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カイザははっきりと呆れた顔でアレスティードを見た。あれだけ様々なパーティーで貴族女性を侍らせ話しまくっているのに、この主人は何を言っているのか。
「あの、アレス様?冷静になってください、今までも、ものっすごい数の女性とお話されてますよね?」
「‥自分から話しかけたことは、ない‥」
「‥え~‥‥」
「しかも、好きな女性、に話しかけたこと、なんて全くないからわからない‥いつも女性の方から勝手に話しかけてきてたし‥」
カイザは目の上に手を当てて天を仰いだ。まさか自分の主人がここまでめんどくさ‥拗らせているとは。容姿端麗身分上等も考え物だなとカイザは思った。ソファに座り、がっくりうなだれて膝の間に頭をめり込ませている様子は、とてもじゃないが『麗しの貴公子』などと呼ばれている人物だとは思えない。
言葉だけ聞いていれば鼻持ちならないが、これだけ落ち込んでいる主人を見ていれば本気で悩んでいることはカイザにも見て取れた。
「まあ‥とりあえずは挨拶から始めて、とにかく何でも話しかけることですよ、天気の話でも何でも」
「‥天気の話で俺の事がタイプになるのか」
「‥はい?」
「どちらかと言えば嫌いなタイプ、って言われたんだ、半年前‥」
カイザは深いため息をついた。何と主人はマイナスからのスタートを切らねばならないようだ。
「え~‥とにかく、まずは奥様に好意を伝えてみてはいかがですか?奥様もご自分から結婚を迫ったという罪悪感はお持ちかもしれませんし、いや俺君のこと好きだよ~ってアピールしないと!今のところ旦那様の方が世間話に花が咲いちゃってますから!」
言われなくてもわかっていることをカイザにダメ押しされ、がっくりきたアレスティードだったが、確かにサイーシャとは事務的な話しかしてきていない。
しかもさっき、「できるだけアレスティード様のお目に触れないよう、気をつけますわ」なんて言われてしまったから、下手をしたら彼女の方からは全く話しかけてもらえない可能性がある。
アレスティードは頭を上げ、カイザの持っていたカップを横から取り上げ残っていたお茶をぐびりと飲み干し立ち上がった。
「‥彼女の部屋に行く!」
おお、素直だな。カイザはそう思いつつも少々の不安を感じて主人に釘を刺すのを忘れなかった。
「いいですかアレス様。笑顔ですよ、笑顔!いつも家の中では仏頂面なんですから。それでは女性は脅えてしまいますからね!」
「‥わ、わかった!」
パーティー用の営業スマイルを思い出せば行ける!
アレスティードは、とにかくさっきのような暗い顔を彼女にさせたくないという一心でサイーシャの部屋に向かうことにした。
夫婦の寝室からつながっているドアを叩こうか、普通に廊下側からのドアを叩こうか散々迷った挙句「どっちでも変わりませんって!」と雑にカイザに追い出され、仕方なく廊下側から行くことにした。
だがなかなかドアをノックできない。この扉を開けたらまず何といえばいいのか、ずっと考え続けていたら急に中から扉が開いた。
扉を開けたらアレスティードが立っていたので、サイーシャは驚いた。
「ア、アレスティード様、どうされたんですか?‥何か御用でしたでしょうか?」
アレスティードはぴしりと固まってしまった。
なんだ、これ、
あれ?
サイーシャ嬢って、こんなにかわいかったっけ?
