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第3章:成長『温泉旅行編』

141 プチ遭難

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 雪が降り注ぐ温泉の中、マサキとネージュは二時間近く湯に浸かり、その場から動けずにいた。

「だ、誰も来ませんね……」

「お、おかしいな……従業員も来ないだなんて……プチ遭難だよ。これは……」

 雪が積もっている温泉『冬の湯』では、その寒さからウサギたちにも人気が無く一匹もやってこない。なので旅館の従業員も温泉『冬の湯』の状態を確認しにくる頻度が少ないのである。
 その証拠にこの二時間誰も来ていない。

「もう二時間くらい入ってるよな。手足がふにゃけてきたよ……」

「そうですね。私のウサ耳も……もう限界です」

「温泉の暖かさと雪の寒さのバランスが絶妙でなんとか二時間のぼせずに耐えてきたけども、もう無理!」

「脱衣所に行きますか? ルナちゃんも可哀想ですし」

「そうだな。そうしよう」

 マサキとネージュは脱衣所へと移動することを決意する。さすがに二時間も温泉に入り続けたら体がもたないし飽きてしまう。

「ルナちゃん、ビエルネス、脱衣所に行くぞ」
「ンッンッ」

 マサキの左腕の中にいるルナはいつものように声を漏らしながら反応した。無表情のまま鼻をひくひくさせている。のぼせたり具合が悪くなったりしていないようだ。
 ビエルネスから反応がないのは、湯桶の中で眠っているからだ。マサキとネージュに精神を安定させる抗不安剤のような魔法をかけたり、風属性の魔法を連発したりと体力的にも疲労していたのだろう。そこに酒も加わり眠ってしまったのである。

「しょうがないな……」

 マサキは右手を伸ばし湯桶ごとビエルネスを持ちあげた。そして自分の体に寄せる。
 左腕にはイングリッシュロップイヤーのルナ。右手には妖精族が入った湯桶。両手が塞がった状態でマサキは立ち上がった。

「さ、寒ッ! い、行くぞ」

 立ち上がったマサキは冬の寒さの洗礼を全身に味わう。
 立ち上がったマサキはタオルなどで大事な部分を隠していないがネージュには見えないように工夫して立っている。それは湯桶だ。ビエルネスが入っている湯桶を上手く利用して男の大事な部分をネージュの視界に入らないようにしているのである。

「ネネネネネージュどどどどうした? ささささむむむいんだが……」

 一向に立ち上がらないネージュにガクガクと寒さに震えるマサキは疑問を持った。なぜ立ち上がらないのか。その疑問はすぐに解消される。

「わ、私、そ、その……浴衣を脱がなきゃいけないので……そ、その見られるの恥ずかしいです。だから先に脱衣所に行っててください」

 タオルなどを持たずに事故で温泉に入ってしまったネージュは浴衣のままだ。脱衣所に行くのなら予め濡れた浴衣と下着を脱がなければならないのである。びしょびしょの状態で脱衣所に入るのは申し訳ないと思ったのだ。
 その浴衣と下着を脱いでいる姿を見られるのが恥ずかしいのと、脱いでいる時間もマサキを待たせるのが嫌だったのだ。なのでマサキを先に脱衣所に行かせることにしたのである。

「そ、そうか。そうだよな。わわわかったたたた。うぅうささむッ」

 寒さで口元が震え自然と同じ言葉が繰り返されるマサキ。そのままネージュの視界にラディッシュさんと呼ばれる男の大事な部分が見えないように歩く。
 寝ているビエルネスは自分が男の大事な部分を隠すための壁になっていることを知らない。もしも酔いが醒めた状態で起きていたら大変なことになっていただろう。

(ぐっすり寝てる。本当によかった。この状況で起きたって考えたらこの変態妖精は何をしでだすかわかんないからな……焼酎さんありがとう)

 マサキはこの時、人生で数少ない酒への感謝をしたのだった。

「そんなことよりも早く脱衣所へ! 寒くて死んじまう!」
「ンッンッ」

 そのまま左腕の中にいるルナを落とさないように持ちながら脱衣所へと向かっていく。マサキが歩くたびに振動を感じるルナは、その振動を感じるたびに声を漏らす。
 ルナの体からはお湯が大量に滴っている。動物の毛皮は水分を吸い込みやすいものだ。大量のお湯が吸い込んでいてルナの重量はいつもの二倍ほどに感じてしまう。それほど大量にお湯を吸収しているのだ。

