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第5章:大戦争『抗う弱者編』

293 絶体絶命のはずだが

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「どっちから死ぬんだァ?」

 そんなミオレの質問に当然のことながらビエルネスが先に口を開く。
 初めから自分の命を犠牲にしてマサキを助けようとしていたのだ。マサキよりも先に口を開くのも当然。その覚悟はすでにできているのだ。

「私が――」

 私が先に死ぬと、言おうとしたビエルネスの言葉をマサキが叫び声が遮った。

「――誰か! 誰か助けてー! 助けてくださいー! うぉおおーい!!」

 それはミオレの質問に対する答えではなく、誰かに助けを求める言葉だった。
 そんなマサキの助けを求める言葉を聞きつけて助けに来る者など誰もいなかった。ただただマサキの声が虚空に響くだけ。洞窟の岩壁に跳ね返り己の鼓膜に届くだけだった。

「うるせェなァ。おいィ!」

 そんな怒号と共に爪の斬撃がマサキに向かって飛んでいく。ミオレは回答を待たずにマサキを先に殺すことに決めたのだ。
 むしろ助けを求めて叫んだマサキの態度が回答なのであろうと判断したのである。

「――マスター!」

 ビエルネスの風の盾はミオレの爪の斬撃を防げなかった。間に合わなかったのだ。
 ビエルネス自身もマサキの行動に驚いており、そのせいで反応が遅れてしまったのである。
 コンマ数秒が命取りになるのが戦場だ。一瞬の気の緩みが死に直結してしまうのだ。

「――ぬぐぅぁ!」

 マサキは踏ん張り声を上げながら間一髪のところで爪の斬撃をかわす。
 かわした勢いでビエルネスが顔面に激突してしまうが、お構いなしにそのまま爪の斬撃をかわした方向へ全速力で走る。兎人族の洞窟ロティスールの岩壁を沿って全速力で走り続ける。
 そんなマサキをミオレは追いかける。

「ま、前! 前見えん!」

「ハァハァ……マスターの息が私の体に……ハァハァ……マスターったら。状況わかってるんですか? ハァハァ……」

 ビエルネスはマサキの顔面に張り付きながら興奮し始めてしまう。息を荒げて体を擦り付けている。

「状況わかってないのはお前だろー! 早く退いてくれ! 前が見えないんだよー!」

「は、はい…………」

 ビエルネスはしょんぼりした様子でマサキの顔面から離れた。
 そしてそのままマサキの頭の上へと乗り逃げるマサキを援護しようと考えるが、マサキがそれを止める。

「頭の上はダメだ。飛ぶのも今は禁止。ルナちゃんの背中に乗ってくれ」

「な、何でですか?」

「違和感の正体に気付いたんだよ。多分だけどな。それが当たってるのかどうか今から試してみたい」

「わ、わかりました」

 マサキの指示に従うビエルネスは、マサキの腕の中で眠っているルナの背中の上へと降りていく。
 そしてルナの背中の上にビエルネスが乗ったであろうタイミングでマサキは更なる指示を出す。

「もしあいつが俺の正面に来たときは援護頼む!」

「もちろんですよ。もちろんなんですけど、くれぐれも無茶だけはしないでくださいよ。相手は聖騎士団の団長なんですから。何かあったらすぐに飛んで反撃しますからね。マスターの命令を無視してもマスターの命を守りますからね!」

「めちゃくちゃ頼もしいな」

「だって私はマスターのなんですから」

「ははっ。そうだな」

 マサキはこの状況で笑いながらビエルネスに返事をした。それほどビエルネスが頼もしく、ウェネトが言っていた心の相棒にふさわしいと思ったからだ。
 そしてマサキは、走りながら爪の斬撃をかわす。驚くことに爪の斬撃を全てかわしている。
 身体能力は平均以下のマサキだが、危機察知能力は他の能力よりも長けており、人の気配に敏感だ。そのおかげで爪の斬撃にいち早く気付き全て躱すことに成功しているのだ。
 これこそがマサキがミオレに対抗できる最大の足掻きだ。

 そんなマサキはギリギリの命を保ちながら、先ほどから感じていた違和感について思考を始めた。

(さっきから感じてた違和感の正体。恐らくだが、ミオレあいつの爪の攻撃が気持ち悪いほど正確すぎるってこと。まあ、聖騎士団の団長ってくらいだもんな。正確に狙って攻撃するのは当然のことなんだろうけど……でも、今まで俺を狙ってた攻撃は、全部腹とか胸あたりを狙ってた。だからかわしやすかったんだ。あんなに正確なら首とか足とか狙っちゃえばいいのに。そしたら即死だし逃げられないし……って我ながら何残酷なこと考えてるんだ。一気に寒気がしてきた)

「まずはクソ人間からだァ! 殺してやるよォ!」

 思考中のマサキにミオレは容赦無く爪の斬撃を放ち続ける。
 驚くことにマサキが思考した通り、ミオレの爪の斬撃は必ずと言っていいほどマサキの胸部と腹部のちょうど間辺りを通っていく。
 そこでマサキは確信する。違和感の正体がこれなのだと。
 しかし、違和感の正体が判明しただけで、なぜ胸部と腹部のちょうど間辺りを狙っているかは不明だ。新たな疑問がマサキを再び悩ませる。

(それに俺なんかよりも絶対足速いだろ。どっからどう見てもチーターの獣人だし。殴れば、いや、引っ掻けば、俺なんて一瞬で御陀仏おだぶつだぞ。さっきだってそうだ。あんなに近かったのに何でわざわざ爪の攻撃を? それも毎回同じ場所ばかりを狙って……)

