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第3章:成長『兎人ちゃんが風邪引いた編』

175 鬣熊たてがみベアー

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 ルナのウサギ臭で自律神経が整いリラックスすることができたマサキだったが、リラックスしすぎて眠ってしまうという大失態を犯した。
 檻の中という最悪な状況というのに眠ってしまうほどルナのウサギ臭はすごいのだ。ただただすごいとしか言えないのである。

 そんな眠りの中のマサキだが、騒がしい音が耳に入り意識が覚醒する。

「……んっ……うぅん?」

 意識の覚醒の中、眠りにつく前の記憶が光速でマサキの脳内で再生される。
 自分が檻の中にいるということを目覚めとともに思い出したマサキは飛び起きた。

「そ、そうだ! 檻のなくぁがぁ」

 飛び起きたせいで頭を鉄格子にぶつけるマサキ。最悪の目覚めだ。そもそも警戒心を解いて眠っていた時点で最悪なのだが、過ぎたことは仕方がないこと。

「いてて……」

 マサキは頭にできたコブを優しく撫でながらじわじわと感じる痛みを少しでも和らげようとしていた。
 その際、意識の覚醒の時に感じた騒がしい音の正体を視覚と聴覚で探り始める。
 騒がしい音の正体を探り始めてわずか五秒、その正体を視覚と聴覚と意識していなかった嗅覚が脳に情報を送った。

「……え? さっきの魔獣じゃん……なんで?」

 衝撃的な光景がマサキの目の前に広がる。
 先ほど傭兵団の団長スクイラルが討伐した体が大きく牙の鋭い魔獣が数匹、咆哮し暴れているのだ。
 その爪と牙は当たるもの全てを切り裂く死の刃と化している。その死の刃に傭兵団の団長のスクイラルと団員のリリィの二人が懸命に立ち向かっているのだ。

「ライオンとゴリラ……いや、ライオンとクマか? ってそんなことはどうでもいい……やばいやばすぎる……」

 魔獣の見た目は頭がライオン胴体がクマ。マサキが知る日本でも凶暴な動物が合体した姿だった。
 その姿で襲いかかってきているのだ。恐怖でしかない。恐怖は恐怖でも死の恐怖だ。

「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」

 ルナのウサギ臭のおかげで落ち着きを取り戻した心も、この恐怖を感じてしまえば再び小刻みに震え怯えてしまうのも無理はない。むしろ怯えない方が常人ではない。

「あっ、起きたぁ。そうだよねぇ。こんなにうるさかったら起きるよねぇ」

 小刻みに震えるマサキに向かって声をかけたのは、今もなお戦闘中の『小さな傭兵団』のリリィだ。
 鎌のような小さな刃物を両手に持ち、華麗に舞いながら戦っている。

「ガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガガガガッガ……」

 小刻みに震えるマサキは、震えるその手で魔獣を指差す。
 その仕草からマサキの言いたいこと、聞きたいことに気が付いたリリィは口を開く。

「あの魔獣はねぇ、鬣熊たてがみベアーっていう魔獣なんだよぉ。鹿人族の国ナラーンに突如現れたって情報が入ったからさぁ、私たち『小さな傭兵団』がパトロールしてたのぉ」

 会話をしながら器用に戦うリリィ。討伐につながるほどの攻撃はできていないものの優勢だ。

「人間族さん安心してぇ。この檻は鼠人族すじんぞくの技術の結晶ぅ」

(スジンゾク? スってなんだ? リスのスか? 小さいし……それにふさふさの獣耳、いや、リス耳。スジンゾクはリスの血筋の獣人ってことか)

「滅多に壊れることがない自慢の檻なんだからぁ。タイジュグループにも負けない自信があるよぉ。だからこの檻の中にいれば安全だよぉ!」

 檻の中が安全というのはマサキの知識の中にもある。
 内側からでも外側からでも檻を壊すことができてしまえば、それはもはや魔獣や囚人を捕らえる檻の役目を果たしていないからだ。だから檻の中が安全なのはマサキも知っている。
 しかし、自由に行動できない恐怖心がマサキの心を蝕む。

(というか俺が寝てる間に何があったんだよ……檻の中が安全って分かってても怖いものは怖いんだよ……早く討伐してくれ!)

