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第1章

12 カナちゃんのために僕ができることは

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 ピピピピッピピピピッ

 目覚まし時計が鳴る音だ。
 いつものように右手を伸ばして頭の上にある目覚まし時計を止めた。
 その瞬間、ボロアパートの部屋に静寂が訪れる。
 その静寂の中に息を吐くかのように言葉を溢す。

「……生きてた」

 僕は生きていた。
 おっぱいに押しつぶされて窒息死するなら本望だと覚悟を決めていた。
 でも生きていた。天国には逝ってなかった。
 いや、あの状況自体天国だった。

 おっぱいに押しつぶされている状況もそうだけど、カナちゃんがいる状況が天国だ。
 うん。間違いなく天国だ。

 カナちゃんのおっぱいを求めるかのように自分の顔をペタペタと触る。
 頬はぷにぷにしていて柔らかいが、カナちゃんのおっぱいほどではない。
 虚しさが募るだけなので触るのを止める。
 そして昨夜の記憶を辿り始める。

 友達。そう。友達だ。
 僕とカナちゃんは友達になったんだ。
 会話と呼べるほどのことはできなかったけど……でも、言葉を交わし合うことができた。

 今夜も会えるかな?
 いや、今夜も会うんだ。
 絶対にカナちゃんに会うんだ。

 カナちゃんのことが愛おしい。
 カナちゃんのことが恋しい。

 愛おしくて恋しくて、無意識にカナちゃんが潜り込んでくる僕の布団を優しく触っていた。
 いや、これは撫でていると言うべきか。
 とにかく動物を愛でるかのように優しく撫でているのだ。

 そして鼻の下も伸びてニヤニヤしているのも無意識、無自覚だった。
 気付いた頃にはスケベ顔になっていた。
 そうだった。僕はむっつりスケベだったんだ。

 こんなスケベ顔をカナちゃんに見られたら絶対に嫌われるぞ。
 カナちゃんに嫌われたくないから顔を元に戻す。
 カナちゃんは幽霊だ。なのでどこで僕のことを見てるか分からないからな。

 あっ、そうだ。カナちゃんのために布団を洗おう。
 清潔感があった方が絶対にいいよな。
 洗濯するとふかふかになるし、いい匂いだし、カナちゃんも喜んでくれそう!

 頭の中では分かっていても、体が金縛りにかかった時みたいに動かない。
 体と心が洗濯するのを拒絶している。

 洗ってしまったらカナちゃんとの思い出とか、温もりとかが消えちゃう気がする。
 温もりって言ってもカナちゃんはひんやりと冷たいんだけどね。
 幽霊の体温が低いって都市伝説はマジだったんだって今の僕なら証明できるな。
 って、誰も信じてくれなそうだけど。
 都市伝説とか書いてる人ってみんな僕みたいに実体験があったりするのかな?
 全部じゃないとは思うけど何個かは実体験とかを元に書いてそうだな。

 ってそんなことより、洗濯だ!
 洗濯はしたくない!
 思い出とかは絶対に消えないし、カナちゃんも現れなくなるとかはないと思うけど、でも気持ちがなんか……洗いたくないって訴えてる。

 だったら消臭スプレーとかでなんとかしよう。それしかない。
 消臭スプレーは無臭のじゃなくて良い匂いのを使おう。
 バイトの帰りにカナちゃんにあった匂いのやつ買おう。

 よしっ!
 カナちゃんのために今日も精神的ストレスと身体的疲労を頑張って溜めるぞ。

 あっ、そうだ。
 せっかく喋れるようになったんだし金縛りをかけに来てくれる理由みたいなのとかも聞きたいな。
 それに金縛りの幽霊のことも。
 いや、幽霊に亡くなった理由とか幽霊になった理由的なのを聞くのは失礼か。

 でもいつか聞きたい。
 もっと仲良くなってカナちゃんの口から言い出してくれる日まで、そんな日まで気長に待つか。

 そうなるためにもまずは、僕のコミュニケーション能力的なものを、会話術的なものをあげていかないと!
 カナちゃんは、すぐに寝ちゃうから会話で盛り上げないとだな。
 できるかどうか不安しかないけど……やるしかない!