 ミオレは猫の獣人。猫人族びょうじんぞくだ。それでもマサキからしたらミオレがチーターやトラに見えてしまう。猫でもチーターでもトラでも、マサキよりも足が速いのは確かだ。
 そして、先ほど兎人族の洞窟ロティスールの岩壁によって、逃げ道が塞がり追い詰められた時のことも疑問に思っている。殴りかかれる距離、引っ掻くことができる距離にもかかわらず、ミオレは攻撃方法を変えずに遠距離の爪の斬撃を選択したのだ。

(何でだ。何で普通に引っ掻いてこないんだ。何で当たらない攻撃ばかりやってるんだ。わからねー。わからねーけど、俺の感じてる違和感はこれで間違いない。あとはその理由だけ……遠距離攻撃ばかりする理由だけわかれば……あいつが隠してるさえ暴けば……勝てるかもしれない!)

 マサキに希望の光が見えた瞬間だ。しかし、その希望の光を絶望で握り潰すのがミオレだ。
 マサキの背後を追いかけ続けていたミオレは、とうとうマサキの正面へと移動した。刹那の一瞬での移動。まさに瞬間移動だ。

 常人のマサキには瞬間移動で正面に現れたミオレに反応することができない。
 急ブレーキをかけるか、横に逸れるか、マサキの脳は、そんな判断にまでたどり着いていないのだ。
 そして『やばい』という言葉が脳内で衝撃とともに流れた瞬間には、ミオレの爪の斬撃がマサキの黒瞳にハッキリと映っていた。
 直後マサキの脳内だけで『死ぬ!』と自分の声が響き渡り、音が跳ね返っていた。この『やばい。死ぬ!』と感じた数秒は、走馬灯のように時間がゆっくりと感じる瞬間だった。

「チッ! クソ虫がァ!」

 ミオレの爪の斬撃は、マサキの腕の中にいる子ウサギサイズの妖精族――ビエルネスが風の盾で防いだのである。
 『正面に来たときは援護を頼む』その言葉通りビエルネスは行動したのである。
 そしてミオレの爪の斬撃の衝撃は、判断が遅れているマサキに風の衝撃となって襲い掛かる。
 マサキはその風圧に耐えられずに後退りしながら尻餅をついてしまう。

「や、やばい」

 先ほど脳内で衝撃とともに流れた『やばい』という言葉が自然と溢れ落ちた。
 そんなマサキは咄嗟に体を丸めた。自分の命よりも腕の中にいるルナとビエルネスを庇うために、守るために体を丸めたのだ。

(やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。ミスった。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。もうだめだ。死ぬ。くそくそくそくそくそくそ。勝てるわけなかったんだ。無理だったんだ……ごめん。ネージュ。約束守れなかった)
「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガ……」

 体を丸めるマサキは、すぐそこにまで迫ってきている『死』に対して、呪いにかかっていた時と同じように小刻みに震え始めてしまう。そして情けない声が口から溢れる。溢れる。溢れ落ちていく。

 しかし、すぐそこまで、目の前にまで迫ってきているはずの死というものはなかなか訪れない。
 また走馬灯が時間をゆっくりと感じさせているのか。否。

「立てやァ。殺してやるよォ。クソ人間族」

 ミオレはすぐにマサキを殺そうとしなかったのだ。それどころか丸まっているマサキを立たせようとしている。
 すぐに殺せばいいのに。あんなに爪の斬撃を放っていたというのに。言葉には嘘偽りなく『殺す』という念が込められているというのに。

(何でだ?)

 マサキの脳内で疑問の言葉がこだまする。

(何でだ?)

 何で立たせる必要があるのか?

(何でだ?)

 何で今すぐに殺さないのか?

(何でだ?)

 何で何もしてこないんだ?

「マスター、離してください! マスターが死んじゃいます! マスター! マスター! ルナ様も退いてくださーい! マスターが! マスターがー!」

 丸まっているマサキの腕の中から抜け出せずにいるビエルネスは、血相を変えながら叫んでいた。
 恐怖で硬直してしまっているマサキの体は、子ウサギサイズの妖精族では一ミリも動かせない。
 さらに小刻みに震えてしまっているせいで、抜け出そうとする力がうまく入らずにいる。

「マスター! マスター!」

「早く立てやァ!!!!」

 そんなビエルネスの必死の叫びとミオレの怒号は今のマサキの鼓膜には届かない。

(何でだ?)

 小刻みに体が震えているマサキには冷静さが欠けている。だから思考は『何でだ?』を繰り返す。

「立てやァ!!!!」

 憤怒するミオレは怒号を飛ばす。そして、ついに動き出した。
 小刻みに震えながら丸くなり縮こまるマサキに地面の砂をかけ始めた。否、明らかにおかしい動作でマサキに砂を、土をかけている。

「クソがァ! 早く立てェ! 殺すぞォ!」

 ミオレの砂をかけようとする蹴りはマサキに向かってではなく、マサキの横の何もない空間に向かっての蹴りだった。
 そこで宙に舞った砂や土がマサキにかかっている。そのような状況だ。
 しかし、マサキはミオレのそんな不自然極まりない行動を黒瞳に映すことはできていない。もし黒瞳に映すことができれば勝利へのヒントを得ていただろう。

 マサキはただただ砂を、土を、小石を浴び続ける。

(くそ……何でだ? 何で何だ? 何で何だよ……わからない。わからないよ。嫌だ。死にたくない。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……)

 マサキの心が恐怖に支配され、思考が完全に停止した。
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