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第1章:異世界生活『兎人ちゃんと一緒に暮らそう編』

12 不動産屋に再挑戦

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 翌日のこと。不動産屋に再挑戦するため、二人は昨日と同じ不動産屋ブラックハウジングの正面にある大樹の裏に身を潜めていた。

「ブラックハウジング。なんて禍々しいオーラなんだ。どんなに気合を入れて秘策を用意しても一歩も近付けねーじゃねーかよ」

 大樹の中に作られているブラックハウジング。その大樹には窓が設置されており、窓から見えるブラックハウジングのオーナーのブラックを見ながらマサキは怯んでいた。
 そして足がすくんで一歩も歩けない状態でいた。

「先頭を歩いてリードするつもりだったが、そんな簡単に克服できねーよな……」

「わ、私も、私もついてます。だ、大丈夫ですよ」

 マサキの後ろに隠れるネージュも緊張からか体が小刻みに震えていた。

 二人は一睡もできなかった昨日とは違って睡眠を十分にとることができた。精神不安定な二人でも、さすがに寝不足で疲労が蓄積された状態なら眠りにつくことができる。それがたとえ上質な睡眠じゃなくてもだ。

 マサキは拳を強く握りしめ怯え震える自分に言い聞かせる。

(臆病で小心者の俺。昨日の決意はどこいったんだ。これじゃ昨日の俺たちの二の舞。何も変わらないじゃないか。くそ。覚悟を決めろ。ネージュのために覚悟を決めるんだ! 俺よ!)

 マサキは覚悟を決めるために自らの頬を思いっきり叩いた。叩かれた頬はすぐに赤くなった。

「マ、マサキさん!?」

 突然の行動で驚くネージュ。
 覚悟があと一歩決まらないマサキはその一歩を踏み出すために、驚いているネージュに声をかけた。

「ネージュ。やっぱり俺は先頭で歩くのは無理だ。どんなに作戦を練っても、イメトレしても、どんなに秘策を用意しても、どんなに覚悟を決めても、俺の弱い心は一歩も前に進みたがらない」

「マサキさん。その気持ち痛いほどわかります。私も同じです。この状況を変えたいって思ってるのにいつも足踏みして立ち止まってるだけなんです」

 二人は真剣な表情で自分の過去を見つめ直している。自覚がある二人は自分の性格を治したいと努力した時期もあった。
 けれどそう簡単には治らない。きっかけもなければ勇気もない。考えているだけでは染み付いた性格を治すことは不可能だ。

「だから今ここで変わりたいと思ってる。でも俺は一人じゃ変われない。でもネージュ。キミと一緒なら変われる気がするんだ」

「で、でも私じゃなんの役にも立ちませんよ……」

 うつむくネージュに手を差し伸べるマサキ。その手は相手を勇気付けさせるほど立派なものではない。なぜなら小刻みに震えているからだ。
 なぜそんな手を差し伸べたのだろうか。そんな手で誰かの心は救われるのだろうか。
 否、救われる。少なくとも目の前の兎人族とじんぞくの美少女の心は救われる。
 そして手を取ってくれさえすれば怯え震える人間の心も救われるのだ。

「俺もネージュも先頭を歩くことはできない。絶対に無理だ。そんなことは初めからわかってた。だけど俺はネージュの横なら歩ける。だからネージュも俺の横を歩いてくれ。一緒に横を歩いてこの壁を越えていこう」

「……マサキさん」

 先頭を歩くことができない弱い心の二人。それならば先頭を歩かなければいい。パートナーの横を歩く。そう思うことで二人で先頭を歩けばいいのではないだろうか。
 必死の思いでマサキは気持ちを伝えた。そしてその気持ちに応えるようにネージュも小刻みに震える手を伸ばす。
 震えるマサキの右手と震えるネージュの左手。二人の手が交わろうとしている。これは握手ではない。握手なら同じ手を差し伸べなければならない。
 右手と左手が交わる時。それは手を繋ぐ時だ。
 人間不信で相手を信じられず恐怖を感じているマサキの右手。恥ずかしがり屋で誰かの前に立つことに恐怖を感じているネージュの左手。その手は指と指が交わり、恋人繋ぎをした。

 すると驚くことに手の震えはピタリと止まった。震えている手が噛み合い相手の震えを抑制しているのではない。本当にピタリと止まったのだ。
 そして不安と恐怖と緊張で青ざめていた二人から笑顔が溢れる。取り繕っていない自然の笑顔だ。