 挙動不審になっても喋り続ければきっと大丈夫だ。
 カナちゃんならきっと、笑いながら聞いてくれる。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 バイトの時間になった。
 バイトの帰りに買おうとしていた消臭スプレーは、バイトに行く途中で買ってしまっていた。
 それだけカナちゃんに会うのが楽しみだってことだ。

 さて、バイトの状況はというと、昨日同様に今日も暇だ。
 迷惑な酔っ払いが来る気配は一切ない。
 でも、迷惑な酔っ払いが来なくても、身体的疲労だけで『金縛り』にかかることは昨日証明できた。
 それなら迷惑な酔っ払いは来ない方がいいのでは?
 その通り。
 迷惑な酔っ払いは来なくていいのだ!
 身体的疲労だけでカナちゃんに会えるんだったら、それだけでいいのだ!

「って……え? えぇえ!?」

 思わず声を出してしまった。
 だって店の扉に自転車が突っ込んできたから。
 この状況を目の当たりにしたら誰だって声を出しちゃうぞ。

「大きい音がしたけど、どうしたの!?」

 リナ先輩だ。
 衝撃音が聞こえて駆けつけてきてくれたんだ。

「じ、自転車が! というか人が店に突っ込んできました!」

 店の扉は床に倒れている。その上に人と自転車が倒れてる。
 扉に付いていたガラスはヒビが入っただけで、割れたりはしてない。結構丈夫なガラスだな。
 床はどうだろうか?
 扉を退かさないと分からないけど、多分大丈夫だろう。

「いててて……ひくっ……ぶつか、ひっ……ごめ、ひくっ……あぁ、いてて……ひっ……」

 あー、なるほど。酔っ払いか。
 相当酔ってるな。顔が真っ赤だし、立ち上がろうとしても全然立ち上がれてない。というかフラフラだ。めちゃくちゃ泥酔してるぞこれ。
 そんなフラフラな状態で自転車に乗ってたら、どこかにぶつかっちゃうわな。
 ぐるぐるバットで二十回くらい回転してから歩くようなもんだぞ。

「だ、大丈夫ですか? お怪我はないですか?」

 リナ先輩は優しい。酔っ払いのことを気にして真っ先に声をかけている。
 相手が酔っ払いだって分かった瞬間、僕は躊躇ってしまったのに。
 本当に優しいな。
 って感心してる場合じゃない。扉を、いや、まずは酔っ払いを。というかリナ先輩の手伝いをしないと。

「リ、リナ先輩ど、どうしたら?」

「そ、そうだね。どうしようか。それじゃまずはこの人をそっちに運ぼうか」

「は、はい!」

「そのあとは警察を呼ぼう。あっ、あたしが呼ぶから、この人を見ててね。それと他のお客さんが入らないように! 多分事情聴取とかでごちゃごちゃすると思うからさ~」

 すごい的確でわかりやすい指示だ。
 見た目は清楚系ギャルなのに本当にしっかりしてる。
 だから僕は心から返事ができる。

「はい! わかりました!」

 リナ先輩を尊敬してるから。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 自転車が突っ込んできて扉が取れてしまったので店は臨時休業となった。店長の判断だ。
 その店長は今、警察官の事情聴取に協力している。
 ちょっと離れたところで酔っ払いも事情聴取に協力している。というか半分寝てるなあれ。
 酔っ払いに事情聴取しても意味あるのかって思うけど、警察官の仕事だもんな。

 でもこうして酔っ払いの相手をしているのを客観的に見れるのはなんか新鮮だな。
 同情するっていうか、なんていうか……警察官さんお疲れ様です。

 まあ幸いなことに怪我人はいなかったからよかったよ。
 いや、酔っ払いのおでこにかすり傷があるけど、あれはさっき突っ込んだときに付けたやつか?
 それとも他にも転んだりしてて付いたやつか?
 どっちにしても軽傷だからよかったと思う。