 檻の中に入れられて目が覚めたら魔獣に襲われている。とことんついてないマサキ。運が悪いとしか言えない。
 そんなマサキは無表情で恐怖心を全く感じていなそうな、目の前にいるイングリッシュロップイヤーのルナを抱き抱える。
 先ほどのウサギ臭を嗅いだ時のように自分の心を落ち着かせるためではない。ルナを守るために抱き抱えたのだ。
 恐怖に怯えるマサキでも守りたいものは守る。絶対に見捨てたりなどしない。そういう人間ほど、自分よりも大切なものを優先するのだ。

「ガガガッガ……ルナちゃん……大丈夫だからな……怖くないからな……ガガガッガ……」

「ンッンッ!」

「この檻はすっごい安全だから……ガガガッガ……絶対に大丈夫だ……から?」

 マサキ正面、否、頭上で疑いたくなる光景が目の前に広がった。
 鉄格子の檻の天井部分が一匹の鬣熊たてがみベアーによってこじ開けられたのだ。
 この檻の強度は全くもって大丈夫なものではなかったのだ。

「グゥゥォオオウ」

 鋭い眼光でマサキとルナを睨みつける鬣熊たてがみベアー。牙を光らせヨダレを垂らしている。その姿はまさに獲物を見つけた猛獣。否、魔獣だ。

「全然安全じゃねー!」

 叫ぶマサキ。叫んだことにより一時的に体の震えが止まり全身からアドレナリンが分泌する。
 そんなマサキの叫び声を聞いた鬣熊たてがみベアーは、マサキとルナが入っている檻を横殴りして吹き飛ばす。
 サイコロのように転がる檻。回転数が少なかったおかげで檻の中にいるマサキへのダメージは少なかった。
 しかし痛いものは痛い。ルナを庇っているので受け身などはもちろん取れない。マサキ自信が受けるダメージは百パーセントだ。

「ビエルネスの風属性の魔法で慣れてる俺は……これっぽっちじゃへこたれないぞ……で、でもいてぇ」

 転がった時に受けたダメージが遅れてやってきて、めげそうになるマサキ。
 そんなマサキに向かって、マサキの腕の中で守られているルナが声を漏らす。

「ンッンッ!」

 普段よりも大きな声。何かを伝えようとしているのは飼い主であるマサキでなくてもわかるほど。
 マサキはすぐにルナを見る。ルナの漆黒の瞳は正面の一点を見つめていた。その視線をなぞるようにマサキの黒瞳が動く。
 その瞬間、ルナの伝えたいことが脳に電気が流れたかのような感覚でマサキに伝わった。

「開いてる」

 鉄格子の檻が開いているのだ。正確には天井だった部分が転がった勢いで横になっただけ。
 それでもマサキの黒瞳には大きく開いた扉のように見えた。

「脱出だー!」
「ンッンッ!」

 脱出しか選択肢はない。そうしなければ、鬣熊たてがみベアーに再びボール遊びのように鉄格子の檻を吹き飛ばされかねない。むしろ強靭な腕力で鉄格子の檻ごと潰されてしまうかもしれないのだ。

 地面を這いつくばるマサキは無事に鉄格子の檻から脱出。そのまま逃げ道を探しながら走る。ひたすら走る。生きるために。
 そんなマサキの横にひとつの小さな影が近付いてくる。

「あっはっはっはぁ。ごめんねぇ。簡単に壊れちゃったぁ」

「壊れちゃったじゃねーよ。なんだあの耐久の無さは! 魔獣の腕力だけで簡単に開いちゃったじゃねーか! 死ぬところだったんだぞー!」

「わぁ、今度はたくさん喋るぅ……お、怒らないでよぉ。結果的に生きてたんだしぃ。いいじゃん!」

「よくなーい! 団長さんが苛立つ理由がなんとなくわかった気がする……」

 片目を瞑り舌を出しながらとぼけた表情をするリリィの顔を見てマサキはため息を吐いた。大きな大きなため息だ。

「それよりもぉ、怯えて動けないのかなぁって思ってたけどぉ、全然走れるじゃん。驚いたよぉ」

「薬がやっと効いてきたのか、命の危機に直面して動けるようになったのか……どっちにしろピンチなのには変わらない。俺が動けてる間になんとかしてくれよ。さっきも同じ魔獣を倒したんだろ?」