「この手は離さないでくれ。離した瞬間、俺は破裂するかもしれない」

「ふふっ、なんですかそれ。マサキさんこそ離さないでくださいよ。私は爆発するかもしれませんよ」

「それは困る。だから絶対に離さないぞ」

 笑顔が戻った二人は同時にブラックハウジングを見た。そしてなんの合図もなく同時に一歩踏み出した。事前に打ち合わせをしていたかのような絶妙なタイミングだ。
 二人の足取りはスムーズ。この手が繋がれている限り何も恐れることはない。そのまま二人はブラックハウジングの扉の前まで来ることができた。

「あ、開けるぞ」

「は、はい」

 マサキは空いている左手でブラックハウジングの扉を引いて開いた。そして二人同時に中に入った。

「ようこそブラックハウジングへ。いらっしゃいませ」

「「いらっしゃいませ」」

 二人を歓迎する声が店内に響き渡る。その声に圧倒されて不安と恐怖と緊張が再発。そして手を繋ぐ相手に伝染。

「ガガガッガガッガッガッガッガガガガガガッ……」
「ガクガクガクガクガクガクガクガクガクガク……」

 二人は手を繋いだまま震え出してしまった。やはり魔法でもかかっていない限り手を繋いだだけでは不安と恐怖と緊張を薙ぎ払うことができなかったのだ。

「こちらへどうぞ。新居のお探しでしょうか?」

 スリムな兎人族とじんぞくの女性スタッフがニコニコと笑いながら案内を始めた。手を繋いでいることから夫婦かカップルだと思ったのだろう。

(え、営業スマイルだ。ど、どうせ俺たちのことカモだと思っているんだろう。そうだ。きっとそうだ。心の中で笑ってるはずだ)

 マサキはニコニコ笑うスタッフを見て人間不信ならではのネガティブな想像をする。

(は、恥ずかしいです。人前で手を繋ぐだなんて……でも離したくないです。でも恥ずかしいです。でも離したくないです。でも恥ずかしいです……でも絶対に離したくないです)

 恥ずかしがり屋のネージュも今更手を繋いでいることを恥ずかしがっている。しかし手を離すことができない。離してしまうとこの恥ずかしがり屋な性格がもっと悪化してしまうからだ。

 不動産屋に入ってしまった以上後戻りはできない。二人は小刻みに震えながら案内されるがままについて行った。
 すると案内された先には、ブラックハウジングのオーナーがいた。二人が窓の外から見ていたあの兎人族とじんぞくだ。二人席の前に来るのを姿勢を正し立ちながら待っていた。

(ま、まさかいきなりのボス戦! で、でけー。窓の外から見てた時と迫力が全然違う。というかめちゃくちゃでけーなおい。こ、怖い。殺される……)

 ブラックの迫力に圧倒されて気を失いそうになる二人。恐怖のあまり震えは止まることがない。

「ようこそ。ブラックハウジングへ。私はここのオーナーのブラックでございます。どうぞおかけください」

 二人が迫力に圧倒されるほどブラックはでかい。その大きさからフレミッシュジャイアントの血筋だということがわかる。
 お客であるマサキとネージュを先に座らせようと促すブラック。二人は言われるがままに座った。二人が座ったのを見てブラックも自分の椅子に座る。

「ではでは早速、お探しの物件をお聞きしてもよろしいですか?」

「ぁぁぅあ……ぐっ、うぐっ……ぅぅ……」

「お、お客様?」

 マサキとネージュは泣き出してしまった。 
 もともと喋れないのにさらに恐怖で泣き出してしまい余計に喋れなくなってしまった。二人は嗚咽おえつが止まらない。
 しかしそれは想定の範囲内。マサキは喋れないことを見越して秘策を用意していた。

「ぅぅ……ぐっ…」

 泣きながら左手でジャージのポケットを探るマサキ。そして白い紙をポケットから取り出しブラックに渡した。

「ん? これを読めということでしょうか?」

 ブラックは渡された四つ折りの白い紙を開く。中にはこの世界の文字が書かれていた。ブラックはそれを音読する。

「店舗を経営するための激安物件を探しています。安ければ安い方が良いです。最初の月は家賃を払うことが困難なので翌月から返済していく。そんな物件はありませんか? ですか……」

 言葉で伝えられないのなら文字だ。文字なら喋らなくて済む。これがマサキが考えたとっておきの秘策なのである。
 そして文章を考えたのはマサキだ。しかしマサキはこの世界の文字を書くことができない。なので文字を書いたのはネージュだ。二人の共同作業から生み出された不動産屋攻略のための文章なのである。