 マサキは脱衣所へと繋がる扉に手をかけるために右手に持つビエルネスが入っている湯桶を石床に置いた。この距離とこの姿勢からならネージュに男の大事な部分が見られることがないと判断したからだ。
 そのまま脱衣所へと繋がる扉に手をかける。そしてネージュの方を尻目で見ながら口を開いた。

「それじゃタオルとか用意して待ってるからな。それとルナちゃんの体を乾かすの手伝ってね。結構濡れてるからさ」

「もちろんですよ! なので早く脱衣所に入ってください! その見えそうで見えないラディッシュさんにソワソワしちゃいます」

「わ、わかったよ。あとラディッシュさん言うな!」

「ふふふっ」

 お互い笑顔を溢しながら分かれた。マサキは左腕でルナ、右手でビエルネスを持ちながら脱衣所へ。ネージュは浴衣を脱ぐために温泉に残る。
 たった一枚の扉なのに、すぐ近くにいるのに、すぐに会えるのに、二人の心は寂しさに蝕まれる。

 しかし寂しさに打ち負けるほど二人は弱くない。少しずつだが成長しているのだ。
 マサキは振り返らずに歩きだす。びしょ濡れの愛兎あいとのために。

「まずはルナちゃんからだよな。っとその前にタオルくらい巻かないとな。またラディッシュさんって言われちまう」

 マサキはルナを床に置いた。右手で持っていたビエルネスは脱衣所の中央にある棚の中に置いた。床に置いて誤って踏んでしまったら取り返しがつかないからだ。
 マサキはそういうところだけは深く慎重に考えている。これも人間不信で用心深い性格が影響していること。

「ちゃちゃっと拭いてタオルを巻いてっと……」

 マサキは自分の体についた水滴を大雑把に拭き取る。ルナを早く乾かしてあげたいという気持ちと服を着ないからいいやという気持ちが重なった結果だ。
 そのまま腰にタオルを巻いて男の大事な部分を隠す。

「ビエルネスもこのままだとダメだよな。というかタオル変えないと」

 マサキとは違いビエルネスはタオルを巻いたまま温泉『冬の湯』に来ている。なのでビエルネスが風邪を引かないためにマサキがしてあげられることは濡れたタオルを脱がし新しいタオルを巻いてあげることだ。
 マサキはビエルネスに巻かれている濡れたタオルを脱がすために両手を近付けた。

(な、なんか……緊張する……)

 近付いていく手は緊張から小刻みに震え始めた。

(や、やましいことなんてないのに……心臓がうるさい。やましいことがないなら緊張なんてしないはずだろ……)

 心の中で自分に言い聞かせながら自信をつけさせていく。そうしていくうちに新たな考えが芽生え始めてくる。

(待てよ。ネージュにやってもらえばいいじゃんか。同じ女だし。それに俺がタオルを脱がせた瞬間にビエルネスが目を覚ましたらって考えると……ダメだ! 脱がさないほうがいい!)

 ビエルネスに近付いていく両手は近付くのを辞めた。そして、小刻みに震えていた手もピタリと止まった。
 その瞬間、この判断が正しいのだと自分の頭の中だけで正当化していった。
 しかし、マサキの黒瞳はびしょ濡れになりながら倒れている薄緑色の髪の妖精族を映してしまった。その姿は花よりも蝶よりも美しく少し触れただけでも壊れてしまいそうなほどだ。
 だからこそ止まっていた両手が動き出した。

(このままだとビエルネスが……)

 死んでしまうと思ったのだ。だからこそ儚い命を丁重に扱わないわけにはいかない。

 しかしビエルネスは弱ってなどいない。酔っ払って温泉に入りそのまま寝てしまっただけだ。
 そんなビエルネスの姿が人間不信で用心深く考え事が多いマサキにとっては毒だったのだ。
 このまま目を覚さなかったらどうしよう。濡れたままにしたせいで死んだらどうしよう。など考えれば考えるほどネガティブ思考になっていく。

「もういい! 大事なのはビエルネスの命だ! 目を覚まして変態扱いされてもいい!」

 マサキはネガティブ思考に打ちのめされてビエルネスを自分の手で着替えさせることを決意する。

 両手でビエルネスに巻かれたタオルをゆっくりと脱がす。顔を反り半目になりながらゆっくりと脱がす。いやらしいことなど一つもない、これはビエルネスのための着替えなのだ、ということをその態度で示しているのだ。