よく考えれば自分の気持ちをはっきりと自覚してから初めてサイーシャの顔を正面からまともに見たのだ。アレスティードの視界にはもう、初恋フィルターがかかり、サイーシャの周りに薔薇が飛んで見えるほどだった。
下から見上げるように自分を見つめている、澄んだ青い瞳。少し開き気味の桜色の唇。小さめの目がぱちぱちと瞬きを繰り返しているのも愛らしい。
アレスティ―ドは完全に言葉を失ってしまっていた。
「あの‥アレスティード様‥?」
怪訝そうにもう一度サイーシャが呼びかける。アレスティードはようやく(何かしゃべらなければ)と気持ちが切り替わり、そしてそれによってまた慌ててしまった。
「いや、あの、えー‥」
何か言おうとしているな、と思ってサイーシャは大人しく待っている。アレスティードは(何でもいいから一回部屋に入れてくれたらいいのに)と思いつつもそれを口に出せない。
えーとえーととアレスティードがもごもごしているうちに、サイーシャの侍女であるナタリアが部屋の中から遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、おじょ‥サイーシャ様、若旦那様にお部屋の中に入っていただいたらいかがでしょうか?」
「‥そうね、申し訳ございませんアレスティード様、気がつかなくて。どうぞお入りになって」
ようやく部屋の中に招かれ、ソファに座ってアレスティードは少し落ち着くことができた。そう言えばこの部屋について、何も言われていない。自室はどのようにしたいのか、と尋ねた時のサイーシャの答えは「必要最低限のものさえあればそれで構いません」というものだった。その時はアレスティードもかなり苛々していたので、サイーシャの部屋については結構適当な指示をしたような気がする。
そう思い返して部屋の中を見てみれば、本当に必要最低限のものしか置いていなかった。さすがに家具は上質のものを揃えているが、飾り気はなく実用一徹のものだ。壁紙やカーテンなどもこれといった模様や装飾は施されておらず、一見しただけでは到底若い娘の部屋とは言えないものだった。
サイーシャが座っている状態で初めてこの部屋を見たアレスティードは、この部屋の主である若い女性に全くそぐわないものであることに気づいた。そこでおずおずとその事について訊いてみた。
「あー‥この部屋は、あまり装飾もなく少々殺風景かもしれない。申し訳ない。サ、イー‥シャ嬢の好きなように変えてもらって構わないが」
サシャ、と呼びたかったがどうしても呼べなかった。
だがサイーシャの方はそんなアレスティードの気持ちなどわかるわけがない。朝の事から考えてもどうもアレスティードは機嫌が悪いようにしか思えなかった。だがそれを押してサイーシャの部屋を訪ねてきたということは、何か話があるがなかなか言い出せないのでは、とサイ―シャは考えていた。
‥ある程度サイーシャの考えは当たっていたのではあるが。
サイーシャは少し考えてから言った。
「いえ、‥‥どうせあと一年ほどしか過ごしませんし特に困ってはおりません。お気遣いいただきありがとうございます、アレスティード様。‥あの、何か私にご用事がおありだったのでは?」
どういうタイミングならサシャと呼んでも不自然ではないだろうか、それにしてもかわいい、こんな殺風景な部屋にいるのにかわいく見えるとはどういうことなんだろう、等と考えていたアレスティードは、サイーシャの言葉に再び固まった。なぜ、無理やりにでもカイザを伴わなかったのか酷く後悔しながら、必死で次にいうべき言葉を探した。
‥そう言えばどんないきさつであれ、自分たちは新婚夫婦だ。新婚夫婦と言えば、
「ああ、あの、そう言えば、新婚、旅行について、話していなかったと思ったのでな」
「新婚、旅行、ですか‥?」
サイーシャは、思いもよらない、といった顔をした。
それはそうだろう。サイーシャにしてみれば自分は脅しをかけて結婚してもらった身の上だ。よもや普通一般の夫婦のように新婚旅行に行くという選択肢があるとも考えてはいなかったのだ。
