃないんだ」
休憩時間、シェイラの作ってくれたパンに串焼きを挟んだものを食べながら色々な話をした。
彼女が『串焼きサンド』と教えてくれた森人料理は作業中の食事に向いている。
サンドの意味は彼女にもわからないらしい。
語源が失伝することは良くあることだ。
「うん、たくさん作るにはファンの半分の腕前の職人がたくさんいるんだ。それぞれがそれぞれの工程をこなして、最後に組み立てと仕上げの職人が組み上げるんだ」
「それは、他の職人が作った靴を組み立てるってことかい……?」
とても信じられなかったが、彼女の着ている服もそうして作られたものらしい。
工房にこもって靴だけを作り続けたファンよりも、この森人の冒険者は広い世界で多くのものを見聞きしてきたに違いない。
「それは違う技術なんだ。多くの職人を抱える工房に向いた仕事だけど、ファンには向いてない」
「そうだな。俺は靴作りに他の職人が関わるのは嫌なんだ……いままでの弟子も俺のせいで長続きしなかった」
すこしバツが悪くなったファンは誤魔化すように串焼きサンドを急いで食べ終え、すぐに靴に向き合った。
自分にはこうして一つ一つの靴に向き合うことしかできないのだ……これが分かっただけ、この仕事も無駄ではなかった。
彼女もファンに量産靴は向いてないと言っていた。
今は今の仕事と全力で向き合い、こなすこと――これでいい。これしかできない。
「シェイラさん、良かったらなんだが――」
ファンは食器を片付けるシェイラに背中を向けたまま語りかける。
「もし良かったらなんだが、この工房で働いてくれないか? これからずっとだ」
「……あ、その、でも――」
シェイラが口ごもる。
少し急ぎすぎたかもしれないとは思ったが、これはファンの本心だった。
「わかってる。よく考えて返事をしてほしい」
「……うん、わかった」
それだけを聞くと、ファンは靴に没頭した。
こうなれば他のものなど目に入らない。
「――はどうかな?」
「――ごめんなさい、今は無理みたい」
どこかでシェイラが接客をしている声が聞こえた。
――――――
仕事が一段落ついた日の朝、いつもよりかなり早くシェイラが現れた。
荷物を背負い、弓を携えている。
動きを妨げないためだろうか、髪型もアップでまとめてあり、いつもよりも大人びて見えた。
旅支度、これが彼女本来の姿なのだろう。
「ファン、今日は依頼を受けてないんだ、その――」
その姿を見ればわかる。
彼女は冒険者を続けることを選択したのだ。
これは仕方がないとファンは思う。
自分とて、靴職人をやめて旅に出ようと言われたら断るしかない。生き方を変えることは難しいのだ。
「シェイラさん、気にしないでほしい。互いに違う道を歩んでいたんだ……たまたま巡り会えた幸運に感謝したい」
「うん、でも、でもね……靴を作る仕事は楽しかった。一緒にやらないかって言ってもらえて嬉しかった」
これは彼女の本心だ、ファンはそう感じた。
「ファン、弟子をとったら優しくしてあげてくれ。毎日、ヒゲを剃って、ご飯を食べるんだぞ」
最後までシェイラは世話焼きだった。
ファンは小さく「気をつける」と頷いた。
「それじゃ、行くよ――またな!」
それだけを告げ、森人の冒険者は去った。
「……さて、仕事をするか」
誰に言うでもなく、ファンは呟いた。
あまり仕事をしたい気持ちでもなかったが、彼女に叱られた身としてはサボるわけにはいかない。
シェイラが革の裁断で使っていた机に向かうと、どこかで見たような緑色の小さな木彫り細工が置いてあった。
新しいものではなさそうだが、ファンのものではない。
手に取り眺めていると、シェイラの髪飾りだと気がついた。
「忘れたのか?」
つい、独り言が漏れた。
いや、違うとファンは思い直した。
この髪飾りは2つで対のものだ。
彼女はファンの気持ちに応えてくれた。残してくれたのだ――心を。
そう思うと、小さな髪飾りがとてつもなく愛しいものに思えた。
その瞬間ドアが開き、先ほどの姿のシェイラが現れた。
まさか帰って来てくれたのか、いやそんなはずはとファンが戸惑っていると、シェイラは嬉しそうに「あ、それ忘れ物」と一言かけたのちに、ヒョイとファンの手のひらから髪飾りをつまみ上げた。
「それじゃ」
それだけ言い残し、今度こそシェイラは行った。
■■■■
ファン
若いイケメン靴職人。
今回の件で思うとこがあったらしく、弟子をとったらしい。
なんだかんだで量産靴の作り方を学び、仕事との向き合い方を見つめなおした彼は一皮むけ、職人として成長したようだ。
可哀想じゃないやい。
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