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第4章:恋愛『授業参観編』

201 授業参観へ行くための特訓

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 夕焼け色の空の下、マサキとダールはデールとドールの授業参観へ行くための特訓が行われていた。
 マサキたちがいるのは、敷地を出てすぐの道。ここなら何かあってもすぐに敷地内へと入れば問題が生じないからだ。

「お兄ちゃん頑張ってー!」
「お姉ちゃん頑張ってー!」
「頑張るんだぞー! わわわわわ、距離が近い……わわわわ」

 デール、ドール、クレールの三人はマサキとダールを応援するちびっこ応援団だ。クレールだけ応援しながらそわそわとしていた。

「俺が震え出したら敷地内に投げ飛ばしてくれよ。これマジだかんな」

「わかってるッスよ。って投げ飛ばさないッスよ! 抱き抱えながら走って敷地内に戻すッスよ」

「だ、大丈夫かなぁ……」

 不安しかないマサキ。
 なぜなら外出中にマサキとネージュは二メートル以上離れることができないからだ。もし離れてしまった場合、『死ぬほどの苦しみ』を味わうこととなる。
 それを避けたいマサキの心はすでに恐怖という鎖に縛り付けられていた。

「マ、マ、マ、マサキさ、さ、さん、ん、がん、ばっ……く…………さ、い……」

 震えた声で応援するネージュもまた、マサキ同様に心を恐怖という鎖に縛り付けられていた。
 あの『死ぬほどの苦しみ』を知っているからこその反応だ。

(俺がこんな感じってことはネージュも同じだよな…………怖いよ……嫌だよ……というか、あれだ。授業参観は三人で行けばいいんじゃね? それなら苦しくなることもないだろうし、デールとドールの願いも叶う。クレールを置いていくのも可哀想だから透明になって付いてきてもらおう。それがいい!)

 思考の中、新たな策が浮かぶマサキだった。
 しかし、それはなんの解決にもなっていない事にすぐ気が付く。

(…………授業参観で母親が二人って、デールとドールはともかく、他の子供たち、親たちはどう思う? ダメだ。みんなで行ってもなんの解決にもならない。親が個性的すぎていじめに遭うってケースも結構聞いたことあるからな。そうなられたら困る。ここは大人しく、ダールと二人で行ける方法を試行錯誤するしかない……)

 少しだけ勇気が湧いてきたマサキだったが、

(そ、それでも、怖いもんは怖ぇえええ)

 ネージュの怯える顔を見てしまい湧いたはずの勇気が蒸発して消えてしまった。

「……ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」
「……ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」

 むしろ二人の恐怖心は増幅していく一方だ。

「に、兄さん! 大丈夫ッスか?」

「だ、だ、だ、だいじょぶ……ガガガッガガガガッガガガガッガ……」

 全く大丈夫ではない。

「やめときますッスか? やっぱりデールとドールに他の方法を……」

 提案してもらおうと、言おうとしたダールの言葉をマサキとネージュが同時に遮った。

「ダメだ」
「ダメですよ」

 それははっきりと拒否する言葉。
 デールとドールの気持ちに応えてあげたいがための言葉だ。

「ダダ、ダ、ダール……絶対に助けろよ」

「も、もちろんッス」

「ネネ、ネ、ネージュ……もうやるしかない……か、覚悟を、決めよう」

「ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ……」

 小刻みに震えながらもネージュは激しく頷いた。
 そんなネージュの姿を目に焼き付けて、マサキは正面を向いた。
 そして、左横にいるダールに向かって口を開く。

「ガガガッガ……い、いくぞ……ガガガッガガガガッガ……」

「はいッス!」

 その瞬間、マサキとダールは手を繋いだ。マサキは左手、ダールは右手だ。

「ンッンッ!」

 そして、マサキの頭の上にいるルナの掛け声と共に、マサキとダールは一歩ずつゆっくりと確実に前に進み始めた。

 一歩、二歩、三歩。

 その歩幅は、半歩とも呼べるほど短い。しかし前進し続ける。
 そしてついに、超えなければならない壁に到達する。それはネージュとマサキが外出中に離れられる最大の距離。二メートルの距離だ。

(つ、次の一歩でおそらく二メートルを超える。また、あの苦しみがくるって思うと……)

 足がすくんで動けなくなってしまう。
 しかし、そんなことを知る由もないダールは前進する。マサキを引っ張るような形での前進だ。
 恐怖で抵抗する力がないマサキはダールに引っ張られるまま一歩踏み出した。

「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ…………ん?」

 一歩、二歩、三歩と、止まることない脚。その逆に小刻みに震えていた体が止まり正常に戻っていく。

「……よ、よっしっ、こ、これで授業参観に行けるぞ!」

「兄さん! やりましたッスね!」

「ああ! ……そ、そうだ、ネージュ、ネージュは大丈夫か!?」

 振り向くマサキは嫌な想像をしてしまう。
 ダールと手を繋いでいるおかげで自分だけが『死ぬほどの苦しみ』を乗り越えたのではないか。その場合、ネージュは『死ぬほどの苦しみ』を今もなお味わっているのではないかと。
 戦慄が走る中、振り向いたマサキの黒瞳には白銀色で雪の結晶のように美しい兎人族とじんぞくの姿が映った。
 彼女との距離はあまりにも近い。二メートル以上離れたであろうという計算は間違っていたのか。
 否、違う。歩き出したスタート地点からすでに三メートルほど離れているのだ。
 ならなぜ、ネージュは近くにいるのだろうか。その答えは単純明白。マサキとダールが歩く後ろをネージュが付いてきていたからだ。

