好色冒険エステバン

小倉ひろあき

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16話 ゆれる乙女心

5 小人の知恵

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【シェイラ】


 なんだか、ファンの様子が変だ。

 仕事熱心なのは変わらない。
 だが、なんというか――シェイラが見るところ、仕事に身が入っていない。

 今までは一つ一つの仕事に集中し、作業に没頭していた。
 その様子は真剣だが楽しげで、見ていたシェイラまで『どんな靴ができるのかな』と、わくわくるような……そんな喜びに満ちていた。

 だが、今のファンは違う。
 忙しそうにしてはいるが、仕事に集中しきれていない。
 そして、思うように作業が進まないのかイラついている。

「うーん、らしくないね。ファンさん、こんな事は言いたくないが量産靴はサイズ合わせがないだけで雑な仕事ではないんだよ」

 様子を見に来た靴屋が苦言を呈し、ファンは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。

「わかっている、まだ慣れないだけだ」
「ならいいけどね……ちゃんとしないと逃げられるぜ」

 靴屋は「へへ」と好色そうな目でシェイラを眺めて去っていった。

「くそっ! そんなことは分かってる……!」

 イラついたファンはドカリと音をたてながら乱暴に椅子に座りこんだ。

「ファン、疲れてるみたいだし、休憩しないか?」
「少し考えればわかるだろ!? 休憩などする暇があるか! それよりもきをするから3番目の革包丁をとってくれ!」

 シェイラはしっかりと磨いだ漉き包丁を砥石に荒く擦り合わせてからファンに手渡した。
 これは寝刃ねたば合わせだ。刃物は磨きあげたままでは切れ味が悪いので、こうして使う前に(ミクロ単位で)傷をつける。
 しかし、イラついていたファンはその思わぬ切れ味に手元を狂わせたようだ。
 普段の彼ではあり得ないケアレスミスが、さらに彼をイラだたせる。

「くそっ! 革を駄目にした!」

 ファンが革を投げ捨てた――それはシェイラが裁断した革だ。

 その様子を見て、シェイラは『つまらないな』とため息をついた。



――――――



「ははあ、それはきっと量産品の作り方がわかってないんだね」
「……でも、ファンは腕がいいって評判なんだ」

 宿屋に帰り、シェイラはエステバンにバレないようにレーレに相談していた。
 レーレは靴の仕立ても上手だ。

「うん、オーダーメイドなら、一つ一つ丁寧に職人さんが責任をもって作るのは良いことなんだけど――」

 レーレが言うには、量産品は職人をたくさん抱える工房が向いているらしい。
 流れ作業のように別々の職人がそれぞれの工程を担当すると効率が上がるのだそうだ。

「ほら、ボクの魔法で道具が別々に動くでしょ? あんな感じ」
「でも、ファンの工房には私しかいないし……」

 レーレは「うーん、そうだねー」とアゴに人差し指を当てて悩みだした。

「どうしたんだ?」
「あのさ、シェイラの話を聞いた限りじゃファンさんはかなり高級な素材を使ってるみたいだけど、利益を出したいなら安くてほとんど変わらない代替品もあるよ。例えばね――」

 レーレは素材のグレードを影響の少なそうな範囲で下げてコストダウンしろと提案したのだ。
 特に真新しいアイデアでもないが、シェイラはレーレの教えてくれた内容をボロ切れに一生懸命に書き写し、それを大事そうにしまった。

「ね、シェイラ」

 レーレが改まった口調で「帰ってきなよ」と口にした。

「エステバンはね、シェイラがファンさんのところにいる間、ずっと一人で豚人オークを狩り続けてるんだ。シェイラが危ない目に遭わないようにって、もう怖い思いをしないようにって」

 この言葉はこたえた。
 以前、シェイラは豚人にはひどい目に遭わされかけたことがある。正直、今でも豚人と聞くと少し怖い。

 気まずくなって避けていたエステバンは、影でずっとシェイラを守ってくれていたのだ。この事実は彼女を打ちのめした。

「シェイラ、ボクはエステバンとシェイラが好きだから一緒に旅をしたいんだ。シェイラは本当に靴職人になりたいの? こんなことをしても傷つくだけだよ? ファンさんも――」
「わかってるよっ、でも、わかんないんだよっ!」

 シェイラは自分で何を言ってるのか、言いたいのか分からなかった。
 エステバンに冷たくしていたのは自分なのだ。いまさらどうやって仲直りすればいいのかわからない。

 そんな彼女を見て「素直になりなよ」と小人が呆れた様子を見せた。



――――――



 翌日、工房に行くとファンが珍しくお酒を飲んでいた。
 仕事が終わってから飲むのは何度か見たが、こんなことは初めてだ。

「どうしたんだ? 仕事、しないのか?」
「ああ、できないのさ」

 呂律ろれつは回っているし、顔色も普通だ。
 それほど酩酊はしていないらしい。

「――ニカワが届かないんだ。最近、靴底の修理が多くてね……いつもの仕入れのペースじゃ間に合わなかったんだ。カルパの皮で作ったニカワじゃないと――」

 カルパとは魚型のモンスターだ。
 どうやらカルパのニカワは珍しい品で、取引している素材屋にも追加分はないらしい。

「それなら大丈夫だ。たしかニカワは……豚人だ! オークリーダーの脂肪で作ったニカワなら安いけど変わらない使い勝手だって――」
「そんなこと、できるわけないだろうっ!?」

 ファンが怒鳴った。
 腕の良い職人はこだわりも強い。

「カルパのニカワは気温の上下にも乾燥にも強い。靴作りには最高級のニカワなんだ! 代えが効くようなものじゃない!」
「じゃあ、靴はどうするんだよっ! 靴屋さんに頼まれてるんだろっ!?」

 シェイラがなおも食い下がるとファンは「うるさい」と吐き捨てた。

「シェイラさん、仕事に口出しはやめてほしい。ニカワが無いなら靴は作れない。この仕事は無理――」

 そこまでファンが口にするや、シェイラの平手が飛び、ファンの頬がばちんと凄い音を立てた。

「どうしてそうなるんだっ!?」

 シェイラはファンの胸ぐらを掴み、椅子から吊り上げる。
 この細腕に似合わぬ力にファンは明らかに怯みの色を見せた。

「どうしてそうなるんだっ!! エステバンはな、どんなピンチでも依頼は投げ出さないぞっ!! 弱音なんか吐かないっ!! お前なんか、エステバンと全然ちがうっ!!」

 泣きながらシェイラは叫んだ。
 自分でも何を言っているのか分からないが、ファンを見ていたら歯がゆくて、言わずにはいられなかった。

 そのままシェイラは集まりかけた野次馬を蹴散らして革屋へ行き、オークリーダーのニカワを買い求めた。
 今は豚人の季節であり、非常に安価であった。

 工房に戻り、ファンには目もくれず乾燥したニカワを戻す作業にとりかかる。
 水に浸し、湯煎ゆせんで温めるのだ。

「……シェイラさん、すまん。俺が悪かった」
「こっちもゴメン」

 なんとなく、顔を会わせづらかったがファンが謝ってきたので仲直りもできた。

 ……なんだ、仲直りってこんなに簡単なのか。

 シェイラは拍子抜けしたような気持ちになった。

 ……次にエステバンが帰ってきたらちゃんと謝ろう。ゴメンって言うんだ。

 そう決めたら、なんだかスッと胸が軽くなった。



■■■■


レーレ

毎日マジメに靴を作っているファンより靴製作に造詣が深い様子。
リリパットの寿命はわからないが、ひょっとしたら見た目以上に生きているのかもしれない。
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