 走りながら会話を続けるマサキとリリィ。運動不足のマサキはどんどんと体力を消耗し呼吸が苦しくなっていく。しかし足を止めることはない。足を止めた時点で命が尽きてしまうからだ。
 そんなマサキと比べるとまだまだ余裕のリリィ。一切辛い表情を見せずに笑顔で走っている。

「さっきのは一匹だったしぃ、不意打ちぃ? だったからねぇ。瞬殺できたみたいだけどぉ、今はひぃふぅみぃ……七匹同時に相手してるから無理ぃ」

「は、七匹同時って……」

 マサキはこの時、初めて『小さな傭兵団』の団長スクイラルの方を見た。否、正確には魔獣鬣熊たてがみベアーが集まっている所を見たのだ。

「た、確かに……七匹いる……団長さんは小さくてどこにいるか見えないけど……」

「あそこで群がってるってことは団長はまだ戦ってるってことぉ。苦戦してるけどねぇ。だって七匹だもん」

「そ、それじゃ、助けに行かないと……」

「無理ぃ。私は一匹相手するので精一杯ぃ。それに人間族さんとウサギさんを守らなきゃいけないんだもん」

「一匹相手するので精一杯って……俺たちのこと追いかけてきてるの二匹なんだけどぉ!」

 マサキとリリィを追いかけてきている鬣熊《たてがみベアー》は二匹。もともとリリィが相手していた鬣熊《たてがみベアー》とマサキとルナが入っていた鉄格子の檻で遊ぼうとしていた鬣熊《たてがみベアー》の二匹だ。

「うん! 団長もピンチだけどぉ、私たちもピンチねぇ」

 リリィは再び片目を瞑り舌を出した。そのピンチの時には絶対に見せない余裕の表情にマサキの苛立ちは増幅する。

(くそ……どうしたら……このまま逃げたいけど、絶対に追いかけてくる。それなら傭兵団と一緒にいた方が安全だよな。いや、この状況で安全もクソもないけど…………どうする……何か、何か手はないのか……)

「ん? どうしたのぉ? 今度は黙っちゃってぇ」

「…………一匹なら……」

「ん~?」

「一匹なら倒せるんだよね?」

 覚悟を決めたかのような男の表情をするマサキ。その表情にリリィも真剣な声で答える。

「できるよ。さっきは仕留め損なったけど。一匹なら倒せるぅ」

「よし。わかった。信じるからな。だから俺をこれ以上人間不信にさせないでくれよ!」

「えぇ? 人間不信? どういうことぉ」

「こういうこと!」

 真っ直ぐに走っていたマサキは横に逸れた。それは一人でこの場から逃げるためではない。囮になり鬣熊たてがみベアー一匹を引きつけようとしているのだ。
 このまま走り続けても体力を消耗するだけ。魔獣と人間とではスタミナの量が絶望的に差がある。いずれマサキのスタミナが切れて鬣熊たてがみベアーの強靭な腕力から繰り出される鋭い爪でひと刺しだ。
 そうならないように打開策を考えた結果、囮になり一匹を引きつけるという大胆な行動を思いついてしまったのである。むしろそれしか思い付かなくて、新たな打開策を思考しているうちにスタミナが切れてしまう方が怖かったのだ。
 体力がある今だからこそ、マサキは行動に移したのである。

「生きて帰るために囮になる! だからそのうちに一匹仕留めてくれー! さぁ、かかってこいライオングマ! 逃げ切ってみせるぞ!」

 魔獣に向かって大口を叩くマサキ。
 もちろん鬣熊たてがみベアーはマサキの計画通りマサキを追いかける。作戦は成功だ。
 これでどうにかなると思った瞬間、マサキは少しだけ振り向いた。鬣熊たてがみベアーとの距離を確認したかったのだ。
 その瞬間、マサキの黒瞳に最悪な光景が映った。

「二匹ともこっち来てんじゃーん! 最悪最悪最悪だー! どうして思い通りにいかないんだよー! 助けてー! 死んじゃうよー! 死にたくなぁあああい!」

 鬣熊たてがみベアーを一匹だけ引き付ける計画のつもりが、二匹ともマサキを追いかけている。
 相手は魔獣だ。計画通りにいかなくて当然なのである。
 マサキ己の打開策で絶体絶命となる。
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