そのサイーシャの顔を見て、あ、断られる!とアレスティードは思った。新婚旅行という我ながらいいアイデア(おそらく父はついてこないだろうし)を思いついたと考えていたアレスティードである。何としても断ってもらいたくない。そこで慌てて付け足した。
「や、やはり結婚はしたのだから、世間一般の夫婦のように新婚旅行は行くべきだと思う!‥ので、サ、イーシャ嬢の希望を聞いておこうかと‥」
思いつきで話しているアレスティードの声はだんだん小さくなる。サイーシャは、本当に自分の事など好きでも何でもないのだ。新婚旅行の話を出しても、全く嬉しそうではない。どちらかと言えば、思いがけない提案に戸惑っている、という様子だ。
やはり断られるかも、と思って思わずアレスティードはうつむいた。ここにカイザがいたなら「アレス様!笑顔笑顔!」と言ってくれたに違いない。険しい顔でうつむいているアレスティードは、はたから見れば相当不機嫌そうな男だった。
そんなアレスティードの様子を見ながら、サイーシャは考えた。‥やはりアレスティード様はなぜ自分が結婚したがったのかを知りたいに違いない。いくら一年経ったら離縁していいと言ったとしても、その間既婚者としてアレスティードは振る舞わねばならないし、女性ほどではなくとも離婚は男性にも瑕疵となる。
ここはやはり新婚旅行の話を受けて、その時に詳しく事情を打ち明けてわかってもらうしかないかもしれない。
出来れば離婚した後も円満な関係性を持ちたいという気持ちもサイーシャにはあるのだ。
「アレスティード様、わかりました。お申し出ありがとうございます。」
アレスティードはさっと顔を上げた。わかりました、と聞こえたが聞き間違いだろうか?そう思ってじいっとサイーシャの顔を見つめた。
サイーシャは、今一つアレスティードの感情が読めないな、と思いながら言葉を継いだ。
「あの‥では、カラエン公領地の方などいかがでしょうか?私も領政などには興味がありますし、勉強させていただけたら嬉しいです」
「わかった!」
アレスティードはガタンと立ち上がった。そうともなれば色々な手続きや準備が必要だ。この七日の間に準備を済ませて、新たなる休みをもぎ取ろう。そう固く決意して立ち上がった。
扉まで見送りに来たサイーシャの方をばっと振り返る。眉にぐぐっと皺を寄せ、絞り出すようにアレスティードは言った。
「あー‥結婚、したのだから、私のことは、アレスと呼んで構わない。‥私も、その、サシャと呼ばせてもらう、ので‥」
そう言い捨てると大急ぎでアレスティードは部屋から出て扉を閉めた。
ナタリアはその様子を見てサイーシャに言った。
「あの‥私の勘違いかもしれませんが、若旦那様はお嬢様の事がお好きなのではないでしょうか‥?」
サイーシャは驚いてナタリアの顔をまじまじと見た。
「何言ってるの?私はアレスティード様を脅して無理矢理結婚した女なのよ?そんな女を好きになる人なんて、いるわけないじゃないナタリア。勘違いよ」
「そう、でしょうか‥?」
自分から見れば、あのアレスティードの様子は好きな子にどう話しかけていいかわからない小さな男の子みたいだったけどな、とナタリアは思った。
だが、自分の主人が恋愛ごとにとんでもなく疎いことも承知だったので、とりあえずはいいか、と口をつぐんでおくことにした。ただ(アレスティードにとっては大事な)一言を付け加えるのだけは忘れなかった。
「でもお嬢様、もうご夫婦なんですから次からは愛称でお呼びなさったらいいかと思いますよ。」
「‥そうね、ご本人もそうおっしゃっておられたし」
サイーシャはそう言って頷いた。
「カイザ!カイザいないのか!」
自室に戻るなりアレスティードはカイザを呼んだ。すると廊下からカイザがひょこっと顔を出した。
「アレス様、私もそこそこ忙しいんですけど。何かありました?」
「新婚旅行だ!」
「‥はい?」
「新婚旅行に行く!領地に向かいたい、今から手配をするから手伝ってくれ!」
「‥え~と、なぜ急にそんな話に?」
アレスティードは思いつきではありながらも、なかなかいい提案ではないかということやサイーシャが承知してくれたことなどを言って聞かせた。だが、カイザは難しい顔をした。
