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第3章:成長『兎人族の神様編』

163 キスで目を覚ます?

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 一面白銀世界のようなネージュの綺麗な寝顔に、思わず足が止まってしまったマサキ。
 双子の姉妹デールとドールから声がかかるまでその場から動けずにいた。

「お兄ちゃん!」
「ネージュのお姉ちゃんがずっと起きないの!」

「あ、う、うん! 助けにきた。俺なら何かできるかもしれない!」

 マサキはその場から一歩進んだ。しかし双子の姉妹デールとドールの次の言葉に動き出したはずの足はすぐに止まる。

「お兄ちゃんがしたら起きると思うから早く!」
「早く!」

「うん。わかった………………って今なんて?」

 マサキは聞き返す。この状況でふざけた言葉で返すような双子の姉妹ではない。マサキたちのメンバーの中では最も社会に適した人物だ。
 その人物がネージュの起きる方法、解決策を告げたのである。聞き間違いなど許されない。ましては違った行動も許されない。マサキは解決策を改めてもう一度聞き、行動しなければならないのだ。

「だから――」
「だから――」

 と、デールとドールが声を揃える。そしてその言葉は解決策を言うための助走となった。

「ちゅー!」
「ちゅー!」

 ハッキリと双子の姉妹の口から発せられた三文字の言葉。その言葉は聞き返す前のものと同じもの。聞き間違いではなかったのだ。
 ましては双子の姉妹がふざけて言っているわけでもない。そしてドッキリの類でもないことは、外の雰囲気やこの場の空気からわかる。これがドッキリならたいしたものだとマサキは拍手をし、ドッキリを考えた作家を称賛するだろう。
 しかし、それどころではなかった。マサキの黒瞳はネージュの薄桃色の柔らかそうな唇だけを凝視していた。

「……ちゅ、ちゅーって、キ、キスだよな……」

 マサキが抵抗するのも無理はない。マサキはこの世界に来てから一度もキスをしたことがない。もっと言えば元の世界でも一度もキスをしたことがないのだ。
 そしてキスの相手のネージュもまた同じ。恥ずかしがり屋が故に他人と関わることがなかったネージュだ。キスなどしたことがない。
 つまり今ここでキスをした場合、二人ともファーストキスになるのである。

(キキキキキキ、キスだなんて……お、俺が……ネージュと……キス!? 何その毒リンゴ食ったお姫様を眠りから覚ます方法的なおとぎ話の解決策は! というか、こっちの世界でもその解決策あんのかよ……で、でもあれか、人工呼吸みたいな感じだと思えばいいか。なんもやましいことなんてないもんな。そうだよな。やましいことなんてなんもない。ネージュの眠りを覚ましてあげる。ただそれだけのこと。やるぞ。俺はやるぞ!)

 マサキは心臓をバクバクと鳴らしながら一歩踏み込んだ。そしてゆっくりとネージュが横になっている布団へと近付く。そしてネージュの横についた時、マサキは腰を下ろした。

(やべー、近くで見れば見るほどやべー。こ、こんなに可愛かったっけか? 見慣れたせいもあって最近はそういった感情もなかったからな……間近で見るとこんなにも透き通ってんのか。まさに天使だな……)

 ネージュの満点すぎる顔面にマサキは怯み始めた。そんなマサキの背中を押すのはこの場にいる双子の姉妹だ。

「お兄ちゃんがんばって!」
「お兄ちゃんがんばって!」

「ちゅーだよ!」
「ちゅーだよ!」

 胸の前でガッツポーズを取り声を揃えて応援する双子の姉妹。その黄色の瞳は不安と期待が混ざったような色に染まっている。

(だ、大丈夫だ。い、今更なんだ。そ、そうだ。見慣れた顔だ。いつも隣にいる家族の顔だぞ。緊張することなんてない。キ、キスぐらいで臆する俺じゃない。いつも同じ布団で寝てるし、手だって繋いでる。なんなら抱き合ったりもしてるぐらいだ。最近なら温泉も一緒に入った。それくらいの仲じゃないか。ビビるな俺。ただ唇が重なるだけだ。そんな簡単なことでネージュが起きるなら儲けもんだろ……)

 ゴクリと生唾を飲み乾いた唇をひと舐めするマサキ。
 マサキの唇はゆっくりとネージュの薄桃色の唇に近付いていく。唇が近付くに連れてマサキの唇は尖っていく。

「ンッンッ! ンッンッ!」

 マサキの頭の上にいるイングリッシュロップイヤーのルナもマサキを応援するかのように声を漏らしている。
 その声に背中を押され、否、頭を押され、唇を交わすために傾けた頭が一気に動く。
 ある程度、頭を傾けたせいで頭の上に乗っているルナの重さが受けて一気に近付く速度が上がったのだ。
 マサキの脳内ではブレーキを踏んでいるのだが、全く言うことを聞かない。むしろアクセルを踏んだのではないかと思うほどに。

(ええい! こ、この勢いに任せていってやる!!!)