「当店は激安物件を売りにしております。ですがお客様のご要望にお応えできるか分かりませんが……」

 ファイリングされた物件情報を素早くめくりながら二人が探している条件に近い物件を探している。
 その間に兎人族の女性スタッフがコーヒーと菓子を持ってきて二人の目の前に置いた。
 お菓子は透明のパックに包まれたマドレーヌだ。

 ゴクリと生唾を飲む音が聞こえるくらい二人は差し出されたコーヒーと菓子に惹きつけられる。そして腹の虫が雄叫びを上げるかのように『ぐぅぅぅ~』と、同時に鳴り響いた。
 二人のお腹の虫も意気投合している。

(は、恥ずかしい。お腹が鳴ってしまいました。絶対聞こえちゃいましたよね。絶対笑ってますよね。ああ、恥ずかしいです。でもマサキさんもお腹が鳴ってたような。もしかしたら私のお腹の音をかき消してくれたかもしれません。でもでも恥ずかしい。差し出されてすぐにお菓子を食べようとするのは恥ずかしすぎます……)

 涙は止まったが次はよだれが垂れてしまっているネージュ。よだれを垂らしながら差し出されたマドレーヌを凝視しているのだ。

(こ、これ食べていいんだよな。賞味期限大丈夫か? それ以前に毒は入ってないよな。大丈夫だよな。でもめっちゃ腹減ったしこんな美味しそうなもん見せられたら余計に腹が減る。出されたんだから食べた方がいいよな。食べない方が失礼だよな。食べなかったら食べなかったで変な目で見られるよな。食べるべきだよな……)

 マサキは相手を疑いすぎて何を信じていいのかわからなくなっていた。

 そんなネージュとマサキはお互いの顔を見合わせ小さく頷いた。そしてお互い手を繋いでいない方の手をゆっくりとマドレーヌに近付ける。
 今まさにマドレーヌに手が届こうかという瞬間、ブラックが声を上げた。

「お客様! 良い物件ありましたよ!」

「ひぃいい!」
「うひぃ!?」

 その声にビクッと驚きマドレーヌから手が離れてしまい取る事ができなかった。
 ブラックは、そんな二人の様子を気にせず、宝物を見つけたかのようなテンションで物件を紹介し始めた。

「月々で敷金礼金なしの事業専用物件。さらに樹齢五万年の大樹。これは激安のお得物件ですよ。いや~今までこんな良い物件に気が付きませんでした。こちらの物件などどうでしょうか?」

 とはこの世界の通貨だ。あらかじめマサキはネージュからお金について少し話を聞いていた。なのでラビと言われても大体の価値は理解している。
 異世界のラビと日本の円の物価はほぼ変わらないとマサキは感じている。なので三万ラビ、つまり家賃三万円の格安物件を見つける事ができたということになる。

 そして樹齢五万年とは物件の広さを表す。樹齢の数が大きければ大きいほど広くなる。広い物件を探す場合は樹齢の数が重要になるのだ。
 ちなみに樹齢五万年は座席数が四百席の映画館と同等くらいの広さだ。

 かなりの激安物件だが一文無しの二人にとっては厳しすぎる。二人は最低でも一万ラビ以下の物件があると期待していた。
 なのでどんなに条件が良い物件でも家賃が三万ラビなら首を横に振るしかなかった。

「……そうですか。これ以上に安い物件は当店にはありませんね。お役に立てなくて申し訳ありません」

 ブラックは深々と頭を下げた。頭を下げたことで大きなウサ耳がマサキとネージュの目の前に勢いよく迫ってきた。

(こ、殺される。物件を断ったから殺される。もう終わった。俺の、俺たちの人生終わった)

 目の前にあるウサ耳が鋭い刃物に見えた二人は死を覚悟した。ただの勘違いだ。人殺し扱いされてブラックもいい迷惑である。
 当然のことながらブラックは頭を上げた後、二人を傷付けたりはしなかった。むしろ二人に店舗探しのアドバイスを贈った。

「里の中央にあるに行ってみるのも良いかもしれませんよ。そこでしたら当店で取り扱ってない物件があるかもしれません」

「は、ガガッガ、はい。あ、ガガガガガガガガッとうごさいます……ガガガガガッ」

 マサキは歯をガタガタと震わせながら感謝の言葉を告げた。感謝を告げなければ殺されてしまうと思ったのだ。
 その横でネージュも震えながら何度も頭を下げている。
 そして二人は勢いよく立ち上がり逃げるようにブラックハウジングから出ていった。

「あ、ありがとうございました。お、お気をつけて」

 不思議そうに二人を見つめながらブラックは退店の挨拶をした。
 二人が座っていた席には一度も口をつけていないコーヒーと未開封のマドレーヌが寂しげに置かれていた。
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