「アレス様お忘れじゃないですか?二週間後から旦那様は領地視察の期間に入られます。このままいくと、旦那様付きの新婚旅行ですよ」
「‥!!」
アレスティードは父親のスケジュールをすっかり失念していた。‥やはり、サイーシャは父親がいるから新婚旅行先に領地を選んだのだろうか。
先ほどとは打って変わって暗く落ち込む主人に、カイザは明るく声をかけた。
「まあでも、新婚旅行なんですから滞在先の屋敷を変えるという手もありますし!旦那様は本邸にご滞在でしょうから、アレス様と奥様はそうですねえ‥あの景勝地の別荘に泊まられるのはどうですか?湖のそばで気持ちのいいところですし散歩とかにもうってつけです。ある程度本邸からも離れてますし」
「カイザお前はできる侍従だな!‥よし、では手配をする。手が空いたら手伝ってくれ!それから騎士団にも行かねばならないから、先に騎士団への手紙を届けてもらおう」
ぱっと気分を切り替えた主人に、暗いよりはいいかとカイザは素直に従って手配を始めた。
「あの、アレス様?冷静になってください、今までも、ものっすごい数の女性とお話されてますよね?」
「‥自分から話しかけたことは、ない‥」
「‥え~‥‥」
「しかも、好きな女性、に話しかけたこと、なんて全くないからわからない‥いつも女性の方から勝手に話しかけてきてたし‥」
カイザは目の上に手を当てて天を仰いだ。まさか自分の主人がここまでめんどくさ‥拗らせているとは。容姿端麗身分上等も考え物だなとカイザは思った。ソファに座り、がっくりうなだれて膝の間に頭をめり込ませている様子は、とてもじゃないが『麗しの貴公子』などと呼ばれている人物だとは思えない。
言葉だけ聞いていれば鼻持ちならないが、これだけ落ち込んでいる主人を見ていれば本気で悩んでいることはカイザにも見て取れた。
「まあ‥とりあえずは挨拶から始めて、とにかく何でも話しかけることですよ、天気の話でも何でも」
「‥天気の話で俺の事がタイプになるのか」
「‥はい?」
「どちらかと言えば嫌いなタイプ、って言われたんだ、半年前‥」
カイザは深いため息をついた。何と主人はマイナスからのスタートを切らねばならないようだ。
「え~‥とにかく、まずは奥様に好意を伝えてみてはいかがですか?奥様もご自分から結婚を迫ったという罪悪感はお持ちかもしれませんし、いや俺君のこと好きだよ~ってアピールしないと!今のところ旦那様の方が世間話に花が咲いちゃってますから!」
言われなくてもわかっていることをカイザにダメ押しされ、がっくりきたアレスティードだったが、確かにサイーシャとは事務的な話しかしてきていない。
しかもさっき、「できるだけアレスティード様のお目に触れないよう、気をつけますわ」なんて言われてしまったから、下手をしたら彼女の方からは全く話しかけてもらえない可能性がある。
アレスティードは頭を上げ、カイザの持っていたカップを横から取り上げ残っていたお茶をぐびりと飲み干し立ち上がった。
「‥彼女の部屋に行く!」
おお、素直だな。カイザはそう思いつつも少々の不安を感じて主人に釘を刺すのを忘れなかった。
「いいですかアレス様。笑顔ですよ、笑顔!いつも家の中では仏頂面なんですから。それでは女性は脅えてしまいますからね!」
「‥わ、わかった!」
パーティー用の営業スマイルを思い出せば行ける!
アレスティードは、とにかくさっきのような暗い顔を彼女にさせたくないという一心でサイーシャの部屋に向かうことにした。
夫婦の寝室からつながっているドアを叩こうか、普通に廊下側からのドアを叩こうか散々迷った挙句「どっちでも変わりませんって!」と雑にカイザに追い出され、仕方なく廊下側から行くことにした。
だがなかなかドアをノックできない。この扉を開けたらまず何といえばいいのか、ずっと考え続けていたら急に中から扉が開いた。
扉を開けたらアレスティードが立っていたので、サイーシャは驚いた。
「ア、アレスティード様、どうされたんですか?‥何か御用でしたでしょうか?」
アレスティードはぴしりと固まってしまった。
なんだ、これ、
あれ?
サイーシャ嬢って、こんなにかわいかったっけ?
