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一章

カベワタリ 1

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カベワタリ。
この世界はヒトが住むところをぐるりと帯壁に囲まれている。遠くから見れば雲のような白い帯壁だが、どう頑張ってもそこを越えることはできない。神が定めたヒトの領域を示すのが帯壁だ。
だがそれを、時折超えてくるものがいる。

それはカベワタリと呼ばれていた。カベワタリは多くの場合、長い名を持ち髪と瞳の色が違う。髪や瞳の色は時が経って変化することもあるようだ。
カベワタリ自体が非常に珍しいので、アヤラセが知っているのもそのくらいのことしかない。むしろよく知っている方だと言える。

生まれたところもわからず、記録もないので何のリキシャかすぐには解らない。
この世界には五つの力がある。人はみな何らかの力を持って生まれてくる。神力(シンリキ)、霊力(レイリキ)、魔力(マリキ)、妖力(ヨーリキ)、気力(キリキ)である。それぞれ、持ち合わせる髪と瞳の色でわかるようになっているが、生まれた時には髪や瞳と同じ色の光が、体のどこかで三日ほど光り続ける。それを見て何の力者(リキシャ)かを判断するのだ。

アヤラセはマリキシャなので髪も瞳も黒い。子どもの髪も黒かったので、自分と同じマリキシャだと思っていた。だがこの光るような緑色は、どのリキシャも持たない色だ。
アヤラセは大きく息を吸って吐いた。どう説明すればいいのだろう、この子どもに。お前は帯壁を超えてしまったのだと。
「モリリキ‥?…ごめん、リキって呼んでいいか?長いからさ」
「…そう、呼ばれてもおったゆえ、構わぬが‥。姓がないのならアヤラセは百姓か?」
「うん、ヒャクショウもわかんないな。おれは医者で、ヒトの病気やけがを治すのが仕事だ。
ええと、リキ、落ち着いて聞いてくれ。お前はたぶん、帯壁を超えた。もう、元の国には帰れねえと思う。」
「帰れ、ぬ‥?」

子どもは目を大きく見開いた。緑の光がきらきらと輝き、黒目が少しずつ消えていく。
このまま泣くのではないかとアヤラセは思ったが、リキはぐっと息を呑んでからアヤラセに顔を向けた。
「医者ということであったな。なればそなたが吾の傷を治してくれたのか?かなりの深傷だと思うたが。」
「あ、うん。ちょっと危ない感じだったからしばらくはあまり身体を動かさない方がいいと思うけどね。」
「左様か」
リキはそういうとゆっくりと寝台の上に座り直し、深々と頭を下げた。
「かたじけない。あのままであればおそらく吾は死んでおっただろう。そなたは吾の命を拾うてくれたのじゃな。心より御礼申し上げる。」

ぎょっとしてアヤラセは子どもを見た。大人のような、ではなく大人の話し方だ。
こんなに小さいのに、帯壁の向こう側では子どもをどう扱っているんだ。国に帰れないと言われて文句や泣き言を言うでもなく、まず礼を言うなんて。
「いや、そりゃおれは医者だからな‥。子どもはそんなこと気にせず、まず体を大事にしろよ。」
「子どもではない、もう元服は済んでおる。」

なんと。帯壁の向こうではこんなに小さくても大人なのか。
「えっ、リキ、今いくつなんだ?」
「年か。当年とって十五になる。」
子どもじゃねえか。でも思ってたよりは少し大きかったな。
「この国じゃ十五はまだ子どもなんだよ。だから大人しくここで養生しな。」
アヤラセは立ち上がり、台所に行って皿とスプーンを取り、ヨーンが持ってきてくれた粥を入れてリキのそばに置いた。
「起き上がっているうちに食べろ。粥だけど、食えるか?」
「すまぬ、粥なら食えるだろう。匙をくれ。」
粥をすくってスプーンを渡すとリキは口に入れてゆっくりと咀嚼した。
「…吾の知っている粥とは味が違うようだが‥。ここはよその国、じゃからかの」
「はは、そうかもな」