 マサキはブレーキから足を離した。このままネージュの薄桃色の唇まで一直線コース。
 マサキの人生初めてのキスがこの瞬間、訪れようとしている。
 デールとドールもこの瞬間だけは心臓がバクバクと動き、お互い小さな手を握り合っている。

「ちゅ~~~~~~~~~~ぅうううぅぅ……ん?」

 唇と唇が触れる寸前、マサキの黒瞳に青く澄んだ瞳が映った。そのブルーサファイアのような青く澄んだ瞳はパチクリと瞬きをしながら黒瞳と交差しあっている。

「あっ……えーっと……その……お、おはよう……ご、ございます?」

「……マ、マサキ……さん……っ」

 その瞬間、ネージュの青く澄んだ瞳から大粒の涙が滝のように大量にこぼれ落ちる。
 そのままネージュは両手を伸ばしマサキを掴んで抱き寄せた。嬉しさのあまり抱き寄せたのだ。そして大粒の涙を見られるのが恥ずかしくて抱き寄せたのである。

「ぬぐぅぁ……ネ、ネージュ……だ、大丈夫か?」

 お互いのファーストキスは失敗に終わったが、ネージュが目を覚ましたのなら結果オーライだ。
 マサキが離れたことによって発症した意識不明の状態。それなら単純にマサキが戻ってくれば意識が戻る病なのではないか?
 その通り。ネージュが目覚めたのはマサキが戻ってきたからだ。キスで目覚めるなどのおとぎ話とは違って、マサキとネージュは心が通じ合っている。だからこそ意識不明の状態のネージュのそばにマサキが近付いただけでネージュは目を覚ましたのだ。

「お姉ちゃんが起きたー!」
「お姉ちゃんが起きたー!」

 飛び跳ねる双子の姉妹は、そのまま部屋の外へと飛び出した。ネージュの無事を外にいるクレールたちに報告するためだ。
 デールとドールが部屋から飛び出したことによって、マサキとネージュの二人だけの空間が生まれた。正確にいえばマサキの頭の上から床に飛び降りたルナもこの空間にいるが、それでも二人だけの空間だと思わせるほどの状況だったのだ。

「マサキさん……マサキさん、マサキさん、マサキさぁん!」

 マサキを抱きしめながらマサキの名前を連呼するネージュ。
 ネージュは青く澄んだ瞳から流れる大粒の涙と、止めどなく溢れる鼻水をマサキの肩で拭きながら何度も何度も名前を呼ぶ。

「マサキさぁぁん、うぅ……マサキさん……うぐぅ……怖かった、怖かったですよ……マサキさんがいなくなったって思ったら……私……わ、たし……」

「ネージュ……」

 マサキの心にもネージュの感情が侵食する。そして伝染。マサキの頬に涙が伝う。

「うぐぅ……うぅ……ぐふぅ……ぁぅ……」

「マサキさん……マサキさん……あぅ……うぅわぁんっ……」

 二人は心の底から泣いた。壊れた蛇口のように大量に、そして永遠に涙は流れ続ける。

「ンッンッ」

 ルナがマサキとネージュの顔に自分の額を擦り付けるまでは。

「ル、ルナ、ちゃん」
「うぐぅう……うぐぅ……」

 ルナは二人を慰めようとしているのだろう。自分の額が二人の涙で濡れようとも、それを気にする事なく、必死に額を擦り続ける。
 その瞬間、二人だけの世界だったマサキとネージュの視野が広がる。
 広がった視野の先にはデールとドール、さらにはクレールがいる。そしてよく見ると、マサキとネージュが抱きしめ合っている布団の空いたスペースにダールとビエルネスが横たわっていた。
 デールとドールがネージュの無事を知らせて、外にいた三人を引き連れて戻ってきたのである。
 そのことに気付かないほど、マサキとネージュは泣いていたのだ。

「兄さん……姉さん、良かったッス……本当に良かったッス……」

 ダールは這いつくばりながらマサキとネージュを包み込むように抱きしめ始めた。

「マスタァアアアアアアアアうわぁああああああん」

 マサキの顔の横では枕元に倒れながらもビエルネスが号泣している。

(そうだよな。わかってたとは言え、ここまで心配してくれてたなんてな。ダールもクレールもデールもドールもビエルネスもみんな俺たちのこと心配してくれてたんだよな)