よく考えれば自分の気持ちをはっきりと自覚してから初めてサイーシャの顔を正面からまともに見たのだ。アレスティードの視界にはもう、初恋フィルターがかかり、サイーシャの周りに薔薇が飛んで見えるほどだった。
下から見上げるように自分を見つめている、澄んだ青い瞳。少し開き気味の桜色の唇。小さめの目がぱちぱちと瞬きを繰り返しているのも愛らしい。
アレスティ―ドは完全に言葉を失ってしまっていた。
「あの‥アレスティード様‥?」
怪訝そうにもう一度サイーシャが呼びかける。アレスティードはようやく(何かしゃべらなければ)と気持ちが切り替わり、そしてそれによってまた慌ててしまった。
「いや、あの、えー‥」
何か言おうとしているな、と思ってサイーシャは大人しく待っている。アレスティードは(何でもいいから一回部屋に入れてくれたらいいのに)と思いつつもそれを口に出せない。
えーとえーととアレスティードがもごもごしているうちに、サイーシャの侍女であるナタリアが部屋の中から遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、おじょ‥サイーシャ様、若旦那様にお部屋の中に入っていただいたらいかがでしょうか?」
「‥そうね、申し訳ございませんアレスティード様、気がつかなくて。どうぞお入りになって」
ようやく部屋の中に招かれ、ソファに座ってアレスティードは少し落ち着くことができた。そう言えばこの部屋について、何も言われていない。自室はどのようにしたいのか、と尋ねた時のサイーシャの答えは「必要最低限のものさえあればそれで構いません」というものだった。その時はアレスティードもかなり苛々していたので、サイーシャの部屋については結構適当な指示をしたような気がする。
そう思い返して部屋の中を見てみれば、本当に必要最低限のものしか置いていなかった。さすがに家具は上質のものを揃えているが、飾り気はなく実用一徹のものだ。壁紙やカーテンなどもこれといった模様や装飾は施されておらず、一見しただけでは到底若い娘の部屋とは言えないものだった。
サイーシャが座っている状態で初めてこの部屋を見たアレスティードは、この部屋の主である若い女性に全くそぐわないものであることに気づいた。そこでおずおずとその事について訊いてみた。
「あー‥この部屋は、あまり装飾もなく少々殺風景かもしれない。申し訳ない。サ、イー‥シャ嬢の好きなように変えてもらって構わないが」
サシャ、と呼びたかったがどうしても呼べなかった。
だがサイーシャの方はそんなアレスティードの気持ちなどわかるわけがない。朝の事から考えてもどうもアレスティードは機嫌が悪いようにしか思えなかった。だがそれを押してサイーシャの部屋を訪ねてきたということは、何か話があるがなかなか言い出せないのでは、とサイ―シャは考えていた。
‥ある程度サイーシャの考えは当たっていたのではあるが。
サイーシャは少し考えてから言った。
「いえ、‥‥どうせあと一年ほどしか過ごしませんし特に困ってはおりません。お気遣いいただきありがとうございます、アレスティード様。‥あの、何か私にご用事がおありだったのでは?」
どういうタイミングならサシャと呼んでも不自然ではないだろうか、それにしてもかわいい、こんな殺風景な部屋にいるのにかわいく見えるとはどういうことなんだろう、等と考えていたアレスティードは、サイーシャの言葉に再び固まった。なぜ、無理やりにでもカイザを伴わなかったのか酷く後悔しながら、必死で次にいうべき言葉を探した。
‥そう言えばどんないきさつであれ、自分たちは新婚夫婦だ。新婚夫婦と言えば、
「ああ、あの、そう言えば、新婚、旅行について、話していなかったと思ったのでな」
「新婚、旅行、ですか‥?」
サイーシャは、思いもよらない、といった顔をした。
それはそうだろう。サイーシャにしてみれば自分は脅しをかけて結婚してもらった身の上だ。よもや普通一般の夫婦のように新婚旅行に行くという選択肢があるとも考えてはいなかったのだ。
そのサイーシャの顔を見て、あ、断られる!とアレスティードは思った。新婚旅行という我ながらいいアイデア(おそらく父はついてこないだろうし)を思いついたと考えていたアレスティードである。何としても断ってもらいたくない。そこで慌てて付け足した。
「や、やはり結婚はしたのだから、世間一般の夫婦のように新婚旅行は行くべきだと思う!‥ので、サ、イーシャ嬢の希望を聞いておこうかと‥」
思いつきで話しているアレスティードの声はだんだん小さくなる。サイーシャは、本当に自分の事など好きでも何でもないのだ。新婚旅行の話を出しても、全く嬉しそうではない。どちらかと言えば、思いがけない提案に戸惑っている、という様子だ。