粥の入った皿を渡そうと差し出した。リキは左手で受け取ろうとする。その時、リキの左手からカラン、と何かが落ちた音がした。
「ん?」
床をみるとコロコロと玉のようなものが転がっている。その色に驚き、すぐさま拾おうとしてしゃがみ込み手に掴む。そして起き上がろうとしてガンと寝台に頭をぶつけた。
「~っってえ…。って、おい、リキ!これ、ハリ玉じゃねえか!」
「玻璃玉‥?いや、それは数珠玉だ。ちぎれた時思わず握っておったのだろう。」
リキはそういうが、どこからどうみてもハリ玉だ。
「…面倒なことになってきたな‥。でも、無視するわけにもいかねえよな…。」

アヤラセは玉を光にかざす。
玉は水晶のようなきらめきの中に、金粉を入れたような揺らめきを纏っていた。
「‥信長様より拝領した折には、そのような文様など見えなかったが‥。」
「う~ん‥。さすがに、ハリ玉は無視できねえんだよ。リキの身体が回復したら、大きい街に行って子果清殿に行かなきゃだなあ…。」
リキはうつむいた。信長様よりご拝領の数珠玉が何だというのだろう。確かに珍しいものかもしれないが、見知らぬ国に来て、またすぐ見知らぬ所へ行かねばならぬのか。
リキから見てアヤラセは兄、乱法師にしか見えなかった。兄の姿の者がいたからこそおのれはまだ落ち着いていられるのだと心の中ではわかっていた。よくよく見れば、兄より目は優しく大きい上に鼻筋も高い。話し方や動きも兄とは違うが、その美しい顔を見るとリキの心は温かく揺れた。

「アヤラセ殿はいくつじゃ」
「おれ?おれは二十歳だよ。医者でもまだ駆け出しだな。」
アヤラセはそう言って笑った。屈託のない笑顔、兄ならせぬ顔だった。だがその顔を見て、リキの胸はずくっと痛んだ。
まるで、兄が自分だけに向けて笑ってくれたように思えた。
「兄上は当年十八だ。アヤラセ殿の方が年嵩だな」
「お、そうなんだ。じゃあ、まあおれのこと頼ってくれよ。拾ったのはおれだから、面倒みるし。」
そういってアヤラセはまたリキに笑いかけた。リキも思わずつられて微笑んだ。
「左様か。何から何まですまぬが、では世話になる。」
微笑んだリキの顔を見て、アヤラセはぐっと変な声をのみこんだ。

え、かわいい。かわいいんだけど。
あんなに大人みたいに話してたのに、笑うとすっげえかわいいなんて。

胸がずくずくと拍動するのがわかる。かあっと顔に熱が集まってきた。
え、待って。おれの伴侶帯壁の向こうにいたの?
「り、リキ‥。かわいいな‥。」
「じゃから吾は子どもではない。」
「いや、かわいいって」
「元服は二年も前にすんでおる!」
リキは子ども扱いするアヤラセに少し憤慨しながらゆっくりと粥を平らげた。