「マ、マ、マ、マサキさん……ガタガタガタガタガタガタ……」

 遠ざかるマサキを見て居ても立っても居られなくなり歩き出してしまったのである。
 目の前で『死ぬほどの苦しみ』のカウントダウンが始まってしまえば、それに抗うのが自然だ。

「マサキさんっ!」

 そのままネージュは、マサキの右手を掴んだ。その瞬間、マサキは無意識にダールと繋いでいる左手を離した。そして、マサキとネージュはその場に座り込み泣き叫び始めた。

「うわぁああぁん。やっぱりそうだよな、無理だよな。怖いよな。うわぁああぁん」
「うぅうぅ、ぐすんっ。む、無理です。無理です。無理です。怖すぎます。怖すぎます。ぅうう、ぁぅ、あぅ……」

 泣き叫ぶマサキの頭の上では、ルナが振動を感じ「ンッンッ」と、声を漏らす。
 このような事態になり、ダールは呆れることなく心配の眼差しを向けた。

「……やっぱりアタシじゃ無理ッスよね」

 色んな意味が詰まった重く暗い言葉を口の中で呟く。泣き叫んでいる二人には聞こえないほど小さな声で。

「……デールとドールに相談してくるッス。母親役は、やっぱりネージュの姉さんがいいって……」

 ダールは敷地内から見守っているデールとドールそしてクレールの方へと歩き出そうとする。
 しかし、彼女の足はすぐに止まった。否、止められたのだ。

「……兄さん?」

「ダメだ。ダール」

 ダールを止めたのは顔面涙と鼻水まみれのマサキだ。ダールの右手を掴んで止めたのだ。

「もう一回だ。もう一回……今度はネージュの方を見ながらやる」

「……もういいッスよ。無理ッスよ。二人に辛い思いをさせたくないッス……」

 ダールはマサキの手を振り解いた。
 しかし、その手をマサキは再び掴む。そして、振り解かせづらくするために指と指を絡め合わせた。

「デールとドールは俺とお前に親役をやってもらいたいんだろ。だったらちゃんと応えてあげるのが親ってもんだ。まあ俺たちは親役なんだけどな」

「で、でも……」

「大丈夫。あの手この手と全部ダメでもビエルネスがいる。二日酔いで寝込んでるけど、もし二日酔いしなかったら帰ってたかもしれない。これは何かの縁だ。絶対に大丈夫。やってみよう」

 マサキの黒瞳は真っ直ぐダールの黄色の瞳を見ていた。
 その黒瞳にダールの心は吸い込まれていく。まるで全てを呑み込むブラックホールのように。

「……兄さん」

「まだ暗くなってない。出来ることは全てやろうぜ」

 マサキの横を見れば、ネージュも真っ直ぐな眼差しでダールを見つめ頷いている。
 二人は……二人だと心強く頼り甲斐のある兄さんと姉さんなのである。

「……そういうセリフは抱き合わずに言ってもらいたいッスね」

「あはは……だ、だよな」

「その手を離して、少しでも姉さんから離れたら、また濡れた子ウサギみたいに震えるんッスからね」

「し、仕方ないだろ。ネージュと手を繋げば勇気が湧いてくるっていうか、負の感情が収まるというか……」

「わかってるッスよ……わかってるッス……」
(アタシにはネージュの姉さんのようにできないことぐらい……ネージュの姉さんに敵わないことくらいわかってるッスよ……だから姉さんが告白する前に告白したんじゃないッスか。それでも……それでもやっぱりアタシは……)

 ダールの瞳が一瞬だけ光ったようにマサキは見えた。その光は涙の反射だ。涙を堪えて瞳が潤んでしまったのである。
 その証拠にダールはマサキとネージュから目を逸らして、明後日の方向を向いた。

 そんなダールをカバーするかのようにマサキは立ち上がり、ネージュとの手を離してダールの横に並んだ。

「もう一回挑戦してみるようぜ、ダール。俺とお前ならきっと出来る気がする。いや、出来る。だからやってみせようぜ」

 その声、その言葉、その瞳、その仕草、その横顔、その力強く握る手、その手から感じる温もり。全てがダールの心を優しく包む。
 ダールはセトヤ・マサキという人物を心から尊敬し愛しているのだ。
 だからマサキが立ち上がる限り、ダールも立ち上がる。そうでなければ、この気持ちが嘘になってしまうから。

「は、はいッス。兄さんがそこまで言うならやってみるッス」

「おう! ネージュもよろしく頼むぞ」

「はい。もちろんです。デールとドールのためにも頑張ります」

 大きなマフマフの前で小さくガッツポーズを取るネージュ。

 マサキとネージュは再び『死ぬほどの苦しみ』に挑むのであった。
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