やはり断られるかも、と思って思わずアレスティードはうつむいた。ここにカイザがいたなら「アレス様!笑顔笑顔!」と言ってくれたに違いない。険しい顔でうつむいているアレスティードは、はたから見れば相当不機嫌そうな男だった。
そんなアレスティードの様子を見ながら、サイーシャは考えた。‥やはりアレスティード様はなぜ自分が結婚したがったのかを知りたいに違いない。いくら一年経ったら離縁していいと言ったとしても、その間既婚者としてアレスティードは振る舞わねばならないし、女性ほどではなくとも離婚は男性にも瑕疵となる。
ここはやはり新婚旅行の話を受けて、その時に詳しく事情を打ち明けてわかってもらうしかないかもしれない。
出来れば離婚した後も円満な関係性を持ちたいという気持ちもサイーシャにはあるのだ。
「アレスティード様、わかりました。お申し出ありがとうございます。」
アレスティードはさっと顔を上げた。わかりました、と聞こえたが聞き間違いだろうか?そう思ってじいっとサイーシャの顔を見つめた。
サイーシャは、今一つアレスティードの感情が読めないな、と思いながら言葉を継いだ。
「あの‥では、カラエン公領地の方などいかがでしょうか?私も領政などには興味がありますし、勉強させていただけたら嬉しいです」
「わかった!」
アレスティードはガタンと立ち上がった。そうともなれば色々な手続きや準備が必要だ。この七日の間に準備を済ませて、新たなる休みをもぎ取ろう。そう固く決意して立ち上がった。
扉まで見送りに来たサイーシャの方をばっと振り返る。眉にぐぐっと皺を寄せ、絞り出すようにアレスティードは言った。
「あー‥結婚、したのだから、私のことは、アレスと呼んで構わない。‥私も、その、サシャと呼ばせてもらう、ので‥」
そう言い捨てると大急ぎでアレスティードは部屋から出て扉を閉めた。
ナタリアはその様子を見てサイーシャに言った。
「あの‥私の勘違いかもしれませんが、若旦那様はお嬢様の事がお好きなのではないでしょうか‥?」
サイーシャは驚いてナタリアの顔をまじまじと見た。
「何言ってるの?私はアレスティード様を脅して無理矢理結婚した女なのよ?そんな女を好きになる人なんて、いるわけないじゃないナタリア。勘違いよ」
「そう、でしょうか‥?」
自分から見れば、あのアレスティードの様子は好きな子にどう話しかけていいかわからない小さな男の子みたいだったけどな、とナタリアは思った。
だが、自分の主人が恋愛ごとにとんでもなく疎いことも承知だったので、とりあえずはいいか、と口をつぐんでおくことにした。ただ(アレスティードにとっては大事な)一言を付け加えるのだけは忘れなかった。
「でもお嬢様、もうご夫婦なんですから次からは愛称でお呼びなさったらいいかと思いますよ。」
「‥そうね、ご本人もそうおっしゃっておられたし」
サイーシャはそう言って頷いた。
「カイザ!カイザいないのか!」
自室に戻るなりアレスティードはカイザを呼んだ。すると廊下からカイザがひょこっと顔を出した。
「アレス様、私もそこそこ忙しいんですけど。何かありました?」
「新婚旅行だ!」
「‥はい?」
「新婚旅行に行く!領地に向かいたい、今から手配をするから手伝ってくれ!」
「‥え~と、なぜ急にそんな話に?」
アレスティードは思いつきではありながらも、なかなかいい提案ではないかということやサイーシャが承知してくれたことなどを言って聞かせた。だが、カイザは難しい顔をした。
「アレス様お忘れじゃないですか?二週間後から旦那様は領地視察の期間に入られます。このままいくと、旦那様付きの新婚旅行ですよ」
「‥!!」
アレスティードは父親のスケジュールをすっかり失念していた。‥やはり、サイーシャは父親がいるから新婚旅行先に領地を選んだのだろうか。
先ほどとは打って変わって暗く落ち込む主人に、カイザは明るく声をかけた。
「まあでも、新婚旅行なんですから滞在先の屋敷を変えるという手もありますし!旦那様は本邸にご滞在でしょうから、アレス様と奥様はそうですねえ‥あの景勝地の別荘に泊まられるのはどうですか?湖のそばで気持ちのいいところですし散歩とかにもうってつけです。ある程度本邸からも離れてますし」
「カイザお前はできる侍従だな!‥よし、では手配をする。手が空いたら手伝ってくれ!それから騎士団にも行かねばならないから、先に騎士団への手紙を届けてもらおう」
ぱっと気分を切り替えた主人に、暗いよりはいいかとカイザは素直に従って手配を始めた。
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