 倒れてしまった扉は元に戻すことができなかったから、僕とリナ先輩で応急処置を施したんだけど、風除けのためにダンボールをガムテープで貼り付けただけの即席の扉になってしまった。
 でも出入りしやすいようにちょっと工夫してあるところは称賛してほしいな。

 店の扉は保険やらなんやらで対応できるらしい。
 だから明日にでも営業が再開できるかもしれない。

 そもそもお酒を飲んだら自転車でも乗るのは危険だろ。
 飲んだら乗るな。これはもう日本の常識だ。
 車だろうが自転車だろうが同じ。

 やっぱり酔っ払いって何をするか分からないな。
 本当に怖いしめんどくさい。
 記憶もなくすし、たちが悪い。
 ますます酔っ払いが嫌いになったよ。


「マジで派手にやってくれたよね」

 リナ先輩だ。

「あっ、はい。そうですね。ビックリして声出ちゃいましたよ」


「これは誰でもビックリするわ。うちのお客さんならわからなくもないけどさ、別のとこで飲んでたお客さんがうちに突っ込んで来るとか、マジで酔っ払いって迷惑だよね」

 リナ先輩の言う通りである。

「そういえばさ、トイレの扉に突っ込んで壊した酔っ払いもいたんだよ。ウサギくんがここに入る前!」

「そ、そうなんですか! 知らなかったです」

「あの時はもっと大変でさ~」

 この流れのままリナ先輩の酔っ払いに対する愚痴が始まった。
 僕が聞き上手なのか、日頃の酔っ払いに対する鬱憤が溜まっているのか、リナ先輩の愚痴は止まらない。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 酔っ払いがお店の扉を壊したせいで店は臨時休業となってしまい早めの帰宅。
 どこにも寄ることなく真っ先に住んでいるボロアパートへと向かってしまった。
 おかげで身体的疲労を溜めることができなかった。
 どちらかといえば精神的疲労は溜まったけど、普通に生活していく中で溜まるくらいの量だ。

 このままでは金縛りにかからないかもしれない。カナちゃんに会えないかもしれない。
 身体的疲労を溜めないと。今からでもできる疲労の溜め方ってなんだ?
 一番最初に思い付いたのが掃除、それも風呂の掃除だ。

 ボロアパートの古い風呂場の掃除。これは相当骨が折れる作業になりそうだ。
 実際、ここに引っ越してきた時と、二年に一回くらい本格的に風呂場の掃除をしたことがあるが、相当辛い。
 ブラシで擦ると壁や床は削れてゴミが増え続ける一方。シャワーは水圧が弱くて壁に届かないから一手間加えないと壁を洗えない。
 色々と辛いからこそのボロアパートなのだ。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇




 風呂場の掃除は、想像以上に身体的疲労を溜めることができた。
 疲労が溜まるようにわざと一生懸命やっていたというのもあるが、この疲労ならきっと六回目の金縛りにかかるかもしれない。

 でも一つだけ懸念があるとすれば、お風呂がきれいになったことによって、僕の気持ちの部分もスッキリしているということだ。
 精神的ストレスが全くない。
 風呂場の掃除がストレス解消になってしまったのだ。

 このまま部屋の掃除も始めてさらに身体的疲労を溜めたいけど、時間も時間だし掃除機をかけるのは近所に迷惑だよな。
 とりあえずコロコロクリーナーでコロコロしまくるかな。
 あれゴミとか髪の毛がいっぱい取れて、意外と楽しんだよな。永遠と続けられるかもしれない。
 まあ、カナちゃんに会いたいから永遠とコロコロするのはパスだけど。

 さて、部屋の掃除も始めますか。
 部屋を綺麗にしてカナちゃんにも過ごしやすい環境を作るぞ!

 睡魔に襲われるまで掃除を続けたのだった。
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