 そしてぼやけた視界の中でビエルネスの体を新しいタオルで拭く。人間族や兎人族とじんぞくようのフェイスタオルほどの大きさのタオルだ。バスタオルでは子ウサギサイズしかない妖精族にとっては大きすぎるからである。

(多少濡れてても問題ないだろう。そんで、あとはタオルを巻くだけだな)

 順調。順調すぎるほど順調だ。

(起きなくて本当によかったよ……)

 半目状態で視界がぼやけているマサキは気付いていなかった。ビエルネスの薄水色の瞳がマサキのことをじーっと見ていることに。

(あ、あれ? 全然タオルが巻けないんだが? 羽があるせいか? なんか難しいぞ)

 先ほどの順調が嘘のように苦戦し始めるマサキ。それもそのはず。ビエルネスは自分の意思でタオルを巻くのを拒んでいる。
 そしてタオルを拒み続けるビエルネスは全裸のまま半透明の羽を羽ばたかせて飛んだ。

(い、いなくなった、もしかして落とした!?)

 ぼやけた視界から突然姿を消したビエルネスに焦りを隠せないマサキ。落としたのだと思い込み半目にしていた目蓋を思いっきり開けた。そして床を見た。

(い、いない……どこいったんだ?)

 その瞬間、マサキの右頬に濡れた何かが当たる。

「ひぃ! 冷たッ!」

 驚き全身に鳥肌が現れたのを感じたマサキ。そのままその場に硬直する。
 硬直後は五感が冴える。特に聴覚だ。その聴覚から聞き慣れた荒い息遣いが聞こえてきた。

「ハァハァ……ましゅた~ハァハァ……いまからこじゅくりしましょ~ハァハァ……ましゅた~ましゅた~」

 ビエルネスはマサキの右頬に体を擦りつけながら喘いでいた。

「こ、子作りなんてするかー!!!」

 叫びながらフェイスタオルをビエルネスに被せるマサキ。顔を赤らめながらビエルネスに背を向けてルナの方へと向かった。
 タオルから顔を出したビエルネスはマサキの背中を見ながら口を開く。

「マ、マスター照れないでくださいよ~。今私を犯そうとしましたよね~。だってタオルを脱がせて裸にしたんですから~! マスター! 妖精族と人間族でも子作りはできますよー。だから戻ってきてくださいよ~」

「う、うるさい! そんなことしないってば! というかなんでこのタイミングで起きるんだよ。それに酔いも醒めてるじゃんか……」

「よっぱらってましゅよ~ましゅた~えへへへ~よっぱらってるいまならなにやってもわすれちゃうよ~」

「酔っ払いのフリはやめろ。さっきハキハキ喋ってたじゃんかよ。早くそのタオルを巻いてルナちゃんを乾かすの手伝ってくれ」

「了解でーす。ウサギ様を乾かした後に子作りですね。マスターのご命令とあれば!」

「そんな命令してない!」

 マサキは振り向くことなくビエルネスと会話をする。振り向いて赤らめた顔を見られるのが嫌だったからだ。それにビエルネスの裸をまた見てしまうのも背徳感があるからだ。

 そんな時、温泉『冬の湯』に繋がる扉の先から声がした。

「マ、マサキさーんタオル置いてくれましたかー?」

 ネージュの声だ。浴衣を脱ぎ終わり脱衣所に入ろうとしているのである。

「今ビエルネスが持っていくよー!」

 マサキはネージュへの返事とビエルネスへの指示を同時に言ったのである。
 その言葉に従いネージュは雪が積もっている扉の前でガクガクと震えながら待った。そしてビエルネスはすぐに真っ白で綺麗に畳まれたバスタオルを持っていった。
 半透明の羽をパタパタと羽ばたかせて小さな両手でバスタオルを持っていく。

「白銀の兎人様。タオルですよー」

 その声にネージュは扉を開けた。そして脱衣所へと入りビエルネスからタオルを受け取った。

「ありがとうございますビエルネスちゃん! もう大丈夫なんですか? 酔いは醒めました?」

「はい。マスターに乱暴にされてすっかり元気です!」

 両腕でマッチョポーズをとり力こぶを見せようとするビエルネス。その枝のように細い腕からは力こぶなど一ミリも現れなかった。

「ふふっ」

 ネージュは笑いながら体に付いた水滴を軽く拭いてタオルを巻いた。そしてびしょ濡れのルナを乾かすのを手伝うためにマサキの方へと向かう。

 温泉『冬の湯』から脱衣所へと移動したマサキとネージュ、そしてルナとビエルネスだが、プチ遭難はまだまだ続きそうだ。
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