 ダールとビエルネスの二人はさらにマサキに近付き始める。唇を尖らせ瞳を閉じている。まるでキスをしようとしているかのように。

「に、兄さん。ア、アタシにも……アタシにもちゅ~を。アタシの体力も、もう限界ッス。どうか兄さんの優しいキスでアタシを助けてくださいッス」

「マスター。どうか私めに唾液を分け与えてくださいませ。でなければ私は消滅してしまいます。あ、もちろん口移してお願いしますよ~」

 どうやら二人はマサキとネージュがキスをしたのだと勘違いしているようだ。だからこの状況に乗じて自分たちもキスをしてしまおうと目論んでいる。

「ちょ、ちょっと、勘違いだって! 俺たちキスなんてしてないぞ! キスで目を覚ますだなんて、おとぎ話だけの世界だろ!」

「え、ちゅーしてないの?」

「クレールまでそう言う!?」

 驚きの表情を見せるクレール。そのままネージュの無事を報告しに来たデールとドールに顔を真っ赤に染めながら、ちゃんと言ってよと、ぶつぶつ言い始めた。
 デールとドールの説明不足でクレールたちはマサキとネージュがキスをしたのだと勘違いしてしまったのだ。しかし、その勘違いを利用するのがダールとビエルネスだ。

「兄さん。アタシの尖った唇はもう戻らないッス。戻る方法はただ一つ。兄さんのキスのみッスよ」

「いや、普通に戻せるだろ! もう勘違いってわかったんだからやめてくれー」

「マスターマスター。私にはお帰りなさいのちゅーをチュパチュパベロンベロンと、激しいちゅーをさせてください」

「いやいや、お前に至っては表現が気持ち悪いぞ。なんだその擬音は……」

 マサキに迫るダールとビエルネスの二人を止めたのは、クレールとデールとドールのちびっこ三兎人とじんだ。

「おねーちゃんは、ちゅーしてないんだってよ。だから今日は諦めるんだぞー」
「あきらめてー」
「あきらめてー」

 本来なら力が尽きて動けないはずのダールとビエルネスの二人だ、すぐにマサキに襲いかかるような真似をやめた。そしてそのまま本当に力尽きてしまった。最後の力を振り絞ってマサキとキスをしようとしたのだ。

「ふぅー、とりあえず助かったよ。ありがとう……って……」

 マサキの黒瞳には、こくんこくんっと、首を縦に動かし今にも寝そうなデールとドールの姿が映った。
 そのデールとドールを起き上がったネージュが優しく布団をかけてあげた。そして抱き寄せ、オレンジ色した小さな頭を撫でる。

「私の看病をしてくれてたんですよね。さっき目を覚ました時になんとなく感じました。小さいのに本当にしっかりしてて私よりもよっぽど大人ですね。ありがとうございます。もう大丈夫ですので、安心して眠ってください」

 そのままネージュの青く澄んだ瞳は隣に座るクレールを映す。

「クレールも大変だったでしょ? ありがとうございます。ゆっくりと休んでください」

「う、うん!」

 気が一気に緩んだクレールは、ゆっくりと目の前にある布団、すなわちネージュが使っている布団にうつ伏せのまま倒れ、刹那の一瞬で眠りについた。それほど精神を削って行動していたということだ。

「皆さんすぐに寝ちゃいましたね。それほど心配をかけていたってことですねよ。私、嬉しさもある反面、もっとしっかりしなきゃと、反省してます。マサキさんも疲れたんじゃないですか? 布団を準備して休みま……」

 振り向くネージュ。青く澄んだ瞳は黒髪の青年を映した。
 黒髪の青年は右肩を鼻水と涙でびしょびしょに濡らしている。そして死んだかのようにネージュが寝ていた布団の上で眠りについていた。
 ネージュが言った通り、マサキも疲れていたのだ。精神面、体力面もすでに限界ギリギリだったのである。

「ンッンッンッンッ」

「ルナちゃんも今度はいきなりどっかに行ったりしないでくださいよ。心臓がいくらあっても足りませんから」

「ンッンッ」

「お帰りなさいルナちゃん。マサキさんを守ってくれてありがとうございますね」

「ンッンッ!」

 ルナの額をネージュは細くて白い指で撫でる。マサキとネージュの涙で濡れていたルナの額は、まだ乾いておらず少しだけ色が濃くなっている。その色が濃い部分をネージュは撫で続けたのだった。
 撫でられるルナはその場で箱座りをし始めた。ひくひくと動くはずの鼻は徐々に動きがなくなっていく。眠りについた証拠だ。

「ンッ……ン……」

「……ど、どうしましょう。動けなくなっちゃいました」

 全員がネージュの布団で眠ってしまったことによって、起きたばかりのネージュは身動きが取れなくなってしまった。
 小首を傾げどうするか考えているネージュだが、考えるのをやめて布団のわずかな隙間に体を入れる。そして家族たちに挟まれながら、やっと開けたはずの瞳を閉じた。

「皆さんありがとうございます」

 優しさに包まれてネージュは再び眠りにつく。
 日の出と共にマサキたち全員は眠りについたのであった。
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