妙な味の粥を食べ終わり、リキはゆっくりとあたりを見回した。見たことのないような調度品ばかりだ。先ほど水を飲んだ杯もぎやまんで出来ているようだったし、南蛮の国に近いのかもしれない。かといって言葉は全てではないが何となく通じている。
部屋は決して雅やかではないがよく掃除が行き届き、片付けられていた。
そこまで考えた時、ぶるっと身体が震えた。気がつけばおのれは下帯一本で粥を食べていたようだ。左の腹に目をやれば特に布などが巻かれた様子もない。
「ああ、寒かったか」
アヤラセはリキの震えに気づいたようで、袷のようなものを肩にかけてくれた。
リキは軽く頭を下げてから考えた。矢じりの返しも大きな、随分太い矢であったように思うが、それを受けたような跡がない。まずもって痛みがないのだ。なぜか身体は重く、かなり気怠さはあるが痛みがないとは不思議なことである。
「アヤラセ殿、先ほど吾を治してくだされたと言われたが、吾は随分とここで寝ておったのだろうか?あれほどの深い矢傷を負うたにしては、全くもって痛みがない」
「いや、リキが倒れていたのを見つけたのは朝方だ。まだそんなに時間は経っていないな。…そうだなあ‥」
アヤラセは何かを考え込みながら、リキの手から皿を受け取り横になるよう促した。素直に横になったリキの肩口にまで布団をかぶせ、その上から袷もかけた。
「リキは、わからないことたくさんあるよな。…うーん、まあ少しずつ説明するよ」
「相わかった」
横になったリキはまっすぐアヤラセを見上げた。
「この国、というか世界に生きる人間にはみんな五つの力が備わってる。おれはマリキを持つマリキシャだ。マリキは、そうだなあ‥ヒトや動物みたいな生体に干渉できる力だ。だから医者をやってる。」
知らぬ言葉が出てきてリキには理解が難しかったが、とりあえずはアヤラセの話を聞こうと思い黙って聞いた。
「その力を使ってリキの身体を開いて中を見た。そして矢じりが身体を傷つけないように抜いて、傷口の肉をつないだ。だからまあ、見た目には傷はほとんどないだろうな。
だが、それは飽くまで肉をつないだだけだから、身体を治すにはリキが持っている本来の身体の力が要る。身体が重かったり怠かったりしてるだろ?いのちの力を使ってるからだ。
だからその重さが取れるのには時間がかかる。まあ…早くても十日くらいは無理をせず、養生した方がいい」
「…ふむ」
リキは正直アヤラセの語ることはよくわからなかったが、とにかく身体がよくなるのにあと十日余りがかかることだけを呑みこんだ。
「吾の知る医者と、やりようが違うようだ」
「そうだな、世界が違うと治療も違ってくるのかもしれないな」
アヤラセは少し笑ってからリキを見て、それから握りしめたままだった玉を指でつまみ目の前にかざした。玉の中ではきらめく金色の粒がゆらゆらと揺蕩っている。
「問題はこれなんだよ」

先ほどからアヤラセがしきりに気にしている数珠玉だ。確かに見た目が拝領した時とは違ったものに見える。だがそれがなぜ、こんなにアヤラセを悩ませているのかわからない。
「これはどう見てもハリ玉だ。ハリ玉はこの国だけではなく、世界中のどの国だって厳重に国に管理されるものだ」
「何ゆえか」
リキの問いに、アヤラセは眉を寄せた。
「さっき、五つの力があるって言ったな。でも、もう一つそこに含まれないものがいる。それはムリキシャだ。」
「無力者?」
リキの頭の中ではそのように浮かんだ。
「そうだ。どの力も持たないし、使えない。そして数は本当に少ない。
おれも今まで会ったことがないくらいだ。他のリキシャは自分の力と関係ない職に就くものもそんなに珍しくないが、ムリキシャはほぼ全員が子果清殿で働く」
続きを促すようなリキの視線を受けてアヤラセは言った。
「子果樹の世話ができるのがムリキシャだけだからな。」
「子果樹とは何だ?子果清殿、とは…」
今度はアヤラセが驚く番だった。
「え、子を授かりたい奴らが行くところだよ。リキの国には子果樹はないのか?」
「子を授かりたければ夫婦になって契りを交わせばよかろう」
「チギリヲカワス…?どういうことだ?」
きょとんとしたアヤラセの顔を見たリキは、主と兄の睦みあいを思い出しまたかあっと身体が熱くなるのを感じた。
「いや、その、夫婦めおと約束をしたものが、じゃな、ええ…。仲よう、その‥。」
閨事の話に恥じらうような年ごろではないが、兄と主のあの姿が頭に浮かんでいたリキの説明はどうもうまくない。その姿を見ながら、アヤラセはまた胸の拍動が早くなるのを感じていた。
(~~待ってかわいすぎる、性交か?性交の事言うのが恥ずかしいのか?)
リキのかわいらしさに悶えながらも、アヤラセは気づいた。
「えっ、まさか性交で子が授かるのか!?」
「そうじゃな、交われば必ずではないが子はできる。」
(……気持ち悪っ)
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